◆幕間『野良大学生事件』

 女性が自分の隣を歩いている事実は、拳法の達人や大統領をお供にするよりも心強い。まあどちらも知り合いには居ないので断言出来ないが、少なくともキャンバスライフ程度では、毛深い傷を舐めあっている連中を一瞬で黙らせる。

 それがスダチともなれば尚のことだ。

 正直彼らには同情を禁じえない。己から醸す芳醇なフェロモンで自家中毒を起こしている。ぼくには彼らを啓蒙する義務があった。つい先日までぼくもお仲間だったのだから。

 とある日、講義室を借り切って、ぼくは彼らに高説を垂れた。

「学生の本分は勉強? 大いに結構。だどもな、それは恋人を作らない理由にはならない。両立は人生の命題である。何も色恋だけではない。生きることは数多の事象が複雑に絡み合って出来ている。貴君らは、恋人を作るのが面倒だというがそうではない。恋人を人生に組み込んで、それをプラスに働かせる器量に乏しいのだ。要するに器がちっせーってことだ。勘違いして欲しくないのは、小ささを責めるつもりはない。ぼくだって決して大きいわけではない。しかし小さき器に甘んじている現状は、由々しき事態であるとここに警鐘を鳴らす。もし貴君らが天才数学者で、ぶっ倒れるまで数式と格闘していると言うのなら、恋人を作らない理由にならないこともない。そこまでして頑なに両立を拒み、一つのことに打ち込むのもまた人の道だ。しかし、貴君らが数学の申し子でないことは周知の事実だ! 第一数学者だって、クロスワードパズルだけ解いていれば良いわけではない。まず健康。次に金だ。しがらみは常に付き纏う。そして性欲が人間の根底にある以上、色恋も往々にしてそこへ組み込まれる。ぼくが言いたいのは、しがらみをしがらみとして生きるよりも、糧とするべきだということだ。社会という化け物に、滅法奉仕するよりも、愛する人のために生きろということだ。同じ作業でも輝きが変わってくる。生活に張りと潤いをもたらす。君たちも早く《イ・イ・ヒ・ト》を見つけたまへ」

 果たして『ぼくに出来たことがきみたちに出来ないはずがない』という意図は、驚くほど伝わらなかった。当たり前だ。今となっては、忸怩たる思いである。穴があったら入りたい。口にするのも憚られる。恥の上塗りだ。くたばれ。

 しかしその時は、何から何まで本気だった。彼らの希望となるべく、ぼくなりに尽力を尽くした。尽くしたつもりでいた。無論独りよがりで、誰一人白秋桃吉を支持するものは居なかった。言うまでも無く友情は有限で、買わなくても良い顰蹙を買って、売らなくても良い喧嘩を売って、見る見る間に友達は減り、不倶戴天を作って作って作りまくった。

 そもそも交際を開始した当初から敵は多かった。大学に出没する《馬に蹴られて死んじまう連中》別名ラブ・ジャンキーをちぎっては投げ、ちぎっては投げ、毎日が戦争である。命すら危ぶまれる状況もあったが、彼女の顔を思い浮かべるだけで、百人力だった。スダチが居れば他に何もいらなかった。二人ならどこまでも歩んでいける気がした。

 かくしてぼくは、最愛の人を得る代償に、数多の友人を失った。


 そんなある日。スダチは突然言い出した。

「トーキチは私が助けてやろう」「はあ」「彼奴らを懲らしめてしんぜよう」

『キャツら』とは誰だ。そしてぼくは助けて貰うほど逼迫した状況にいない。

「トーキチ、悪を滅ぼすぞ」と言ったかどうかは記憶違いかもしれないが、それに準ずる勅令がくだった。

 大学構内には、彼女の正義に抵触する悪が蔓延っているという。

 例えばそれは『薔薇色の青春』をうたうクラブ活動である。洒落臭い妄言で新入生をたぶらかす。その実待っているのはドロドロの人間関係、用途不明の会費、小山の大将に君臨し続ける大学八年生…。実情を自ら晒す間抜けなサークルは存在しないが、かといって情報を意図的に隠す行為は詐欺紛いである。たちが悪いのが、居れば居るだけ自分も染まっていくということだ。いたいけな新入生は、それが大学生活の常識だと洗脳されていく。むしろ自らされに行っているに違いない。それほどまでに愚行。やがて自分自身も大学の癌細胞へ変貌を遂げ、悪習を後世に伝えるのであった…。

 サークルの闇は深い。例えば授業の履修は、全てオートメイション化されいた。単位習得が容易なものを全自動で選り分け履修してくれる。

 レポートは通称経典と呼ばれる原本が脈々と受け継がれており、それをコピー&ペースト、ときにはエディット、場合によっては幅広いジャンルをミックスし、オリジナル論文を作り上げた。噂では《経典》を書いたのが、学生の頃の教授だというので業は深まるばかりである。

 出席は代返の天才七色の声を持つ男が一手に取り仕切っていた。男と言いつつも童女から老爺まで、多彩な声色を使い分ける。一人のような、集団のような、その全貌は掴めない。一方で認知度は高く、部長を通して依頼すれば、確実に出席を得られる。「取れていないはずの単位が取れている」という誰もが一度は経験する珍事は、彼の慈善活動兼宣伝活動だ。

 一番の問題はテストだが、それは《苦学生》の闇アルバイト《掲示板》が存在した。彼らは己の学力で学費を稼ぐ。平たく言うと、カンニング幇助である。金に糸目をつけない連中は、高い利用料を払って単位を買うが、貧乏人は飯を奢る、風呂を貸す、肩を揉むなど、擦れる胡麻は全て擦って単位を拾い集めた。そんな暇があるなら勉強しろ。

 その他にも蔓延する不正は枚挙に暇が無い。これらが悪習であるのは言うに及ばず。ならば何故誰も気付かぬのか。いや、気付いていながらなお目を瞑っているのか。それとも心から居心地の良さを感じているのか…。

 違う。

 気付いていながら、居心地の悪さを感じていながら、泥沼から足を洗うのは無謀なのだ。沼は個人の手に負えないほど、広く深く居心地が良い。ぼく自身頼り切りであり、五分も講義を聞いていられない体になっちまった…。例え足を洗えたとて、地上は孤独である。孤独は世人に耐え難い。中には模範的学生に戻るべく沼から這い上がる連中も居た。だが数日と経たない内に、愛想笑いを浮かべて、決まり悪そうに帰って来る。彼らは孤独の反動からか、以前よりどっぷり浸かり二度と浮上してこない…。

 スダチはあろうことか、それを糾弾すると言っているのだ。どんな目に遭うか、想像しただけで失禁ものである。当然二人が所属している文科系サークルも標的となる。今の所、ぼくの心の拠り所である。躊躇いはあった。恩もあった。自分も悪習の一役を担っており、優遇も受けている。それが手のひらを返し、ご都合主義も甚だしく、神にでもなったつもりで天誅を下すと言う。まことのうつけである。

 しかしスダチは、暗にこうも言っているのだ。

『引き返すなら今がチャンスだ』と。『真っ当な大学生に戻る唯一の方法である』と。

 何にせよ、熱に浮かされたぼくに判断力など無い。スダチの言葉こそ真理であり、学業そっちのけで忠誠を誓った。

 

 スダチを司令塔としたぼくの八面六臂の活躍は、筆舌に尽くし難い。方法はシンプルだ。証拠を集めて暴露する。暴露しまくる。最早、馬喰横山だ。ぼくが横山でないことが悔やまれる。結果、大学史上最多留年者数を大きく更新したとか。人によっては、停学、内定取り消し、退学もあった。大量の大学生を路頭に迷わせ、キャンパスから追放した。彼らは行き場を失い大学の周囲に集まり悲痛な声で夜な夜な鳴き声をあげた。

 人はそれを《野良大学生》と呼ぶ。

 そしてぼくは引き返せぬ道を引き返すことに成功したわけである。

 否、成功とは言いがたい。そもそも引き返せぬ道なのだから行き着く先は茨道だ。具体的には孤独との奮闘、馴れ合いの放棄、そして進級の危機である。足らぬ単位は自ら拾う。当たり前のことをしてこなかったツケが回ってきた。結果的に自分で自分の首を絞めることになる。敵の数も以前の比ではなく、校内に踏み入ることすら侭ならない。大学生でありながら、大学に居られない。ぼくに残された道は一つしかなかった。

 休学である。

 退学する気概もなく、社会に出る展望もなく、フリーターやプー太郎に開き直る勇気もない。問題の先送り。保留である。後悔はしていない。やはり『あの状況』は酷く歪んでいた。本来ならばこれが妥当な結果なのである。

 とにかく『例の一件』は、休学届けを叩きつけた後に起こった。

 久方ぶりに出会ったスダチに、ぼくは子犬のように尻尾を振りながら近づいていった。

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