第三章 デオナーテ王国編

第23話 清々しい朝に


 一人の青年が、明朝の林道を歩いていた。

 その林道は軽自動車が一台通れるぐらいの広さで、辺りはまだ薄暗く、少し肌寒く感じられた。


 今日は会社が休みで、遅くまで寝ているつもりだった。しかし、ふと目が覚め、何かに導かれるようにここまで来てしまっていた。


 薄暗い林道を歩き続ける事一時間。道端に、黒い何かを見つけた。

 青年が近づいてみると、おかしな恰好をした女性が倒れていた。黒いドレスのような物に身を包み、背には黒い翼のような物が付いていた。

 青年は声を掛けようとし、止まる。女性があまりにも綺麗で、つい見惚れてしまっていた。


「あ、あの! 大丈夫ですか!?」


 青年が問いかけると、女性は薄く目を開き、小さな声で呟いた。


「レ……ネス……が……ない……」


 女性が何も言っているのか、青年には理解できなかった。




――――




 

 外から小鳥の囀りが聞こえてくる。窓からは朝日が差し込み、寝ぼけている俺の顔を眩しく照らす。


 体のあちこちが痛い。どうやら筋肉痛になってしまったらしい。


 一昨日の戦いの影響だろうな。あんな剣戟とか初めてやったし……。

 特に足の痛みが酷い。少し走りすぎたかもしれない。


「とりあえず起きるか……」


 痛みを我慢しながら体を起こして周りを見渡す。

 ザルマスさんもティレンさんもまだ寝ているようだ。


「……もう少しだけ寝――」


 二度寝しようとした瞬間、顔の横を鋭い何かが通り過ぎ、後ろの壁に突き刺さる。

 壁に突き刺さっていたのは剣。……つい最近こんな事あった気がする。


「うん? 外したか」

「見事に言葉も同じですね!」


 剣を投げてきたのは隊長だった。

 この前よりも精度が上がったようで、俺の顔すれすれを狙ってきている。

 このままだと、数日後には二度目の死を迎える事になりそうだ。


 隊長は俺の事を起こしたいのか殺したいのかどっちなんだ……。


「起きたか。今日は清々しい程の良い天気だな」

「そうですね。俺もあんな起こされ方じゃなかったら清々しかったと思います」


 あんな起こされ方で清々しくなる人いないって絶対……。


「さて、残り二人も起こすとするか」 


 隊長は悪そうな笑みを浮かべ、壁に突き刺さっている剣を抜く。ゆっくりとザルマスさんに近づき、剣を構える。

 次の瞬間、隊長はザルマスさん目掛けて飛びかかり、剣を顔すれすれに突き刺した。


 もの凄い衝撃が体に伝わってくる。ザルマスさんとティレンさんはその衝撃により、目を覚ます。


「……た、隊長。おはようございます……。いつも通りの凄い衝撃で……」

「お、お早うございます。隊長。晴羽さん……」


 二人は最悪の目覚めだと言わんばかりの顔をしている。それに対して隊長はというと――


「ああ、おはよう。実に清々しい朝だな!」


 満面の笑みである。

 隊長は真正のサディストに違いない。


「……いつもこんな感じに起こされてるんですか?」

「……はい。いつもこれで起こされてます……」


 ティレンさんは引きつった笑みを浮かべながら、ベッドから起き上がる。

 これを毎日やられてたら精神面凄く強くなるんだろうなあ……。


「そういえば拓斗。軍長がお前の事を呼んでいたぞ」


 軍長……? 覚えがない。

 顔も覚えていないが、呼ばれる程の事をした覚えもない。

 

「なんで俺を?」

「そこまでは聞いていないが……。まあ、とにかく行って来い」

「わかりました……」


 俺は急いで着替えを済まし、男部屋から出る。


「あら~。晴羽ちゃん。おはよ~」


 男部屋から出た先に居たのはミネさん。

 軍服の上に可愛らしいエプロンを身に着けて、台所の前に立っている。


「おはようございます。ミネさん」


 この時間はいつもミネさんが手料理を作ってくれている。

 異世界から来た俺でも舌を唸らせるほどの腕前の持ち主だ。

 ミネさんは、家で旦那さんと息子さんの朝食と弁当を作った後に、こうして詰め所で俺達に手料理を作ってくれているのだ。

 

「晴羽ちゃんの分はもう出来てるわよ~」

「いつもすみません……」

「いいのよ~! 私達は同じ仲間だから~!」


 この優しさ。世の人達もこのぐらい優しかったらよかったのに。

 そう思いながら椅子に座り、用意された朝食をいただく。


 ミネさんのおかげで、こっちの世界の料理にも慣れてきた。最初の頃は不安で仕方なかったが、美味しい物は美味しいと知れたので、現在は美味しく食べる事が出来ている。

 こっちの世界にも、向こうの世界と同じような料理が沢山ある事も知った。今俺が食べているのも、パンに目玉焼きが乗っかってるアレだ。普通に美味しい。

 他にも、カレーや酢豚。焼き鳥に青汁まで幅広く存在する。


「ほら晴羽ちゃん。考え事は後にして早く食べちゃいなさ~い」

「あ、すみません」


 俺は朝食を素早く口に突っ込み、「ご馳走様でした」と言って立ち上がる。


「じゃあ行ってきます!」

「いってらっしゃ~い」


 そうして俺は勢いよく詰め所から飛び出し、軍長のところに向かった。







 精鋭兵軍基地。その広さは凄まじく、『マデンカの巨大迷路』と呼ばれている。

 

「完全に迷った……」


 広すぎてどこに何があるか、さっぱりわからない。

 しかも、軍長がどこにいるか聞いていなかったため、探しようがない。


 足も痛いし、もうこのまま詰め所に戻ってもいいんじゃないか?


 そう考えたものの、帰り道もわからないためどうする事も出来ない。

 不幸にも、この辺りには人が一人も見当たらない。道を聞こうにも聞けない状態なのだ。


「そこの君」


 そんな時、後ろから声を掛けられる。後ろを振り向くと、書類みたいな物を手に持つ、赤髪眼鏡の女性が立っていた。


「晴羽拓斗君ですね? 軍長がお待ちです。ついて来て下さい」

「……は、はい!」


 俺は嬉しさのあまり、顔を綻ばせる。 

 まだ神には見放されていなかったんだな……。


「ありがとうございます。あなたが来なければ、このまま迷い続けるところでした……」

「いえ、軍長の命令ですので」

「あの、あなたは秘書さん……ですか?」

「はい。グレドモル軍長の秘書をしています」


 その会話の後、ただ静かに軍長の居る軍長室まで歩いて行った。

 結構気まずかったが、早いうちになんとか軍長室まで辿り着いたので、助かった。


「グレドモル軍長。晴羽拓斗君をお連れしました」

「入っていいよ」


 その言葉を聞き、秘書さんが扉を開ける。


「では、中に」

「は、はい」


 秘書さんの言う通り、中に入る。

 軍長室の中は案外狭く、物があまり置かれていない。部屋の隅に本棚が二つ。入って真正面には、テーブル。その後ろの高価そうな椅子には軍長が座っていた。


「やあ晴羽君。こうして話すのは初めてだね」

「ど、どうも」


 俺は緊張で表情が堅くなっていた。

 それを見た軍長はクスリと笑う。


「そんなに緊張しなくていいよ。何もしないから」

「は、はい」

「まずは、初陣お疲れ様。聞いたよ、ガレグラム相手に互角の戦いを見せたらしいね」


 軍長はにこやかに笑い、テーブルに手を置く。

 互角……か。一体誰がそんな事教えたんだか。


「いえ、俺は全然……」


 あれは完全に俺の負けだ。相手を殺す覚悟がなかった俺の……。


「『加護者』とはいえ、初の戦闘でそれほどの相手と互角に戦えたら上出来だよ。でも、覚悟は足りなかったみたいだけどね」


 やっぱり俺が加護者ってのは伝わってるか……。まあ隠すつもりもなかったし別にいいんだけどな。


 覚悟……。俺はまだ迷ってるのかもしれない。この世界で頑張るのか、元の世界に帰るのか。

 勿論、こっちの世界が嫌になったってわけじゃない。ただ、もし……もしもだ。向こうの世界に戻るってなった時、人殺しをしていたら、俺は……。


「まあ、覚悟なんてのは後から勝手についてくるさ。相手を殺す覚悟も、『もね……」

「……覚悟」

「おっと、話が逸れてしまったね。じゃあ本題に移ろう」


 軍長は真剣な表情でこちらを見る。


「晴羽拓斗君。君に任せたい人物がいる」

「任せたい……って、俺にですか?」

「そう、君にだ。君じゃなきゃ任せられない」


 俺は驚きで口が塞がらない。

 任せたいって事は誰かの面倒を見ろって事だよな……? 俺は入軍してまだ一週間しか経ってない新人なのに面倒見れないって……。


「じゃあ早速だけど紹介するよ。入っておいで」


 軍長は入口の扉に向かって言葉をかける。俺は後ろを振り向き、扉のほうを見る。

 俺が振り向くのと同じタイミングに、扉がゆっくりと開き始める。

 次の瞬間、軍長室に入ってきた人物を見た俺は、小さな声で呟いた。


「嘘……だろ……」


 艶のある黒髪が、さらりと風になびく。端麗な顔立ちに、整った目鼻。きりっとした瞳は、吸い込まれそうな程の黒さと、どこか優しげな雰囲気を彷彿させる。


「紹介しよう。彼女は――」


 その人物は俺を見て優しく微笑んだ。


「美原清華よ。これからよろしく、晴羽君」

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