第16話 温かくて優しい光 [トビネ視点]


 木々の間をすり抜け、ただひたすらに走り続けている。

 自分でもどこに向かっているのかわからないまま、走り続けている。ただ会いたくなかった。会ってしまえば、あの想いが――願いが強くなってしまうから。


 気付くと、私は“頂点山”に来ていた。いつの間にここまで走って来たのか自分にもわからなかった。それでも私は足を止めない。


 そんな時、ある物を目にする。

 左側にそびえ立つ巨大な大木。その大木の先には、私の村がある。

 私はその大木を目印に、村のほうに向かって行く。


 あの日から一年、私は村の皆に一度も会いに行かなかった。村の周辺にもだ。

 もちろん会いに行こうとした事もあったが、こんな姿を見せたくなくて結局行けなかった。

 でも、もういい。とにかく皆に会いたい。元気な姿が見たい。


 村の入口に着いた私は、懐かしさのあまり涙を流した。やっと帰ってこれた。しかし、何か鼻に着くような臭いがするのは気のせいだろうか。


 私は、村の中をゆっくり歩いて行く。しかし、ある民家の前で足が止まる。

 ふらつきながら、その民家の中に入っていく。私はそこに広がる光景に目を疑った。


「……お、おば、さん……?」


 私が幼かった頃からよく面倒を見てくれたペペルおばさん。それとよく似ている死体が、そこに転がっていた。その死体はいたるところが腐敗しており、足のほうは白骨化までしている。

 勢いよくその民家から飛び出し、他の民家を見て回る。


「……どう、して……? バロ、ル、おじ、さん……クラフ、おば、さん……み、んな」


 他の民家にも、私がよく知る人達の死体が転がっていた。その光景を見て、涙さえ止まっていた。

 私はお父さんの元へと走り出す。もしかしたらお父さんは生きているかもしれない。もし、もし生きていなかったら……考えただけで気が狂いそうになる。

 大丈夫。お父さんは死んでない。村の皆もどこかに出かけているだけなんだ。あの死体は皆のじゃない。

 不安を押し殺して、お父さんの家に向かう。


 お父さんの家に着いた私は言葉を失った。足にも力が入らなくなり、膝から崩れ落ちる。


 お父さんも喋らぬ死体と化していた。


「……お、とう、さん……? い、いや……」


 私はもう何も考えられなくなった。鼻に着く臭いの正体はこれだった。私の大切な人達が腐った臭いだったのだ。

 もう何もかもがどうでもよくなった。このまま私も死んでしまえばいいのに。


 そう思った次の瞬間、後ろから足音が聞こえた。それは、私のよく知る足音だ。


「んん? おお! トビネ! 探したぞ!」


 その足音の正体は山賊達のリーダー、ガレグラムだった。


「ガレ、グラ、ム……み、皆が……」

「ん? ああ! ここの奴らなら!」


 殺した? 皆を? 誰が?

 私にはこの男が何を言っているのかわからなかった。


「……え? どういう、事……?」

「ここの奴らよお、俺達に歯向かうつもりだったらしいからよ。めんどくせえから皆殺しにしてやったんだ。

「や、やくそ、くは……? 約束したじゃない……」

「約束だぁ? 知らねえなあ!」


 頭の中が真っ白になった。

 仲間になれば手を出さないって言ったのに。村の皆には手を出さないって言ったのに。この男は私が仲間になった後すぐに皆を殺した。最初から約束を守る気なんかなかった。

 そう思うたびに、何とも言えない怒りがこみ上げて来る。

 山賊なんかを信用した私が馬鹿だった。やはり誰も信用できない。

 私は懐に隠していた護身用ナイフを持ち、ガレグラム向かって飛びかかる。


「絶対、に……絶対に、許さない……!」

「ああ? てめえ、歯向かってんじゃねえよ」

「がっ……!」


 飛びかかってきた私の首を片手で掴み、ガレグラムはいともたやすく私を持ち上げる。私の体は徐々に地面から離れていく。


「うっ……! ぐ……!」

「てめえ、国王暗殺の時も邪魔して失敗させたんだってな? ちっ……ろくに出来ねえなんてな。ちょっとは使えると思ったのによお。残念だぜ」

「は、はな、し、て……!」


 私の首を掴むガレグラムの力が、徐々に強くなっていく。

 息が出来ず、呼吸が苦しくなっていく。


「このまま殺すのも勿体ねえな……やっぱりお前は俺の奴隷決定だ!」


 下劣な笑みを浮かべながら、私の体を舐め回すように見ている。


「い、いや……よ……!」

「お前に選択肢はねえんだよ! とりあえず、俺に逆らえねえように調教しねえとな!」


 ガレグラムに服を破かれ、私の胸が露わになる。

 最悪だ。大切な人達を殺され、居場所も失って、挙句にはこんな男に辱めを受けるなんて。

 何の為に、私は今まで頑張って来たのだろうか。こんな男の前で裸を見せる為に生きてきたのだろうか。そう考えると共に悲しみがこみ上げて来る。


「こん、な、の、ひど、い……」

「へっへっへ。まずは一発腹に拳をぶち込んで、おとなしくさせねえとなあ!」


 拳を振りかざすガレグラム。私はそれを見て、瞳を閉じる。

 意識が朦朧として苦しい。なにより、大切な人達を失った事がとても辛く、苦しく、悲しかった。

 私にはもう帰るべき所も居場所もない。生きていたって無意味だ。ならばいっそこのまま死んでしまえたらいいのに。


「おら!一発目だ!」


 腹部に強烈な痛みが走る。

 痛い。辛い。苦しい。そんな感情が、私の頭の中を支配する。

 もう何も見たくない。そうして閉じた瞳の中はとても深い暗闇であった。きっと私はこの暗闇の中死んでいくのだろう。そう思った時、その暗闇の中、一人の少年を思い出す。

 彼にはまだ謝って無い事があったな、なんて事を考えていると、ガレグラムが二発目の合図を出す。


「よし二発目ぇ!」


 私は抵抗するのをやめて、体の力を抜く。

 これでやっと……。


 しかし、いくら待っても拳が来ない。そう思った次の瞬間、首の拘束が解け、私は地面にストンと落ちる。

 何が起こったのかわからず、私はゆっくりと目を開ける。


「え……?」


 そこに映ったのは、ガレグラムを殴り飛ばしていた少年の後ろ姿だった。

 

 うっすらと黒みがかった栗色の髪。すらっとした体躯に、それを強調させるような、深緑色の薄いロングコート。腰の辺りに巻かれているベルトには、黒い鞘に収められた鋭い剣がぶら下げられていた。

 

 私は唖然とした。どうしてこんな所に……。どうしてこんな場所まで来たのか。彼の考えている事が理解できなかった。

 

「すみません。遅くなっちゃって」


 少年の優しい声が響く。

 少年は、こちらに歩み寄り、着ていたロングコートを私に着せるとすぐに立ち上がり、ガレグラムのほうに歩いて行く。


「……痛えな。どこの誰だ、おい」


 ガレグラムの怒りがこもった言葉に怯えず、少年は歩みを止める事無くガレグラムへと近づいて行く。


 なぜ、彼は私を助けてくれるのだろうか。なぜ、彼はここまで優しくしてくれるのだろうか。頭の中が、そんな事でいっぱいになる。

 

 そして、なぜだか彼を見ていると、温かな光が全てを包み込んでくれるように感じる。


「俺は……精鋭兵軍第五部隊所属――」


 その光はとても強く、優しくて――


「――晴羽拓斗だ!」


 




――――オモシナ山“頂点山”山麓




 多くの兵士達が傷を負いながらも、第五部隊は何とか“頂点山”の麓まで辿り着いていた。

 麓には大きな湖があり、そこでしばらくの休息をとっていた。


「ザルマス。皆の具合はどうだ?」


 ユーフィは、心配そうに兵士達を見つめる。


「正確にはわかりませんが、死亡者が約六十名。負傷者が約二百、そのうちの約五十名が重症により戦闘続行不可能です」

「約三分の二が死傷、か……」


 ザルマスの報告を聞き、肩を落とすユーフィ。

 今回、第五部隊に召集された一般兵は、およそ四百。そのうちの三分の二が死傷してしまったのは痛い。しかも、戦闘は終わっていない。死傷者はまだまだ増え続けるだろう。


(やはり私にはがかかっているのかもしれんな……)


 そう思って、ユーフィはまた肩を落とす。


 仲間が増えても、増えた分だけ次々と消えてしまうように感じてしまっていた。

 そんな時、ある報せがユーフィの耳に届く。


「ユーフィ隊長! ルファル隊長が賊の本拠地を壊滅させた、との事です! 従って、第四・第五部隊は即時帰還せよ、と命令が来ています」

「何だと……? 思っていたよりも随分と早いな……」

「ですが、気になることが……」


 兵士の険しい表情に、ただならぬ雰囲気を感じ、ユーフィは黙って伝達を聞く。


「第一部隊の兵士の中に、賊の親玉らしき人物が頂上付近に歩いて行く姿を目撃した者がいまして……」

「……それはいつ頃の話だ?」

「それが……第一部隊が賊の本拠地に着く前だとか」

「何……!?」


 ユーフィは思わず声を荒げる。これが事実なら、賊の親玉はまだ捕らえられていないという事になる。

 嫌な予感がして堪らないユーフィに対し、追い打ちをかけるように悪い報せが入ってくる。


「しかも、頂上に向かって走る少年の姿を目撃したとか――」


 ユーフィはスッと立ち上がり、グリフォンに跨った。


「隊長! 一体どこに!?」

「すぐ戻る! お前たちは先に帰還していろ!」


 そう言い放ち、ユーフィは“頂点山”の森の中へと消えていった。

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