第15話 “トビネ”としての私 [トビネ視点]
一体いつ頃からなのだろう。
嘘をつく事に後ろめたさを感じなくなったのは。
盗む事が当たり前だと思うようになったのは。
人を信じる事が出来なくなったのは。
希望を持てなくなったのは。
私には幼い頃の記憶がない。
お父さんから聞いた話によると、五歳の頃に崖から転落し、大怪我を負った際に記憶を無くしたらしい。
しかし、大怪我を負ったにしては、目立った傷跡がない。
おかしな話だと思う。幼い子供が転落して、記憶を無くすほどの大怪我を追ったのに目立った傷跡が一つもないなんて。
多くの人は奇跡だ等と口をそろえて言うだろう。でも、私はそうは思えない。転落したこと自体がなかったのではないかと思った時もあった。
それでも、私は信じた。優しくしてくれた村の皆を。男手一つで私を育ててくれたお父さんを。
私の住んでいた村は、オモシナ山の“頂点山”にある。
人口は約三十人と、あまり多くはないが、ちゃんとした生活を送れていた。
自給自足の生活であった為、凶作の時は本当に厳しかったが、ほとんどは豊作であったので辛くはなかった。
毎日が穏やかで幸せだった。
でも、そんな幸せはあまりにも突然に失われた。
私の十七歳の誕生日、村に山賊がやって来た。
山賊達は、めぼしい物を片っ端から奪っていった。食料から何まで全てを。
私は耐えられなくなって、山賊のリーダーらしき人物に調理刀で立ち向かった。でも、所詮私は素人。狩りだってやった事はないし、誰かと交戦した事もない。 そんな私が勝てるはずがなく、あっさりと捕まった。
捕まって縛り上げられていた時は、これからどんな酷い事をされるのか不安で仕方なかった。
しかし、山賊のリーダーは何もせずに条件を提示してきた。
村の皆に手を出さない代わりに、私が山賊として働く事。ただし、村の皆とは許可が下りるまで会ってはならない。それが条件だった。
私は迷わず条件を呑んだ。迷う理由なんてなかった。村の皆を助ける事ができるならどんな事でもすると心に誓った。
山賊のリーダーは、私に仮の名前と家を与えた。『トビネ』という名と“底辺山”にある小さな家だ。
私は盗みを専門に命令をこなしていった。最初のうちは抵抗があったが、いつしか何とも思わなくなった。
でも、人を殺す事だけは出来なかった。
相手は何もしてないただの一般人。罪のない人を、なぜ傷つけなくてはならないのか。罪人や賊であれば、傷つける事も、殺すこともできたかもしれないが、罪のない人達にはそんなことできなかった。
それから一年余りが過ぎた頃、山賊達はある作戦を決行した。
マデンカ国王の暗殺。
私はリーダーの右腕として、それに同行した。この頃には、何が悪で何が正義なのかわからなくなっていた。何も考えず、ただひたすらに命令を遂行していた。
全ては村の皆の為に。
作戦は失敗した。
国王を殺そうとした山賊を、私が止めてしまったからだ。
私はその場から逃げ出した。追いかけてくる山賊達を振り切って、“底辺山”の奥にある私の家に逃げ込んだ。
心身ともに疲れ果てていた。何もする気になれなかった。ただ一つだけ、もう少し人に優しくしたかったと後悔した。
そんな時だ。彼が現れたのは。
彼は、私の家に勝手に入り込んできた。裸を見られたが、そんな事よりも私の頭の中を支配したのは恐怖だった。もしかしたら彼は山賊が放った刺客なのではないのか。私を殺しに来たのではないか、と。
しかし、彼は私に何もしなかった。それどころか、私の裸を見た事に後ろめたさを感じ、自分を責めたのだ。素直に驚いた。このような人がいるのかと驚愕した。
彼は記憶を失っているらしく、私に情報を求めてきた。私は素直に情報を与えた。知っている事を全て。
いつもの私なら警戒するか信用しないかで、偽の情報を教えたかもしれない。だが、彼には違った。
なぜか、安心感があったのだ。彼は、こんな私を――罪を全て包み込んでくれる暖かくて優しい光のようだった。
なぜ彼に出会ってしまったのだろうと思った。出会わなければよかったのにと思った。そうすればこんな事を思わなくて済んだはずなのに。
私は思ってしまったのだ。もっと真っ当に生きたい、と。
でもそれは叶わない願いだと知っていた。きっと私は、もうじき山賊達に殺される。だから私は彼にローブを渡した。せめて最後くらいは人に優しくしたかったのだ。
山賊達の証である二つの髑髏が縫われていたローブ。だが、今はその髑髏は無く、花形に縫い直されているローブ。
私はそれを渡した――というよりは押し付けたに近いかもしれない。
山賊の証である髑髏を捨て、一時だけ普通の田舎娘に戻る。そして、その姿で生涯を終える。山賊であった“トビネ”としてではなく、普通の娘であった“
そんな時だ。彼が私の本当の名前を呼んだのは。
私は頭の中がいっぱいになった。哀しいのか嬉しいのかわからなかった。複雑な気持ちだった。
去り際に彼から名前を聞かれた時、迷った挙句、山賊として名乗ってしまった。
いつも通りの事なのに、なぜか罪悪感を感じていた。
彼が去った後、私は家の椅子に座って時を待った。
だが、山賊達は一向に現れなかった。一日、二日、三日と過ぎても現れる気配がなかった。日が過ぎる事に私の不安は大きくなっていた。夜も眠れなくなっていた。
そして今日、ある事が起こった。
それは日の出の時間だった。
辺りはまだ薄暗く、日の光が充分に差し込んでいなかった。そんな中、遠くのほうから大勢の声が聞こえてきた。
私は気になって、声がするほうに向かっていった。そこで目にしたのは、山賊と戦う兵士達の姿だった。
私は恐くなって、急いで家に戻った。兵士達も私を殺しに来たのだと、やはり私はここで死ぬのだと思った。
しかし、そんな私の目に予想だにしない人物が映った。
いつかの彼。なぜここにいるのか、何しに来たのか、そんな言葉が頭に浮かんだ。それ以上に、なぜ今なのかと思った。
彼も驚いた様子で私を見ていた。
私は耐えられなくなって、その場から走り去った。全てが腹立たしく思えてきた。全部私が悪いのに。彼は悪くなんてないのに……。
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