第9話 師と弟子

 

 体に当たる風が心地よく、草花の香りが心を癒すというマデンカ王国西平原。俺は今その場所に居る。

 オルトさんに聞いていた通り、とてもいい場所だ。この場所に居ると落ち着く感じがする。

 が、それは何でもない時に来た場合のみだ。今の俺にとっては風とか草花とかどうでもいい、というか考えられない。


 現在、俺の目の前に立つは鬼、ユーフィ隊長。外見はいいのに心が鬼な女性。

 今から俺はそんな鬼と入隊試合を行う。


 入隊試合というのは、俺がいた世界でいう歓迎会みたいなもので、入隊が決まった新兵は、その部隊の隊長と一戦交える。そして自分の力量がどれくらいかを測ってもらうのだそうだ。

 まあ簡単に言ってしまえば、ボコボコにされる可愛がられるという事なのだろう。

 

「新人くーん、そろそろ準備いいかなー? 隊長はもう準備オーケーみたいだよー」


 離れたところから確認してくる男。その男の言葉を聞き、俺は隊長のほうに目をやる。そこには、仁王立ちでこちらを睨んでくる隊長――いや、鬼だ。鬼がいる。

 もう帰りたい。帰る場所無いけどこの戦いだけはやりたくない。絶対死ぬ気がする。


「……厳つい? 背が高いデカい? そんなに私は厳ついか? そんなに背が大事か? なにが――」


 ああもう、なんかブツブツと言い始めちゃったし。恐すぎる……。

 こちらには聞き取れない小さな声で独り言を呟く隊長に恐怖しながら、俺は練習用の木剣を手に持ち構える。


「準備大丈夫です。というかもうなんでもいいんで早く終わらせてください。死なない程度にお願いします……」

「あらら、早くも諦めムード……。まあ仕方ないよね。相手がユーフィ隊長なら仕方ない。まあもしもの時は隊長を怒らせた自分を責めなよ?」

「いや、あなたが誘導したんでしょ……」


 全ての発端である男は清々しいくらいの笑顔でこちらを見ている。いや、確かに釣られた俺も悪いんだけどさ……。

 俺はその男に対して、少し怒りを覚えながら、目の前の隊長に意識を集中する。

 どうせなら一撃当ててやる。なに、加護の力があれば問題ないだろう。

 そう考えながら、俺は左足を前に出して重心を少し下げ、木刀を持つ手に力を込める。


「じゃあ、試合開始」


 男の声が平原に澄み渡る。俺はその言葉を聞いて、隊長の元へまっすぐに突撃する――はずだった。

 俺の足は一歩目で止まった。いや、


 すぐ目の前には、木刀を俺へと突き出している隊長の姿があった。

 木刀は既に俺の喉元へと到達していた。俺はこの状況を理解するのにしばらく時間がかかった。いくらなんでも速すぎる。十メートルくらいは離れていたはずなのに、なんでこんなに速く俺のところまで来れる?

 ふと俺は何かの視線を感じる。その視線を発するほうに目をやった俺は、恐怖で体が固まる。

 その視線は隊長から発せられていた。鋭い眼光で睨み続け、強烈な殺意を俺に向けている。その表情は、まさしく鬼そのものだ。


 それからしばらくすると、隊長の顔が一気に緩み、俺から離れる。


「はい、私の圧勝だ。とりあえず土下座」

「え? あ、ああ……」

「なんてな、冗談だ」


 そう笑いながら、隊長はプレハブ小屋のほうに戻っていく。俺は緊張が一気に解け、地面へと崩れ落ちた。

 どうやら俺は天狗になっていたみたいだ。加護の力を貰っても、使いこなせなければ意味がない。ルナさんも言ってたじゃないか。自分自身が強くなれば加護の力もそれに比例するって。逆に言ってしまえば、って事になる。

 この世界では特別な力があるといっても最強というわけではないのだ。自分自身が強くなければ駄目なんだ。

 そう思った俺は、隊長の元へと走る。ユーフィ隊長の前に立ち、頭を下げる。


「ユ、ユーフィ隊長! 俺に戦い方を教えてください! お願いします!」


 そんな事を言われた隊長は、目を丸くして驚いているようだった。隣に居る男も同じように驚いていた。

 しかし、隊長達はすぐに笑い出した。


「新人君、面白い事言うね! ホントびっくりしたよ」

「君は面白い奴だな。鬼の弟子、か。悪くない」

「じゃ、じゃあ教えてくれるんですか!?」

「ああ。戦い方を教えてやる」


 その言葉を聞いた俺は嬉しさのあまり顔が綻んでいた。これで俺も強くなれると思うと心が躍る。

 でも、俺は何のために強くなりたいと思うのか? 魔王を倒すため? いや、違うな。俺は隊長に憧れたんだ。あの人みたいに強くなりたいと思ったんだ。


「但し、私の教えはきついぞ? 君に耐えることが出来るか?」

「大丈夫です!」

「そうか。では明日から特訓始める。ちゃんと準備しておくんだぞ?」

 

 明日から始まる特訓というものが楽しみで仕方がない。俺は特訓が待ち遠しくて仕方がなかった。







 その日の夜。第五部隊の詰め所にて、歓迎会が行われた。

 第五部隊の人達全員参加で行われたそれは、とても盛り上がっていた。


「じゃあ新人君は記憶がないのか! それは大変だなぁ」


 俺の記憶喪失設定を聞いて笑っている男の名はザルマス・ゴドフリー。試験会場まで俺を迎えに来てくれた男だ。

 名前から感じられるゴツさは無く、むしろスリムな長身のイケメンで、橙色の髪が特徴的なチャラ男で、一応副隊長らしい。


「い、いや! そんな笑い事じゃないんですって!」

「そうよ~! ザル君、笑い事じゃないわよ? ああ、晴羽ちゃん、苦労してきたのね……」


 この、いかにもお母さん気質な彼女の名はミネフェル・アリアルフィン。

 髪型は前髪を分けた青色のミディアムボブ。スタイルは、隊長と比べると劣るものの、上半身に連なる双丘は同じぐらいだと思う。現役のママさんでもある、とにかく優しい女性。


「記憶喪失であの強さとは……あんな簡単に人形を破壊されるとは思ってもいませんでした」

「俺もあそこまで動けるとは思ってませんでしたよ」


 苦笑しながら頭を掻いているのは、試験で人形を操っていた魔術師の男。彼も第五部隊の隊員だったらしい。

 ティレン=フィファルド。黄緑の髪に、長く尖った耳を持つイケメン妖精族エルフである。

 行方不明になった妹を探しに行くため、妖精族エルフの国を出たという。しかし、出たはいいものの、どこから探せばいいのかわからず、途方に暮れているところを、マデンカ王国精鋭兵軍の軍長に助けられたそうだ。それ以来、ここを拠点に妹を探し続けているらしい。


 そして俺とユーフィ隊長を含む、この五人が第五部隊の隊員だ。人数が少ない気もするが、気にしないことにした。

 というか、この世界の男は皆イケメンなのか? ……いや、考えてみればそうでもなかった。オルトさんは何というか……ワイルドな人だった。


 そういえば隊長の姿が見当たらない。どこに行ったのだろうか。

 ミネさんの子供の話で盛り上がっている詰め所の中を見渡すが、隊長の姿はない。外を覗いてみると、暗闇の中に火の明かりと人の影が見えた。俺はその場所へと歩いていく。


「隊長。こんなところに一人でどうし――」


 俺が声を掛けると同時に隊長がこちらを振り向く。その時見えた表情に、俺の足が一瞬止まる。こちらを振り向いた隊長の顔はとても哀しげだった。


「……おお、拓斗か。歓迎会はどうだ? 楽しんでるか?」

「は、はい。楽しんでます」

「そうか。それはよかった……」


 隊長はそう言うと、虚ろな目をして遠くを見る。遠くを見る表情は、先ほどと同じように哀しげだった。


「あの、隊長。一体どうしたんですか?」


 そんな隊長の表情に耐えられなくなった俺は、勇気を出して聞いてみることにした。


「……実はな、拓斗。私には弟がいたんだ」

「弟、ですか?」

「ああ、出来の良い弟でね、何でも上手く出来たんだ。。このマデンカ王国精鋭兵軍にも入隊が決まっていてな。でも、ある日私達の住む村に魔族が来たんだ。その時に弟は私を庇って死んでしまった……。今でもそれを思い出しては途方に暮れる毎日だ」


 とても哀しげな表情で語る隊長は、どうにか笑ってそれを誤魔化そうとするが全然誤魔化しきれてない。

 ちょっとまずい事聞いちゃったかもな……。


「私はきっと恨まれているのだろうな……。私なんかを庇ったせいで命を落とす事になって――」

「そんな事は無いと思いますよ」


 俺は考えるよりも前に言葉に出していた。


「きっと、隊長の弟さんは、隊長を護った事を後悔してないと思います。大切な人を護る事が出来た事を誇りに思ってるはずです。隊長が生きていてくれればそれでいい、って思ってるんじゃないでしょうか?」

「…………」


 なぜか口が勝手に動くように感じる。スラスラと言葉が出てくる。

 俺の言葉を隊長は黙って聞いていた。


「だからもう、自分を責めないでください……って、ああ! す、すみません! 言いすぎました!」

「……いや、いい。ありがとう。なんだか楽になれたような気がするよ。……お前は良い奴なのだな」

「い、いえ。……俺はそんな良い人間じゃありませんよ。俺は……」


 そう言って俺はあの日の事を思い出す。大切な何かを失い、何が正しいのかわからなくなったあの日の事を。

 そんな時、俺に向かってゆっくりと手が伸びてきた。それは隊長の手で、俺はその手で隊長のほうに抱き寄せられた。


「た、隊長?」

「しばらくの間、こうさせてくれ」


 肩が密着しているせいか、隊長の体温が直に伝わってくる。暖かく、とても心地よい感じだ。それに肌の感触も柔らかくて、何とも――いやいや、そんな事は考えちゃいけない。耐えろ、耐えるんだ俺……!

 

 耐えているうちに俺は睡魔に襲われた。緊張の糸が切れて一気に疲れが出たんだろう。よく考えてみたら、この世界に来てからは一度も寝ていなかった。隊長の肩を借りる形になってしまうが、動けそうもないので、このまま……。後できちんと謝ろう。

 そして俺は眠りにつくため瞳を閉じた。


「うん? なんだ、寝てしまったのか。まったく、しょうがない奴だな。……ありがとう、拓斗」


 この言葉を最後に、俺の意識は途絶えた。

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