第3話 黒髪の少女


 スッと立ち上がり辺りを見渡す。

 とりあえず頬を抓ってみるが、痛みを感じる。夢ではないらしい。


「ほ、本当に異世界なのか? まさか本当に来る事になるとは……」


 辺りを見渡しながら少しづつ前に進んでいく俺は、興奮と好奇心、若干の恐怖心を抱いていた。このぐらいの年頃の若者は大抵、異世界や冒険などに憧れるものだ。しかし、憧れはするものの、実際に来てみると恐怖や不安を抱くだろう。見知らぬ土地に一人きりなのだから。


 しばらく森の中を歩いたところで、俺はある事に気付いた。


「異世界で学校の制服ってどうなんだろう……」


 この世界の服装がどのようなものかはわからないが、少なくとも学校の制服のようなタイプではないだろう。この世界の住人が、今の自分の恰好を見た場合、十中八九怪しまれる。それで異世界人です、なんて言ったら何されるかわからない。

 笑い飛ばされるだけかも知れないし、捕まって解剖されるかもしれない。だからできるだけ、異世界人だって事は話さないほうがいいかもしれない。


 そのことについて考えだした俺は、どこかの家で服を拝借することに決めた。そうと決まれば一刻も早く、この森を抜けなければならない。俺は勘を頼りに森の中を進んでいった。

 しかし、俺の勘はほぼ当てにならない。なぜなら、俺の勘が当たった事なんて、ほとんどないからだ。


「それにしても広いな。一体どこまで行けば抜けられるんだ? ん? あれって……」


 体に疲労が溜まってきた俺の前に一軒の小屋が現れた。小屋というよりは家に近く、木造住宅のようだ。しかし、こんな森の中にポツンと建っている家など怪しさ極まりない。

 だが、心身ともに疲れ果てている俺にとっては、まさしく天国だ。砂漠で干からびる寸前に、オアシスを見つけた時と同じ感覚だろう。

 俺は休憩をとるために、その小屋へと足を進めた。


 やっと休める......。衣服類もあれば拝借させてもらおう。


 これは借りるだけであって盗むわけではない、と何度も頭の中で繰り返しながら、俺は小屋の入口に辿り着いた。

見たところドアノブは無く、片引き戸のようだった。どうやら鍵もかかってないらしい。俺は確認の為、大声を出した。


「あの! 誰かいますか!」


 返事がない。念のためもう一度返答を求めても、帰ってくるのは風に揺れる木の葉の音だけ。

 誰も居ないようだ。 


 俺は意を決して戸を開くと、小屋の中はちゃんとした生活感ある家だった。きれいに掃除されていて、テーブルに本棚、収納スペースはもちろん、台所のようなものもきちんと兼ね備えていた。

 

「おお……。しっかりしてる。異世界の生活も、俺がいた世界と同じようなものなのか?」


 関心しながら部屋を見渡す俺の目に、あるものが映った。テーブルの上に置かれた一つの物。木製のコップのようだ。まるで、誰かが先ほどまでそこで何か飲んでいたような雰囲気を感じる。

 俺が、そのコップに近づこうとした瞬間、奥のほうから、何やら水が流れる音が聞こえてくる事に気付いた。


「ま、まさか……誰かいる?」


 罪悪感がより一層強くなった俺だが、好奇心がそれに勝ってしまい、音のするほうへと吸い寄せられるかのように歩いて行く。


 音がする部屋の前に辿り着く。未だ水が流れる音は止まない。俺の胸の鼓動がどんどん速くなっていく。

 俺の手が引き戸へとかかりそうになった次の瞬間、引き戸が突然開かれた。俺がゆっくりと顔を上げる前に、囁くような声が聞こえた。


「えっ……?」  


 俺が顔を上げると、そこには水に濡れた全裸の女性が立っていた。

 俺は反射的に全力で戸を閉め、戸に背を向けてもたれかかるように、そのまま座り込んだ。相手の女性も状況が読み込めないらしく、立ち竦んでいるのか物音ひとつ感じられない。


 ……何だこの展開!?


 俺は謝ろうとするも、声が出ない。先ほど見てしまった光景が脳裏に焼き付いており、うまく言葉が出ない。


 水に濡れた髪がとても美しく魅力的で、艶のあるその黒髪は、腰のあたりまで伸びていた。端麗な顔立ちで、目鼻立ちのきりっとした美しい顔に、吸い込まれそうな程の黒さと、どこか優しそうな雰囲気のある瞳。さらに、あのルナさんにも負けず劣らずのスタイルで、引き締まった身体に細長い手足。大きくはないが小さくもない、丁度いいぐらいの胸。きっと誰もが美人と思うだろう。それほど美しいのだ。

 俺の頭の中で何度もフラッシュバックする彼女の姿に、理性は壊れかけていた。


 しばらくの沈黙が続くが、それを破ったのは彼女だった。


「あ、貴方は一体――」

「す、すみませんでした! 森の中で迷ってしまって、この小屋を見つけて、あの、本当にすみません!」


 彼女の言葉を遮って、俺の声が小屋に響く。

 それからまたしばらくの沈黙が続いた。


 そして、沈黙を破ったのはまたしても彼女だった。


「……と、とにかく、そこから離れてくれませんか? 出られないので……」

「え? あ、ああ! すみません! す、すぐ出ていきます!」


 これ以上問題が増えないように一刻も早くこの場から去らないと......!


「......ま、待って」


 すぐさま小屋から出ようとする俺を、彼女は引き留めた。


「貴方、森で迷ったんですよね? 道を教えるから少しだけ待っていてください」


 それを聞いた俺は、先ほどのテーブルがある部屋まで戻り、座らずに立ったまま固まっていた。

 落ち着け、落ち着くんだ俺……! 考えるんじゃない……感じろ……! ああもうなに言ってるのか分からなくなってきた!


 そう自分に言い聞かせても、頭に浮かぶのは彼女の裸。


「違う! それじゃない! 違うからああああ!」


 頭の中に彼女の姿が思い浮かぶたびに、頭を強く壁に叩きつける。なんど壁に頭を叩きつけても、思い浮かぶのは結局彼女の裸。

 そして俺は、彼女が部屋に来るまで頭を打ち続けた。


「……ま、待たせてごめんなさい。そ、それじゃあ出口までの道を……って、何してるんですか!?」


 頭を打ち続けた俺は、しっかり流血していた。


 「だ、大丈夫です……。なんとしても雑念を取り除かねば……。これは罰、そう罰なんだ……」


 不法侵入したうえに、裸まで見てしまった。これはその罰なんだ。こんなんじゃ足りないとは思うけど、せめて、このまま叩き付けさせてほしい。

 流血しても、まだ頭を打ち付けようとする俺を、彼女は力づくで壁から引きはがした。


「なんで頭を壁に打ち続けているのか分からないけど、とにかくこっちに来て! 手当てしますから!」


 そうして壁から引きはがされた俺は、椅子へと座らされた。

 こんな俺を治療してくれるなんて……この人はなんて優しいんだろう。


「す、すみません……」

「それは何に対しての謝罪ですか?」

「えっ ああ、いや、その、全部です……」

「ふふっ、冗談です。わざとではないのでしょう?」

「まあ……はい。そうですね」


 頭の傷の手当てをしているせいか、彼女との距離が近い。先ほどの事もあって、俺は彼女から目線を逸らす。しかし、やはり気になってしまい、もう一度彼女を見る。

 美人。それ以外の言葉が見つからなかった。何もかもが整っている。こんな美人生まれて初めて見た。

 俺は、そんな彼女に目を奪われていた。


「はい。終わりましたよ」

「……あ、すみません。ありがとうございます」


 俺の頭には布が巻かれている。きっとこの世界の包帯のようなものなのだろう。

 痛みもほとんどない。さっき塗ってくれた薬の効果なのだろうか? そうだとしたら凄いな。


「気にしないでください。それより、貴方は一体どこから来たのですか? そんな恰好この辺りで見かけたことないですけど」

 

 俺が頭の治療後を気にしていると、彼女が不思議そうに問いてきた。やっぱりか。

 遂にこの質問が来てしまった。俺は内心焦りながらもどうにかして言い訳を考える。


「え、えっと、ですね。さ、最近こっちに来たばかりで……」


「へえ……。どこから来たのですか?」


 え? まずいな……。この世界の地名なんて知らないぞ……。どうする……? 適当に言ってみるか?


 俺は考えに考え抜いて、ある一つの作戦に辿りついた。俺は、己を信じてこの作戦を決行した。

 己の演技力に全てをかける……!


「……実はですね。俺……記憶がないんです」


 この記憶喪失があればなんでもできる……。

 真剣にドヤ顔しながら、嘘で乗り切ることにした。


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