第2話 迷いの森で出会う -トカゲ違うよローマだよ-

「びっくりしたぁ! 一体誰の術法じゅつほう? うわぁー。何これビッショ濡れじゃーん。せっかくのお気になのに! あーも! あーも!」

 外套の男は慌てて外套を脱いで辺りを見回し、自分が先ほどぶつかった大樹の枝に、その外套を引っ掛ける。

「も!」

 という声を聞いていると、あまりにも先ほどまでと雰囲気が違う。……というよりも、別人だ。威厳の欠片もなく、むしろリクやソラに近い年齢の、子供のような声をしている。リクもソラもそのことに呆気にとられていると、ふとその男と目が合う。

 その男、いやその生物は人間とはあまりにもかけ離れた姿をしている。目がまん丸で、頭の上から二つの耳が長く伸びていて、背中には天使のような羽が生えている。胸部から股の所だけは真っ白で、それ以外は山吹色に染まった見事な体毛が全身を覆っている。長く太い尻尾は先端に向けて細くなっていき、その端っこがぴこん、ぴこん、と揺れていて、

「あ、龍だね。かわいいね」

「うん。かわいいね。……あ、龍なんだ!」

 ソラとリクの二人は口を揃えて呟いていた。

「かわいい?」

 その龍と呼ばれた生物が言うと、

「うん」「うん」

 リクとソラが返事をする。

「あー。あー。あー。」

 何度か外套の喉のあたりを押しながら声を出してみて、すぐ。

「ぎゃー! さっきのでボイスチェンジャー壊れてるじゃんかぁー! あれ予備ないのに! あーも!」

 唐突に叫び出す。二人は飛び上がるように驚いたが、

「ない方がかわいいよ?」

「うん。絶対ない方が良いと思う」

 子供二人からの意見に、

「でもせっかくカッコよく決めてたのに……」

 と残念そうな顔と声で龍は返事をする。

「ねぇ、名前は何ていうの?」

 リクが尋ねると、

「ローマって言うの」

 あっさりとローマは答えた。

「ねぇローマ。どうしてお母さんにいじわるをするの?」

 とリクが尋ねる。

「お母さんじゃないよ」

 ローマの答えはあっさりとしたもので、かつ衝撃的なものだった。

「……え?」

「ねーそうでしょ? ちゃんと教えてあげなよ、この子にさ。そこまでが貴女の仕事ですって、聖上も仰ってたよ」

 ローマがリク達の後ろ、迷いの森入り口で未だへたり込んでいる女に語りかけると、

「……お恨み申し上げます、ローマ様……」

 力なく、呟いた。

「お母さんは、ローマのことを知っているの?」

 リクが聞くと、

「…………」

 ラウァは答えない。

「お母さんは、……お母さんは、ぼくのお母さんだよね! そうでしょ? そうだよね! そうだって言ってよ! ねぇ!」

 リクはたまらず母に取り付きその体を揺する。

「…………」

 それでも、ラウァは何も答えなかった。

「哀れな子だよ」

 代わりに口を開いたのは、ローマだった。

「だから何が!」

 リクは叫ぶ。今度はローマが答えを呟いた。


「お前は自分が何者であるかさえ知らない」


「え? ……どういう、こと?」

 リクはローマを見つめ、呟くように返したが、

「…………」

 勿論ラウァが返事をするはずがない。代わりに、

「お前は、自分の真名すら知らない」

 そうローマに答えられた。

「ま……マ、ナ?」

 リクはすっかりと混乱した頭で耳に入ってきた言葉をただ繰り返した。

「本当の名前ってこと」

 ソラが、ぼそり、とリクに告げ口する。それを聞いてリクは、混乱する。

 本当の名前。ぼくは、ぼくの本当の名前すら、知らない? その感覚に混乱が深まる。頭の中が真っ暗にも、真っ白にもなる。その眩さと冥さの繰り返しに、頭を抱えてうずくまってしまう。

「そうそう。親子って似るもんなんだよ。もちろん確実にって訳でもないし似ない可能性はゼロじゃない。でもありえないね。だってラウァが結婚した相手も肌は褐色だったもの。そして子供もいたんだよ。もちろん肌は褐色。髪の毛の色も瞳の色もラウァそっくりだったんだって? 茶色がかった黒。写真で見たよ。でも確か病気で死んだんだよね。……あぁ確かその子、八歳だった、よね?」

 一息にすらすら述べられる聞いたこともない話に、リクは混乱する。ラウァは俯いていて表情がわからないけれど、体が震えている。

「お前をこの任に就かせたことは失敗だった。それが答えなんだろうね」

 ローマはそう言うと向き直り、また間合いを狭めてくる。

「待って、待ってよ。どうしてローマはそんなことを、知っているの!」

「……。知っているも何も、ラウァはボクが住んでる国の人間なんだよ。ドラグニクル国から、リク。君を保護するために聖上が紛れ込ませたスパイなんだ」

「違う! 違います! 嘘よ。嘘! この者の言うことを信じちゃダメよリク! 私がお前の母なのです! 誰が何と言おうと! リクの母はこの私だけです!」

 ラウァは渾身の力を込めてリクを抱きしめた。

「…………」

 ため息、一つ。

「八歳になっちゃったしね。そりゃ見た目が違っても、重ねちゃうよね。……でも、ダメなものは、ダメだよ。ラウァ。だってこれは、仕事なんだもん」

 ローマは歩みを進める。

「ローマ様、どうか……どうか今回だけは、見逃してはもらえませんか……」

 ラウァは跪き、嘆願する。

「この、通りでございます」

「……子供の前で、親がそういうことをするべきじゃないよ」

 ローマは歩みを止めない。リクは、自分の目の前で土下座をする母の姿を見て、混乱を深めてしまう。

「どうして……どうしてあなた様は私にこんなに辛い思いをさせようとなさるのですか……」

 ラウァの声は震え、体が嗚咽に震えているのが暗闇の中でもわかる。

「別にお前だけが辛いわけじゃないよ。お前一人の願いだけ叶えるわけにもいかないんだ。わかるだろう」

 ローマは、ついにひざまずき震える小さな存在、ラウァの眼前に迫り、見下ろしながら問う。

「自分の仕事を忘れたわけじゃ、ないはずだよ。ラウァ。……わかるよね?」

 声には、優しさが含まれていることが、幼いリクやソラにも伝わったが、

「……忘れ申した」

 ラウァは、小さく呻くように、答えた。

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