第1話 運命られた出会い -6- (終)

 ——ピリリリリリリ。ピリリリリリリ——


 マーナの腰辺りにわえられている小さなポケットから、機械の音が鳴る。突然響いた音に、マーナ本人も、リクも、ソラも、そして集落の方々に座り込んでいる連中までもが皆一様に驚き、そしてマーナは苦笑を浮かべながら、「すぐ戻りますので、待っていてください」

 と二人に告げて先ほど曲がった交叉路付近まで戻り、その機械を耳に当てる。

「あれ……何だろう?」

 とソラが不思議そうに見つめていると、

「あれは本で見たことがあるよ。多分無線通信機だ。本物はぼくもはじめて見るよ」

 リクが少しだけ嬉しそうに、興奮した感じで答えた。

「今日ははじめてのことばっかりだ」

 そんな風にも漏らしながら。

 駆け足で戻ってきたマーナは、少しだけしょぼんとした顔をしていて、

「私は自分の国に戻らないと行けなくなりました……」

 とだけ二人に告げた。

「えー!」

 リクだけでなくソラもそう言って嫌がり、残念がったのだが、

「お仕事で戻ってこいーって言われちゃいました。リクくん。お家はもう目の前だよね?」

 かがんで目の高さをリクと揃えたマーナが聞くと、リクはうん! と強く頷く。

「しっかりソラちゃんを守ってあげてくださいね」

 そうマーナが言うと、元来た道を戻り出す。リクとソラはマーナの姿が見えなくなるまで、

「バイバーイ!」「バイバーイ!」

 と大きく手を振り続けた。そして姿が見えなくなると、二人は手を繋いでリクの家へと入って行った。

 家に入る二人の姿を確認したマーナは、まだ通信が切れていない無線通信機を耳に当てると、

「では、後を頼みます」

 と呟き、一陣の風を身に纏ったかと思うと、その姿を消してしまった。

「ただいまー!」

「おじゃましまーす……」

 元気な声と遠慮した声が一緒に響き、狭い室内に薄く広がって、消えた。帰って来る声が、ない。

「あれれー? お母さーん? いないや……」

 リクが炊事場で焦げたイモの煮込み料理を見つけてから呟いてすぐ、

「まぁ良いや。ソラ、こっちでゆっくりしていてよ」

 そうソラに語りかけた。ここに来てもソラは遠慮がちに

「大丈夫なの? わたしが入っちゃっても」

 と訊ねるくらい不安そうにしていたが、リクが大丈夫だよ、と何にも心配していない様子で返すので、きっと大丈夫だと思うことにして、ソラは家の中へと入り、ボロボロでそこで立つのが精一杯、という感じのテーブルの側に腰を下ろすのだった。


 何か嫌な予感がする。ラウァは自分の得意料理を作っている最中に掠め続ける嫌な感情に頭が呆けてしまったのだろう。まさかここまで見事に焦がしてしまうとは。……おかげで、水も食料も準備のし直しになってしまって家まで留守にしてしまうことになってしまった。急がねばならない。そう感じた時に、背筋に冷たいものが走ったのを感じた。

「……いや、いいや! まさか……。そんなはずは、ない……」

 ぼこぼこにへこんだ鍋とバケツを持つ手が震えるのは、その重さゆえではない。ラウァにはこの感覚に覚えがあった。だが、だがもう不可能なはずなのだ。いかにあのお方だったとして、もう下手に手出しはできぬ。そう思いながら、不安に駆られたラウァは必死に走り帰宅した。

 そこで目にしたのは、服がボロボロに汚れきっているリクと、透き通るような純白の髪を持った少女が家の中でくつろぐ姿。まさか。ラウァは強い焦りの感情に囚われた。

「はぁ! あああぁぁぁ!」

 ラウァは突如そんな風に叫び出したかと思うと、ソラの体を強引に引き上げて、

「今すぐに帰りなさい!」

 玄関口まで強引に引っ張る。ソラもそうなのだが、リクは今までに見たこともないような母の姿に強い混乱を覚え、

「待ってよ! ソラにひどいことしないで!」

 そう食い下がるのが精一杯だった。

「いいえ! ダメよ! 貴女はダメ! 二度とここに近寄らないでちょうだい!」

 ラウァは怒鳴るようにしながらソラが何か言うのも聞かずにその背中を強く押し退けて家から追い出してしまった。

「…………」

 ソラは何か、口をぱくぱくさせていたが、諦めた様子で俯くと、髪を藍色に変えながら、とぼとぼと歩き去って行った。

「あぁ! 待って! 待ってよソラ! ソラ!」

 そんなリクの叫びを無視したまま最後は走って行ってしまった。

「ひどい! ひどいよお母さん! どうしてソラにあんなひどいことを!」

 リクは母を当然のように詰る。息子の目から見ても、今の母の行動は正当性がない。あまりに一方的で、間違っていると思った。しかし、ラウァはといえば、そんな息子の言葉に耳を貸すこともせず、両の手をわなわなと震わせては、

「いいえ! いいえ、リク。あの子は、あの子だけは、二度と関わっちゃダメ。あの髪を見たでしょう。あんな悪魔の子と一緒にいるなんて、想像するだけで! 早く、わす……」

「ソラは悪魔の子なんかじゃない! あんなにきれいで、かわいい女の子が、悪魔なんかであるもんか!」

 おそらく母は忘れてしまいなさい、と言おうとしたんだろうことが、リクにもわかった。意図はともかく、言葉の上だけは。でも、納得なんかできない。リクは生まれて初めて、母の言う言葉を遮り怒鳴った。

 昔、こうして怒鳴るようにしてわがままを言ったら、その時は頬を叩かれてとても痛い思いをした。今日自警団にやられたみたく体が吹き飛んだりはしなかったけれど、それでもとても痛かった。でも、それでも構わないと思った。それ以上に、ソラに二度と会えなくなることの方が怖かった。

「…………」

 ラウァは急に黙り込むと手を頭へ持っていく。そのまま頭を抱えたかと思うと、何かに取り憑かれたかのように家の片付けを始める。

「何をしているの? お母さん」

 唐突に繰り広げられる母の行動が理解できず、リクは母に尋ねる。さっきは叩かれるのも構わないと思ったはずなのに、そんな行動を起こされてしまうと、急にリクは不安になった。ラウァは片付けを続ける。掃除の類ではない。これはまるで、そう。引越し。

「いいかいリク。もう時間がないわ。今日の夜にはもうここを出て、また新しい家を見つけましょう。ここにはもう住めないわ」

 何かに怯えるような声を出してラウァはリクを抱き寄せる。ラウァに自覚があるかはわからないが、その手にものすごい力がこもっていて、リクは息苦しさを覚えた。先ほどマーナから受けた抱擁とはまるで違う。こっちが本当のぼくのお母さんだというのに。おかしいな。……そんな風にリクは思わずにいられなかった。

 生活の最低限の荷物をまとめることに、さほど時間はかからなかった。ラウァは風呂敷を一つ。リクは、そこら中に穴の空いたのをラウァに縫ってもらったリュックを一つ、背負っていた。今日見つけた分も含めて本たちは、

「また新しい家を見つけたら、また拾い直せばいいわ」

 という母の言葉に従い、きれいにまとめて家に置きっぱなしにした。

 太陽はすでに沈み、周辺に街灯もないこの地域は、もう何も見えない程真っ暗で、リクは思わず母の着るボロ布を握りしめていた。

「大丈夫よ、リク。あなたは、お母さんが、守るから」

 ラウァはそう言って、灯りも持たずに歩き始める。握る手が、震えている。何かに怯えるようにして行動する母のことが心配で、そしてきっと二度と会うこともできないかもしれないソラのことを思うと悲しくて、リクはメソメソと泣いていた。集落を東に抜けて、学校を通り抜けて下級奴隷の住まうダウンタウン地区に入る直前。南に進路を変えるラウァに、

「ねぇ。お母さん。どこに行くの? そっちは、迷いの森だよ。ぼく、そっちに行くの怖いよ」

 そうリクは涙声のまま言った。

「大丈夫。大丈夫よ。リク。何があっても……――!」

 声にならない声をあげた母に驚いたリクが何事かと声を出そうとしたその時。


 ――辺りに、威圧感と怒気を含んだ厳かな声が響いた。


なんじおのが役目を放棄するか?』

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