第6話 1983年8月4日


八月四日。今日は朝から雨が降っていた。雨が降ると夏でも気温はぐっと下がり肌寒かった。今日は大島君と田中と片桐山に行く約束をしていたが中止になりそうだ。今朝は母ちゃんが起こしに来なかったので、自然に目が覚めた。時計を見るとすでに十時を回っていた。昨日の夜も九時ぐらいには寝たはずだから十三時間も眠っていたことになる。年を取るとそこまで時間に余裕がないせいもあるが、十何時間も眠れる体力がなくなってしまう。しかし今、子供の体の僕はまだ眠れそうだった。今日の約束がどうなったのか確認するために、田中に電話をしようと思った。この時代子機やコードレスはまだ普及していなかったので、仕方なく恋しい布団から出て黒電話に向かった。部屋では母ちゃんと姉ちゃんがテレビを見ていた。「おはよう」と同時に、ピーピー、腕時計が鳴った。今日一番のメッセージは何だろうかと腕時計を覗いた。[片桐山に行ってください。あなたひとりで]何でこの雨の中をそれもひとりで行かなきゃならないんだ?僕はこの雨のせいもあるだろうが、行きたくないと心底思った。電話の前で立ち尽くしていると、突然電話の音が鳴り響いた。出ると田中からだった。横を見ると姉ちゃんと目があった。黒電話が懐かしくて思わずすりすり触って以来、僕が電話に近づく度に横目でチラチラ見てくる。「今腕時計が鳴ったんだけど、なぁどういうことだ?何で太郎ひとりで片桐山に行かなきゃならないんだ。今、大島君から電話があって、ファミコン買ったから遊びに来いよって誘われんだけど、どうする?」僕は久しぶりにファミコンがしたかったが、腕時計には従わなきゃならないのでファミコンは諦めた。だから、「片桐山に指示通りひとりで行ってくるよ」と答えた。今の僕らには腕時計は絶対だ。心底嫌でも逆らっては駄目だと大人の僕が言っていた。しかし絵日記にはなかった行動だ。片桐山に何があるというのだ。この時代の予定には従うように昨日は言ったくせに何なんだと思いながらも、何に当たればいいのか分からなかった。片桐山に行けば、あの二人のどちらかに会うのだろうと漠然と思った。小心者の僕は体から血の気が引いて行くのを感じとった。電話を切ると現実逃避のために、またしばらくボーっとしようと思ったが、この時代はそうはいかないみたいだ。「おはよう。電話誰から?早くご飯食べちゃいなさい」母ちゃんの邪魔が入った。今朝は母ちゃんが作る朝ご飯を終始ボーっとしたまま口に運んだ。不思議そうな顔で僕を見ていたが、気にならなかった。食事も終わり、身支度を整えまったく気が進まないが指示通り片桐山に行くことにした。

雨はさっきよりも激しさを増していて、とてもじゃないが自転車では行けそうになかった。仕方なくバスで行くことにした。片桐山へはバスを乗り継いで行かなければならない。母ちゃんには大島君の家に行くと嘘を付いて家を出た。片桐山に行くと言ったら、この雨の中やめなさいと言われるのが分かっていたからだ。もし今、元の時代に戻れると言われたら迷わず戻るだろう。でももしかしたら断るかもしれない。母ちゃんにちゃんとお別れもしないで元の時代に戻るのは嫌だから。両親が離婚したときだって、母ちゃんが死んだときだっていつだってちゃんとお別れが出来なかった。だから今回だけはちゃんとお別れがしたい!さっき家を出るとき母ちゃんに、「服は切れても汚れてもいいけど、怪我のないように気を付けて行きなさいよ」と言われたことを思い出し、少しだけ勇気が湧いてきた。バス停に着くと既に服はびしょびしょだった。バスが来るまでやはりだいぶ待たされたが、今日はそれでよかった。一本目のバスでとりあえず新川駅に向かい、そこから乗り換えして片桐山へと向かった。駅を出たときは雨のせいもあるだろうが結構混んでいた車内も、バス停が進むにつれてだんだん空いていった。そして片桐山の二つ前のバス停で乗客は僕ひとりになっていた。「次は戸田、戸田」ここで降りようと席を立ったが、思い留まり再び席に着いた。戸田のバス停を通過するのを横目で確認した。「次は終点・片桐山、片桐山」とうとう着いてしまった。僕は無事にここから帰れるのだろうか。恐さで立てないでいると、場内アナウンスで「終点ですよ」の声が聞こえた。運転手はバックミラー越しにこっちを見ていたので、仕方なく降りることにした。お金を払おうとすると運転手が、「こんな山奥に何の用があるの?君まだ小学生でしょ?もし乗り過ごしたなら、このまま乗ってていいよ」優しい言葉に甘えたかったが、「僕、ここに用があるんです」すると運転手は怪訝そうな面持ちになりながら、僕を見送った。バスを降りると扉はすぐに締まりUターンをしてそのまま走り去ってしまった。

まだ昼の一時だというのに辺りは薄暗かった。片桐山の登山口は背が高い木々が生い茂り普段から確かに陽光の届きにくい場所だ。しかしその日は格段に薄暗かった。堪らず空を見上げた。背高のっぽの木たちの先に見えた空は、見たこともない真っ黒な雲が何層にもなって辺り一面を覆い隠していた。だから青々しているはずの葉っぱたちも今日は不気味なほど深い緑色の顔だった。勿論周りには誰もいない。もしかしたらここが生命が存在出来ないこの世の果てなのじゃないかと、子供の僕は真剣に考えていた。思はず片桐山に背を向けたが、勿論バスは行ってしまった。そしてバス停まで戻り時刻表を見たが次のバスが来るまで一時間以上時間があった。しかしこんな場所にはこれ以上居たくはなかった。仕方がないので片足だけを片桐山の山道入り口に置くとすぐに反転して僕は駅に向かって歩き出した。とてもじゃないが、こんなところにひとりで一秒もいられない。歩き出してすぐに止み掛けていたはずの雨が激しく降り出した。それ以降は激しさを増すばかりで、傘を突き抜けるのではないかと思えるほどだった。それでも頼れるモノは傘だけだと出来るだけ濡れないようにそれを深く被り、足元を見ながらゆっくりと歩いた。どうにか確認出来たのは左も右も雨に打たれて靡く木々だけだった。何処まで行っても木以外ないのではないかと思えるほど、木たちは僕の周りを覆い尽していた、何処までも何処までも。歩くことを止めることなど出来ないはずの僕の足が止まった。今、見詰めている傘の先と地面の間、僕の足下の先に僕のモノではない足がこちらを向いていたのだ……誰かが僕の前にいる。こっちを向いて立っている。しかも裸足で。足はあるが人間ではないと直感した。傘を上に上げようとしたが力が全く入らない。僕は金縛りに合っていた。目ん玉以外は瞼さえ動かない。金縛りに合いながらも全身の毛穴が一斉に開くのを感じた。少しすると僕の傘の下に覗き込む顔があった。ギョッとしたが、体はやはり動かない。目を瞑りたいのに見開いたまま動かない。多分あの男の子だ!「なにしてんの?こんなところで」思考回路がおかしくなりそうだった。早く気を失いたいと願った。「会ったんでしょ?あの女に」子供のはずなのに顔は大人のようだった。そして眼だけがぎょろぎょろしていてほとんど黒目しかなかった。気持ち悪い顔に一瞬嘔吐しそうになった。「僕のこと見えるんだ。ねえ、なんで君は中身が大人みたいなの?」そう言ったあと、少し男の子は話すのを止めた。顔色はどす黒く、黒目しかない目ん玉は相変わらずぎょろぎょろと動いていた。辺り一面が一段と暗くなった気がした。そしてさっきまでの激しい雨が嘘のようにとても静かだった。だから僕が唾を飲み込む音以外は何も聞こえなかった。殺されるのだろうか。眼はそっちを向いていても、男の子の顔に焦点を合わせることが出来なかった。それでも視界の中に顔が三百六十度回転する、ありえない光景が入ってきた。金縛りは僕の目玉以外のすべての動作を妨げた。そして男の子は少しずつ不気味な顔を近づけながら、金縛りでも仰け反る僕に構うことなく驚きの真実を話してきた。「僕は人間が作り上げた言霊なんだ。人間は他人を助ける言葉よりも、他人を傷つける言葉ばかり言うから僕の心は真っ黒なんだ。君のお母さん、五年後に死ぬよ。それは僕の仕業、ごめんね」僕の心は凍り付いた。男の子の存在は怖かったが、それ以上に僕の心を、暗いものが征服し始めるのを感じた。「ねえ君、死んで欲しい人いない?」その瞬間急に体が動くようになった。金縛りが解けたのだ。僕は恐怖と哀しみとが入り混じった心をどうすることも出来ず、傘を男の子に向かって投げつけると来た道を走って逃げた。「痛い、痛いよー」男の子の叫び声が三半規管を揺らしたが、振り返らずに走り続けた。耳元では、「痛い、痛い、許さないよ」という言葉が木霊していた。どこまで行ってもどれだけ時が経ってもそれが止むことはなかった。息絶え絶えになりながらもう走れないと思い、とうとう足が止まった僕は恐る恐る振り返った。そして僕が見たモノはちらほら現れた民家の住人らしき老人が二人歩いている長閑な光景だった。それでも耳元では、痛い、痛い、許さない!とあの男の子が言っていた。しかしぐるぐる辺りを見渡しても男の子の姿はなかった。ホッとしたら丁度バスがやって来たので飛び乗った。バスの運転手があの男の子に見えてハッとした。もう一度目を擦って見てみると、人相はあまり良くないが普通のおじさんだった。相変わらず雨は降り続いていた。そしてどれだけ片桐山から離れても不安で心が押し潰されそうだった。耳鳴りも続いていた。駅に着くと、こんな田舎の駅でも観光客や地元の人間で結構ごったがえしていた。今の僕にはそれが丁度よく、やっと心を自由に出来た。そして気づいたら、どんなに逃げてもあの子が耳元で叫んでいるような耳鳴りも止んでいた。もう少しで気が変になりそうだったがもう大丈夫だろうと思い、駅からまたバスに乗って家に帰った。

家に入るなり母ちゃんが飛んできた。何かを感づいていたのか、息子の無事な姿を見付けるなり眼にいっぱいの涙を溜めながら言った。「おかえり」だから、「ただいま」と答えた。とりあえず濡れていたので風呂に入ることにした。入っている最中に母ちゃんが話しかけてきた。「太郎は父さん好き?」唐突な質問だったが子供の心がだいぶ強くなっていた僕は、「わからない」と答えた。多分大人の僕が答えていたら好きだよと言っていたのだろう。「そっか。あんまり家にいないから分からないか」何でこのとき母ちゃんがそんなことを聞いてきたのかは、大人の僕が少しだけ分かれた気がした。風呂から出ると電話が鳴っていた。「太郎、田中君からだよ」一通り体を拭き用意されていたシャツを大急ぎで着てからそれに出た。「太郎、大丈夫だったか?何があったんだ?これから吉田の家に集まらないか?」僕は、「うん。少ししたら行くよ」と答え電話を切った。母ちゃんが焼きそばを作ってくれた。野菜がいっぱい入っていて美味しかったが、肉を探すのは大変そうだったので諦めた。息子の食べる姿をまじまじと見つめていた。どうしたのという顔をすると、「太郎、人参食べれるようになったんだ。よかった」そういえば僕は小さい頃人参が食べられなかった。しかしいつからか食べたれるようになっていたのだ。今まで嫌いだたことや、ものがひょんなことで急に好きになることがよくある。嫌いなんて感情は所詮思い過ごしみたいなもので、物や他人に対する好き嫌いを人は一時的な感情で決めつけてしまっているのかもしれない。そんなことよりもっと大事なことを母ちゃんの笑顔を見ていたら思い出した。あの不気味な男の子の言ったことを。僕はあの男の子から逃げることで精一杯だったから、逃げてからも出来るだけ思い出さないようにしていた。だからあの男の子が言った言葉を思い起こすこともしていなかった。大事な大事な、けれども思い出すだけであの男の子の顔よりもゾッとするような言葉。それはあの男の子が母ちゃんを、死に追いやったと言っていたこと。どういうことなのかはさっぱり分からないが、あの身なりから出た、あの言葉は信じるに十分値した。つまりは母ちゃんは言霊によって殺されてしまうということなのだろう。でももう一度あの男の子に会えたら、もしかしたら五年後に死んでしまう母ちゃんを助けることが出来るかもしれない。ご飯を済ませると今度は怖さと希望とが入り混じった不思議な気持ちで家を出た。母ちゃんはただならぬ息子の表情に不安を覚えながら見送っていた。「道路に飛び出しちゃ駄目だよ!あまり遅くならないように帰りなさい」この言葉に懐かしさを覚えた。そういえば僕はよく車に轢かれそうになって、車の運転手や近所のおばちゃんや母ちゃんに怒られたものだ。車がほとんど通らない道だから気を付けることを怠ってしまうのだ。だから昔のように、「わかった」と返事を返した。

あの男の子に会って母ちゃんが死んでしまうことを阻止することが出来れば、もしかしたら元の時代に戻ったとき、母ちゃんは生きているかもしれない。こんな希望を抱きながら、吉田の家に行く途中にある、チロリン村を通ることにした。この時代に来たとき、このチロリン村で最初にあの男の子に会ったのだ。だからもしかしたら、またここにいるかもしれない。本音は二度とあの不気味な顔を見たくはなかった。傘を投げつけて痛い思いをさせてしまった。許さないとも言っていたから、僕の願いなど聞き入れてくれることはないだろう。それでも母ちゃんを助けることが出来るならとチロリン村を歩いた。少ししてつい何日か前に知らない女の人が自殺した場所に来ていた。雨のチロリン村には人っ子一人いなかった。木々が風で揺れる音だけが五月蠅かった。人気のないチロリン村は今にも何かが出てきそうな気配が漂っていた。それでも心に鞭打って何往復もした。僕はふと誰かの目線を感じ気になった方に振り向いたが、誰も何もあの男の子もいなかった。今回は田中の言うように脅えているだけみたいだ。そのあとも歩き続けた。少しすると辺りがあの男の子が現れたときと同じぐらいに薄暗くなった。するとどこからともなく身の毛が弥立つような声が耳元でした。「痛いよ~痛いよ~許さないから」思はず立ち止り耳を塞いだ。恐る恐る辺りを見渡したが、あの不気味な顔は何処にもなかった。だが男の子の叫び声は止むどころか一段とボリュームを上げ耳元で繰り返し繰り返し襲い掛かって来た。居たたまれず走り出したが、昼間同様止んではくれなかった。男の子に会うためにチロリン村に来たのに何を逃げ惑っているのだと思い立ち止り、そして踏ん張った。仁王立ちする僕の対面から人が歩いてくるのが分かった。遠くからでも僕と同じ年ぐらいの男の子だと感じ、足がすくんで一歩も歩けなくなった。もう逃げることは出来ないと心を決めると今度は自然と足が前に動き出した。気づくと僕もその男の子に向かって歩き始めていた。しかし僕の目はそれを見ることを拒み、ほとんど目を閉じた状態だった。パタンパタンと足音が近づいてくるのを感じた。段々と大きさを増す足音、辺りに漂う不気味さが、どんどんと僕の恐怖心を煽っていく。それでも歩くことを止めない僕の耳に声が届いた。「太郎、何してんだよ?」聞き覚えのある声に目を開くと、そこに立っていたのは田中だった。「来るのがあまりに遅いから家に電話したら、もうとっくに出たって言うし、心配になって見に来たんだよ。大丈夫か?太郎」僕は一人で大笑いしてしまった。田中がキョトンしていた。僕は田中に脅えていたのだ。雨のせいで相変わらず辺りは暗かったが、さっきの暗闇はどこかに行ってしまったみたいだ。そして耳鳴りも止んでいた。

吉田の家に着くとみんな揃っていた。だいぶ待ったみたいで夕方の五時を回っていた。僕は一時間以上もチロリン村を彷徨っていたようだ。最初に吉田が聞いてきた。「どうしたんだよ?太郎」その質問に違和感を覚えた。吉田が僕のことを始めて名前で呼んだ。今までずっと名字で呼ばれていたのに。別にそれが嫌だったわけではないが、みんな名前で呼ぶのに、名字で呼ばれるとどこか余所余所しさを感じていた。それでも急に名前だとむず痒く思えた。続けて田中が質問してきた。「さっきチロリン村で何してたんだ?片桐山で何があったんだ?」今日一日のことをみんなに話すべきだろうか。僕の心を察するようにみんなの目がこちらに向けられていた。「太郎、一人で抱えこむなよ。俺ら仲間だろ」そう言ったのは篤志だった。この在り来たりのクサイ言葉が単純に嬉しかった。だから話すことに決めた。しかし本当は話したくて仕方がなかった。こんな怖い出来事を自分ひとりで抱え込めそうになかったからだ。「今日片桐山に行ってきた。腕時計がそうしろと言うから。そこで僕は見知らぬ男の子に会ったんだ。見知らぬと言ってもこの時代に来た次の日にチロリン村の自殺現場で見かけていたし、元の時代でたまたま見つけた僕の小学生時代の絵日記にも多分出てきていた男の子だ。でもその子は生身の人間ではなく、ましてやお化けでもなかった。彼は自分のことを言霊だと言っていた。それがどういうものなのかはよく分からないが、この世のものとは思えない顔をしていた。思い出すだけで鳥肌が立つ顔なんだ」人の顔をじっと見ていた田中が静かに語り始めた。「今までは太郎のことビビリだからで終わらせていたけど、今度のはそうもいかないようだな」その言葉に心の中で反論した。こんな怖いことがビビリだけで片付けられたら堪ったものではないからだ。「で、その男の子と何を話したんだよ?」そう聞くのは吉田だった。「その男の子は、君には僕が見えるんだね。僕は人間が作り出した言霊。だって言っていたよ」すると田中が、「校舎がこの時代に僕らにして欲しいこととその言霊だっていう男の子と何か関係があるのかもしれないな」この時代に僕らが来た目的を思い出させてくれた。僕はこの時代に来た目的をすっかり忘れていたのだ。そのとき吉田も僕と同じ顔をしていた。篤志は男の子の話を引き摺っているのか、部屋の片隅で大きな体を小さくしていた。「俺昨日の夜ずっと考えていたんだけど、やっぱりお化けじゃないんじゃないか?校舎が喋ったんだよ。そして俺らに託したんだよ」そんな篤志を尻目に田中が話し始めた。「校舎は、木だよ」「馬鹿っ!木だって元々は生きていたんだ。それが校舎になる為に切られたんだ」冷静な吉田の返答に珍しく田中が熱くなっていた。「つまり木のお化けってこと?」「まあそんなところだろ」それでも淡々としている吉田に田中もヒートダウンしていた。「篤志、また青くなってやんの」「なってない!」田中が篤志を辛かった。「そうか!元の世界では、校舎は次の日に取り壊されるよね。その前に昔、つまりこの時代の心残りを僕らに解決してもらう為にこの時代に寄こしたんだよ」ゴールに近づいたのか離れたのか、吉田の言葉は結局曖昧な感じがした。「何で、僕らなの?」「そんなこと知るか?」ストレートな篤志に田中が突っ掛かった。「でもスーパーヒーローみたいでカッコいいじゃんか」他の三人を他所に僕は妄想の世界へ入ろうとしていた。「格好良くなんかない。第一俺ら何も出来ないじゃないか!空も飛べないし、ビームも出ない」ビビりの篤志は現実的だ。「そうだよな。そもそも敵も現れていないもんな」吉田の意見で話は終焉し掛けたが、「敵が現れたら、校舎が俺らに色々な力をくれるんじゃないか」何故か田中は気に入ったらしかった。「四人だから、ヨレンジャーだね」ゴレンジャーに準えたのだが、「格好悪いだろ」それに突っ込むぐらいだから吉田もだいぶ子供になっているようだ。「間違いなく俺がレッドだろうな」何故か立ち上がった田中がポーズを決めていた。「でもみんな男だからピンクはいないよ」どうでもいい篤志の言葉に、「いいんだよ。変身したら中身はみんな男がやっているんだから」やはりどうでもいいような返答を田中がした。「そうなの?」驚く僕に、「太郎そんなことも知らなかったの?女があんなに強いわけないだろ」吉田が馬鹿にしてきた。「そうだけど……」「じゃあ敵が来るのを待っていればいいんだね」篤志の言葉が何故か、急に現実へと戻してくれた。それは敵という言葉があの男の子の顔を僕の脳裏いっぱいに浮かび上がらせたから。それを察した田中がとりあえず言霊だと名乗る男の子と何か接触があったらみんなにすぐに連絡を取ることを確認して今回の集まりは終わった。

帰りは途中まで田中と帰った。帰る途中で僕の腕時計が鳴った。やはり田中には聞こえたみたいで、「今度は何だって?」と聞いてきた。見てみると、[人間が作り上げた言霊があなたを殺しに来ます]僕は全身の血管が一斉に収縮するのを感じた。「太郎、そいつに何かしたのか?」田中の表情が強張っていた。「怖くなって思はず持っていた傘を投げ付けたんだ。そのあとはずっと痛い痛いって耳鳴りのように聞こえていたんだ」自分の声が震えているのがわかった。「どうして、そんなことを……」「僕はあの不気味な男の子に殺されちゃうの?」気が付くと田中の肩をきつく掴んでいた。そのときの田中の目ん玉の焦点が合っていないのがわかった。どうやら怯えているようだ。初めて見せた親友の表情を目の当たりにして、もしかしたら田中だったらどうにかしてくれるんじゃないかと思ってしまった自分が情けなかった。だから、「大丈夫!家に帰ったら一歩も外には出ないようにするから」そう言って何も言葉を発せられなくなった田中に別れを告げた。その帰り、僕はあることに気が付いた。言霊とは、言葉に魂が宿っているということ。つまり誰かが発した言葉が現実になるということ。男の子が最後に言っていた、誰か死んで欲しい人はいないかって。何であんなことを聞いたのか。誰かに恨みをかった人間が、言霊だと名乗った男の子に代わりに殺されるということなのだろうか。となると、僕は誰かに恨まれていて、その恨みを晴らすべく言霊であるあの男の子が僕を殺しに来るのか。僕はどうすればいいんだ。あの男の子から逃げる術はないのか。死にたくない。誰が僕を殺したいぐらいに恨んでいるというのだ。頭を掻き毟ったあとにだいぶ暗くなった夜道を一人で歩いていることをまざまざと感じてしまった僕は、恐怖の余り一目散に走り出した。そこから家まで息継ぎもほとんどせずに帰った。

夜になると雨は激しさを増して降っていた。僕はあの男の子にどうやって殺されるのだろうかと、そればかりを考えていた。雨が降れば降るほどあの男の子が目の前に現れそうで物音がする度にその方向に素早く振り返った。「あんた何さっきからキョロキョロしてんのよ。さては雷が怖いんでしょ。だらしないなー男のくせに」そう言うのは横で夕食を食べていた姉ちゃんだった。僕は昔からこの男のくせにと言われるのがどうも好かない。ムスッとしているところに母ちゃんが、「男の子だって駄目なものは駄目なんだよね」そのフォローに間髪入れずに、「お母さんは甘すぎるんだよ!だから太郎は甘えん坊さんになっちゃったんでしょ」そして僕に向かって、「そうでちゅよねー」そのときの姉ちゃんの顔が余りにも憎たらしかったのか、僕の中でだいぶ大きくなった子供の僕がすぐさま反応した。言葉にならないことを言いながら飛びかかったまでは良かったが、気づけば隠れアントニオ猪木ファンの姉ちゃんにコブラツイストを決められて泣いていた。完敗だった。母ちゃんに力で負けたときは嬉しさもあったが、二つ年上とはいえ女の姉ちゃんに負けたことは情けなくて悔し涙を流してしまった。「もう止めなさい」母ちゃんの言葉に助けられた。食事も終わりお風呂に入ったが、そのときもほとんど目を開けたまま髪を洗った。シャンプーが目に入って痛かったが我慢して目を開け続けた。そのせいで風呂から出て鏡を見る白眼が真っ赤だった。僕は力もなければ度胸もないどうしようもない男子だ。だから自分にぴったりの男のくせにという言葉が嫌いだったのだろう。

その夜布団に入ったがなかなか寝付けなかった。気づいたら寒くもないのに震えていた。異変に気づいたのか横に寝ていた姉ちゃんが声を掛けてきた。「どうしたの太郎、大丈夫?」いつも強い人だが彼女の中には優しさもあったみたいだ。だから大丈夫と答えるとまた優しい口調で、「気分が悪くなったら言いなよ」僕の記憶では始めて姉ちゃんの言葉で涙しそうになった気がした。一時間ほどして父ちゃんが帰ってきた。最初は僕らに気を使ってかこそこそ話していたが、少しすると父ちゃんが大声になって、母ちゃんと言い争う声が聞こえた。僕が、「姉ちゃん、父ちゃんと母ちゃんが喧嘩しているよ」返事はなかった。さっきの心配しているような優しい言葉を掛けてくれた姉ちゃんはものの何分もしないで地を這うような大イビキをかいていた。二人の喧嘩はエスカレートするばかりで、姉ちゃんのイビキも増すばかりだった。僕は真っ暗な部屋の布団の中で聞き耳を立てていた。今まで聞いたこともない母ちゃんの興奮した甲高い声がしたあと、「ピシッ!」その音が父ちゃんが母ちゃんに手をあげた音なんだと分かった。すると意気地なしの僕が拳を握っていた。そこからは速かった。拳を握ったまま立ち上がると、次の瞬間には僕らが寝ている隣の部屋へと突入すると、二人の前に割って入っていた。そして母ちゃんをこれ以上撲たないように父ちゃんを止めた。その時母ちゃんが泣いているのが分かった。堪らず父親を睨み、叫んでいた。「父ちゃんなんか死んじゃえばいいんだよ!」すぐに父ちゃんの平手打ちを生まれて初めておみまいされた。今度は僕が大声で泣いた。それを見ていた母ちゃんが僕の上に覆い被さった。我に帰った父ちゃんは、帰宅したばかりなのに直ぐに出て行った。その後母ちゃんと僕は二人で泣いた。そんな状況の中でも姉ちゃんのイビキは相変わらず五月蠅かった。少し落ち着くと母ちゃんは泣きながら、でも悪いのは母ちゃんで父ちゃんは何も悪くないんだと僕に言って聞かせた。大人の僕が何かを察しようとしたが、既に子供の心が大部分を占めるようになっていた僕は悪いのは父ちゃんなんだと決めつけていた。そのあといつ寝たかは覚えていないが、朝には自分の布団で目が覚めた。


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