3話 初めての相棒
だが、どれだけ用心しようとどうにもならないこともある。
浮浪生活を始めてちょうど一年ほどが過ぎたところで、経済的にも精神的にも支柱だった長女が、流行り病にかかって死んだのだ。
長女は信心深かった。
あれだけ酷い運命に翻弄されながらも、彼女は決して神を呪うこともなく、これも神様がお与えになった試練だとか神様はいつもあたしたちを見守ってくださっているのだと、信じて疑わなかった。
ラリーは神などこれっぽっちも信じていなかったし、彼女が病に苦しんで――信じられねえ、ほんの一ヶ月で骨と皮だけになっちまったんだぜ――死んだことで改めて確信した。
神なんていねえし、いたとしてもクソみてえな性格の野郎だと。
それともう一つ、偽善めいた口を叩く人間を心の底から憎悪するようになった。
例えば、「努力すれば必ず報われる」だの、「今は辛くても頑張ればきっと光が見えてくる」だの、「世間は捨てたものじゃない、懸命に生きていれば、いつか誰かが救いの手を差し伸べてくれるものだ」とか――そういった類の言葉だ。
へえ、そうかい。じゃあ俺の姉ちゃんは努力した結果、一体どんな報いを受けたっていうんだい?
身体がボロボロになるまで弟妹のために働いて、それでも努力が足りなかったとでも言うのかい?
光はもしかしたら見えたかもしれねえな、残念ながら死ぬ間際にだけど。
ああ、やっとこの腐った世間からオサラバできるって。
で、誰が救いの手とやらを差し出してくれたって?
俺の記憶じゃ、貧民窟の連中はどん底の俺たち兄弟から何もかも奪っていきやがったぜ?
支えを失ったラリーたちに追い討ちをかけるように、不幸は立て続けに襲い掛かってきた。
翌週には、長女を必死で看病していた次女が、その三日後には末娘が次々と病でこのクソのような世界を去っていったのだ。
そんな調子で気が付けば、ラリーは一人になっていた。
母親に捨てられてから一年半、たったそれだけの間でラリーの十四人の家族は全員残らずくたばったのだ。
最後、まだろくに言葉も喋れなかった弟が、ひどい砂埃が舞う路地裏で冷たくなっていくのを、なすすべもなくただ抱いていた感触をラリーは生涯忘れないだろう。
もはや完全に失うものが無くなったラリーは、物乞いをして集めたわずかな銅貨を手に街を出た。
行くあてなど無い。
ただ、このクソ溜めのような街でくたばることだけは断固拒否したかったのだ。
貧民窟の片隅で、灰色の空を眺めながら夢想していた「この空の先には何かあるんじゃないか」というかすかな希望。
そう、少なくとも、この地獄よりはちっとはマシだろうよ、と。
だが、現実はそうではなかった。
ラリーのような星の下に生まれた者にとって、この世の中は徹底的に非情な仕組みで出来上がっていたのだ。
「おい、そこのクロンボ野郎! おい、お前だよ、お前。シカトこいてんじゃねえよ!」
故郷から北に街道を延々と進み、辿り着いた商工都市エオロナ。
右も左も分からぬまま、とりあえず街並みを眺めながらブラブラしていた時のことだった。
声の調子だけで、ろくでもない連中だと直感した。
この手の輩は物心ついた頃から反吐が出るほど見てきている。
というよりも、ラリーの兄弟もラリー本人もどちらかといえば奴らに近い人間だ。
だが、一点だけ明確に違う点があった。
そう、肌の色だ。
かったるそうな様子で近づいてきたのは、金髪碧眼のチンピラどもだった。
年齢はラリーとほとんど変わらないだろうが、体格はどいつもラリーより遥かに大きい。みすぼらしいなりをして、しきりに唾を吐いている。
逃げる間もなく、囲まれていた。
全部で四人。
道行く人々は、関わり合いになりたくなかったのだろう、目を伏せて足早に去っていった。
『クロンボ野郎』などと言われたのは、生まれて初めてのことだった。
それもそのはず、生まれ故郷では南方系の黒人が大半を占めていたからだ。
あの街で堂々とそんな蔑称を使ったら、命がいくつあっても足りはしない。
だが、ここではラリーのような褐色の肌を持つ者は完全に『よそ者』だった。
赤毛の西方人や黒髪の東方系もいるにはいるが、約半数を占めているのは金髪碧眼の中央人だ。
何の用だ、などと聞き返す暇は与えられなかった。
ちょいと面を貸しな、と裏路地に引きずり込まれ、いきなり後ろから背中を蹴り飛ばされたのだ。
そう、クソみたいなチンピラは、圧倒的に有利な状況であっても正面から殴ってきたりはしない。要するに、とことん人間がクズなのだ。
冷たい地面に倒れこみ、何とか立ち上がろうとしたところに追い討ちの蹴りが飛んできた。
必死に顔と頭を両手で庇ったが、四人の内の一人が短刀を抜いたのを見てラリーは死を覚悟した。
ああ、これでみんなと同じ所に行けるんだな、と。
そこが天国か地獄かなんてこの際どうでもいい。
「クソみてえなクロンボがよお、俺たちの街を汚すんじゃねえよ!」
罵倒とせせら笑い。
くそっ、俺が一体何をしたっていうんだ?
――なんて、尋ねるだけ無駄だと分かっていた。
こいつらはただ、憂さ晴らしがしたいだけなのだ。
日頃の鬱憤を晴らしたいというだけで、一人の人間を殺しても構わないと思っているのだ。
いや、こいつらはラリーたち黒人をきっと人だと思ってもいないだろう。
鬱陶しい虫を叩き殺すぐらいの感覚に違いない。
そうでなければ、こんな無茶苦茶なことをするはずがなかった。
ああ、くそ、せめて楽に死にたかったな。
でも、病気だの飢えだので長いこと苦しむよりはマシなのかな。
ラリーは諦めて目を閉じたが――短刀の冷たい刃はいつまで経っても突き立てられることはなかった。
代わりに、何か硬い物が潰されたような音が聞こえ、生温かい液体がラリーの手にボタボタと垂れ落ちてきた。
「えっ……」
目を開けると、チンピラの内、三人が息を吞んで立ち尽くているのが見えた。
残りの一人――ラリーを刺そうとした男の口からは、息の代わりに血の泡がゴボゴボと溢れ出ていた。
首の後ろに手斧が深々と食い込んでいる。どう見ても即死だった。
「おほっ! 試しに投げてみたけどさ、いい感じでぐっさり刺さったねえ。意外に使えるな、これ」
場違いなほど陽気な声の主こそ、今まさにチンピラを殺した張本人だった。
奴らと同様の金髪を長く伸ばし、三つ編みに束ねて後ろに垂らしている。
一瞬、女と見まがうような繊細な顔立ちだったが、男の声だった。
背はさほど高くはなく、体つきも男たちより一回り小さい。
くたびれた革鎧と長剣で武装していた。
「て、てめぇ……ぎゃっ!」
慌てて身構えた三人のチンピラどもだったが、何もかも手遅れだった。
慣れた動きで長剣を抜いた男が、虫でも追い払うかのように刃を振るうと死体が三つに増えた。
「ったく、一人相手に四人がかりとかさ、いくら何でもてめえら卑怯すぎるだろうがよぉ……でもよ、これで晴れてタイマンってわけだ。ほれ、頑張りな」
鮮やかな手際に度肝を抜かれていたラリーだったが、男の言葉の意味を瞬時に理解すると倒れていた男の手から短刀をもぎ取り、
「ひっ! や、やめ……」
ひきつった顔で命乞いをするチンピラの腹を何度も刺し、絶命させた。
ラリーにとっては、これが初めての『殺し』だった。
「おっ、やるねえ。そうそう、そういうクズは憎しみをこめてきっちり地獄に落としてやらなくちゃなぁ。だって、こいつらはお前さんを四人がかりでなぶり殺しにしようとしたんだから。ん、銀貨かよ、意外にシケてねえじゃねえの。ああ、金目当てじゃなかったんかぁ」
男は当たり前のようにチンピラどもの懐を漁っていたが、もちろん咎める気にはならなかった。
死体に金は用無しだし、そもそもクズ野郎どもを殺そうが金を奪おうが罪悪感なんか湧いてこない。
「へへっ、それじゃあ保安隊が来る前にさっさとズラかろうぜ。この金で一杯やろうじゃあねえの。ああ、俺はディオンってんだ。よろしくなっ!」
これが、初めての相棒ディオンとの出会いで――ラリーはこの時から賞金稼ぎとしての道を歩むこととなった。
それまでもそれからも、ろくでもない人生であることに変わりはなかったが、一つだけ違いを言えば殺される側から殺す側に回ったということだ。
それにしても、ディオン――あいつは俺の命の恩人で、すっげえ気のいい奴だったけど――頭はマジでイカレてやがったなあ。
(続く)
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