2話 くそったれな青春

ラリーは宿屋の天井をボンヤリと眺めていた。

別にそこに何かがあるというわけではない。

ギシギシときしむベッドに仰向けに寝転んだら、視界に入るのが汚れた天井だったというだけのことだ。

相棒がいれば何か話でもするだろうが、ついさっき別れたばかりで誰も相手はいない。独り言をブツブツ言うのも虚しいだけだ。


ああ、そっか。

やけに部屋がうすら寒い気がするのは、ここが二人部屋だからだな。


当たり前のことに今さら気づいてしまった。

横のベッドをチラリと見る。

洗っても落ちないシミが所々に散っているシーツが、丁寧に折り畳まれている。ティリスはそういう男だった。

生まれは決して上品ではなかったはずだが、飯を食うにも何をするにも振る舞いが何というか丁重なのだ。


あいつはそれを『長生きする秘訣』だとか言ってたな。

俺より少し年下のはずなんだが、妙にジジ臭いところがあった。


裏社会では本当に珍しいタイプの人間で、ラリーも最初は正直驚いたり辟易することもあったが、すぐに慣れたし学ぶべき点が多かった。

そう、悪党揃いの業界とはいえ、荒っぽい所作や無礼な振る舞いがプラスに作用することなどほとんどあり得ないのだ。


とりあえず、後で宿屋の親爺に一人部屋に替えてもらうとしよう――いや、今すぐにでもそうしてもらう方が得だとは思うのだが――何となくラリーはそんな気分になれなかった。

まだ心のどこかで、ティリスとの離別を受け容れられていないのだ。


くそっ、これじゃまるで女に振られた後も未練たらしくしている情けない野郎みたいじゃねえか。やれやれだぜ。


舌打ちしたが、そんなことで気が晴れるわけでもなく、気だるげにベッドの上で寝返りを打つぐらいしかできなかった。

目を閉じたが、まだ正午前のこんな時間に眠くなるはずもない。


これからどうするか――やるべき事は分かっていた。

もちろん、相棒がいなくなったのだから新しい相棒を探すのが先決だ。

靴下にでかい穴が空いたら、繕うか新しいのを買うしかない。

その穴をしげしげと眺めていたって、何もいいことはないのだ。


だが、理屈だけで行動できるほど人間は単純にはできてない。

その場その場で最も的確な選択肢を常に採れるぐらいなら、こんなところで裏稼業に勤しんではいなかっただろう。どこかで何かを間違えたのだ。


いや、俺の場合はやっぱり最初がまずかったのかな――。


あまり楽しい記憶ではなかったが、ラリーは生まれ故郷の『くそったれな街』とそこで過ごした幼い日々のことを思い返してしまった。


大陸南方の港街ディカードが、ラリーの生まれ故郷だ。

男女合わせて十五人兄弟のちょうど真ん中、大家族で一番扱いがぞんざいになりがちなポジションに生まれてしまったのが、人生のケチの付き始めかもしれない。


いや、そもそもあの家族、あの街の貧民窟ってところが駄目だったな、うん。

まあ仕方ねえ話だがな、てめえで生まれる家を選べるわけでもねえし。


ラリーが記憶している限りでは、父親あるいはそれらしい男は三人いた。

そして揃いも揃ってろくでなしのクズで、ろくに働きもせず酒とバクチに溺れるばかり。その手の連中の御多分に漏れず、まともな死に方はしなかった。


母は街娼で、ラリーは誰が自分の本当の父親だったのか知らない。

もっとも、知りたいとも思わなかったわけだが。


もちろん母親の収入だけで大家族が生活できるはずもなく、物心ついた頃にはラリーも兄たちと一緒に路上で靴磨きや屑拾いをしてささやかな路銀を稼いでいた。


で、ある日突然、母は十五人の子供を捨てて姿を消した。

家に居候していた旅の吟遊詩人――若い赤毛の西方人で、金が無くて楽器を売り飛ばし、酒灼けで声もひどくガラガラだったが――とどこかに駆け落ちしたらしい。その後の行方は知らないが、恐らくろくでもない死に方をしていることだろう。

もし生きていたら奇跡としか言いようがない。


いや、それにしても酷い母親だったな。

ラリーって名前も絶対ろくに考えねえで決めたに違いねえ。

何しろ上から順に、ビリーにウィリーにテリーにワイリー、そんな感じの名前ばっかりだったからな。いい加減にも程があるぜ。

そうそう、一番傑作だったのはドリーが二人いやがったことだな、しかも男と女で同じ名前。いくら何でもおかしいって気づけよ。

 

で、十五人は狭くて不潔なオンボロ小屋を因業な大家に追い出され――下町には人情があるって? どこの世間知らずのバカだ、そんなことをほざく奴は――路上で寝泊まりをする羽目になった。

途方に暮れる間もなく、ラリーたちは裏社会の悪意と暴力の洗礼を受けた。

路上生活一日目の夜、その辺りを縄張りにしていたチンピラの一団に襲われ、ラリーの観ている前で姉も妹も残らず輪姦されたのだ。

一番下の妹は確かまだ八歳だったが、あのケダモノどもには見境などというものは微塵もなかった。

必死で妹たちを守ろうとした長兄と次兄は、棍棒でぶっ叩かれまくって目鼻の形すら判別できない殺され方をした。


で、それでも何とか命だけは助かった残りの十三人は、翌日からどうにかして生き延びる術を考えなければならなくなった。

といっても、持っているのは自分の身体だけ。

そうなればもう、進むべき道は男女ともにお決まりだ。

男はヤクザ、女は娼婦。これしかない。

姉たちは地廻りの連中に頼み込み、街娼となった。


大丈夫よ、みんなの食い扶持はあたしらが何とか稼ぐからさ、だからヤクザなんかおやめよ、死んじまったら元も子もないだろ?


姉たちはそんな事を言ってくれていたが、男たちがその好意に甘えていられるわけもない。

何よりそれでは、あのクズな父親どもと変わらないじゃねえか、と。


そういうわけで三男は真っ先に地元のヤクザの使い走りになったが、抗争の捨て駒にされて三日後には死体が川に浮かんでしまった。

あの街では、子供の命は塵よりも軽い。

執拗に斬り刻まれた死体を目の当たりにし、ラリーたちはヤクザどもの傘下に入っても生き延びる可能性は万に一つもないと悟った。


そこで致し方なく、ラリーは弟たちを連れて屑拾いや物乞いを始めることにしたのだが――兄たちはそれがどうにも不満だったようで、


「こんなことして何になる? なあラリー、もっとデカい仕事をしなきゃよお、俺たちゃどうにもならねえよ。でさ、俺、いい話を聞いたんだ。タタキが一番手っ取り早く稼げるらしいぜ? やろうぜ、なあ?」


タタキとは強盗の隠語だ。

商家に押し入り、無理やり金目の物を奪い取る。

確かに金にはなるが、危険も多い。大きな商家はたいていの場合用心棒を雇っているし、成功しても保安隊に追われる身となる。

それに、盗賊組合に所属せずに盗みを働けば命は無い。


「関係ねえよ。デカい店じゃなきゃ大丈夫だって。保安隊だって小さなヤマなら本気で犯人探しなんてしねえし、盗賊組合もいちいち口出ししてこねえよ。何だよラリー、ビビってんのか? なら、俺らだけでやるぜ?」


まだ世間を知らなかったラリーは、兄の威勢のよさに半ば飲まれるような格好で見張り役を引き受けることになってしまった。


そして当日の夜。棍棒を手に雑貨屋を襲った兄たちは、主人夫婦を手際よくふん縛り、目的を達成したのだが――。


ああ、全く。やっぱり向こう見ずなバカは長生きできないものだよな。

あの兄貴たちはさ、姉弟思いで根は悪い奴らじゃ無かったんだ。

食い物を分ける時もさ、自分よりも妹や弟に多めにしてくれたりして。

だけど、とにかく頭が悪かったんだよ、悲しいことにな。


ラリーは店の外でずっと見張りをしていたが、


「おいラリー、食い物だ! ふわっ、あったけぇ……おい、婆さん、これさ、何てんだよ? え、シチュー? へぇ~。おいラリー、ぐずぐずすんなって、ほら、お前もこっち来いって! うおっ、美味ぇ! 温かくて美味ぇぞ! なあ、この……え、鶏の……肉? ふーん、じゃあこの赤くて柔らけぇのは? へー、人参っていうのかぁ……はあ……俺、こんな美味いもん食ったの初めてだよ……ラリー! 見張りなんかどうでもいいから早く来いよ! お前も食えって!」


あろうことか、兄たちは強盗に押し入った店の晩飯にすっかり夢中になってしまったのだ。

今までずっと、まともな食い物にありつけなかった人生だったのだから致し方ないとも言えるのだが――でもさ、兄貴、気持ちはありがたいけど俺の名前を大声で連呼するのはやめてくれないか?


結局、それが原因で近所の者に気付かれてしまい、慌てて逃げ出す羽目になってしまった。

かろうじてラリーだけは逃げられたが、兄たちは賄賂の勘定に忙しい保安隊ではなく、近隣の荒くれ自警団の連中に捕まってしまい、即日縛り首に処された。

誰一人殺したわけではなく、初犯なので帝国法に照らせば鉱山送りが妥当な線なのだが、怒り狂った自警団の裁きにそんな緩い刑罰は存在しない。


くそっ、どんなに切羽詰まっても、強盗だけは絶対にやらねえぞ――ラリーはその時、心に固く誓ったものだった。


ああ、それともう一つ。

どんなに気が良い奴でも、頭の悪い奴と組んだらダメだ。

命がいくらあっても足りねえからな。


(続く)

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