第38話 フニャリ
「あ、兄貴! た、大変ですっ!」
嫌な事どもを頭から振り払い、目の前の官能に溺れていたルイス。
だが、あともう少しで達するというところで思わぬ横槍が入ってしまった。
ドアの外で見張りをしていた一の子分の声だ。
ただならぬ口調だったが、
「うるせえ、あ、後にしろ……」
絶頂寸前で目を固くつぶっていたルイスは、いらだたしげに言い捨てた。
息を荒げ、腰の動きを一気に限界まで加速させる。
肉を打つ音と女の喘ぎ声が繰り返されるが、
「ルイスさん! 元締が……や、殺られたんです! 若も一緒に!」
鬼気迫る声は、幹部の一人のものだった。
「……何だと!?」
さすがに耳を疑い、ルイスは腰の動きを止めた。
目を見張り、肩を激しく上下させる。
文字通り、開いた口が塞がらなかった。
目の前が真っ暗になる。
盛り上がった胸と腹を、無数の汗が伝い落ちていった。
ごくりと唾を飲み込む。
窓の隙間から流れる風の冷たさに、思わず外を見た。
外はすでに白み始めていた。
どうやら没頭するあまり、時の経つのを忘れてしまっていたようだ。
幹部の報告もにわかには信じられず、
「元締が……兄貴が、殺された、だと……?」
「はいっ……」
改めて問い直したが、もちろん答えは変わらなかった。
「……ねえ、もういいの?」
「うるせえ、それどころじゃねえんだっ! ……あ」
「あ……」
場の空気を読まない娼婦を怒鳴り散らすと同時に、ルイスの萎えきった愚息が結合部からフニャリとだらしなく垂れ下がった。
先程まで猛々しく反り返っていた愚息も、突然の凶報にすっかり意気消沈してしまったのだ。
「……ええっと、お代は……」
四つん這いの姿勢のまま顔だけルイスに向けて、バツが悪そうに尋ねてくる娼婦に、叩きつけるようにして金貨を数枚払った。
ゆっくりと立ち上がる。
股間は情けないぐらいにしぼんでいたが、心は熱く燃えていた。
自分の兄貴分であり、主であったノロを殺めた奴への怒りが沸々と湧いてくる。
この手で八つ裂きにしてやりたい。
しかし、自分は筆頭幹部だ。
元締亡き今、やるべきことは山ほどある。
今この一時の激情に、身をゆだねるわけにはいかないのだ。
「兄貴……」
元締の寝室。
ベッドの上に、ノロとボルゲの遺体が横たえられていた。
どちらも一撃で仕留められていた。明らかに、手練れの者の仕業だ。
顔を紅潮させたルイスはすぐに、
「怪しい奴がいたら、構わねえからとにかく片っ端からひっ捕らえろ! 絶対に逃がすんじゃねえぞ!」
子分衆に指示を飛ばした。
殺気だった連中が外に駈け出して行くのを見送り、幹部衆の集まる部屋に入る。
すでに幹部たちは全員が完全武装でルイスを待っていた――いや、全員ではない。一人分の席が埋まっていなかった。
ルイスはまず、円卓に彼らを座らせてから、
「おい、ヤンはどうした?」
野太い声で尋ねたが、幹部衆は皆一様に顔を見合わせ、首を振っている。
これ以上ない緊急事態だ。幹部だけではなく、組織の者全員が出動している。そんな時に不在は許されることではなかった。
くそ、こんな時にあいつは一体どこで何をしてやがるんだ?
「……ルイスさん、もしかしたらあいつが……」
幹部の一人が唸るような声を漏らした。
その意図をすぐにルイスは察したが、
「いや、その線はありえねえ。あいつは確かによそ者だが、今は俺たちと同じこの町の人間だ。それにあいつは、元締のお気に入りだったじゃねえか」
すぐに否定した。
そう、ヤンには元締を暗殺する動機などないはずだった。
「でもルイスの兄貴、もしかしたらこの町を乗っ取る気になって……」
「バカ言うな。もしあいつが本当にそのつもりだったら、そしらぬ顔で今ここにいるはずだろうが。まあいい、まずは殺し屋を捕まえることが先決だ」
なおも食い下がる幹部だったが、ルイスはもうこの件は終わりとばかりに話を打ち切った。
身内から裏切者がいる、などとは信じたくない。
ともかく、そのクソ野郎を捕えて拷問し、黒幕を吐かせればいいだけのことだ。
「ところでルイスさん、その……どうしますか、これから?」
「あん? その殺し屋を捕まえる以外に何があるってんだ?」
「いやその、元締が殺られちまったわけだから、誰かが跡目を継がなきゃならねえじゃねえですか。しかも、一人息子の若まで一緒に殺られちまったから……」
幹部衆の視線が、ルイス一人に注がれていた。
いずれも真剣な、しかし若干の不安を内包したような表情だった。
組織の行く末を考えれば、当然のことだろう。
誰が跡を継ぐかというのは、何より深刻な問題なのだ。
一歩間違えば、跡目争いから血で血を洗う抗争を引き起こしかねない。
今この場で、きっちりとカタをつけておくべきことだ。
ルイスは大きく息を吐き、呼吸を整えた。
それから、落ち着いた声で重々しく宣言する。
「……分かった。とりあえず、筆頭幹部の俺が代行を務めさせてもらう。それでいいか?」
幹部衆が迷うことなく一斉に頷いた。
だが、今までの組織のしきたりでは、このような大事を決定する際には幹部衆全員の賛成が必要ということになっていた。
だから、本来ならばヤンも出席した状況で決めなければならない。
しかし、まだ直属の子分たちですら居場所の分からないヤンの到着を待っているだけの余裕はなかった。
ぐずぐずしている内に刺客に逃げられては、末代までの恥となろう。
あいつのことだ、きっと仕事が立て込んでやがるんだな。
まだ報せが届いてない、ってことだろう。
抜け目のないヤンらしくはないが、時にはそういうことだってある。
ルイスが跡を継ぐという意志をはっきりと示したことで、少しだけ部屋の空気が緩和した。
だが、一つ大きな問題があった。
「……で、その……元締は、一体何をすりゃいいんだ?」
「……え?」
ルイスの、いつになく弱気な、上ずった感じの口調に幹部衆は静まり返った。
言葉の真意が測りかねるという戸惑った表情でルイスを見ている。
「いや、だからだ、俺が元締の跡目を継いで……それで、要するに何をすりゃいいのかって聞いてるんだ!」
さすがに何も分からない、ということはない。
おおまかな事は知っている。
だが、具体的に自分がこれから何をすればいいのか、皆目見当がつかなかったのだった。
今までは幹部衆の筆頭として、まとめ役の仕事をしてきた。
ノロから、何か直接頼まれることもあった。
だが肝心の、元締であるノロがどんな仕事をしてきたのかは把握していなかった。どのみち、息子が跡を継ぐのだから自分がいちいち考える必要もない、と思っていたのだ。
「……いや、俺も……元締が毎日何をなされていたかって、よく知らねえんでさ」
一人が申し訳なさそうに頭を掻く。
他の連中も似たり寄ったりだった。
揃いも揃って強面の連中が、途方に暮れた顔で小首を傾げている。
まるでらちが明かなかったが、別の幹部が、
「じゃあ、とりあえず俺たちが見たり聞いたりした限りで、元締が普段何をしてなさったかを、思い出してみたらいいんじゃねえかな?」
腕組みしながら呟くと、皆が同意した。
そこでルイスも、在りし日のノロの日常を、記憶を精一杯振り絞って思い起こしてみることにした。
そうして喧々諤々、ヤンを除く幹部衆が話し合った結果、
「元締は昼間までぐーすか寝て、それから飯を食って、すぐに昼寝して……」
「で、夕方に起きてまた飯を食って茶を呑んで、後はずっと、夜が更けるまで食って飲んで、メイドの女にマッサージさせて……」
「でもって、朝まで呑んで食って、それでまた寝る」
「そういやあ、週に一回ぐらいは娼館に遊びに行ってたなあ」
「お気に入りの女、そうそうミレディね。俺達には手出すなってうるさかったな」
「あと、凄ぇ太った猫を可愛がってた。全然可愛くねえ、ブサイクな猫」
「若はずっと一緒だったな。クソする時ぐらいだろ、別々なのは」
親子揃ってそんな日々をダラダラ送っていたという、非常に残念な結論が導き出されてしまった。
「おいちょっと待て! それじゃ何か? 元締ってのは、ただ食って飲んで寝て遊んでるだけで務まるってのか!? ふざけるな、それじゃまるで……」
そこまで言いかけて、ルイスは慌てて言葉を呑み込んだ。
それじゃまるで、牛か豚じゃねえか――。
先代の元締、兄貴分のノロに向けて、絶対に吐いてはいけない暴言だった。
「あ、そういえば……帳簿には時々、目を通していたみたいですぜ」
「ああ、そうか……そうだな、確かにそうだった、うん。だが……」
再びルイスは、続けるべき言葉を切った。
俺は帳簿なんか見ても、全然意味が分からねえんだが――。
さすがにそれは、筆頭幹部として恥ずかしいし、情けない。
だが、紛れもない事実であった。
これまでずっと、そういう面倒くさいことは全てヤンに任せてきた。
今まではそれで万事、上手く運んでいたのだった。
ああ、くそ。ヤンの奴、一体どこで何をしてやがるんだ!?
奴さえいれば、この煮詰まった状況もあっさりと打破できそうな気がする。
だが、いまだに連絡すら取れていないらしい。
苛立ちと疲労で胃が痛くなり始めた頃、子分の一人が慌てて部屋に駆け込んできた。
「兄貴! ナイフを持った変な奴がいたそうですっ!」
「何だとっ! よし、そいつだ! そいつを捕えろ! 黒幕を吐かせるんだ!」
ルイスが勢い込んで立ち上がると、幹部衆もめいめいに雄叫びを上げた。
彼らもルイス同様、この言いようのない不安に胃が痛む思いだったに違いない。
よし、面倒な帳簿云々のことは後回しだ。
全てが終わってから、ヤンに相談すればいい。
今はとにかく、その殺し屋をひっ捕らえるしかねえ。
やってやるぜ、くそったれが。
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