第39話 どっこにいるぅ~?
突然目の前に現れた不気味な男の姿に、ロイはたまらず腰を抜かして尻餅をついてしまった。
心よりも先に、身体が恐怖に支配されていた。
全身がガクガクと震える。四肢に全く力が入らない。
それ程までに、その男は危険な存在だった。
「いひ、いひひ……なあんだ、お前は……ただの臆病な子羊かあ」
真っ赤な瞳から発せられる、底知れぬ狂気を孕んだ強い光が、ロイを真正面から貫いていた。
げっそりと痩せていて、粗末な衣服に身を包んでいたが、
お、一昨日のあいつ……いや、あいつなんか目じゃないくらいにヤバい……。
あの時にすれ違った黒ずくめの男よりも、ずっとずっと恐ろしい相手だった。
これまでの盗賊稼業で関わった、どんな奴よりも強く、そして狂っている。
くそ、勘弁してくれよ、神様。
俺はやっと、やっと自分の道を見つけたんだよ。
つい今さっき、もう足を洗って堅気になって真面目にやっていくって誓ったばっかりじゃねえか。
それなのに、何でまたこんな奴に出くわさなきゃいけないんだ。
くそ、今までの盗賊人生の報いってことかよ?
一昨日昨日、あんだけ酷い目に遭っても、まだ足りねえってのかよ?
ロイの目から、涙がボロボロと溢れ出てきた。
逃げられない。もちろん、戦ってどうにかなる相手でもない。
しかも、話し合いもまともにできるような奴じゃなかった。
正真正銘、完璧に頭のイカレた野郎だ。
ああ、くそ、こんな奴に殺されて終わるのかよ、俺の人生。
ロイは自らの半生を振り返った。
酒に溺れて職を失った大工の父と、優しかったが病弱だった母。
そんな母を、あのクソ親父は毎晩のように殴っていた。
母が世を去ると、その暴力はロイと兄に向けられた。
いつか殺してやる――ロイを必死に庇った兄は、ある夜その言葉を実行に移し、
その結果鉱山で強制労働を受ける羽目になった。
幼いロイは孤児として教会で受け入れられ、そこで兄の帰還を待った。
だが兄は――帰ってこなかった。
落盤事故で命を落としたことを知ったロイは、教会を抜け出すと裏の世界の住人となった。
足の速さと手先の器用さ、それに加えて口の上手さを活かし、どうにかこうにか今まで生きてくることができたが――。
思えば、ろくでもない人生だった。
それが今、この場で断たれる。
くそったれ、まだ死にたくねえよ……。
もう少しぐらい、いい目を見せてくれたっていいじゃねえか。
いや、本当に贅沢は言わねえ。
普通でいい、真っ当な道を歩むから、せめて人並の人生を送らせてくれよ。
「……ど、どうしたぁ? くくっ、怖いのか? 安心しろ。俺は狼を探してるんだ。子羊に用はない……ああ、そっか。狼は羊を食べる、だから羊は狼の居場所を知ってる!」
赤目が早口でまくし立てるが、ロイには何が何やらさっぱり理解できなかった。
股間が生温かい。失禁していた。
いや、そんなことはどうでもよかった。
ロイは、とにかく助かりたい一心だった。
心の底から本気で祈った。祈るしかなかった。
神でも悪魔でも何でもいい、助けてくれと切実に願った。
「おお、狼はどこにいる? 生きのいいメス狼はどっこにいるぅ~?」
まるで歌うような口ぶりで、赤い目をギラギラと輝かせて訊ねてくる。
言葉の意味はまるで理解できないが、もしかしたらこの男は自分を殺す気はないのかもしれない。
絶望に覆われたロイの心に、一筋の光が見えた。
慎重に接すれば、この場をしのげるかもしれない。
ロイは生唾を飲み込み、震える指先で自分の宿の反対方向を示した。
ああ、頼む。
頼むから、できるだけ遠くに行ってくれ!
「おお、あっちか! ふひゃ、ふひゃひゃひゃひゃあっ!」
玩具を与えられた子供のようにはしゃぎながら、赤目の通り魔は風のように去っていった。
ああ、良かった。生きてるよ、俺。
よし、やっぱり足を洗うぞ、この野郎。絶対に!
堅気になって、あんなイカレ野郎とは二度と関わらねえようにしなきゃ。
もう金輪際、危ない思いはしたくねえもんなぁ。
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