第37話 ピョコピョコ

「んっ……あんっ……あんっ……」


 四つん這いの姿勢で喘ぎ声を繰り返す娼婦。

 その大きな尻を、ルイスはびっしりと毛の生えた傷だらけの手で鷲掴みにしたまま、腰を一定のリズムで前後させていた。


 くそっ……くそっ!


 額にびっしりと汗を浮かべ、歯噛みしながら腰を送り続ける。

 部屋の隅に置かれたランプの、ほんのりと紅い怪しげな灯りが、彼の強面をより一層恐ろし気に映していた。


 ここは町の小さな娼館街でも、中程度のランクの店だ。

 元締や他の幹部たちは一番高級な店に通い詰めているが、ルイスはただ一人この店を常連としていた。

 何となく高級店の女たちは肌が合わない、というのと、他の幹部たちと「兄弟」になりたくなかったからだ。兄弟関係は仁義の上だけで十分だ。


 夜もすっかり更けてからこの店に入り、仕事の後の「ちょっとしたお楽しみ」の時間であったが、彼はまさしく心ここにあらず、であった。

 目の前で揺れる女の尻の右側に刺青がある。

 青い、珍妙な姿をした生き物の刺青だ。

 この、鱗のない不格好な魚のような奴は、女の話によれば「イルカ」という南方の海に棲む生き物だという。


 可愛いでしょ? え、気持ち悪い? そんなことないよぉ。

 何でって、そりゃあさあ、お客さんが退屈しないようにってね。

 まぁ言ってみりゃサービスよ、サービス。面白いでしょ?


 他の奴はどうか知らないが、少なくともルイスは全く面白くなかった。

 尻が揺れるたびにピョコピョコと上下に飛び跳ねる姿に、むしろ腹が立つ。

 

 よぉルイスの旦那ぁ、調子はどうだい?

 俺は楽しくやってるけど、旦那はどうよ?


 ふざけるな、楽しいわけがねえだろうが。


 ルイスの不機嫌は昨夜からずっと変わらないままだった。

 あのマナという女剣士にしてやられ、そのことで元締に叱られ、町の連中に嘲笑われる。おまけに、あのふざけた流れ者の二人組の登場だ。


 あのギルという能天気野郎のことは覚えている。

 何年前、まだノロが組織の筆頭幹部で、ルイスがその舎弟として上にのし上がろうと息巻いていた頃のことだ。

 ギルとかいう向こう見ずな若造がいる、ともっぱらの噂になっていたのだが、


「おい、お前ちょっと見てこいよ」


 とノロに命じられたのが知り合ったきっかけだった。

 見てこい、とは要するにどの程度の奴なのか、場合によっては組織に入れるべきかどうかを見極めてこい、という意味だ。

 で、早速会ってみたのだが、これがとんでもない大馬鹿野郎だったのだ。


 え、何? 飯おごってくれるの?


 第一声がこれである。

 驚いたことに、町ではそれなりに売れていたはずのルイスの顔も名前も知らなかったらしい。

 頭にきたが、ルイスがちょっと凄んでもまるで意に介す気配すらなく、とにかく飯をおごってくれの一点張り。

 何が楽しいのか分からないが、どうにも無邪気な顔でガキのように目をキラキラ輝かせていて、横っ面を張り倒す気にもなれなかった。

 ともかく、腕っぷしが強そうなのは間違いなかったので、もう少し様子を見てみようと飯をおごってやることにしたのだが――。


 あの野郎、店じまいにさせてやろうかって勢いで喰ってやがったな……。


 ひたすらバカみたいに食い続け、ルイスの話などまるで聞こうともしなかった。

 口から出る言葉といえば、「うめえ!」と「いやあ、ありがとな」だけだ。

 で、終いには「ごっそーさん!」と言ったきり、突っ伏して寝てしまった。

 ルイスは翌日、ノロに一言だけ報告した。


 あいつはダメです、と。


 ダメに決まっている。

 力は強いかもしれないが、頭の中身は空っぽだ。

 ルイスもお世辞にも学や教養があるわけではないが、ギルはそういうレベルの話ではない。

 間違いなく町一番の大馬鹿野郎で、組織に入れても厄介事の種になるだけだ。

 そのたびに「お前が入れたんだろ、何とかしろ」などと責任をとらされるのは困るし、何とかできる自信もなかった。


 そんなバカが、いなくなったと思ったらよそ者を連れて町に戻ってきやがった。

 あの黒人、ラリーといったか、あいつも生意気なチビだった。

 筆頭幹部のルイスに対しても、一歩も退かないという構え。

 口が達者なところが、さらに腹が立つ。


 くそ、あいつら……。


 それでも、あのマナという女剣士に意趣返しができればルイスの不機嫌も収まっていたことだろう。

 今日の夕方には、改めて決闘を申し込んで叩きのめしてやるはずだったのだ。

 だが、それは叶わなかった。


 こともあろうか、マナはたった一人でギルとラリーを倒し、二人を子分にしてしまったのだ。

 その模様は、監視につけた子分からこと細かに聞いている。


 ええ、まったく鮮やかな手並みでして。

 こう、ババッと外套を投げつけて。

 で、ささっとハゲの後ろに回り込んでですね、で、気が付いたら抑え込んじまってたんスよ。 

 いやあ、あんな早業初めて見たッス!

 で、ええ、何か色々話してて。遠かったからよく聞こえなかったんスけどね。

 でも、俺、目がいいですから。

 最後には、仲良く三人で店に戻っちまってました。

 ありゃあ、完全に野郎二人が子分って感じでしたね。

 ええもう、強い姐さんッスよ……マジ、しびれたッスね!


 べらべらとマナの立ち回りの見事さを語る子分の頭を軽く張り倒し、ルイスはあきらめて仕事に戻った。

 まったくもって、予想外の展開だった。

 マナ一人ならば問題ない。

 あいつも、正々堂々決闘を申し込めば受けることだろう。


 だが、ギルとラリー、あの二人が子分になってしまってはそうはいかない。

 あの連中は、おとなしく決闘を見守るというタイプではないだろう。

 むしろ、自ら進んでルイスと戦おうとするに違いない。

 いくらルイスでも、一対三で勝てる相手ではなかった。

 不意を打たれた昨日とは話が違う。

 今度は、たとえ何があっても絶対に負けるわけにはいかないのだ。

 

 ああ、あのクソ野郎どもが……邪魔しやがって……。


 なぜ、あの二人がマナと戦ったのかは分からない。

 子分の話を聞く限りでは、むしろマナの方から戦いを挑んだようだ。

 もしかしたら、マナはルイスの動きを読んだ上であの二人を屈服させ、自分の護衛としたのかもしれない。


 くそっ、ムカつくぜ!

 ……ああ、そうだ、あいつなら何か良い知恵を貸してくれるかもしれねえ。


 そう思って、仕事中にヤンを探してみたが、組織一の切れ者の行方は直属の子分たちすら知らないという有様だった。

 そこで仕方なく、解決策も見出せぬまま腹の虫を収めようと馴染みの娼婦を抱きに来たのだが……。

 

「んっ……ああ……ん……ああン、すごっい……ああっ! 気持ちいい~」


 こっちは全然気分よくねえんだよ、くそっ!

 ああ、この女がもしもサンディだったら……。

 いや! あのサンディが、俺の天使がこんないやらしい声を出すはずがねえっ! ああ、でも、くそっ……。


 気持ちはどれだけ乱れていても、身体は正直だった。

 愚息をみなぎらせたルイスは、頭の中で必死にサンディの顔と声を思い浮かべながら、イルカの跳ねる尻に向かって腰を打ちつけることに専念した。

 腰の動きを速めると、女の方もこちらをぐいぐいと締めつけてきた。

 

 おお、も、もう少し、もう少しでイケそうだ……。


 だが、その腹立ちまぎれの「お楽しみ」の時間も、思いもかけぬ凶報によって中断させられる羽目になってしまったのだった。

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