第36話 カツーン

 ……終わった……もうおしまいだぁ、俺……。


 ロイは打ちひしがれた様子で、徐々に白みつつある早朝の町を歩いていた。

 どこかの屋根で、雀がしきりにさえずっている。

 寒い。死にそうなぐらいに寒い。それ以上に、懐が寒かった。

 今は足を引きずるようにして、とぼとぼと宿に向かっているところだ。

 もう寝よう。ずっと眠っていよう。

 何もかもが面倒で、どうでもよかった。


 ちくしょう……何で、何で俺は……。


 一昨日の夜、あのデブ――ルイスにぶん殴られた頬は、昨日の朝にはぷっくりと赤く腫れ上がっていた。

 幸い、蹴られまくった腹の痛みはさほど残っていなかったが。


 で、昨夜はこの町の賭場でずっと遊んでいた。

 不運続きの反動で、そろそろ幸運が舞い込んできそうなものだ、という直感に従って、勝負に挑んだというわけだ。


 サイコロ賭博のテーブルに座り、しょぼい額を賭けてみる。

 いきなり当たった。


 へっ、出だしは好調だな。

 ま、奇数か偶数か、だからな。

 二択なら、さらっと当たっても全然不思議じゃねえ。

 

 もう一度、同じ額で勝負。連勝した。

 

 あれあれ、もしかして運が向いてきたのかな?

 偶数二連続か。ははっ、こいつは良い感じだぜ。


 調子に乗って、勝った分を全部賭けてみた。

 偶数奇数ではなく、サイコロ二つの合計で「十」に賭ける。

 ロイとしては大博打だったが、結果は大当たりだった。


 おいおい、これは来てるぜ!

 よおし、ここは一つ、本腰を入れて勝負してみるかね!


 で、負けた。

 勝ったり負けたりを何度も繰り返した挙句、最後には根こそぎ持っていかれてしまった。

 勝負にすっかり熱くなっていたロイは、賭場の端っこにいた若い高利貸しの男に融通してもらおうと思ったが、あっさり断られた。


 よそ者には貸せねえよ、だとさ。


 ガッカリとうなだれたロイの隣で、赤ら顔の行商人のおっさんが熱弁を振るっていた。


「ああ、ダメだよ兄ちゃん。持ち金ゼロになるまで打っちゃ。そりゃあもう、遊びじゃなくなっちまうからな。適当に遊んでさ、勝ったら素直に喜ぶ、負けたらしばらく賭場には近づかない。そういう距離を保たなきゃいけねえよ。まさかさあお前さん、バクチで飯を食ってこうって腹じゃねえんだろ?」


 はいはい、ありがとさん、ご高説ごもっともだよこの野郎。 


 ということで、熱が冷めて我に返ったロイは、文字通り素寒貧になって宿へ戻っているところだった。

 足が重い。一歩一歩が辛かった。


 ああ、何で俺は途中で止められなかったのだろう。


 自分には博打の才能があるんじゃないか、なんて一瞬でも思ったのがアホらしかった。


 ああ、駄目だ。俺、駄目な奴なんだ。

 向いてなかったんだよ、博打なんて。

 いや、盗賊なんて稼業も向いてなかったんだ、きっと。

 だって散々走り回って、結果このザマだぜ?

 これからどうしようか? また一仕事しようか?

 いや、もうウンザリだ。

 宝珠は盗み損なう、ヤクザにはボコボコにされる、ギャンブルには負ける――もうさ、こんなくだらねえ世界にはほとほと愛想が尽きたぜ。

 やってられねえよ、ちくしょう。


 足を止め、空を眺める。

 星はほとんど見えない。傾いた月だけだ。

 足元の石ころを蹴飛ばす。

 カツーンと転がって、排水溝に落ちていった。

 かじかむ手に、熱い息を吹きかける。

 何度も磨り合わせる内に、白かった手に血色が戻ってきた。

 そして改めて思った――自分はまだ、生きているんだと。


 そうだ、足を洗おう。やり直すんだ、人生を。

 俺はまだ若い。

 ああっ、そうだ!

 宿に、ギターがあったっけ。

 吟遊詩人に変装するために買った安物だけど、あれをこれからの俺の商売道具にするってのはどうだ?

 うん、そうしよう。

 とりあえず少し練習して、広場なり酒場なりで演奏してさ。

 で、少しずつだけど金を貯めていくんだ。

 もう酒も呑まねえし、博打もしねえし、ナンパも――あ、いや、これは時々しようかな。でも、あまり入れ込まない程度にな。

 それなりに金を貯めたら、誰かいい娘を見つけて所帯を持とう。

 この間の金髪の可愛い娘――サンディだっけっか、あそこまで別嬪じゃなくてもいい。

 おっぱいも別にでかくなくていいし、顔もそこそこでいいさ。

 気立てさえ良けりゃあ、贅沢は言わねえよ。


 自分の明るい未来について想像している内に、ロイは身体がカッカと熱くなってくるのを感じた。


 ああ、そっか。これが――そう、本当の『天佑』って奴だったのか。

 お前は盗賊にも、裏の世界にも向いてない。

 だから表の世界で生きていけ、足を洗えって神様も言ってんだよ、きっと。


 足どりが急に軽くなった。

 だが、希望に目を輝かせたロイが口笛を吹き始めた次の瞬間――黒い影が、彼の前に立ちはだかった。

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