第35話 ひゃんっ!
ん、あたしのこと、呼んだ?
誰かの声が聞こえたような気がして、あたしはハッと目を開けた。
見覚えのある天井。
サンディの部屋だった。
カーテンの隙間から差す光の具合からすると、まだ日が明けて間もないようだ。
良かった、今日はさすがに寝坊するわけにはいかないからね。
あたしの両足の間に、サンディの白い綺麗な足が割り込んでいた。
あらまあ、この娘ったら。
両足でがっつり挟み込み、感触を楽しんでみる。
「……お姉さま?」
だるそうに答える彼女を抱き寄せて、頬を寄せる。
温かい。好い匂いがする。
昨日はあの後、今後の動きについて細かい打ち合わせをし、それからサンディの部屋に戻って二人で充実した楽しい夜を過ごした。
詳しい描写は省くけどね、まあ二人だけの秘密ってやつよ。
……ああ、あたしの腹の中の色ボケ石ころも覗いてただろうけど。
こいつのことは気にしないようにしよう。
何しろ四六時中離れないのだ。乙女としては恥ずかしすぎる状況も、こいつにはバッチリ見られてしまっているわけで、真面目に考えると頭がおかしくなる。
そうそう、寝る前にあたしの過去について色々話をしたっけ。
あんまり楽しい話でもないんだけど、
「知りたいんです、もっと、おねえさまのことを……」
なんて、瞳をうるうるさせてお願いされたら何でも喋っちゃうよね、えへへ。
あたしは帝都生まれの帝都育ち。
というと、たいていの人は羨ましがるのだが、残念ながらその中でも最下層に近い集団の中で生まれ育った。
帝都南区の貧民窟。
今にも崩れそうな粗末な小屋をねぐらにしていた。
兄弟姉妹はやたら多かったね。
ま、多分ほとんどが血の繋がりないけど。
というのもあたしの両親――どちらも東方系だけど、本当の親かどうかは疑わしい――ってのが、近辺の
で、貧民窟の孤児を拾ってきては掏摸の技術を仕込み、上前をはねて生活してたってわけ。
だからまあ、兄弟姉妹というより一緒に住んでる同業者って感じだね。
そこであたしは、十歳ぐらいまでこき使われて育った。
だから学校なんて行ったことないし、幼少期の心温まるエピソードなんてこれっぽっちもない。あの両親に至っては、もう記憶から消したいくらいよ。
で、家を出た。
「十歳の時に、何かあったんですか?」
「縁を切ったのよ、両親と」
「……足を洗った、ということですか?」
「独立したのよ。盗賊組合の幹部に話をつけてね。で、あいつらの縄張りの外で仕事をすることにしたの。上納金はちゃんと入れるから、ってことでね」
要するにあたしは、ろくに働きもしない両親に上前をピンハネされて、芋だけのスープをすする生活にオサラバしたかったってわけ。
で、気の合う同世代の連中とつるんで、掏摸だけじゃなく、かっぱらいや市場での盗品の売買なんかもやって過ごしていた。
あたしはその頃、男の子よりも背が高かったし、喧嘩も強かったのでリーダーみたいな感じだった。
貧民窟だから、大人だけじゃなくて子供も文字通りの悪ガキばかり。それぞれがチームみたいなのを作って、しょっちゅう揉め事を起こしてたけど、あたしたちのグループはその中でも一番強かったね。
ま、そんなの今となっては自慢にもならないけど。
そんな、現在のあたしとは別人のような不良娘が、一体どうやって更生したかというと――。
「え、おねえさま。話を聞く限り、ああやっぱり、という気もするんですが……って、ひゃんっ! どこ触ってるんで……いやぁ!」
茶々を入れてくるサンディの、一番敏感な箇所をいじってやる。
「ま、だいたい分かるとは思うけど、師母様との出会いね。それであたしの人生が変わったのよ」
「それぐらい、素敵な方なんですね……」
「怖かった」
「え」
「死ぬほど怖かったよ。もうね、それこそ今思い出すだけで震えが止まらなくなるくらいね……」
あれは今日みたいに寒い日の夕暮れ時のことだった。
子分たちを引き連れて、いつものように調子に乗って市場をぶらついていたあたしたちの前に、彼女は現れた。
お上品で小綺麗な服を着て、腰にはきらびやかな意匠の鞘のレイピアを指したおばさん――あたしはそのレイピアに目をつけた。
見なよ、あれ。きっと高く売れるに違いないぜ?
え、姐さん。ちょっとヤバくねえか?
大丈夫だよ。見なよ、あのおばはんの、のほほんとしたツラ。サッてかっぱらってさ、そのまま逃げちゃおうぜ。即売り飛ばしちまえば、アシもつかねえよ。
で、彼女の脇をすり抜けざまに奪い取ろうとして――。
「ど、どうなったんですか?」
「ボコボコにされた」
「…………え」
「もうね、顔が特大の肉団子みたいになるまで殴られたの。痛くて怖くて、おしっこ漏らしっぱなしでね。もう殺されると思って必死で命乞いしたんだけど、それでも止めてくれないの」
あまりの迫力に、保安隊も地廻りのヤクザも近づけなかったらしい。
その間に、子分たちはもちろんみんな逃げちゃってね。
で、最後にはボロ雑巾みたいになったあたしを引きずって、悠々とその場を去って行っちゃった――というのは、後から聞いた話ね。
もうその時には、当たり前だけど完全に意識失ってたから。
翌朝、師母様の家で目覚めたあたしに、
「ねえ、弟子にならない?」
と、やけに軽い口調で尋ねてきた顔は今でもよく覚えている。
あれだけ人を一方的にボコボコにしておいて、何事もなかったかのように満面の笑顔だよ? しかも弟子にならない? だって。
怖いよ、何考えてんのこの人って感じだよね。
師母様はあたしを一目見た瞬間に、「この子には剣士としての才能がある」って思ったらしい。いや、ホントよ、自慢じゃなくて。
で、どうやって弟子にしようかと思っていたらあたしがレイピアを盗もうとしたので、「ああ、これはチャンスね」と思って半殺しにしたらしいのよ。
「あの、その『チャンス』っていう発想が理解できないんですが……」
「ぜひ弟子にしたいけど断られたらどうしよう、この子の両親に反対されたらどうしよう、って思ったらしいのよ。それに、修行が厳しいから逃げられても困るってね。だけど、相手が盗みを働くような不良娘だと分かって、ああ、じゃあちょうど良かった、この場でぶちのめして『更生させる』って名目で弟子にしちゃおう、って意味での『チャンス』なんだって」
「……さ、さすが、おねえさまのお師匠様ですね……」
どういう意味よ。
ま、弟子入りしてからもそれはもう色々とあったわけだが、昨夜はそこまでサンディには話していない。
ある意味、貧民窟時代よりもドン引きのエピソードもあるからねえ……。
うわっ、思い出したら鳥肌立ってきちゃった。
あたしはサンディに頬をすり寄せ、熱と気力を補充する。
ああ、可愛いなあ……。
出かける前に、もう一回……。
と、まあ今朝はこの辺にしときましょ。
ここで張り切りすぎて、いざって時にへまをするわけにはいかない。
あたしはサンディに毛布をかけると、静かに身を起こして身体をほぐし始めた。
ええ、分かってますよ。昨日はサボってしまいましたが、今日はちゃんと朝稽古をしますからね、師母様。
何しろ今日は、大立ち回りを演じなきゃならなくなるんだから。
身体がポッポと温まってきたところで、あたしは自分の頬を手で強く張った。
さて、勝負の一日の始まりね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます