第44話 うむ……え!?

「我が主よ、実は大事な話があるのだがな」


「何よ、今忙しいんだから手短に済ませてね!」


 ううむ、主殿はせっかちであるな。

 だが、仕方ないとも言えよう。

 吾輩とは違って、人は永遠の時を生きることはできぬのだからな。


 吾輩は寛容な心をもって、主に有用な情報を伝えることにした。


「あの赤目という刺客だがな、彼奴は首輪をしておっただろう。そこに赤い宝珠が在ったはずだ」


「ああ、そうね。あんたの親戚? それともお友達?」


 全力で強敵を追いながらも、我が主は諧謔の精神を決して忘れない。

 うむ、実に頼もしいことであるな。

 もっとも、今は機知に富んだ会話を楽しむ余裕はない。

 だから吾輩は、必要な情報を的確に伝達することに専念した。


「あれは魔宝珠だが、吾輩には遠く及ばぬ存在。所詮はただの道具に過ぎぬ。『服従の宝珠』というのだがな」


「あっそ。で、それが一体何だってのよ?」


 我が主が苛立たしげに問うてくる。

 予想以上に冷淡な反応に、吾輩は少々失望した。

 魔宝珠など、普通に今の人間社会で生きている者にとっては遭遇することすら非常に珍しいことであるのだが。

 もう少し驚いてくれても――ああ、手短にせねばな、手短に。


「あれは古来、奴隷を服従させるための道具なのだ。ただ一言、契約の言葉を唱えるだけで、身に着けた奴隷の首ともども、粉々に砕け散るという代物だ」


「粉々に? じゃあ、あいつを一撃で始末できるってこと!? じゃあ、どっかにあいつの主人がいるってわけ? ま、それはいいわ。で、その、契約の言葉は何なのよ?」


「うむ、それはそれぞれの宝珠ごとに違うからな。分からぬ」


 吾輩は真摯にありのままの事実を伝えたのだが、我が主はいたく立腹した様子で、


「バカ、それじゃ全然意味ないじゃないの!」


「バ、バカとなっ!? こ、古代の叡智の結晶たるこの吾輩に向かって、何という暴言を……」


「じゃあ、大して役に立たない無駄なウンチクをどうもありがとう、古代の叡智さん! 黙って寝てろ!」


 むむ、いかんいかん。

 吾輩ともあろう者が、売り言葉に買い言葉で言い返してしまった。

 どうも主殿の胃袋に入って以来、吾輩も気が短くなっているようだ。

 ここは一旦落ち着いて、理路整然と話を進めねば。


「待たれい、我が主よ。実はな、あの宝珠の表面にはうっすらと古代文字が刻まれているのだ。それが実は契約の言葉でな。それを読み取れば……」


「あいつを倒せるってわけね! で、読み取れたの?」


 我が主が期待に目を輝かせる。

 吾輩は若干、心が痛んだ。


「うむ、それがのう、あまりに彼奴の動きが速すぎて、分からんのだ。せめて足を止めてくれればというところなのだが……」


 戦闘の場に遭遇するなど、吾輩の長きに渡る履歴でも数少ないことであった。

 しかもあのように俊敏な者には、未だかつて巡り会った経験がない。


「よし! 足を止めればいいのね!」


 おお、さすがは吾輩が見込んだ主だ。

 強敵との死闘を控えても一切怯むことなく、不敵な笑みすら浮かべておる。


 すでに辺りは人家が消え、我が主が先日焚火をしていた郊外の森にまで差し掛かっていた。

 前方に、赤目の姿が見える。

 彼奴の目がこちらを正面から見据えていた。

 狂気に満ち溢れた表情で、只ならぬ殺気を全身から放ちながら、我が主と下僕の大男を待ち構える。


「いくよ、ギル! シャド公!」


 うむ、よかろう。

 しかし我が主よ、いい加減に吾輩の名を覚えてはくれぬかのう?


「いっひひひひひ! メス狼! それと、と、バカ虎! 勝負だ!」


「誰がバカ虎だ、このクソ野郎が!」


 我が主の下僕――ギルが、怒りに任せて突進していく。

 大剣を上段に振りかざしたギルに、赤目が短剣を投げつけた。

 ギルは回避しようともせず、勢いのままに振り下ろす。

 上段からの叩きつけるような一撃を、赤目が横に跳躍して避けた。


 そこに、我が主が迫り、レイピアの鋭い一閃を見舞う。

 戴天踏地流剣術の真髄は刺突技にあり――かの剣聖天女を彷彿とさせる、雷光の如き剣速だ。

 だが赤目もさる者、咄嗟に首をよじってかわした。


 ううむ、だがその一瞬で少し読み取れたぞ。

 古代文字に接するのは久方ぶりであるが、賢者たる吾輩が忘却するはずもない。


 態勢の崩れた赤目を、鎖骨の辺りに短剣が刺さったままのギルが、今度は下段から掬い上げるように斬ろうとした。

 赤目が斜め上に跳躍し、木の幹を蹴って道の反対側に移る。

 しかも移りながら、またも赤目はギルに向けて短剣を放っていた。

 今度は背中に刺さった。

 体躯が我が主より遥かに大きい分、的にしやすいということであろうか。

 ギルが鋭く舌打ちをしたが、彼の奮闘のおかげで吾輩もまた少し読み取ることができた。

 シャドル……むむ、何と、吾輩とここまでは同じではないか。

 もっとも、風格や能力などは比べるべくもないが、こやつも色合いは吾輩と少し似ているからな。

『真紅の』という名は、別におかしくはない。


 赤目が低い姿勢でこちらへ走ってきた。

 狙いは相変わらず我が主――と思いきや、急に方向転換をして、ギルに飛びかかった。

 同時に、我が主に向かって短剣を投げる。

 一瞬不意を突かれたか、その刃が我が主の首筋をかすめた。


「くっ!」


 我が主が、激痛にその美貌を歪めた。

 レイピアを右手で構えたまま、左手で傷口を抑える。

 幸い傷は浅かった。

 首から肩にかけて、鮮血が白いきめの細かな肌を伝い落ちていく。


「がっ!」


 大剣で薙ぎ払おうとしたギルであったが、赤目は低い姿勢から跳躍し、何とそのまま大剣を踏み台にしてしまった。

 絶命の危機を察したであろうギルは、迷うことなく大剣を手放し後方に跳んだ。

 赤目の短剣、その必殺の一撃が空を切る。

 窮地を脱したギルだが、得物の大剣を失ってしまった。


 相手の戦闘力を奪ったことでもはや満足したか、赤目が鋭い視線を我が主に向けてくる。

 この怪物と一対一では、さすがの我が主も危うい。

 我が主が左手を傷口から離した。呼吸が荒い。

 ラリーや他の面々は、まだ到着する気配がなかった。

 吾輩も、最後の一字だけがどうにも読み取れない。

 古代文字は最後の一字が肝心で、これが少し違うだけで発音も意味も大きく変化してしまうのだ。


「来なさい、赤目!」


 凛とした声が、静寂に包まれた森の大気を震わせた。

 歓喜の声をあげる赤目を、下段に構えた我が主が迎え撃つ。

 これが、最後の戦いになるだろう。


 我が主が軽やかにステップしつつ、連続で突きを放った。

 しかし赤目は間合いを微妙に外して避け、ほんの僅かな隙をついて、我が主の手首を執拗に狙ってくる。

 我が主が足を止めた。

 中段突き、下段の斬り払いと二回フェイントを入れてからの、上段突き――切っ先が、ついに赤目の胸元を捉えた。

 だが、致命傷には至っていない。


「お、俺に……当てた……うひ、うひひっ! さすが、め、メス狼!」


 驚いたように目を見開いた赤目が、すぐさま獣のように低く構え、我が主の足元に迫ってきた。

 間合いを一気に詰めてくる。

 我が主がその背に突きを入れ、鮮血が舞ったが、赤目はそれでも止まらなかった。

 聡明なる我が主は咄嗟の判断で、レイピアを捨てた。

 超接近戦。完全に赤目の、彼奴の短剣の間合いだ。

 だが、勇敢なる我が主はこの人智を超えた怪物に組みつくと、袖と腰を掴み、両足を素早く払って、


「やあっ!」


 裂帛の気合と共に、背中から地面へと叩きつけた。

 しかしその刹那、赤目の短剣が、我が主の左の二の腕、肘に近い辺りに突き刺さった。

 我が主が悲痛な叫びをあげ、膝を突く。


「ぎ、ぎっひゃっひゃっひゃっ!」


 赤目が先に立ち上がった。

 あれだけの勢いで叩きつけられたというのに、息一つ乱れていない。

 何という怪物!

 さすがはかの古代魔道帝国を滅ぼした要因の一つ、『狂乱の赤目族』の末裔といったところであろうか。


 だが、吾輩はついに『服従の宝珠』――その表面に刻み込まれた古代文字の解読に成功した。

『シャドルミレディ』――古代語で『真紅の支配』という意味の言葉だ。

 いや、言葉の意味など、もはやどうでもいい。

 すぐにでも、我が主を救わねば!


 だが、吾輩にはこの忌々しい赤目の首を吹き飛ばすことはできない。

 あの宝珠の力を解き放つには、『声』を発しなければならないからだ。

 吾輩は人間の頭に直接、意思を伝える能力は有している。

 だが、それは『声』ではない。

 発動のためには人間の声、音が必要なのだ。


「我が主よ! シャドルミレディ! シャドルミレディと叫ぶのだ!」


「……え、何? シャド……くっ!」


 困惑した顔の我が主が最後まで発声する直前、赤目がとどめを刺そうと刃を振るってきた。

 我が主は胸元に迫る凶刃を必死にかわしたが、その腹を赤目が蹴りつける。

 後方に吹き飛ばされ、太い木の幹に背中から叩きつけられてしまった。


「我が主よ、もう一度だ!」


「……シャ……シャドル……サンディ?」


 うむ……え!?

 違う! 全然違う!

 それでは『真紅のサンディ』だ!


「サンディ……真っ赤なドレスも……か、可愛いよ……」


 な、何を言っておるのだ!?

 ニンマリしている場合ではない、しっかりせよ!

 いや、我が主はもう意識が半ば朦朧としているのだ。

 途切れがちな意識では、吾輩の言葉も鮮明には届かない。

 誰か――そうだ、ギルがいた――まだあの男がいたではないか。

 だがあの男に、シャドルサンディ……ではない、シャドルミレディと叫ばせることができるだろうか?

 これまでの彼の言動及び行動を窺う限りでは、それは途轍もなく困難な試練にしか思えなかった。

 ああ、ラリーが、いや誰でもいい、誰かこの場にいてくれれば!


 赤目が、酔ったような顔で我が主にひたひたと歩み寄ってくる。

 ブツブツと、吾輩ですら意味が解らない言葉を唱えていた。

 ううむ、これはまさしく絶体絶命の危機だ。

 万策、尽きたか。


 絶望に打ちのめされた吾輩であったが、こちらに向かって息を切らせて疾走してくる若者の姿に、思わず目を疑った――いや、吾輩に目は無いのだが。

 あれは――あの赤毛を振り乱して駆けている若者は、吾輩を長老の手から盗み出した若盗賊のロイではないか!

 吾輩は最後の望みを託し、あらん限りの力を持って、ロイに声を届けた。

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