第43話 ぐしゃっ!
はあ、それにしても何なんだよ、この町は……。
宿に戻ったロイは、一人ベッドに腰掛けてしみじみと嘆息した。
先程小便を漏らしてしまったので、下は穿き替えている。
そのまま寝ようと試みたのだが、例の赤目野郎の恐怖で目がすっかり冴えてしまった。
仕方ないのでギターを抱え、少し練習をしてみる。
だが、寒さで手指がかじかんで上手く演奏できない。
いや、誰でも最初はそんなもんよ。
これからはこいつが俺の飯の種なんだ、気張って練習しねえと。
そんなわけでポロンポロンと弦を弄っていたのだが、何だか外が騒がしい。
くそ、一体何だってんだよ。練習に集中できねえだろうが。
イライラして、ロイはギターを抱えたまま、宿の入り口に向かった。
眠そうな顔の泊り客たちがぞろぞろと集まって、あれこれと噂話をしている。
気になって目の前の大通りに出てみると、近所の連中が保安隊がどうとかルイスがどうとか言っていた。
え、ルイス?
あのデブのヤクザ者か。
あ、やべえ。こいつはヤバい予感がするぜ。
先刻の赤目男のことを思い出し、ロイはすぐに宿に戻ろうとした。
まったく迂闊すぎるぜ、ちくしょう。
厄介事はもう勘弁だって、今さっき決めたばかりじゃねえか。
自分の直感を信じ、危険を回避しようと判断したロイであったが――。
「ひいやっはああああああ!」
二度と耳にしたくなかったあの奇声が聞こえて、その場に一瞬金縛りになってしまった。
しかもその声は、こちら向かって恐ろしい速さで迫ってきている。
くそっ、やっぱりあのイカレ赤目野郎じゃねえか!
おいみんな、ヤバいからさっさと逃げろって!
その場に居合わせた全員が、ロイ同様に命の危機を感じ取っていた。
そして、まるで狼から逃げる羊の群れのように一斉に宿の入り口に向かう。
誰かが、ロイの足を踏んだ。
痛ぇ、と文句を言う間もなく、背中を思い切り突き飛ばされ、肩を横からドンと押された。
バカ、慌てるんじゃねえよ、このトンマども!
ロイは勢いに呑まれ、そのまま転倒した。
ギターが彼の手から離れ、石畳の上に投げ出される。
「あっ……」
俺の商売道具。
俺に残された、唯一の財産。
俺が堅気になってやり直すための――。
ぐしゃっ!
必死に手を伸ばしたロイの眼前で、ギターが無残に踏みつぶされた。
「あ、ああああああああああああっ! ああああああああああああああっ!」
ロイは堪らず絶叫し、信じられないといった顔でその足の主を見上げた。
「ひひ、ひひ、ああ、お前か! 子羊かっ! あは、お前の言った通り、狼が、メス狼がいたぞおっ! ひひ、あ、ありがとうな!」
狂気の宿った赤い瞳が輝く。
自分がロイのギターを、いや、彼の全てを踏み潰したことなど、まるで気にも留めていない様子だった。
黒革の首輪の中央に飾られた赤い宝珠も、瞳と同じ光を放っていた。
赤目は呂律の回らない口調でまくし立てると、もう興味が失せたとばかりに風のように走り去っていった。
「ああ……ああ……」
ロイは茫然自失となっていた。
目の前には砕け散ったギターがある。
修理すればどうにかなる、というような壊れ方ではなかった。
いや、そもそも修理を頼めるような金も持ち合わせていない。
あまりの衝撃と絶望感に、涙すら浮かんでこなかった。
何だよ、これ。
何なんだよ、これ。
おい神様とやら、いくら何でもこれはあんまりじゃねえのか?
冗談だろ?
いや、冗談じゃねえよ、とてもじゃねえけど笑えねえよ。
俺は確かに、これまであんたなんて、神様なんて信じてこなかったさ。
だけどよ、ガキの頃、教会のシスターが言ってたぜ?
あんたは悔い改めたら、誰でも、どんな者でも救ってくれるって。
じゃあ、この仕打ちは何なんだよ?
あんたのお得意の試練、とでもいうのか?
ここまで追い込まれてようやく改心したってのに、まだあんたは俺を許してなくって、とことんまで追い詰める気なのかよ!
慈悲深い? はあ? ふざけんなよ!
あのシスターが嘘つきだったのか? それともあんたが嘘つきなのか!?
くそ、くそ、くそおっ!
ロイは石畳の上に膝をついたまま、歯噛みした。
怒りが腹の底から湧き出してくる。
獣のような唸り声をあげ、両の拳で地面を叩いた。
皮膚が破れて血が流れたが、痛みはまるで感じられなかった。
背後をマナとギルが駆け抜けていったことにも、彼はまるで気づかなかった。
あの野郎、あの赤目野郎……。
誰が子羊だって?
ふざけるな、俺は人間だ!
どいつもこいつも俺を舐めやがって。
ちくしょう、やってやる、やってやるぞ!
ロイは雄叫びをあげ、立ち上がった。
いつも懐に忍ばせている短刀。
人を殺すことはおろか、まともに戦った経験もない。
だが、今の彼にはそんなことはどうでもよかった。
どうせ、このままなら野垂れ死ぬんだ。
その前に、あのクソ野郎をぶっ殺してやる。
そして――。
そこまで決意した瞬間、ロイの脳裏を赤い輝きがよぎった。
ああ、そうだ、あの宝珠!
あいつが首輪に付けていた、あの宝珠!
ロイはかっと目を見開き、空を仰いだ。
まだ少し薄暗いが、雲一つない。
周囲の泊り客たちは、鬼気迫るロイの姿に圧倒され、声をかけることもできなかった。
そう、あれを奪い取って、売り飛ばせば――。
一発逆転だ。
何もかも変わる。変えることができる。
ああ、そうか。
これが本当に最後のチャンス、『天佑』ってやつなんだな。
神様は、俺に命懸けでそいつを掴めって言ってるわけだ。
上等だよこの野郎。やってやろうじゃねえか。
ロイはもう一度天に向かって絶叫すると、赤目の走り去った方角に鬼の形相で駆け出していった。
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