第42話 べチン

 ラリーのプライドは、いたく傷つけられていた。

 得意武器のクロスボウを二度も、しかもかすらせもせずに避けられたのだから当然のことだが――昨日のマナも合わせれば続けて三本だ。


 やれやれ、ここまで連続で外れるとはね、博打だったら大損してたぜ。


 で、ラリーは奴の薄気味悪い笑顔と、赤い髪に痩せっぽちの身体つき、驚異的な身体能力と、短剣の腕前、それとあの悪魔のような瞳で、その正体を思い出した。


 間違いない。

 奴は裏社会で疎まれる厄種どもの中でも、一番相手にしちゃいけないと言われている暗殺者――『赤目』だ。


「あいつは見ての通りメチャクチャな奴でな、まあ竜巻みてえなもんだよ。ちょっとでも姿が見えたら、もう一目散に逃げるかどっかに隠れるかに限るさ。懸けられてる賞金も半端じゃねえが、とてもじゃねえけど割に合わねえよ」


「へえ、やっぱり賞金首なのね。ちなみにいくらなのよ?」


「ああ、確か……銀貨五百枚だったか……あ」


 慌てて口を閉じたが、もう手遅れだった。

 おいおいまさか、と思って二人の反応を恐る恐る見てみたが、


「五百枚!?」


「マジかよ相棒!! 銀貨五百枚っていったらよお……」


 やはり、マナもギルも表情が一変していた。

 二人とも、今までより一回り身体が大きくなったようにラリーは錯覚した。


 おいおい、あんたら正気かよ。

 確かに今、俺らが喉から手が出るぐらい欲しい銀貨五百枚だよ?

 だけどな、そいつを手に入れるために昨晩あれだけ色々と打ち合わせしてきたじゃねえの。

 そもそも、その前に俺たちがガチで戦ったのもそのためだよな?

 それをお前さん、わざわざあんな危ねえ相手を狙うだなんて……。

 だいたい、今の奴の暴れっぷりを見ただろ!?

 とてもじゃねえが、殺して首を保安隊に差し出すなんて無理だぜ。

 かといって、例えば騙し討ちするとか、そういう策が通用するとも思えねえ。

 だったら、とっくの昔に捕まってたはずだからな。

 身体能力も勘も、何もかも人間の領域じゃねえ。

 化け物なんだよ、バケモノ!


「ちょっと待てって。だいたい、昨日建てた計画はどうするんだよ? な?」


 努めて平静を装い、目の前で奮い立つ二人をなだめすかすように言葉を繋いだ。

 ここは何とかして、はやる二人を抑えなければいけない。

 理を説き、利を餌にして考えを改めさせるのだ。


「それによお、サンディもニーナも、お前さんたちが危ない目に遭うなんて望んでないはずだぜ?」


 そう、こういう時は好いた女の子の名前を出すのが一番だ。

 理や利だけじゃなく、情にも訴えかける。

 ギルなんて、こういう手には一番弱いからな。


「ああ? 冗談じゃねえよ、ラリー。俺はよお、あいつのクソナイフを一発貰っちまってんだぜ? こいつの借りを返さねえと、俺の腹の虫が収まらねえんだよ!」


 あ、ダメだこいつ。完全にキレてる。

 南方の港町で、女の子を輪姦そうとしてた海賊どもをぶち殺した時の顔だ。

 あれ酷かったな。最後は全員、人間の形が残ってなかったもんよ。


「頭のイカれた危険な悪党を野放しにするなんて、あたしの流儀に反するね。それに同じ銀貨五百枚でも、ド田舎の爺さんを騙してふんだくるより、あのド阿呆を叩っ斬って手に入れた方が、ずっと気分がいいじゃないの!」


 うわ、悪い笑顔してるな、マナさんよぉ。

 悪党退治に意気込むってよりもさ、化け物始末して一攫千金って腹だろ?

 ダメだ、こりゃ。

 もう、誰にも止められやしねえよ。


 ラリーは、べチンと己の額に平手を叩きつけた。

 そして覚悟を決めた。

 相棒がやるってんなら、やるしかねえじゃねえの。


 赤目を取り囲んだヤクザ者どもだが、やはりまるで相手になっていないようだ。

 そりゃそうだな、あの程度の連中にやられる赤目じゃない。

 むしろあのデブ――ルイスか。意外に動けるんだな。頑張ってるじゃねえの。


 高い笛の音が鳴り響いた。

 ラリーは反射的に首をすくめた。何度も何度も聞いてきた、忌々しい音だ。

 通りに面した家々の窓が次々に閉められた。

 先程からの騒動で起こされた住民たちが、野次馬根性で一連の戦闘を覗いていたようだが、保安隊の登場で恐れをなしたのだろう。

 スネに傷持つ身でなくても、とにかく保安隊にだけは関わりたくないものだ。


「ひっひひひひ、また犬コロか! くひ、くひひひひ!」


 やれやれ、楽しそうだね。


 現れたのは六尺棒とレイピアで武装した保安隊、約二十名だった。

 赤目は犬コロなどと馬鹿にしているが、紺色の制服に身を包み、日頃から訓練を積んでいる彼らは、ヤクザ者より数段手強いはずだ。


「かーっ、くっそ、色々出てきやがって邪魔くせえな。姐さん、どうすんだい?」


「慌てないで、ギル。あたしの見立てじゃあ、彼らでも無理ね。でもまあ、少しは弱らせてくれるとありがたいんだけど。あたしたちは、それからじっくり戦うとしましょ」


 ああ、やっぱりさすがだね、この姐さんは。

 ちょっと心配だったんだが、こういうところは冷静だな。

 最終的に討ち取るのが、俺らの内の誰かならいいって話だ。

 まあ、戦いの基本というか、賢い世渡りの方法だな。


「くっそお、メス狼! 後でまた来るからなあ! 逃げるなよお!」


 さすがの赤目も分が悪いと見たか、それともマナとどうしても一対一で戦いたいのか、包囲網を強引に突破すると、郊外に向かって大通りを全力疾走していった。

 さっきからずっと戦い通しだってのに、呆れるほどの速さだな。

 体力底無しかよ。くそ、やっぱり戦いたくねえなあ。


「よしっ! 追うわよ!」


「おう、やってやるぜ!」


 マナとギルが、赤目の背を追って駈け出した。

 すぐにラリーも彼らを追ったが、あっという間に引き離されてしまった。


 おいおい二人とも、何てスピードだよ。

 ギル、お前に全力で走られたら俺は追いつけねえって、一体何度言ったら分かるんだよ!

 っていうか、俺のこと忘れちゃいねえか!? 


 禿頭にびっしりと汗の粒を浮かべ、白い息を弾ませてラリーは走った。

 その後方からは、態勢を立て直した保安隊とヤクザの集団が、血相を変えて追っかけてきている。


 おいおい、これじゃまるで俺が罪人みたいじゃねえか。


 そしてラリーより遥か前には、銀貨五百枚に目がくらんだ――いや、義侠心に篤い女剣士と、おっぱい好きのバカ――いや、純朴な心の屈強な戦士が走っている。

 で、先頭は正真正銘本物のイカレ野郎、裏社会嫌われ者筆頭の暗殺者、赤目様。

 こんなメンツで、クソ寒い北方の田舎町を舞台に、朝っぱらから命懸けで追っかけっこをしているってわけだ。


 やれやれ、一体全体何なんだよ、こりゃ。

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