第41話 ガキンッ!
あたしとサンディは、仲良く腕を繋いで『月光』へと向かっていた。
冬の朝の、身がしまるような冷気も、今のあたしたちにはあまり関係なかった。
むしろ、清澄な空気を楽しむ余裕すらある。
これから色々とやらなくちゃいけないし、中には結構危険なことも含まれているけれど、何とかなるさ、という気分だった。
そう、くよくよ悩むよりは前に進む。それがあたしの流儀だ。
あたしたちが『月光』に着いた時には、もうラリーとギル、それにニーナの三人は準備万端といった様子で待ち構えていた。
昨夜打ち合わせた通り、危ないのでサンディとニーナは店の中で待機。
あたしが店の前に立ち、ヤンを待つ。
ラリーとギルはすぐ近くの脇道に潜み、あたしとヤンが話している内に奴を取り囲む。
で、後は強引に店内に連れ込み、期限の延長を迫るという段取りだ。
もっとスマートなやり口があったかもしれないが、限られた時間と手駒では、これ以上の策は思いつかなかった。
ま、結果良ければすべて良し、よね。
昨日ヤンは「朝」と言っていたらしいが、それが具体的に何時頃なのかまでは分からない。
大半のヤクザ者は明け方近くまで仕事をし、陽が昇るころに寝床に就く、という不健康な生活を送っている。
だからまあ、昼近くってことはないでしょ。
まだ時間が早いこともあって、大通りを歩く人影はまばらだ。
中央広場の方へ向かうのは行商人たちで、逆方向に歩いているのは繁華街で夜通し遊んでいたと思しき連中だった。
あたしは大きく欠伸をした。
頭がキン、と冴えた気がする。
指先を何度もこすり、息を吹きかけて温めておく。
編み上げのブーツの靴紐を、もう一度強く締め直す。
不安要素はできる限り排除し、頭のてっぺんから爪先まで戦闘に備える。
それも、師母様から習った戦いのセオリーの一つだ。
意気揚々とヤンを待つこと数十分――。
あたしの背筋を、ゾッとするような寒気が走った。
え、何、この感覚?
嫌な予感がする。
いや、これはそんな生易しいものじゃない。
もっとヤバい、途轍もなく危険な、おぞましい気配だ。
前方に目を凝らした。かすかに悲鳴が聞こえる。
すぐにレイピアを抜き放ち、深呼吸した。
「おい姐さん、どうしたんだ? ヤンが来やがったのかい?」
「違うわ、ギル。よく分からないけれど、もっと……もっとヤバい奴よ!」
後方に控えていたギルとラリーが、各々の得物を準備する気配。
あたしは振り返ることもせず、ただ集中して前方から迫る未知の脅威に備えた。
黒い人影。
それが、大通りのど真ん中をこちらに向かって突っ走ってくる。
少しずつ大きくなってきた。
痩せている。男だ。一人。
内容までは聞き取れないが、奇声を発しているのは分かる。
狂人か、通り魔か。
いや――魔物?
「おおおおっ! いた! いた! 本物だっ! め、メス狼だっ!」
粗末な衣服に身を包み、両手に短剣を手にした男が、あたしを見て歓喜の声を上げた。男の顔に見覚えはない。
「おいおい、何だありゃ? 姐さんの知り合いかい?」
「さあ? 人違いじゃない!? ラリー、仕留めて!」
ギルがあたしの隣に並び、大剣を構えた。
もちろん、間合いは充分にとってある。
あたしたちの後ろにクロスボウを構えたラリーが控え、片膝をついた。
「やれやれ、高利貸しを待ってたはずなのに、頭のおかしな奴が来やがったぜ!」
ぶつくさと文句を言いながら、ラリーが矢を放った。
一直線に走ってくる敵だから、これであっさり倒せるかもと思ったが、
「ひゃっはっは!」
世の中そんなに甘くはなかった。
ギリギリのところで右に跳んで回避した男――髪も目も燃えるように赤い――が、そのままあたしに向かって襲いかかってきた。
「ちっ!」
ギルが舌打ちした。
あたしに飛びかかると同時に、赤目の男はギルに向けて短剣を投げつけていた。
ギルが避けられたかどうか、確認する余裕はなかった。
恐ろしく、速い。
あたしはギルと反対方向に跳びつつ、男の足元を斬り払ったが、届かなかった。
奇声をあげ、男がそのまま駆け抜けていく。
そのまま何処かへと去ってくれればありがたいのだが、どうやらあたしはあいつのお気に入りらしい。
やれやれ、モテる女はつらいね。
男の再度の襲撃前に、状況を確認した。
ラリーは無事だったが、ギルは肩口に短剣が刺さっていた。
革鎧の上だったからダメージはないが、少し横にずれていたら危ないところだったね。くそ、一体何なのよ、あいつ。
「来るぜ!」
「ラリー、足元を狙って!」
とんでもなく敏捷な相手だ。とにかく動きを止めたい。
男が再び、こちらに向かってきた。
やはり標的はあたしのようだ。
それならそれで、戦いやすい。あたしを囮にすればいいんだからね。
ラリーが第二矢を放った。
今度は、跳躍してかわした。
高い。人間業とは思えないほどのジャンプ力だった。
化け物としかいえないわね、まったくもって。
だが、宙に浮けば隙だらけになる。
ギルが踏み込んで、横薙ぎにした。
ガキンッ!
金属同士が激しくぶつかる音が、早朝の通りにこだました。
「くあっ! マジかよ!」
ギルの大剣の一撃は、あたしから見ても完璧なタイミングだった。
まともな相手なら、そのまま両断されていただろうね。
だけど、男は常人ではなかった。
襲い来る大剣のごつい刃に、短剣の細い刀身をぶち当て、その反動でもう一度宙に舞ったのだ。
ちょっとちょっと、人間業じゃないよ、それ!?
そして次の瞬間には、ギルに向けて短剣を投げ放っていた。
ギルも反応しようとしたが、わずかに遅く、刃先が右肘に突き刺さった。
男が着地と同時に、ひょいひょいと跳ぶように退っていった。
距離をとられるとまずい。
いや、普通ならラリーのクロスボウの間合いだけど、奴には通用しないみたい。
離れてもダメ、接近戦でもダメって、どうすりゃいいのよ?
想定もしていなかった強敵の出現に、あたしの頭は混乱していた。
こんなタイプの敵とは、今まで渡り合った経験がない。
「いたぞ!」「あいつだ!」「殺せ!」「バカ、殺すな、捕えろ!」
あたしの前方、男の背後から、大勢の怒号が聞こえてきた。
チラリと目をやると、武器を手にしたヤクザ者どもが、大挙してこちらに向かってくる。
真ん中にいるのは、あの「サンディ大好き髭モジャデブ野郎」ルイスだ。
まず間違いなく、連中の目的はこの男だろう。
この化け物、一体何をやらかしたのかしら。
ま、何となく想像はつくけどね。
「くく、鬱陶しい犬コロどもだっ!」
男がニンマリと笑った。
背筋が寒くなるような、不気味な笑顔だ。
心の底から殺し合いを楽しんでいる、という奴ね。
「待っていろ、メス狼。あんな奴らに神聖な戦いの邪魔はさせねえっ!」
そう言い捨てて、男はヤクザ者の大集団に正面から突っ込んでいった。
神聖? あたしはあまり信心深くないし、むしろその手の言葉を安易に使う輩は好きじゃないんだけど。
「くっそ、一体何なんだよ、あのバカ野郎は!」
ギルが忌々しげに、肘の短剣を無造作に引き抜いた。
それほど深くないにせよ、もうちょっと気を遣いなさいっての。
ま、痛みよりも怒りの方が勝っているってことでしょうね。
あたしも同感よ。
これから大仕事が待っているってのに、余計な茶々を入れないでほしいわ。
おまけにあたしが標的って、どういうこと?
ただでさえ面倒なことばっかりなのだ。
これ以上は、さすがのあたしも荷が重いってのよ。
「ああ、くそ。思い出したぜ、あいつは『赤目』だよ」
ラリーがうんざりした表情で呟いた。
赤目?
何それ、見たまんまじゃないの。
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