第30話 チュ
「お姉さま、本当に……行くんですか?」
心配そうなサンディの声に、あたしはできるだけ快活な笑みを浮かべて答えた。
「大丈夫よ。あたしを信じて!」
チュ。
今にも泣きそうな彼女を抱き寄せ、額に軽くキスをした。
もっともっと色々なことをしてあげたいが、続きは帰ってからにしよう。
今は、獰猛なハイエナどもを倒すのが先だ。
深呼吸をして、ドアを開ける。
西の空が、茜色に染まっていた。
冷たい風が大通りを駆けていくが、そんなことでは今のあたしの闘志は冷めたりしない。
向かいの茶店から、ラリーとギルがあたしに視線を浴びせてくる。
あたしは顎で、「外に出な」と伝えた。
二人が、不敵な笑みを浮かべる。
さあて、ここからが正念場よ。
あたしは、今抱えている二つのトラブルの内、まずはこのラリーとギルの始末を先にすうことにした。
理由は簡単、ニーナの借金の期限は明日で、まだ時間の余裕があるからだ。
その点、こいつらは今夜にでもあたしを襲いかねない。
ヤンと比べてどちらがより危険かという判断は難しいが、まずは緊急度の高い問題から解決するのが常道だ。
師母様から教わった戦いのセオリー。
それをあたしは、一つ一つ頭の中で噛み締めていった。
教えその一、可能な限り準備は入念に行うべし。
『月光』で身体は十分に温めておいた。
特に冬場は身体が固くなるので、事前にほぐしておく必要がある。
あの二人を相手にするには、機敏な動きが何より肝心だ。
ギルとラリーが、ぞろぞろと店から出てきた。
大剣が得物のギルが前で、その斜め後ろにクロスボウを背負ったラリーが立つ。
「何か用かい、『リサ』ちゃんよお?」
ギルが、口に笑みを張りつかせたまま、揶揄するように言った。
「つまらないお芝居はやめとこうよ。あたしを捕まえにきたんでしょ?」
「話が早くて嬉しいね。腰の剣を預けてくれると、もっと嬉しいんだけどね」
ラリーが、本気とも冗談ともつかない口調で言う。
「あたしも忙しくてね、くだらない与太にダラダラ付き合っている暇はないのよ。それにそっちだって、いつまでも監視だの尾行だのするのは面倒でしょ?」
「それで潔く決着をつけようってのかい。いいねえ、俺は嫌いじゃねえぜ?」
ギルの巨体が、闘気でさらに一回り大きくなったように感じた。
やはり、半端な強さじゃない。
ラリーが援護することも考えると、まともにやり合ったら危険すぎる敵だ。
だけどまあ、こっちにも策はあるわけだけどね。
師母様の教え、その二。
常に策を練り、敵の裏をかくべし。
戦いは甘いものじゃない、というのが師母様の口癖だ。
どんな手段を用いようが勝ってしまえばそれでいい、とはよく言われることだけど、それはもちろん「相手も同じことを考えている」わけで――。
勝つためには、さらに裏をかくことが必要になるのだ。
ということで、今回はとっておきの秘策を用意している。
空振りしたら一巻の終わりだけど、やらなきゃやっぱりお終いだ。
ここは勇気を振り絞って挑むしかない。
「慌てなさんな。いくら何でも、今からこんな所でやり合ったら、保安隊が出動しちゃうでしょ? だからさ、ちょっと場所を変えない?」
ギルの顔から笑みが消えた。
ラリーは鋭い目であたしの様子を窺っていたが、
「いいぜ、そうしよう。行くあてはあるのかい?」
「人目がない場所なら、何処でもいいでしょ? 今から行けば、ちょうど陽が落ちるぐらいで都合良さそうだし。ね?」
あたしの提案に、二人は静かに頷いた。
師母様の教え、その三。
常に主導権を握れ。
相手に合わせず、徹頭徹尾、自分のペースで戦いを進めるということだ。
もちろんこれも、簡単にはいかない。敵だって、よほどのバカでない限りはひょいひょい乗ってはこないからね。
だから、敵の立場や目的をふまえて先を読み、手を打つ。
今回の場合、あいつらはなるべく「静かに」片付けたいと思っているはずだ。
あの村長からは「死体でも構わん」ぐらいに言われているかもしれないが、何しろここは町のど真ん中だ。
しかもあたしたち、あたしがルイスを軽く撃退しちゃったことと、ニーナの借金の件で目を付けられちゃってるのよね、地元のヤクザに。
今も、あの二人組からは離れた所からだけど、店をきっちり監視している。
ギルはともかく、ラリーは感づいてるんじゃないかな?
そんな状況で派手に暴れるわけにはいかない。
もちろん、保安隊に出動されるのは最悪だ。
だからこそ二人組は、これまでずっと機会を窺ってきたのだろう。
そこであえて、こっちから状況を動かしてやる。
あいつらは好都合とばかりに乗ってくるはずだ。
あたしたち三人は、並んで町外れに向かって通りを歩き出した。
並ぶといってももちろん、不意討ちを警戒してある程度の距離はおいている。
間合いの広く、威力も尋常じゃない大剣は恐ろしい武器だ。
当然ながら、飛び道具のクロスボウもヤバい。
二対一で、しかも荒事に慣れている――というよりも、飯の種にしているような連中だ。
おまけにその内一人は、この町の地理にも詳しいときている。
考えれば考える程、あたしにとっては不利な状況だ。
いくらギルが『うっかりしたら死ぬレベルのバカ』だとしても、正面から渡り合ったら楽には勝てないだろう。
普段はともかく、戦闘時はラリーがこの大男を上手くコントロールしてくるはずだ。そうやってこれまで、獲物を仕留めてきたのは間違いない。
師母様の教え、その四。
彼我の戦力を冷静に分析すべし。
相手は手強い。まともに受けては勝ち目はないってところね。
だけど、あたしには勝算があった。
だからこそ、この勝負を仕掛けたのだ。
「戦いにおいては、全てを使うのよ。文字通り『全て』をね」
はい、師母様。
教えの通り、あたしの『全て』を使って戦いますね。
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