第25話 ぐるるるるる

「え、兄ちゃん、また殺っちゃったの?」

「うん、気がついたら殺してた」

「でもまあ、相手が強いなら当たり前でしょ」

「いやそれがさあ、今度の相手は仕事の依頼主だったんだ」

「あらら」

「だからさ、困っちまったんだよ」

「なんでまた殺したの?」

「いや、殺しの踊りをしたのに『殺すな』って言ったんだよ、そいつ」

「えー!? うん、そりゃあさあ、殺しちゃうよね」

「やっぱりそうだよな?」

「うん、兄ちゃんは悪くないんじゃないかな」


 こっちの世界に来て以来、赤目は何か困った状況になった際には頭の中で故郷の妹に相談することにしている。

 もちろんそれも、彼が比較的冷静な時だけだ。

 そうでない場合は、たいてい殺しの真っ最中で、さすがにそんな時にいちいち妹に悩み事を打ち明けたりはできない。

 で、今回も彼女に慰めてもらったというわけだった。


 うん、まあ、俺は悪くないよな、たぶん。


 数分後、赤目は物言わぬヤンを担ぎ上げ、ボロ小屋を出た。

 しばらく森を歩いた後、先日、例のメス狼が焚火をしていた辺りに遺体を置く。


「安心しろよ、あんたから請けた仕事はちゃんとやり遂げるからな」


 そう亡骸に語りかけると、手際よく服を脱がせ始めた。

 強者を殺した直後の赤目は、日頃の狂気じみた言動・態度とはとても結びつかないような『普通の人間』になる。

 といっても、あくまでも日頃に比べれば、の話だが。


 ついさっき死んだばかりのヤンは、すぐに生まれたままの姿になった。

 枯れ葉を集めて火を起こす。

 ヤンの衣服を一枚ずつ燃やし始めた。

 これが、赤目の部族の葬送の作法だった。

 老若男女問わず、一糸まとわぬ姿にして、遺品は形見にする物以外、全て燃やす。

 魂の抜けた肉体は、そのまま荒野に野ざらしにする。

 死んだら、他の生き物の餌になるのだ、と部族の長老には教わっていた。


 ああ、故郷か――懐かしいなあ。


 冬の夜空に立ち昇る煙をぼんやりと眺めながら、赤目は荒涼たる大地を思い浮かべていた。

 赤目たちの部族は、大陸の遥か北西、帝国の支配も及ばぬ辺境にある。

 子供の頃に長老から聞いた話によれば、


「我ら一族はな、かつてこの大地を治めた魔道帝国を滅ぼしたのだ」


 という。

 それが何故にこのような辺境で細々と暮らしているのかというと、


「我ら一族は、己以外の強者と戦うことを至上の喜びとしておる。まあ、お前も大人になれば分かるじゃろう。戦って、殺さずにはいられないのじゃ。そう、たとえ身内であってもな」


 そんなわけで、魔道帝国というとてつもなく強大な存在を滅ぼしてしまった後、今度はお互いに殺し合いを始めてしまい、しかも徹底的に最後の最後まで続けた結果が今の赤目たちの境遇なのだという。


「だがまあ、これで良かったとワシは思っておるよ。何しろワシも、この歳になっていまだに殺しの衝動を抑えきれん。だから今でもたゆむことなく鍛錬を続けておる。若い頃は外の世界で戦いまくってきたものだが、うん、あれはやはり止められんな」


 成人したら男も女も一度村を出て、外界を旅するのが部族の慣習だった。

 特に目的があるわけではない。そういうしきたりだから行く、理由はそれだけで、故郷に帰る基準も「飽きたら戻ってこい」という話だった。

 赤目はまだ退屈していないので、故郷に戻る気はさらさらない。


 とにかく一番分別のある長老ですらその有様なので、赤目の村は各自の家が視界に入らないほど遠くに離れている。

 そうしないと、殺し合いになってしまうからだ。

 外の世界の基準でいえば、それは果たして村と言えるのかというところだが、何しろだだっ広い土地であるし、それぞれが狩猟で自分の食べる物は確保するのでさして問題は無かった。

 子供の内は、当然ながら「強者」とは認められないので殺しの対象とはならない。また、部族に共通する殺人衝動も、不思議なことに成人するまではそれほど強くないのだった。

 確かに赤目も、子供の時分は両親や妹を殺したいなどと露ほども思わなかった。

 だが、もし仮に今、父や妹にひょっこり出くわしたらきっと戦いになってしまうだろう。

 母は対象にならない。母は他の部族出身であり、戦闘力は皆無だからだ。

 嫁や婿は他部族から招く、それは赤目の部族の掟の一つでもあった。

 同族は恋愛対象になりえない。あくまでも強者は全て攻撃対象なのだ。


 そんな部族であるから、ごく稀に村で会合がある時などは、それぞれが己の両手を厳重に縛り付け、寸鉄も帯びずに長老の家に集まる。

 それをやはり両手を縛った全裸の長老が迎え、話し合いをするのだ。


 外の世界の者たちからすると、どうやら赤目たち部族の習慣や習性は奇妙極まるものらしい。

 だが、赤目からすればむしろ外の世界の方が異様なのだ。

 初めてこちらの「町」を訪れた際も、


「……え? よくそんな近くに住めるな、お前ら……」


 と絶句したものだった。

 よく殺し合いにならないな、というのが第一印象だ。

 しかし、しばらく滞在して色々と観察する内に、ようやく赤目は納得した。

 要するに、殺しの対象となるような強者は、こちらの世界にはそれほど多くはいないのだ。

 大半が、彼の言葉を借りれば仔犬や仔猫、あるいは仔羊である。

 なるほど、それなら仲良く暮らせるというわけだな。


 もちろん、殺し合いたい、と思えるような猛獣もいた。

 獅子に虎、狼。あるいは熊や豹や山猫。

 赤目は喜んで彼らと戦い、それら全てを仕留めてきた。

 振り返ればどれも、楽しい思い出ばかりだ。


 ああ、そう、それで……。

 思い出したぞ、確か今度は『猪』が相手だった! 

 

 ようやく赤目は、依頼を請けた時のヤンの言葉を思い出していた。

 大柄な猪の親子、と言っていたはずだ。

 ふふふ、こいつは楽しみだぜ。  


「あぁ、そうだ。さっきの地図以外にも、何かあるかもしれないな」


 追憶に浸っていた赤目は、現実の世界に引き戻された。

 ヤンの上衣の内ポケットを探ってみると、何やら紙切れが出てきたが、


「ええっと……ん? しゃ、借用書? ああ、こいつはいらねえな」


 赤目は興味なさげに、それを焚火にくべてしまった。

 こんな調子で、赤目はヤンの遺品の後片付けをした。

 ご大層なコートから革靴まで、きれいさっぱり燃やし尽くす。

 あとはもう、かつてヤンだった肉体の始末のみであったが、


「……おお、ちょうどいいな、うん」


 赤目はニッと笑みを浮かべた。

 この辺りを縄張りとしている、野良犬どもの気配だ。

 まだ腐敗は始まっていないが、奴ら特有の優れた嗅覚で、死肉の臭いを感じ取ったのかもしれない。

 今の赤目にとっては、実に好都合な話だった。


「じゃあ、あとは頼んだぜ。綺麗さっぱり、残さず喰っちまってくれよな」


 立ち上がり、闇の中でうごめく数十匹の気配に声をかける。

 動物は、いかに獰猛で逞しくとも殺しの対象ではない。

 彼らはあくまでも食糧だ。必要な時は殺して肉を頂くし、こちらにその気がなくても襲われればもちろん喜んで戦うのであるが。


 服の汚れをはたき落とし、その場を去りかけたが、


「おっと、せっかくだから形見も頂いておこうか……って、全部燃やしちまったかぁ」


 殺した張本人が形見を受け取る、というのもちょっと妙な話ではあるが、かといってヤンの身内を今からここに呼ぶこともできない。


「ええ、お気の毒ですがお宅のヤンさんはお亡くなりになりまして。ええ、まあ俺が殺っちゃったんですけどね。彼は本当に立派な最期でした……く、くくっ……」


 自分の冗談に忍び笑いを漏らした赤目は、ほのかな月明かりに照らされて青く輝く石に気がついた。


「ああ、こいつは……」


 それは、ヤンの耳のピアスだった。

 形見にするにはそれこそ手頃な品物だったが、


「いやぁ、青はどうもな。青は縁起が悪いんだ。やっぱり色は赤じゃないと……おお、そっか。それならもう、こいつから受け取ってたっけ」


 赤目は愛おしそうに、自分の首輪に着けた赤い宝珠を撫で回した。

 赤はいい。赤は血の色、戦いの色だ。

 自分のような男には、うってつけの色であろう。


 ヤンのピアスは、結局そのままにしておくことにした。


 ぐるるるるる……。


 野良犬どもが低く唸っている。

 早く餌をよこせ、と焦れているようだ。

 赤目は一仕事終えた満足感に浸りつつ、ボロ小屋へと歩いていく。


 そういえばあいつ、最後に何か言いかけてたな。

 えっと……何だっけ?

 ああ、そうだ、『シャドルなんちゃら』とか。最後は聞き取れなかったけど。


 あれ、一体どういう意味なんだろうな?

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