第21話 ずっずだっだっだー

「ずっずだー、ずっずだー、ずっずだっだっだー。あーあい、あーあい、あーあいあー。ずっずだー、ずっずだー、ずっずだっだっだー」


 意味不明の言葉をぶつくさと口ずさみながら、一糸まとわぬ姿の――いや、ヤンが絶対に外すなと命じておいた首輪だけは身に着けていたが――赤目が珍妙な踊りをしていた。

 鋭利な短剣を逆手に持ち、それを頭上で前後に振るいつつ三歩進んで三歩下がり、最後は前のめりに五歩進む。

 その場でグルグルと回ると、両手を高らかに数回挙げ、また三歩進んで……といった具合だ。

 小屋の真ん中には、怪しげな小さな土の像が数体並べられてあった。

 その周囲を、赤目は一人、素っ裸で踊りながら回っている。


(……な、何をやっているんだ、こいつは?)


 恐らくは部族の神聖な儀式か何かなのだろう、とヤンは推測した。

 だとすれば、むやみに邪魔立てするわけにもいかない。

 ヤンには信ずるべき神など存在しないが、この手の連中はとにかく儀式や祭礼を何よりも重んじる。

 決行を明後日に控えた今、奴の逆鱗に触れて全てを台無しにはできなかった。

 だからヤンは、辛抱強く儀式が終わるのを待つことにした。


(……って、おい、一体いつになったら終わるんだ!?)


 ヤンはボロ小屋の戸口に立ったまま、あれからずっと赤目の奇怪な儀式の終焉を待ち続けていた。

 商売柄、夜には強いヤンであったが、単調な踊りを一人でひたすら見続けるというのは想像以上に精神を摩耗させる行為だった。

 もう、軽く二時間は踊り続けていることだろう。

 夜もすっかり更けてしまっていた。

 時折耳に入る野犬の吠え声が、かろうじてヤンの猛烈な睡魔を退ける手助けとなった。


(こんな真冬に素っ裸で……寒くないのか?)


 一応、部屋の隅でほのかに灯りだけはともしているが、寒さを凌ぐにはあまりにも心もとなく、実際ヤンもコートを脱ぐこともできないような状況だった。

 そんな中、何かに憑りつかれたように、赤目は一心不乱に踊っている。


(くそっ、こんなことをしている場合じゃないのに……)


 やるべきことは山ほどあるのだ。

 そもそも、時間は人にとって最も大切な財産の一つと彼は考えていた。

 それをこんな場所で一人、頭のイカレた暗殺者の退屈極まりない踊りを観賞するために費やさねばならないとは。

 だが、どんな苦難もいずれは終わりが来る。

 それを信じて、ヤンは待ち続けた。


 それからさらに一時間ばかりが過ぎ――ヤンの忍耐もすでに限界を通り越し、迂闊にも立ったまま眠りそうになった頃、ようやく赤目が踊りを止めた。


「おおおう、なあんだ、お前かあ~。ふふ、ふふふふふ~ん」


 赤目は上機嫌な顔で、ヤンに邪気の欠片もないような満面の笑みを向けてきた。


(……お前か、って。いやちょっと待て、今まで俺の存在に気づいてなかったのか!?)


 儀式に無我夢中となっていて、あろうことかヤンが小屋に入ってきたことも、その後の数時間ずっと戸口で眠気と戦いながら見守っていたことも分からなかったというのか。

 それは人として、否、暗殺者としてどうなのだ。

 そんな呑気な奴が、生き馬の目を抜くこの裏社会でよくぞ今の今まで生き残ってこられたものだ。

 感心するやら呆れるやら、本当に計画は大丈夫なのかと不安になるやらで、もうヤンはその場にへたり込みたい心境だった。


(いや、駄目だ。ここは踏ん張りどころだぞ。こいつは確かにどうしようもないほどイカレてはいるが、腕の立つ暗殺者なんだ。頑張れ!)


 自らを奮い立たせ、深呼吸で息を整える。

 赤目は相変わらずニヤニヤと笑っていた。


(……どうでもいいが、いいかげん服を着ろ、服を! せめて下だけでも!)


 常日頃からクールで、どんな時にも動揺する姿を余人に見せないヤンであったが、どうもこの赤目の前では調子が狂ってしまう。

 いや、狂っている奴が相手なので、それも致し方ないことなのかもしれないが。


 気を取り直したヤンは懐から、用意しておいた町の地図を取り出した。

 それには、このボロ小屋から屋敷までの道と、そこからの逃走経路および暗殺後に落ち合う場所までが記されている。


「これから説明するから、よく聞いておけよ。絶対に忘れるな。いいな?」


 右耳のピアスを弄りながら、落ち着いた口調で話した。

 まがい物ではない、本物の宝珠だ。

 小さいが売ればそれなりの額になるから、いざとなれば身一つで逃げることもできる。

 いかなる時も用心に用心を重ねるのが、ヤンの流儀だった。


「ああ~、安心しろ。くくく、明日の朝が楽しみだなあああ」


 赤目は嬉しそうに舌なめずりしたが、ヤンはその場で固まってしまった。

 この狂獣、一体何を言っているんだ?

 聞き違いであって欲しいと願い、一言一句噛み締めるように尋ねる。


「……おい、今、何て言った、お前? 明日、だと?」


「んん? あああ、明日、くく、明日になれば、俺は、も、も、猛牛を殺せるんだろお?」


 興奮のためか、呂律が廻らない赤目。

 一方のヤンは、爆発しそうな怒りを抑えるように自身の頭をぐっと掴んでいた。

 この大バカ者め、とんでもない勘違いをしているのだ。


「明日じゃない。お前が仕事をするのは明後日だ」


「……なに?」


 今度は赤目が硬直する番だった。

 お気に入りの玩具をいきなり取り上げられた子供のように、口をポカンと開けている。


「だから、殺すのは明後日だと言っているんだ。ずっと前に説明しただろうが。今日、ここで段取りを全て覚えて、明日の夜に動き出して……仕事をするのは明後日の早朝だ」


 赤目には、ノロたちの寝こみを襲わせる予定だった。

 ノロたちは深夜遅くから明け方まで飲み明かすのを習慣としている。

 その後の、ちょうど寝入りばなの頃を見計らって始末しようというわけだ。

 赤目の腕をもってすれば、わざわざノロたちが油断している時を狙う必要はない が、他の子分たちに目撃されることは避けたい。

 彼らを殺してしまっては、組織にとって不利益になる。

 ヤンにとって目障りなのはあくまでも、ノロ父子だけであった。


 そういった条件を全て整えるために、明日は最後の仕込みをする。

 念入りに準備を済ませた後、明後日奴らの息の根を止めるというわけだ。

 しかし、


「ふ、ふざけるなぁ! せっかくの、殺しの踊りが! ま、また明日の夜にやれっていうのか!? 今日は、いや、今はどうするんだ! 殺させろ! お、俺に誰か殺させろぉ!」


 ヤンの思慮などまるで理解しない赤目が、凄まじい早口でまくし立ててきた。

 今にも掴みかからんばかりの勢いで迫ってくる。

 奴の右手には鋭利な短剣が握られていた。

 ヤンの全身を悪寒が包み込む。

 危険だ。あまりにも危険な状況だ。

 だが、計画は変えられない。


「待て、落ち着け。それに明日の夜は儀式なんてやっている時間はないぞ。もしやるなら、夕方の内にでも済ませておけ」


 赤目の異様な迫力に気圧されつつも、ヤンは動揺を露わにはせず、静かに諭そうとした。

 今こそ己の交渉能力をフルに活用するべき時だ。

 このような場面では、決して感情的に振る舞ってはいけない。

 冷静に、あくまでもクールに収めるのが最良の道だ。


「ダメだ! ゆ、夕方じゃダメなんだ! 陽が完全に落ちてからでないと!」


 あの珍妙な儀式にそんなタブーがあることなど、ヤンは当然知る由もないし、心底どうでもいいことであった。

 あまりにも聞き分けのない赤目に苛立ちを覚えずにはいられないが、


(いや、堪えろ。どうせ仕事が終われば、このイカレ野郎ともオサラバだ……)


 心の中で、『シャドルミレディ』と唱えた。

 そう、この一言でこの戦闘狂の化け物はあわれ木端微塵になるのだ。

 それまでは、何とかしてなだめすかさねばならない。


「ああ! そうだ! なら、あ、あのメス狼を殺させろぉ! そうだ、それでいい!」


 そんなことを許可できるはずがない。

 この比較的静かな町で、殺人など起きれば誰もが警戒する。

 当然、ノロも警備を固めるはずだ。


「ダメだ。一日ぐらい我慢しろ。そうすれば……」


「いやだ、いやだ、嫌だぁ!」


 不満が頂点に達したのか、赤目がボサボサに伸ばした髪を激しく掻き毟り始めた。完全に駄々をこねる子供そのものだ。


「おい……」


 ヤンが弱り切った顔で一歩近づこうとした瞬間、


「ああああああああ!」


 あろうことか、赤目がヤンに向かって襲いかかってきた。

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