第20話 ふざけるな!

 エカトールの町に、夜の帳が降りようとしていた。

 冷たい風が頬に突き刺さる。

 町の遥か北、山脈の端に夕陽が沈みかけ、カラスが森の方角に向けて飛び立っていった。


 ヤンは今日も一人、赤目の潜伏する郊外のボロ小屋に向けて歩を進めていた。

 例によって黒ずくめの装いで、懐には今朝ニーナに突きつけた借用書がある。

 この借金の件については、部下には任せず自分一人で片づける心算だった。


 油断なく辺りの気配を探りつつ、もう一度、自分が立てた計画の段取りを確認する。

 もちろん、立案の際には慎重に慎重を期し、いくつかの不測の事態も想定した。

 だが、何しろ今回は自分一人で考え、実行に移した計画だ。

 だから、どこかに思いもよらぬ『穴』があるかもしれない。

 それを改めて振り返り、見つめ直すことは決して無駄ではない。

 もし仮に綻びがあれば、すぐに修正案を考えて行動しなければならないのだ。


(万が一にも、失敗しくじるわけにはいかないからな、この暗殺計画は――)


 この計画にヤンは文字通り己の全て――地位も財産も命も賭けていた。

 ヤンが暗殺しようとしているのは、主である元締ノロと、その息子だったのだ。


 このエカトールの町に流れ着き、ノロに拾われてからのヤンの人生は順風満帆そのものだった。

 いや、むしろそれまでの人生が悲惨すぎたのかもしれない。


 子供の頃は、ひたすら生き地獄の日々だった。

 貧民窟では、子供は大人の奴隷かそれ以下の存在として扱われ、しかもその子供同士で奪い合い、時には殺し合いもした。

 路地裏で寝ている時に、服に火をつけられたこともある。

 あそこの子供たちは、特に恨みがあるわけでもなく、退屈しのぎでそんな真似をするのだ。


 身体が大人になりかけた頃に、些細な罪で捕えられ、鉱山送りにされた。

 ここもまた貧民窟と大差のない地獄で、思い返すだけで反吐の出るような毎日だった。


 そこで知り合った男に誘われ、刑期を終えてからヤクザの道に入った。

 餓死する心配もなければ、夜中にカマを掘られることを警戒する必要もない。

 それだけで当時のヤンにとっては天国のような環境だったが――すぐにそれが、勘違いだと思い知らされることになった。


(任侠が聞いて呆れる……血と金と裏切りの世界だったな)


 ヤンのいた組織は、敵対勢力との抗争の真只中であった。

 若いヤンたちは、その抗争の捨て石として集められただけだったのだ。

 組織への忠誠を誓う儀式の後、すぐに剣を渡されて敵幹部を殺してこいと命じられた。


 それから先は――ひたすら、殺して、殺して、殺してきた。

 男も女も、ヤクザも堅気も関係なく、ただ組織が命じるままに人を殺してきた。

 罪悪感も何もない。

 命令に背くことは、即ちヤン自身の死を意味していた。

 だからヤンは、何ら疑問を抱くことなく修羅の道を突き進んだ。


 だが、そんなヤンを組織は裏切った。

 後で耳にした話によれば、上層部と敵対組織との間で手打ちが成立し、和解の条件として双方の『殺し屋』を始末することになったそうだ。

 要するに、平和な世に物騒な奴らは不要ということだろう。

 さんざん利用しておいて、いざとなったら切り捨てる。

 相手の機嫌を取るための『やむを得ぬ犠牲』というわけだ。

 そんなわけでヤンは、信頼してきた兄貴分に宴席で毒を盛られ、血を吐きながらのたうち回ることになった。


 だが、ヤンは奇跡的に一命をとりとめた。

 町に潜伏し、数週間後にその兄貴分を待ち伏せし、切り刻んでやった。

 その時の気分は実に爽快だったが、もはや町にはいられない。

 流浪の旅に出たヤンは、苦難の末にこのエカトールに安住の地を得た。

 旅の途上で知り合った、引退した高利貸しの老人から学んだノウハウが、ヤンに成功をもたらした。

 ノロの組織は、ルイスを筆頭とした武闘派の幹部がほとんどで、金銭の扱いに長けた者がいなかったのだ。

 すぐにヤンは頭角を現し、組織の幹部の一人となった。


 だが――。


 ヤンが元締・ノロから直々に呼び出されたのは、ちょうど一か月前のことだった。

 例によって悪趣味な自室でくつろぐノロと息子。

 揃いも揃ってだらしないブヨブヨの肉体の二人であったが、その眼はいつになく鋭く光っていた。


「なあ、ヤン。お前、俺に言うべきことがあるんじゃねえか?」


 たるんだ顎の肉を震わせながら、ノロが尋ねてきた。

 隣の息子が、ぶひゅぶひゅと不快な笑いを漏らす。


「……一体何のことでしょうか、元締?」


「とぼけるなよ。親父はなあ、お前が帳簿を改ざんしてんじゃねえかって疑ってんのさ。ふひゅ、ふひゅひゅ……」


 息子のねっとりとした口ぶりに、ヤンは腹の底から嫌悪の情を覚えた。

 だが同時に、彼の背筋を冷たい汗が伝い落ちてもいた。

 元締父子の疑念は、まぎれもない事実であったからだ。


 とはいえ、改ざんしたといっても組織全体から見れば、いや、ヤン個人の資産から考えても些細な額に過ぎなかった。

 毎月本当に少しずつ、少しずつ、抜き取って貯めてきたのだ。

 それは、ヤンが『万が一のために』備えての隠し財産だった。

 またいつか、あの時のように組織が自分を裏切らないとは限らない。

 この世界の人間はただの一人も、そう、例えばルイスのような単純な男であっても一切信用していなかった。

 もう、あの頃の自分とは違う。

 暗殺されるのはもちろん、また一人、荒野に文無しで旅立つような事態だけは御免だ。

 そのための貯蓄だった。

 子分たちには各自の働きに応じて適当な報奨を与えているし、組織への上納金も誰よりたくさん納めている。

 その上での、些少な額の抜き取りだ。

 貯めた金は、自宅の地下に隠してある。そこからは町の下水道に繋がる抜け道も用意していた。いざとなれば、ここから金を持って逃走するというわけだ。


 だが、この父子はヤンのわずかな不正も許さないという構えだった。

 いや、そんなご立派なものじゃない。

 ただ単に、こいつらはヤンの尻の毛まで毟り取ろうとしているに過ぎない。

 その金は組織のためなどではなく、この醜悪な肥満体の胃袋に収められるだけなのだ。


(ふざけるな!)


 ヤンの心中を渦巻いたのは、灼けつくような憤怒であった。

 この俺が、自分の尻も自分で拭けないような、こんな脂肪の塊どもの言いなりになどなってたまるものか――。

 その場をどうにか言い繕い、金を来月までに用意する旨を誓ったヤンは、自宅に戻るとすぐにノロ父子暗殺の計画を練り始めた。


 ヤンはまず、他の幹部たちにそれとなく、今回の一件に関する探りを入れた。

 そこで判明したのは、あの二人以外誰一人ヤンの帳簿改ざんに気づいていないということだった。

 奴らはどうやら、この件は極秘のうちに片付けようという腹づもりらしい。

 ヤンの弱みを握り、金をせしめた上で死ぬまでこき使おうということだろう。

 だがそれは、ヤンにとって非常に好都合な話だった。


 ヤンはまず、子分たちには内密に、町の情報屋の一人と接触した。

 そこからツテを辿り、この計画の実行に最適なフリーランスの殺し屋を探した。

 幸か不幸か、そこで名が挙がったのが、たまたまサバトールの町に潜伏していた狂獣・赤目だった。

 裏社会では厄種として疎まれる赤目を、ヤンは迷うことなく呼び寄せることにした。

 同時に、ヤンは別のルートから、ある『品物』を手配した。

 その品物とは、帝国法で禁じられた危険な魔道具の一つ、『服従の宝珠』であった。


(それにしても金がかかったな、赤目にも、あの宝珠にも……)


 ヤンは暗闇の中で、うっすらと冷たい笑みを浮かべた。

 赤目の待つボロ小屋まで、あとわずかな距離だ。

 やはり今日も、辺りに人影はない。

 昨日のように、焚火をしているような気配も感じられなかった。


 かかったのは金だけではなかった。

 ヤンは久し振りに、自らの手を汚した。

 それは、ヤンが直接関わった情報屋の始末だった。

 宝珠を手に入れ、赤目との交渉に成功した直後、速やかに彼を殺し、亡骸を森の中に埋めた。

 これにより、計画を知る者はヤンと赤目の二人きりになったのだ。

 後は暗殺を決行し、赤目さえ消してしまえば――全てが綺麗に収まることになる。


 当然、赤目は尋常な相手ではない。

 修羅場慣れしたヤンではあるが、この戦闘狂とまともに戦うつもりなど微塵もなかった。

 だからといって、仕事が終われば後金を渡してオサラバというわけにもいかない。

 そこは何しろ、厄種だ。

 奴の狂気じみた顔を見れば分かるが、とても信用はできない。

 もっと筋の通った暗殺組織――例えば悪名高い『黒死會』のような組織に依頼すれば良かったかもしれない。

 だが、今回のように完全に足を消して彼らと接触するのは、非常に困難だった。

 ヤンは熟慮の末、あえて赤目に賭けたのだった。


(それに俺には、あの宝珠があるしな)


 服従の宝珠。

 それは遥か昔、魔導士や魔女が大陸の支配階級だった頃に使われた品物だと聞いている。

 彼らは奴隷の首にこの宝珠を埋め込み、奉仕させたそうだ。

 この宝珠は、決められた『言葉』を唱えることによって、瞬時に砕け散る。

 その威力は凄まじく、奴隷は抗う間もなく共に吹き飛んでしまうのだという。

 現行の帝国法では禁制であったが、その製法は魔女たちの間で密かに受け継がれ、闇のルートで売買されていた。

 ヤンが入手し、赤目に前金代わりに贈り、身に着けさせたのは、その宝珠だった。

 赤目がこの品について知っている可能性だけが心配だったが、何しろ知る人ぞ知るという物品であるし、万が一言及された場合には「そんな品だとは知らなかった」とシラを切るつもりだった。

 案の定、赤目はそんな品とはつゆ知らず、すっかりお気に入りの様子だったが。


(シャドルミレディ、か。ふふ、うっかり忘れないようにしないとな)


 宝珠を発動させる言葉を、改めて確認した。

 発動のために特別な力などは必要ない。

 ただし、ある程度の大きさの声でなければならない、ということであった。

 それもそうだろう、ちょっと囁いた程度で吹き飛んでしまっては、思わぬ事故が起きかねない。

 ヤンは苦笑を漏らしつつ、ボロ小屋の前で例によって合図の口笛を吹いた。


(……おい、一体どうしたんだ!)


 ボロ小屋の中からは、何も反応がなかった。

 まさか――ヤンの背筋を寒気が走った。

 だが、確かに誰かがいるような気配はある。

 しかも、只ならぬ様子だ。

 修羅場を幾度も経験してきたヤンには分かる。

 嫌な予感がした。

 しかし、今さら引き返すわけにもいかない。

 意を決し、ヤンはボロ小屋の戸を開けた。

 そこでヤンが目にしたのは、想像を遥かに超えた奇妙極まりない光景だった。

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