第18話 すーっ

「……えーっと、おねーちゃんたちは……すまねえ、名前が思い出せねえや。何せエカトールに戻るのは、ホントに久し振りでさあ!」


 開口一番、バカ全開といった表情で首を傾げるギル。

 いやまぁ、この男の場合、むしろ顔と名前をしっかり憶えていたら驚きだけど。


「私、鍛冶屋通りの端に住んでるサンディ。で、こっちがリサさんとニーナ。三人でアクセサリーのお店やってるの。ギル兄ちゃんのことは、有名人だったからよーく覚えてるよ」


 うん、さすがね。やっぱり賢いわ。

 あたしの紹介をさらっと済ませ、しかも相手をさりげなくおだてて上機嫌にさせてしまった。

 ここはもう、サンディにお任せしてしまう方がよさそうね。

 あたしとニーナは、ちょこんと頭を下げた。


「おー、そうかー。悪い、やっぱり全然覚えてねえや~。ま、ちょうど良かったぜ。おねーちゃんたちにちょいと聞きたいことがあってね」


「ギル兄ちゃん、今何してるの? そちらの人は?」


 自然な会話の流れで、気になることをちゃんと尋ねてくれる。

 申し分のないパートナーだ。

 もっとも、ギルの返答を待つまでもなく、だいたいのところは察しがつくけど。


「ああ、俺たちは……何ていうのかな、傭兵みたいなもんだよ。色んな所に行って仕事して……そう、帝都にも行ったぜ。これがまあ凄えんだ、城も街もでかくて、人もわんさかいてさあ、でもって……ああ、そうそう、こいつは相棒のラリーってんだ、よろしくな」


 案の定、ってところね。

 それにしても本当に素直な奴だ。

 サンディの言うように『根はいい人』なのだろう。

 まぎれもなくバカだけど。


 だが、戦士としてはかなり手強そうだ。

 遠目にもごつい身体つきだったが、間近で見ると腕の太さが尋常ではない。

 首も腰回りも太く、肩幅も広かった。

 それでいて、昨日のルイスよりもずっと『動ける』肉体だ。

 ただの力自慢程度じゃなさそうね。

 正直、まともに戦いたくはない相手だ。

 オツムは確実に弱い部類だが、そこのところを補うのが南方人の相棒ということだろう。


 その南方人のチビ――ラリーは、ギルの紹介に軽く手を挙げるだけで応えた。

 それほど関心がないという風を装っているけれど、視線は油断なくあたし一人に据えられている。

 こいつらが例の追手だとすれば、あたしの身体的な特徴は当然知っているはずだよね。それなら、ギルはともかくラリーは気づいていそうなものだけど。

 さて、どうしたものかな。ここは一つ、カマでもかけてみようかな?


「おっと、肝心なことを忘れるところだったぜ。で、俺たちはさ、今、ええーっと、マ、マ……ナマ? 違うか。あ、そうそう、マナって名前の女を探してるんだけどさ。知らねえかな?」


 カマをかける必要は全くなかった。

 考えていることは何でもかんでも教えてくれる、実に素直というかバカ正直な男だねぇ。

 どう考えても、裏社会で長生きできるタイプではない。

 このラリーという男も、よくこんな奴とコンビを組めるものだ。

 あたしだったら、きっと一時間ももたずに喧嘩別れしていることだろう。

 もっとも腕は立ちそうだし、絶対に人を裏切ったり仲間を見捨てるようなタイプではないだろうから、上手くフォローすれば頼りになるのかもしれないけど。


「……マナ? うーん、ごめんなさい、私は聞いたことないなあ」


 眉根を寄せてシラをきるサンディ。

 無言で首を振るニーナ。

 あたしも軽く肩をすくめて意思表示した。

 三人とも完璧な演技だ――たぶん。

 少なくとも、


「ああ、そっか。まあ知らないんじゃしょうがないな、うん」


 ギルを騙すことには成功したようだ。

 ここまでおバカさんだと、敵ながら何だか好感すら抱いてしまう。

 あまり仲良くしすぎると、いつかそのバカに巻き込まれてひどい目に遭いそうだけどね。

 だけど、隣の男はそんなに甘い相手ではなかった。


「どうもそのマナって女、つい最近この町に来たみたいでね」


 それまで無口だったラリーが、意味深な微笑をたたえて口を開いた。

 いかにも何か企んでいる顔だ。

 嫌な予感がする。


「見た目は綺麗な姐さんらしいんだが、これが悪い奴でね。ポザムっていう村の長老が大事にしてた宝珠を奪い取っていったのさ。で、俺たちが雇われたってところでね」


 一瞬、場の空気が凍った。

 くそ、やってくれるじゃないの。

 もちろん、ラリーの言っていることは嘘っぱちだ。

 あたしは盗賊なんかじゃないし、その宝珠の件だって――。


「しかもね、その女、追手を何人も斬り殺してるのさ。戴天踏地流の使い手なんだが、本当に情け容赦のない悪党なんだ。お嬢さん方も気を付けなよ。そいつに店のアクセサリーを狙われるかもしれないからな」


 このハゲ野郎、言うに事欠いて嘘に嘘を重ねてきやがった。


 すーっ。


 あたしは息を深く細く吸い、昂る感情をじっと抑え込んだ。

 これは罠だ。

 ラリーの眼は、あたし一点に注がれている。

 間違いなく、あたしを『マナ』だと確信しているのだ。

 その上で、あたしを挑発している。

 あんたの尻尾は掴んだぜ、さあどうする、と尋ねているのだろう。

 逃げるか、戦うか、とりあえず踏み止まるか。


「あっれー? そんな奴だったっけ?」


「そうだよ。お前さん、例によって忘れちまってんだろ? しっかりしてくれよ、相棒」


 首を傾げるギルに、にんまりと笑って返すラリー。

 あたしの隣の二人は、明らかに作り笑いを浮かべて困ったようにこちらにチラチラと目を向けてくる。

 お願い、あたしを信じて。

 あとで全部事情を話すから、とにかく今は信じて――そう心の中で念じるしかなかった。

 あたしは感情を押し殺し、追手の二人を観察した。

 今あたしにその気はないが、いざとなればいつでも戦えるように呼吸を整える。

 ラリーは相変わらず、あたしの様子をじっくりと窺っていた。

 一方のギルの眼は、あたしではなく隣に座るニーナの……。


 え? こいつ、どこ見てるの?


「……いやぁ、それにしてもニーナちゃん、あんた、おっぱい大きいなあ!」


 目と口をいっぱいに開いて、たまげたように声をあげた。

 って、いやいや、ビックリしたのはこっちだよ。

 こいつは凄い、正真正銘、まぎれもなく大物の天然バカだ。

 帝国全土のバカをかき集めて審査しても、かなり上位にまで喰いこむはずだ。少なくともあたしは推薦するね。

 もう慣れっこなのだろう、ラリーが苦笑して肘で相棒をつつく。

 当のニーナは真っ赤になった顔を伏せてしまった。

 まあ、確かにギルの言う通り、彼女の胸は立派なのだけれど、公衆の面前であんな言われ方をされたら恥ずかしいよね。


「……で、リサちゃんは……うん、まあ何というか……普通だな~」


 大きなお世話だ、バカ野郎。


「でもってサンディちゃんは……う、うん、そうだな、ご飯いっぱい食べろよ!」


 殺すぞ、このボケナスが!

 耳の穴からレイピア突っ込んで、脳みそ掻き回してやろうか!?


 あたしはサンディに目を移した。

 困ったような顔の彼女の耳に、そっと囁く。


「安心して。あたしは好きだからね、あなたの胸。形が良くて可愛らしくて」


「な……」


 あたしのフォローに、彼女が息を呑んでそのまま肩をすぼませた。

 うん、可愛い、可愛い。

 追手二人を前にのろけている場合ではないのだろうが、あたしにとって何より優先すべきは、このデリカシーの欠片もないトンマどもじゃない、サンディだ。


「……すまねえな、お嬢さんたち。俺の相棒は見ての通り、どうしようもないアホたれでね。これでも悪気はないんだよ。バカの戯言だと思って、聞き流してくれ」


 ラリーが心底申し訳なさそうな顔で、怪訝そうな相棒の腕を引いて去っていく。

 そうね、さっさと消えて欲しいわ、でもって二度と顔を見せないでちょうだい。

 ま、どうせこの後はあたしを監視するつもりなんでしょうけれど。

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