第17話 ごくっ。
腹が減っては戦ができぬ、なんて言葉があるけれど――まあ、戦はともかくとして、どんなに困った時でも、空腹だとろくな考えが浮かんでこないものよね。
あたしたち三人は、店の扉に『本日臨時休業』の札を掛け、町の中央広場で昼食をとることにした。
生真面目なニーナは、店を休みにすることに抵抗があったみたい。
だけど、このまま解決策も見つけられずに明日になったら、どっちみち店を畳まなくちゃならないわけだから、というあたしの身も蓋もない説得に応じて一緒についてきている。
屋台でそれぞれ食べるものを買い、ベンチに座って食べながら、今後の身の振り方を相談することになった。
例によって文無しのあたしは、サンディの奢りだ。
うーん、これってさ、傍から見たら彼女のヒモみたいよね、あたし。
ま、見栄を張って何も食べないなんてわけにはいかないしね。
うむ、御礼に今夜は大サービスしてあげることにしよう。
一宿一飯の恩は忘れるなって、師母様にもよく言われてたしね。
北方料理といえば、やっぱり牛肉だ。
雄大な大地で育った牛の引き締まった肉を、シンプルな味付けで食べるのが定番って聞いたことがある。
あたしは塩味の効いた串刺し肉をバクバクと頬張った。
噛むごとに熱い肉汁が、内側からじわっと溢れ出てくる。
まぶしてある岩塩と混ざり合って、絶妙な味わいだ。
ああ、これは止まらなくなるね。
肉をおかずにして揚げパンをガツガツと頂き、温かい茶で流し込む。
ごくっ。
悩みの種は尽きないが、美味しい食事の間にそんなことを考えるのは野暮というものよね。
さて、と――。
一息ついたところで、あたしは先程からの難題について思案した。
銀貨五百枚、作れるかもしれない。
あたしにはとっておきの『切り札』があった。
だが、これがまた厄介で、本当に役立ってくれるかどうか、今のところ分からない。
あたし一人の意志では、どうにもならない話なのだ。
この一週間ほどの、あたしのろくでもないトラブルの源――それが、今ここにきて一発大逆転の切り札に変わるかもしれない。
あたしは、改めて自分のお腹をしげしげと眺めていた。
「お姉さま……まだ食べ足りないんですか?」
あたしが真剣に考えている横から、サンディが口を尖らせて横槍を入れてきた。
「違うわよ。真面目に考えてるの、これからのことを」
「ホントですかぁ?」
「何よ、その疑いの目は。あたしのこと、ただの食いしん坊だと思ってるの?」
「そんなこと思ってないですよ!」
「いーや、絶対疑ってるね。ったく、人が真剣に考えてるってのに、失礼な子ね」
「な、何ですかその言い方は!」
「そんなに怒らないでよ。あと、大きな声出すのはベッドの中だけにしてね」
サンディが耳まで真っ赤になって、絶句した。
目の縁に涙を浮かべ、下を向いてしまう。
さすがにちょっと、冗談がきつすぎたようだ。
売り言葉に買い言葉というか、ついムキになってしまったが、彼女は真剣に友達のことを想っているのだ。
「ゴメン」と声をかけ、とりなすように肩に腕を回すと、素直に身体を預けてきた。
うんうん、やっぱり可愛いなあ。
このまま勢いで色々してしまいそうだが、人目も多い場所なので自重する。
感情的に行動しがちなあたしにだって、羞恥心や自制心はあるのだ。
「……あれ、もしかしてあの人……」
しばらくあたしたち無言のままベンチで考え込んでいたが、唐突にニーナが呟いた。
その目線は、前の屋台でバカ笑いしている金髪の大男に注がれている。
「あれ? もしかしてギル兄ちゃん?」
サンディが小首を傾げる。
ギル兄ちゃんと呼ばれたその大男は、いくら何でもデカすぎだろうという大剣を背負い、無造作に伸ばした金髪を冬の風に靡かせていた。
顔立ちは整っているが、一目でバカだと解った。
歳は二十代半ばくらいだろうか。
そのバカの隣には、ツルッパゲの南方人がいた。
こちらは三十代に差し掛かったぐらいに見えるが、ギルに比べれば遥かに頭はキレそうだ――基準に若干の問題があるかもしれないけれど。
ただし背は、ギルよりもずっと低い。
サンディと比べてもちょっと低く、ニーナと大して変わらない程度だろうか。
背中にはクロスボウ、腰には小剣を装備している。
二人ともどう見ても堅気ではないし、ましてや保安隊や帝国軍の所属でもあるまい。
といって、いわゆる地廻りのヤクザといった風情でもなかった。
どちらかといえば、流れで荒事を請け負う傭兵、あるいは賞金稼ぎといった雰囲気ね。
そう、今のあたしにとって一番厄介で、絶対に出くわしたくないタイプの連中だった。
「ん? 今、俺の名前呼んだかい、おねーちゃんたち?」
ギルがこちらに目を向けてきた。
いかにもバカっぽい口調だ。
横の南方人も呆れ顔で振り返り――あたしを見た瞬間、目の色が変わった。
やばい。
あたしはすぐに、両隣に座る二人に囁いた。
もう手遅れかもしれないが、やっておくべきことは一応やっておく。
「あたしのこと、しばらくは『リサ』ってことで、よろしくね」
「え?」
とりあえず、真っ先に思いついた東方系の名前だった。
二人はキョトンとした顔であたしを見たが、もうそれ以上は何も言わなかった。
大丈夫、この娘たちは賢い。
おバカな虎一匹相手なら、何とかなるだろう。
問題は、その傍らに控える男だ。
獲物を追う鷹の目つき――こいつは油断がならない。
「で、あのギルってのは、何者なの?」
連中がこちらに向かってくるが、まだ少し余裕があったのでサンディに小声で訊ねた。
何となくどんな奴かは想像できるが、できるだけ情報は集めておいた方がいい。
「ずっと前、この町にいたんですよ、お姉さま。根はいい人なんですけれど、暴れ者で、ちょっとおバカさんで有名でした」
なるほど、あたしの見立て通りというわけだ。
「ふうん。でも、失礼ながら『ちょっとおバカさん』程度には思えないんだけどね?」
「あー、それは確かにもそうかも。けど、もっとおバカさんのお友達がいましたから。まあ、そういう人たちは、あらかた死んじゃいましたけど。例えば、真冬に酔っ払って裸になって、そのまま外で寝ちゃったりして」
――なるほどね、納得したわ。
つまり、あれ以上バカだと死ぬのだ。
つつがなく天寿を全うすることすら困難なレベルのバカ、その一歩手前があのギルということだろう。
あたしはできる限りの笑顔を作って、バカとハゲの凸凹コンビを出迎えた。
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