第16話 ばきっ、ぽきっ

「なぁんだ、ありゃあ、ルイスのおっさんじゃねえの。安心しろよ、ラリー」


 拍子抜けしたようなギルの言葉にも、ラリーは全くもって安堵することはできなかった。

 そりゃそうだろう、何しろこの相棒のことだ。

 ただの人違い程度ならまだマシで、当人は友達のつもりでも、あっちは親の仇のように憎んでいる可能性もある。


 それに、あの男――いかにも気の短い暴れ者といった風貌で、こちらに鋭くガンを飛ばしてきている。

 獲物を見つけた、凶暴な野良犬の目つきだ。

 軽い挨拶で済んだり、ましてや必要な情報を収集できるような雰囲気ではない。


 あちらさんの態度を見る限り、ただでは済まないだろう。

 だが、修羅場には慣れきっている。

 子分らしき連中を三人ほど引き連れてはいるが、ラリーとギルが本気を出せば後れをとるような相手ではなさそうだ。


 それにしても驚きだね、相棒がちゃんと――かどうかはまだ答え合わせが終わっていないが――人の顔と名前を憶えていやがるとは。

 それならいい加減、今回の標的の名前ぐらい覚えてほしいものだが。


「ようよう、久し振りだねえ、ルイスのおっさん。ん? 俺だよ、俺。ほら、市場通りに住んでたギルだよ~! 覚えてんだろぉ? そうそう、昔、あんた飯を奢ってくれたじゃねえか。懐かしいねえ、元気にしてたかい?」


「……ああ、お前か。長いことツラを見ていなかったが……今まで何をしてやがったんだ?」


 巨漢は最初、馴れ馴れしげな態度のギルを胡散臭そうに眺めていたが、すぐに目の前の男の氏素性を思い出したようだった。

 とりあえず、人違いというわけではなかったらしい。

 友好的な姿勢とは程遠いが、それはラリーの想定していた通りだ。


「へへっ、俺の方はね、大剣担いで西東、明日をも知れぬ渡り鳥ってね。この相棒……ラリーとつるんでさ、まあ色々とやってきたってわけよ」


 その巨漢・ルイスは、相棒の話などまるで耳に入れないといった風で、無遠慮な視線をラリーに浴びせてきた。


 ――ああ、こいつのこの目つき、覚えがあるぜ。


 昔、金髪碧眼の中央人の木端役人が、同じ目で俺を見てやがったっけな。

 そう、クソ同然の異民族、薄汚い南方の黒人が――という、見下した目つきだ。

 なるほどね、この髭もじゃデブはそういう奴か。

 よそ者はさっさと俺の縄張りから出て行けってか?

 ふん、調子に乗るんじゃねえよ、井の中の蛙野郎が。

 てめえのお庭でマスでもかいてやがれ。

 

 ばきっ、ぽきっ。

 

 ラリーは指の関節を鳴らし、不敵な笑みを浮かべた。

 腹の奥に熱がこもっていた。

 このデブを今すぐにでも叩きのめしたい気分だ。


 だが、ラリーはあくまでも自制心を失ってはいなかった。

 ここで一戦交えても、何の得にもならないのは分かっている。

 だからといって、このデブに頭を下げる気は微塵もないが。


「やれやれ、ギル。お前の故郷は怖い所だなぁ、おい。何にもしちゃいねえってのに、こんなおっかねえご面相の兄さんに睨まれるなんてな。おちおち道も歩けねえぜ」


 口元を歪めて余裕たっぷりの口ぶりをすると、


「黙れ。さっさと失せろ、よそ者が」


 ルイスが、ドスの効いた声で返してきた。

 単刀直入、分かりやすい脅迫だ。

 無駄なことは一切口にしないタイプということか。

 もしくは、絶望的なほど語彙が乏しいのだろう。


「へっ、悪いがね、俺はいつでも俺の好きなようにするさ。だから黙れと命令されても黙らねえし、用が済むまでこの町にいる。いちいち、あんたに許可を求める気はないね」


「……何だと?」


「ん? 何だい、寒くて頭の血の巡りが悪いのかい? それとも、元から頭が悪いのか? 要するに、俺たちのことは放っておけって言ってんのさ。せいぜい、この町の顔見知りの連中にだけ、兄貴風吹かせてなって。それに俺がイチャモンをつけたりはしないさ。それこそ『勝手にしやがれ』って話でね」


 後ろに控えている連中は、今にも腰の剣を抜こうという構えだった。

 当のルイスも、よほど癇に障ったのだろう、頬をひくひくと引きつらせている。

 周囲の者たちも、対峙する二組の異様な空気を察した様子だ。


 おう上等だ、来るなら来いよ?

 やってやるぜ。てめえの縄張りで赤っ恥かきやがれ。


 ところが、


「おいおいおい、落ち着きなって。こんな所でやりあったら、すぐに保安隊が飛んでくるぜ? 故郷に帰っていきなり留置場にブチ込まれるとか、勘弁してくれよ」


 意外な奴が口を挟んできた。

 え、どうしたんだギル、何まともなこと言ってやがるんだ?


「なぁルイスさんよお、あんただってそいつは願い下げだろ? そんなに怖い顔すんなって。俺はさあ、飯を奢ってもらった恩があるから、あんたと事を構えたかねえんだよ」


 確かに相棒は、義理や恩を大事にする傾向があるが――。

 普段は煙の無いところに火をつけるような奴が、進んで消火に回っている姿には違和感しか覚えない。

 そんなラリーの戸惑いをよそに――いや、ルイスたちも呆気にとられた顔をしているが――相棒は立て板に水といった調子で続けた。


「だけど相棒がやるってんなら、やらなきゃならねえ。そういうもんだろ? なあラリー、お前もそんなに突っ張るなって。まあ、今日の所は俺の顔を立ててくれよ。な?」


 ――いやはや、まさか、あのギルに諭される日が来ようとはね。


 トンパチを絵に描いたようなイカレた相棒が、一触即発のこの状況で仲裁に入ろうとしている。信じがたい光景だ。

 ラリーは急速に、自分の熱が冷めていくのを感じた。

 ルイスも同様なのだろう。

 膨らんでいた殺気が消え、どうにもバツが悪そうな顔になっている。


 ――そりゃそうだ、恐らくはここにいるメンツで一番短気な奴に、「喧嘩は止めなよ」なんて説かれているのだから。

 居合わせた一同、


「いや、お前にだけは言われたくねえよっ!」


 と、ツッコミを入れたくなったに違いない。


 しかし、ギルの奴の言うことは確かに正論だった。

 大した利益も見込めないのにいたずらに敵を増やすなんて、本物のド阿呆のやることだ。

 もしかしたら、こいつは俺が思っている以上に賢い奴なのかもしれない。

 ルイスがつまらなそうに鼻を鳴らし、ラリーは小さく溜め息をついた。

 後ろの子分衆も、険しい顔のままだが剣から手を離す。


「行こうか、ギル」


 微妙な空気が漂い出したところで、ラリーは相棒の背中をポンと叩いて促した。

 こういう時は、余計なことは一切口にせずにとっとと去るのが上策だ。

 捨て台詞なんぞ吐こうものなら、消えかけた火がまた燃え上がりかねない。

 また、本気で戦う気もないのに睨み合っても茶番にしかならないし、無駄話をしている内にルイスと意気投合するなんてこともないだろう。


 背中にルイスたちの視線を感じながら、ラリーとギルは悠々とその場を去った。


「それにしてもよ、ちょっと感心したぜ」


「え? 何がだよ、ラリー」


「お前さんが、何年も会ってない奴の顔と名前を、ちゃんと憶えているとはね」


「おいおい、いくら何でもさ、俺のことバカにしすぎだろ? 俺はねえ、飯を奢ってもらった相手と、揉んだおっぱいのことは絶対に忘れないんだよ!」


 前言撤回。やっぱりバカだった。

 そういえば最初にコンビを組もうと誘った時も、ラリーが飯を奢ったのだが――こいつは、ひょっとして――そこまで考えたところで、ラリーは左右に首を振って思考を止めた。

 まあ、気にしないことにしよう。相棒とは、何だかんだで上手くやっているのだから。

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