第11話 ぞくりっ

 空を覆う雲の切れ間から除く太陽が、目に眩しい。

 ちょうど、朝市が終わるぐらいの時間帯だろう。

 そんな中、あたしはサンディと共に白い息を弾ませ、彼女の店まで走っていた。

 あれから、あたしたちはお互いの気持ちと体を心ゆくまで確かめ合った。

 それはもう、夢のように楽しい時間だったよ、うん。

 で、疲れ果てて気持ち良くもうひと眠りしてしまったわけよ。

 目が覚めた時にはひどく空腹で、とりあえず朝食を――と提案したが、


「大変! 早くお店に行かないと!」


 というサンディに引っ張られる格好で、こうして穏やかな冬の町を駆けることになってしまった。

 もう今日はいいじゃない、休みなさいよ、と言ったのだが、


「ニーナに迷惑はかけられません。それに……その、休むっていっても、どうせお姉さまが休ませてくれないでしょ?」


 などと、頬を赤らめて反論されてしまった。

 うん、確かに今から朝御飯を食べたら、結局そのまま部屋に戻ってもう一戦、寝て起きて夕飯食べてもう一戦、なんてことになりかねない。

 いやあ、いけませんなあ、はっはっは。

 もちろん、彼女とそんな爛れた生活を送るのも魅力的ではあるが――あ、すいません師母様、ちゃんと修業に励みます、本当です!


 ということで、甘い果実を美味しく頂くのは今晩のお楽しみにとっておくことにして、あたしはエカトールの大通りをひた走っていた。


「あそこが私たちのお店です!」


 サンディがそう言って、前方の看板を指差した。

『月光』と、洒落た字体で書かれた木製の看板が目に入る。

 速度を緩めたサンディに合わせ、あたしも足を止め――すぐに、通りの反対側に目を向けた。

 振り返ったサンディが訝しげに「お姉さま?」と問いかけてくる。

 

 ぞくりっ――。

 

 寒気が背筋をピンと貫いた。

 ヤバい気配だ。

 あたしは彼女の顔も見ずに「先に入っていて。すぐに行くから」と答えた。


 あたしの視線の先に、一人の男がいた。

 上下黒ずくめの、コート姿の男。

 向かいの茶屋の軒先で、壁にもたれかかってこちらに視線を向けている。

 店から若い男が出てきて、彼に耳打ちすると、そのまま足早に去っていった。

 黒服の男は、口元に微笑を浮かべてずっとあたしを見つめていた。

 あたしが美人だから、という理由ではなさそうだ。

 チンピラがガンを飛ばしてる、って次元の話でもない。

 しいて言えば、肉食の獣が獲物の値踏みをしてるってところかね。


 この黒ずくめ、只者じゃない。

 あたしの勘が、そう告げていた。

 男はあたしと同じ、東方系の血が流れているのだろう。

 髪油をつけた黒髪を、綺麗に後ろに撫でつけていた。

 切れ長の涼やかな目だが、冷たい視線だ。

 引き締まった、中肉中背の身体つきをしている。

 一見すると、風体だけなら頭の切れる商売人のようだったが、ただそれだけの男とは到底思えなかった。

 目つきと、気配で分かる。

 間違いなく、切った張ったの修羅場を幾度も潜り抜けてきた手練れだ。

 昨日のルイスのようなタイプとは正反対で、金と知略を駆使するようなタイプだろう。

 だが、いざ戦うとなったら、ルイスよりも遥かに危険なはずだ。

 こちらが気付かぬ内に後ろに回り込んで背中を刺すか、笑顔で毒を盛るような手合いね。


「お姉さま、一体どうしちゃったんですか?」


 一度はあたしの言った通りに店に入ったサンディが、戻ってきて焦れたような様子で問いかけてきた。

 すぐにあたしの視線に気づき、


「……ヤン? ヤンがどうかしましたか、お姉さま?」


「ヤンっていうんだ、あの男。何者なの?」


「ルイスと同じ、組織の幹部ですよ。エカトールの出身じゃありませんが、元締には一番可愛がられているというか……重宝されてる、なんて聞いたことがありますけど」


 なるほど、町でそういう噂をされるほどの重要人物ということか。

 少なくとも、あの村の長が放った追手ということではないようだ。

 ルイスの昨日の件との関係はあるのだろうか。

 いや、仕返しに送り込んだ刺客ということはないだろう。

 あのルイスという男は、自分の手でカタをつけたがるはずだ。

 それに、このヤンがルイスの使い走りや見張り程度の扱いを受けているとは思えないしね。

 ま、いずれにせよヤンが油断のならない相手、ということは変わらない。


 あたしは大きく息をつき、肩の力を抜いた。

 ここでこうして睨み合っていても、状況が変わるわけではない。

 それに、こちらからヤンにノコノコ近づいていくのも避けたいところだ。

 さすがにいきなり戦いになることはないだろうけれど、いずれ事を構える可能性を考えるのであれば、できるだけあたしの手の内は晒したくない。


 やれやれまったく、今日も随分と刺激的な一日になりそうね。

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