第8話 ぐぎぎぎぎっ
同じ頃、ルイスは不機嫌極まりない夜を迎えていた。
マナから逃げた直後、彼は元締の館へと戻った。
本当は、すぐにでも取って返してあの女に決闘を申し込みたいところだったが、彼には仕事があったからだ。
昔ならともかく、今は組織内の幹部筆頭、責任のある立場だ。
私事を優先するためにはいかない。
そう考えて仕事のために戻ったのだが、その頃はすでに彼の不名誉な事件の一部始終が館の方にも伝わってしまっていた。
館には組織の若い衆が詰めていて、ルイスと顔を合わせるといつものように礼儀正しく挨拶を返してきたのだが――。
ルイスの一の子分の話によれば、この連中も、
「いやぁ、まさかあのルイスさんがなあ……」
といった具合に、噂話をして笑っていたらしい。
腸が煮えくり返る思いだが、ここで連中相手にブチ切れるのも大人げないし、それよりもあの女をどうにかするのが先決だ。
と、いうわけで自重してきたのだが、
「ルイス。おめえ、よそ者の女にやられたらしいじゃねえか」
まさか元締から直々に部屋に呼び出され、詰問されるとは思っていなかった。
くそ、どいつもこいつも余計なことばかり報告しやがって!
「申し訳ありません。必ず、落とし前はつけますので」
ルイスは頭を下げ、極力感情を押し殺した声で決意を表明した。
「そんなの当たり前だろ? へっ、だらしねえ奴だなぁ」
元締の一人息子の嘲笑交じりの言葉に、ルイスは静かに頭を上げた。
この町を束ねるノロの私室。
壁に飾られた絵画と、部屋の隅に置かれた女神の彫像。南方趣味の派手な絨毯に、贅を尽くしたソファ。
香料の薫りが漂う、いかにも豪勢な、成金趣味で埋め尽くされた部屋だった。
(兄貴も、昔とは変わっちまったなあ……)
以前、先代の元締に仕えていた頃のノロは、少なくとも宝石類で自らをやたらと飾り付けるような男ではなかった。
『金剛力のノロ』などと近隣で恐れられ、腕っぷし一つでのし上がった侠客で、ルイスは彼に憧れてこの世界に入ったようなものだった。
それが今はどうだ。
ぶくぶくと肥え太り、首やら腕やらにジャラジャラと貴金属をぶら下げ、ソファに巨体を沈めて煙管を吹かす、このだらしのない姿は。
ルイスの憧憬の的だったノロは、先代から元締の座を譲り受けた頃から、すっかり変貌してしまったのだ。
それはもう、認めざるを得ない事実だ。
だが、だからといってルイスにとってノロが兄貴分であり、忠誠を尽くすべき元締であることに変わりはなかった。
彼の命令は絶対であるし、彼と組織のためならいつでも命を捨てる覚悟もできている。
(だが、その息子はどうだ……?)
元締と、顔も体格もそっくりそのままのボルゲ。
元締とは違い、この世界に入った時から今まで、修羅場の一つも踏んだことがない男だ。
いつも親父にくっついて回り、その威光の陰で美酒美食に耽っているだけのこの男にも、自分は同じように生涯の忠誠を誓えるのか?
元締は、いずれ息子に跡を継がせる意向らしいが……。
ぐぎぎぎぎっ……。
ルイスは思わず奥歯を軋ませてしまった。
その未来を想像するだけでも腹立たしい。
(いや、今は余計なことは考えるな!)
ルイスはきっと口を結び、雑念を取り払った。
先のことはどうでもいい。
とにかく今は、あの女を倒すことだけ考えるべきだ。
といっても、わざわざ殺す必要はない。
公衆の面前で、正々堂々決闘を申し込み、屈服させる。
それだけが、自身の名誉を挽回する唯一の方法だ。
あの女、間違いなく腕は立つ。
だが、自分も数々の修羅場を切り抜けてきた侠客だ。
命を捨ててかかれば、必ずや倒せるだろう。
ルイスは厳しい表情のままノロの部屋を辞し、屋敷を出た。
子分たちが後ろから急ぎ足でついてくる。
「……例の女はどうしてる?」
「はい、その……聞いた話じゃ、サンディと連れ立っているようですが……」
一の子分の報告に、ルイスは大きく息をついた。
「そうか。それならいい、ほっとけ」
「いいんですか?」
「まずは仕事が優先だ。あの女とは、明日の夕方にでもカタをつけてやる。一応、誰か監視につけておけ。逃げられさえしなけりゃいい」
ルイスの指令を受けて、子分の一人が小走りに去っていく。
(それにしても……変な話だが、女で良かったぜ)
仮にあれが男――しかも、さっきのナンパ野郎のような奴だったら、一体どうなっていただろうか。
あまり想像したくないことだが、恐らくはサンディの貞操の危機だったはずだ。
身持ちの固い彼女であるが、まだ若い。
言葉巧みに騙されて、酒で酔わされて――。
ああ、くそっ!
思い浮かべるだけでも、腸がえぐれてしまいそうだ。
サンディは、ルイスにとって天使だった。
天涯孤独の身の上で、荒んだ少年時代を過ごし、ノロの下で極道人生を歩んできた彼の魂を癒す、唯一の存在だった。
年は十、いや十五以上も離れているが、そんなことは関係ない。
今の彼女は頑なに心を開いてくれないが、熱意をもって接し続ければいつかきっと振り向いてくれるだろう。
そう、信じていた。
(うん。そうだな、そう考えると……むしろあの女がサンディの傍にいてくれた方が、安全ということなのか。ふん、皮肉な話だな)
もちろん、それも明日の夕方までの話なのであるが。
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