第3話 ばっかーん!

 なあラリー、俺たちゃこのクソ寒い中、一体何をしてんだい?


 これが最近のギルの口癖だった。

 バカバカしいのでいちいち数えたりはしないが、おそらく日に五回は言っているだろう。

 それに対するラリーの答えはいつも決まっていた。


 うるせえな、獲物を追ってるんだろうが。ぶつくさ文句を言うんじゃねえ。


 陽が、街道の西・アストリア山脈の端に沈みつつあった。

 最寄りの街に着くには、どう急いでもあと半日以上はかかるだろう。

 今日は野宿をするか、夜通し歩き続けるかしかない。

 どちらにしても、あまり楽しくはない選択だ。

 愚痴をこぼしたくなる相棒の気持ちは分かる。


 だが、だからって、それに何の意味があるってんだ?

 ぶーぶー文句を垂れ流してたら、獲物が自分からひょこひょこ飛び込んできてくれるってのかい?


 世の中、そんなに都合よくできてはいない。

 少なくとも、ラリーのこれまでの三十数年間の人生で、そういう幸運に巡り会えたことは皆無に近い。


 三十数年、か。

 思い起こしてみりゃあ、ろくでもない人生だな、ったく。


 ラリーは昔話が好きではなかった。

 それもそのはず、この業界の人間の昔話などというものは誰も彼も似たり寄ったりで、楽しい話などありはしない。

 貧民窟で生まれ育ったとか、保安隊の浮浪児狩りで収容施設に入れられたとか、ガキの時分に悪さしてとっ捕まり鉱山送りにされたとか、何とか。

 そういう子供が成長して何になったかといえば、用心棒だのヤクザだの強盗だの追剥ぎだのコソ泥だの殺し屋だのと――いずれも堅気から見ればろくでなしそのものの稼業ばかりだ。

 

 しかも、総じてこういった連中は頭が悪い。

 学がない、というのはもちろんだが、それ以上に頭が悪いのだ。

 だからすぐに騙されるし、調子に乗って保安隊に捕縛されたり、他のもう少し頭の冴えたワルどもの餌食になったりする。

 全くもって、やれやれの一言だ。

 ラリーはそういった手合いと自分は違う、と常々考えている。

 さすがに自分を切れ者と思うほど傲慢ではない。

 だが、ちょっとしたことですぐに我を忘れて暴れ回るトンマどもとは違い、クールに物事を片づけられる人間だと自覚している。


 ああ、そうさ。

 だからこそ、これまでどうにか生き延びてこられたんだ。


 それに引きかえ相棒のギルはといえば、とにかく落ち着きがない。

 始終くだらないことを喋っているか、飲み食いしているか、むやみに暴れ回っている。

 おとなしいのは寝ている時だけだ。

 しかもバカでかい身体のくせに、いつも仔猫みたいに丸くなって眠りやがる。


 ギルは北方系、金髪碧眼の大男だ。

 南方出身の黒人で、その割に背の低いラリーとしては少々羨ましい程の偉丈夫である。

 だが、残念ながら頭の中身は空っぽだった。


 俺がいなきゃ、とっくにつまらねえ喧嘩で刺されてあの世逝きか、もしくは保安隊にとっ捕まって強制労働させられていただろうな。

 

 繰り返して言うが、とにかく相棒は頭が悪い。

 ただし、腕っぷしは尋常ではなかった。

 荒くればかりが集まる小汚ねえ酒場で呑んでいると、たいてい力自慢のバカどもが腕相撲やら手四つに組んでの力比べやら、はたまた頭突き合戦なんて真似を始めるが……それに何の意味があるのかって? さあね?

 そういう場で、ギルが負けた姿は一度も見たことがない。

 頭の悪さはすこぶるつきだが、こと戦いにおいては無双の強さを誇るし、性格も素直ないい奴だ。

 頼まれごとは二つ返事で引き受けるし、金離れも良くて顔も悪くないから女にはモテる。


 ま、いいように利用されて捨てられるのがいつものパターンだがな。


 ラリーとギルの二人は、サバトールの町を目指していた。

 別にその町自体に用があるわけではない。

 むしろ当初の予定では、そことは方角違いのエカトールを目指していたのだ。

 それが、ある依頼を請けて目的地変更となったわけだ。

 相棒は、生まれ故郷のエカトールに行くはずだったのによお、とタラタラ不平不満を並べていたが、そもそもてめえがひょいひょい引き受けやがった話である。


 ポザムという小さな村で休んでいたところ、長老から「ある女を捕まえてほしい」と依頼されたのだが、


「おう、何でもいいから任せておきなって。ちょちょいのちょいで、片づけてやっからよ!」


 と、無責任にも程がある調子で承諾したのだ。

 少しは物を考えて欲しいところであるが、受け取った前金は悪くなかった。

 正直な話、このままバックれてしまってもいいぐらいだ。


 もっとも、その女を連れ帰れば銀貨五百枚って依頼だから、そんなつもりは毛頭ないがね。


 ラリーたちは大陸をふらふらと旅しつつ、荒事専門で稼いでいた。

 荒事といっても、例えば強盗や窃盗、暗殺などといった凶悪な類には手を出なさい。


 ああ、もちろん、正義の味方なんぞを気取っているわけじゃないぜ?


 それに、任侠を重んじるとかいうような、堅苦しい戒律を自分たちに課しているわけでもなかった。

 ただ単に、そういう悪事は割に合わない、というだけのことだ。

 お尋ね者になって、コソコソと鼠みたいに逃げ回るのは情けない話であるし、相棒よりも頭が悪い上に性格もクソみたいな連中と同類になるのは真っ平御免だ。

 だから二人は、賞金首の捕獲を狙ったり、ヤクザ者同士の抗争に助っ人で参戦したり、あるいは今回のようにちょいと訳ありの話に首を突っ込んだりすることを稼業としている。

 それもろくでもない仕事じゃねえか、と堅気の人間には言われるかもしれないが。


 ともかく、これまでは何とか上手くやってこられた。

 これから先どうなるかはもちろん分からないが、まあギルがよほどのことをしでかさない限り――そう、ラリーの手に余るようなドジを踏まない限りは、生き抜くことは可能だと考えていた。


 陽がすっかり落ちてしまった。

 風はほとんど吹いていないが、底冷えする寒さだ。

 髪をきれいさっぱり剃っているラリーは、こんな時いつもギルの伸ばし放題の長髪を羨ましく思う。

 だが、伸ばしてもいまいち自分には似合わないので、こればかりは仕方ない。


 道が二つに分かれていた。

 片方は目的地のサバトール、もう一つはギルの故郷・エカトールに繋がっている。

 いい加減誰か作り直せ、と言いたくなるほどボロボロになった木の標識。

 前を歩いていたギルが、迷うことなく左の道に向かった。


 って、おいおい、何をやってやがるんだよ、このバカは。


「そっちは違うだろーが。ったく、お前さん、字もろくに読めねえのか? それとも、そんなにてめえの故郷に帰って、ママのおっぱいでも吸いたいってのかい?」


 この辺りは土地勘があるから任せとけ、などとギルは言っていたが、どうやら当てにしたこっちが間違っていたらしい。


「あん? いいんだよ、こっちで。俺たち、サバトールに行くんだろ? それにおふくろなんて、もうとっくにおっ死んでるっつうの!」


「バカ、標識の字ぐらい読めっての。そっちはエカトールって書いてあるじゃねえかよ」


 辺りが薄暗いので一瞬不安に思って確認してみたが、誰がどう読んでも左がエカトールで、右がサバトールだった。

 相棒は確かにどうしようもないバカだが、文盲ではない。


「あー、全然読んでなかったわ、へへへ。でもよぉ、こっちがサバトールだぜ?」


「じゃあ何か? この標識が間違っているってぇのか?」


 こういう時、相棒がごく普通の脳みその持ち主であれば、ラリーもあっさりと納得しただろう。

 だが、何しろ相手はギルだ。

 頭は物を考えるために使うのではなく、頭突きで相手を失神させるための武器と考えているような、筋金入りのトンパチなのだ。

 おまけに自分の得物の大剣に『頭骨砕き』なんて恥ずかしい名を付けるような、どうしようもないセンスの男でもある。

 ここは一つ、慎重に選ぶ道を吟味しなくてはいけない。

 それに、気になる点もあった。


「本当にそっちがサバトールなんだろうな?」


「しつっけえなぁ。ここらに住んでる奴なら、洟垂れのガキンチョだって知ってンよ。間違いねえ、こっちがサバトールだって。それとも何か? 俺がお前とつるんでる間に、町の名前が入れ替わったっていうのかよ?」


 そんな無駄なことをするバカな町が、一体どこにあるというのか。

 二つの町の住民が、ギル同様の大バカ揃いであれば話は別だが。


「よし分かった。じゃあ、そっちが正真正銘サバトールの町だとしてだ。俺たちが今考えなきゃいけないのはな、本当にそっちに行っていいのかってことなんだよ」


「はあ? 何言ってんだよ、ラリー。頭大丈夫かい?」


 ギルが小首を傾げ、正気を疑うような目でこちらを見てくる。

 この阿呆には、まだ自分たちが直面している事態が呑み込めていないらしい。


「お前にだけは心配されたかねえよ。つまりな、俺たちの追っかけてる獲物がだ、この標識を信じ込んでエカトールに行っちまったって可能性もあるってことさ。そうだろ?」


 察しの悪い奴には、解りやすく丁寧に説明をしてやらなくちゃいけない。


「あー、なるほどねぇ。うん、分かった、分かった。じゃあサバトールじゃなくて、エカトールに行こうじゃねえの。へっ、ちょうどいいや、久し振りに里帰りもできるしな!」


 相棒はカラカラと笑って、大股で意気揚々とエカトールに向かおうとする。

 ほらな、全く分かっちゃいない。これだから単純バカは困るんだ。


「そう簡単な話じゃねえんだよ。いいから落ち着いて俺の話を聞けよ、相棒」


「落ち着けってナンだよ、ラリー。いったい俺が、いつ慌てたってのよ?」


 不服そうに口を尖らせる。

 こらえ性のないガキと一緒だな、やれやれ。


「いいか? あの女は追われてる身なんだぜ? しかもあの茶屋の娘っ子に、サバトールに行く、なんてうっかり言っちまったわけだ。お前があいつの立場だったらどうするよ?」


「……そうだなー、うーん……あっ! ここらで待ち伏せして、その追手をブッ殺すかな!」


 素晴らしい解答だ、涙が出るね。

 どうやら質問の仕方が悪かったようだ。

 ここは一つ、相手のオツムの程度に合わせてやらなくては。


「追手が何人来るかも、どんな奴かも分からないってのにか? んなことはしねえよ、よっぽどのイカレポンチじゃねえ限りはな! せっかくここで道が二つに分かれているんだぜ、追手を撒いてやろうと考えるのが普通だろうが。違うか?」


「へえー、そういうもんなのかい?」


 感心したような顔をしている。

 自分がイカレポンチ扱いされていることは、気づいていないのか気にしていないのか。ま、どっちでもいいか。


「ああ、だから困ってるのさ。例えばだ、この標識をイタズラしたのがあの女ってこともあり得るだろうが?」


「……ああ、そっか。俺たちがサバトールと間違えて、エカトールに行くよう仕向けるってわけだな? かーっ、せこいことしやがるな~」


 ようやく事態が理解できてきたらしい。

 まったくもって世話のかかる相棒だ。


「ま、断言はできんがね。そういう可能性もあるって話さ。だからだな、俺たちは迂闊に道を決めるわけにはいかねえんだよ。よくよく考えて行動しねえとな」


 ギルが腕を組んで、神妙な顔でうんうんと頷く。

 本当に理解しているかは少々怪しいが。

 数秒後、その顔がパッと輝いた。


「お! いい案が浮かんだぜ、ラリー!」


 悪い予感しかしなかったが、ここは忍耐力を発揮して、とりあえず相棒の話を聞いてみることにした。

 もしかしたら本当に、この大男がとんでもなく冴えたアイディアを思いついたかもしれない、という淡い希望を抱きつつ。


「あの女がどっちに行ったか分からねえんだからさ、俺たちもここで二手に別れりゃいいんだよ! そうすりゃ、俺たちのどっちかがあの女をとっ捕まえることができるってわけさ。な、冴えてるだろ?」


 希望は儚く打ち砕かれた。やっぱりバカだ。

 だが、そもそもほんの少ししか期待していなかったので、精神的なダメージは少ない。

 話を聞くだけの時間は無駄になってしまったが、致命的という程のロスでもないので我慢する。


「ふーん、冴えてるねえ? ところでお前さ、あの女の名前、憶えてるか?」


 ゆっくりとした口調で尋ねる。

 相棒の答えは聞くまでもなかった。

 ポカンと口を半開きにした、バカ丸出しの顔を見れば一目瞭然だ。

 キョロキョロと視線を泳がせた挙句、


「えーっと、ああーん……メ……いや違うな、あっと、あー、マヤ、だっけか?」


 出した答えがこれだった。

 だが意外に惜しかったので、ラリーはほんの少しだけ相棒を見直すことにした。


「違う、マナだ、マナ」


「そっか、惜しかったなあ。でも、ほとんど正解って言ってもいいだろ?」


「で、そのマナってのはどんな女か、憶えてるか?」


「……金髪、だったっけ? ショートカット? おっぱい大きい?」


 ダメだ。

 もういい。これ以上、相棒の哀れな記憶力を試しても意味がない。

 牛や馬、もしくは石ころにでも相談する方がよっぽど有意義だろう。


「黒髪だよ。ついでに言っておくと、長めのポニーテールらしい……ま、もう切っちまったかもしれねえがな。で、背は東方系の女にしちゃあ結構高くて……」


「あー、そりゃ残念、俺の好みのタイプじゃねえなあ」


「お前の女の趣味なんてどうでもいいんだよ、ボケナスが。いいか、これで分かったろ? 俺たちがここで二手に別れてもな、全く意味がねえんだよ。あれだけ聞き込みしたってのに、お前は何一つまともに覚えてねえってんだからな!」


「はいはい、ゴメンナサイね。で? 結局これからどうすんだよ?」


 拗ねたように口を尖らせ、今後の行動をこちらに丸投げしてきた。

 まあ仕方がない、いつものことだ。


 ラリーはくたびれた背嚢から組み立て式のランタンを取り出し、蝋マッチをブーツで擦って火をつけた。

 薄闇の中、埃まみれの二人の男のむさ苦しい顔が照らし出される。


「ん? ここらで野宿しようってのかい?」


「いや、そんな余裕はねえさ。だからこれから探すんだよ。そのマナって女がどっちに向かったかをな。ほれ、お前もグズグズしてねえで、さっさと灯りをつけな」


「って、おいおい、まさか……」


 ギルが心底うんざりした顔で、月も星もない空を仰ぐ。


「ゴチャゴチャ文句を言うんじゃねえよ。手分けして探すんだ、女の足跡をな」


 駄々なんぞ聞く耳持たんといった風で、地面に顔を近づけ目を光らせる。

 足跡の探し方については、まだ駆け出しの頃に北方出身の野伏に教わった。

 彼らは、足跡一つでその主の性別や身長・体重・職業まで割り出せるという。

 ラリーはそこまで熟達してはいないが、情報によれば相手は『戴天踏地流剣術を使う若い女』だ。

 しかもつい最近、ここを通ったことはほぼ間違いない。

 そこまで分かっていれば、それほど苦労することはないだろう。

 もっともその女が、意識してこの分岐点で足跡を消すぐらい如才ない奴だったらお手上げだが、そうなったらそうなったで二分の一の賭けをするだけのことだ。

 それで外れたら……あの長老には悪いが、潔くトンズラさせてもらうとしよう。


 相棒は、まだ辺りをぶらぶら歩き回りながら、ブツクサとぼやき続けている。

 まったく、あきらめの悪い奴だ。

 完全に無視して、地べたを舐めるように注視していたが、


 ばっかーん!

 

 あーあー、やりやがった、このバカが。


 ラリーは顔も上げず、小さく溜め息をつく。

 相棒はついに癇癪を起して、例の標識をブッ壊したようだ。

 ガキじゃあるまいし、と出会ったばかりの頃なら呆れていただろうが、もう最近はすっかり慣れてしまっている。

 むしろここまでよく我慢したな、と褒めてやりたいぐらいだ。

 公共物を破壊する行為は言うまでもなく犯罪であるが、どっちにしろ間違った方角を指している標識なのだから、いっそ無い方がマシというものだろう。


 ようやく腹の虫が収まったのか、ギルが巨体を屈めて足跡探しを始めてくれた。

 あまり頼りにはしていないが、それでも二人で探す方が効率はいい。


「……なあ、ところでラリーよぉ」


「……どうした?」


「えーとさ、あの女の名前、なんつったっけ? カナだっけ?」


 勘弁してくれよ、まったく。

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