第4話

「――これはいったい、何のつもりですか?」

 光球の消失した暗闇のなか、不思議とススリの発した声は落ち着いていた。

 何度か砂の上を踏みしめる音が聴こえたものの、水読みの巫女は広間の中から移動せず、その場でじっとしているようだ。

「ふざけているつもりなら承知しませんよ、スキーグ殿」

 水読みの娘が発したその声は次第に小さく、反響を帯びて遠ざかってゆく。


 アラヤの体は目の前に何があるかも定かでない闇のなかを風を切って疾走していた。

 彼の細い頸部は刺青の魔術師――スキーグの右手によってがっしりと掴まれており、そこからぶら下げられたアラヤの全身は重力に逆らうように左右に激しく揺れる。

「おい! 僕を野良猫みたいに持つんじゃない!」

 この抗議の声が彼の体外を出た瞬間、アラヤはハッとして自分の身に起きた異常に気付いた。

 世界との境界線上にあった彼の統合意識アストラル体が確かな輪郭を得て固着している。それまでスキーグ以外の誰の眼にも触れることのなかった自身の存在がしっかりと肉体を得て存在していたのだ。

 アラヤの全身は、先ほどスキーグが酒瓶スキットルからこぼした水によって濡れている。

 魔術師はうるさげな顔でアラヤを砂の上に放り出すと、まるで汚いものでも触れたかのようにクロークの裾で革手袋の手をはたいた。

 そしてその指先が青白い光球を作り出し、宙に浮かべる。


 あたりの光景が鮮明になって、はじめてアラヤは、ススリといた地点から離れた場所に移動していることに気付いた。

 コボルドと戦った広間から左右に分岐した通路の、そのどちらかに侵入したのだろう。

 分厚く堆積した砂岩のせいで道幅は狭くなり、いくつもの枝分かれが発生した通路は行くものを迷わせるような造りになっている。そしてレリーフが彫られた石壁は砂によって侵食され、その意匠を曖昧にしてゆきながら闇の先へと続いている。

 その場でアラヤは肉体の隅々にまで水が行き渡るよう、軽く身震いした。全身の毛先にいたるまで潤いを感じる。

「はうゥ……」

 幽霊と呼んで変わるところのなかった虚ろさからようやく解放され、アラヤはほとんど悶えるように恍惚こうこつの声を上げた。それは彼にとって快楽と呼んでも大した違いのない感覚だった。

「そんなとこでもよおしてる場合かよ、こっちは急いでるんだ。とっとと行くぞ」

 冷えた視線を投げ下ろし、魔術師が歩き出す。石床の上を行く男の足元からは靴音のひとつも発していない。

 これも何らかの魔術によるものだろうか。

 身震いを続けながらアラヤはいぶかしんだ。

 仮にそうだとすれば、物音を立てずに広間から立ち去ったのはまずススリの追尾をくためだろうか。

「なあ、そろそろ教えてくれたっていいだろう?」

「何を」

「あのススリってお嬢さん、いったい何者なんだ?」

 アラヤの疑問の声に魔術師がいったん歩みを止めた。

「彼女――というより彼女たち『水読みの巫女』は対スウィッガー戦の専門家だ。前に説明しなかったか?」

 アラヤは魔術師の顔を見上げ、ため息をこぼした。

「……そんなこと聞いてないよ。ただの一度も」

 石床の上をう友人に対して一片の気まずさも感じていないのか、スキーグは

「そうか」

 と、けろりとした顔で言い、

「彼女たちは、スウィッガー戦に長けているだけでなく、俺のような非制御型魔術師アウトレイジャスの駆除依頼も往々にして請け負っている。言うなれば、天敵ってわけだ」

 一息にそこまで話すと

「少しは納得したか? タヌキ君」

 と再度アラヤに視線を向けるとふたたび歩き始めた。その歩調にあわせ光球もまた動きだす。

 ――二人の間にあった刺々とげとげしい緊張感はそういう理由からか。

 ほのかな明かりがゆらめく光球の下、先刻までの張り詰めていた空気を思い出してアラヤは多少の納得を得た。

 しかし、二人の事情は飲み込めたものの、彼の疑問はまだほかにもある。

「それで、どうして彼女をあんなところに置き去りにしたんだ?」

 スキーグの背を追いながら再度アラヤが問いただした。

「子どものいたずらじゃあるまいし、単なる嫌がらせであんなことしたんじゃないんだろ?」

「当ったり前だ」

 刺青の魔術師はわずらわしげに鼻息を吹いた。

「コンロイって言ったか。その裏切り者の傭兵とやらにちょっと用があってね。それもあのお嬢さんに殺される前に」

「用って、いったい何の用だよ?」

 アラヤがそれを尋ねてみたものの、スキーグの答えは「そのうち分かるだろ」というにべもないものだった。

 肩を透かされたアラヤだったが、それでもめげずに彼は四本の足を動かして魔術師に追いすがる。

「でも、彼女は水源の場所もコンロイのいる位置も把握できてるみたいだし、一時的に暗闇を作って逃げたとしてもあんまり意味ないんじゃないのか?」

「……大まかな位置は把握していても、この遺跡の構造や地形まで頭に入ってるわけじゃない」

 スキーグはアラヤを見返すこともしない。

 しかし魔術師の物言いにひっかかりを感じたアラヤは丸い目を細めて魔術師の背中をにらんだ。

「――ひょっとしてお前、僕の知らないところで色々魔術を使ってるな?」

 そう言うと、刺青の魔術師は悪巧みが露見したような顔で笑った。

消音サイレンス透視クレアヴォイアンス。それなりに負担はかかるが、そのぶん効率よく水源に到着できる」

 この言葉の意味を把握すると、魔術師を追っていたアラヤの歩みがにわかに止まった。

 『消音』とは名前どおりに音を消す変化魔術オルタレーションのひとつで、アラヤの見立てではスキーグを中心点にして外への音を遮断する力場が働いている。

 そして一方の『透視』は術者の立つ地形に関する一定範囲の情報を記憶する情報魔法ディヴィネーションに属する術だ。

「しかし『効率よく』って――」

 ついさっき、僕に水を使ったばかりじゃないか。なぜそんな無駄遣いをした? 

 そう言いかけてアラヤは黙り込んだ。

 ――水。

 アラヤは魔術師の持つスキットルの中身の残量が気がかりになっていた。

 魔術師の力の源は、城塞シタデルを中枢としている世界中に数多あまたある都市と同じく、魔力を帯びた水だ。

 そして、力を与えると同時に水は常に一定の『リスク』を使う者に背負わせていた。スウィッガー発症の危険性だ。

 水を力とする魔術師は自分を化け物に変身させないため、自らの身体組成と適合するよう水に加工を施し、常に肌身離さず携行しているという。スキーグの場合は、酒瓶スキットルした特製の器の中身がそれだ。

 しかし、そのスキットルの中の水も、すでに半分近くは失われている。アラヤはそう推測していた。

「大丈夫なのか?」

 通路を先行する魔術師にその背を追うアラヤが声をかけたが、反応は返ってこない。

「人が心配してやってるのに……」

 無視されたようで不愉快になったアラヤがそう零すと、ようやく魔術師の長身がひるがえった。

「――自覚がないようだから言っておくがな、お前の統合意識はあと少しで分散する所だったんだ」

「……へ?」アラヤの口がぽかんと開いた。「僕は、そんなに危なかったのか?」

「ああ。それも間の悪いことに、あのお嬢さんの目の前でだ」

 この小さな獣は、つい先ほどまで自分が存在消失の瀬戸際に立っていたことを思い出した。彼が抱き続けていた焦燥と恐怖の正体とはそれだった。

「俺が探知できなくなるまで綺麗に散ってしまえばそれで全部お終いだ、誰もお前を呼び戻せない。そうなれば、幽霊にもならん残りカスになって、この世とあの世の境目を永遠にさまよってただろうな」

 一気にまくし立てると魔術師は深いためいきをついて再びアラヤに背を向けた。

 自分より非力で小さな存在に対し感情を剥き出しにしたことを恥じたのかもしれない。アラヤはこの偏屈な男の心理をそう分析した。

「――それでスキットルの水を使うしかなかったのか。僕のせいだな」

「お前のせいだ」

 アラヤの後ろ暗さにまったく同調を見せることなくスキーグは言い放った。

「あのとき、ススリにお前の姿を見せることだけは避けたかった。彼女がお前の正体についてあれこれ詮索してくるのは考えるまでもないことだし、誤解されるのも迷惑だ――」

「それで、あの明かりを消して、自分の手で掴んで運べる程度にまで僕の体が固着するのを待ってから、ススリを置いて逃げた……」

 言葉を継いだアラヤにゆったりと魔術師が頷いた。

「どっちにせよ、あのお嬢さんは出し抜かなきゃならなかった。しかし予想以上にお前の意識の分散が早かった。見捨てるという選択肢もあるにはあったがね」

 気だるげな声で最後にさらりと酷いことを言い、魔術師はアラヤを呆れさせた。

 しかし、見捨てることしなかっただろう。アラヤにはその確信があった。

 何の役にも立たない僕をこんなところまで連れてきたからには、必ず何かしらの目的があったはずだ。

 そして自分をこの『世界』にび出したのにも理由がある。水源にたどり着けばそれも明らかになるだろう。

「おいスキーグ」

 クロークの肩を落とし、うんざりした表情で魔術師が振り返る。

「さっきドサクサにまぎれて僕のことをタヌキって呼んだだろ?」

 アラヤがそうとがめると、肩越しに彼の小さな友人を睨んでスキーグは「それが何か?」といった表情をつくる。

「何度も言うが僕はカワウソだ。タヌキなんかと一緒にするな」

「知ってるよ」

 魔術師の反応には何の変化もない。

「――だがタヌキの方がお前に合ってる」

 そう言い捨てるとスキーグは正面に向き直り、光球を手繰るように前方に押し出した。

 スキーグの作り出したこの光球はただの松明代わりの術ではない。

 この光球は連続体シーケンサと呼ばれる特殊な魔術で構成されており、暗闇を照らす照明ライトのほかにも二つ三つの魔法を事前入力してある。さきほどのコボルド戦にも用いられた『痛覚共有』もそのうちのひとつだ。

 シーケンサの使用はスキーグの消耗を可能な限り軽減させるための策のひとつだが、新たに消音や透視などの魔術を使ったためか、アラヤの眼には魔術師の顔色に焦りがあるようにも見えた。

 水が近い影響か、空気は先ほどよりも湿気を含んでおり、それが逆に息苦しさを感じさせる。気温は上層よりかすかに寒い。

 砂岩によって作り出された隘路あいろが終わり、下り階段を降りるとそこは長い回廊だった。

 ここまで来るとアラヤにもようやくこの遺跡の外観を想像できるようになった。

 回廊の外壁には一面砂岩によって覆い尽くされ、上層にあったレリーフのあしらわれた石壁は息を潜めたように見えない。

 きっとこの『建物』は地下に造られたものではなく、地上に建てられたものだったのだろう。かつて回廊から見えた外界の景色がどんなものだったのかは、今ではうかがい知ることはできない。昔日には整然と並び立っていたと思われる石の柱は、砂の圧力に押し出されたように皆傾いている。

「ここは、いったいどういう所だったんだろうな」

 石柱のひとつを潜りながらアラヤがそう言うと、スキーグはそっけなく「知らん」と振り返りもせずに答えた。

 『透視』によって地形の情報が頭に入っているおかげで彼の動きはまったく迷いというものがない。

「さっきのコボルドがどこかに潜んでいるかもしれんよ」

 無駄だと思いつつアラヤがそう警告するがこのいけ好かない魔術師は最初からコボルドなど敵とも思ってないようだった。

 だがスキーグがキャストした術はあくまで地形を明らかにする呪文であって、生命体については探知も反応もしない。したがって、さきほど蹴散らしたコボルドたちの群れと再度出くわす可能性もあった。先ほどススリによって皮肉られたように背後から不意打ちを仕掛けられれば、さしもの魔術師も苦戦するのではないか……。 

 ――しかし、このアラヤの危惧はむせかえるような濃厚な血のにおいが漂いだすと同時に永久に断たれた。スキーグの足元を照らす光球が、かつてコボルドだったと思われるいくつかの肉塊を照らしだしたのだ。

「これはこれは……」

 スキーグが呆れたように血だまりの先に着けた足を浮かせる。

 砂の上を、毛のない犬に似たあの特徴的な首がいくつか転がっている。

 それは間違いなくコボルドのものだった。

 どの死体も無数の傷によって覆い尽くされており、中には力任せに下顎を引き裂かれたようなむごいものまである。

「これって――」

「――多分、傭兵とやらの仕業だろう。あのお嬢さんの読みが当たったのかどうかまでは分からんが」

 僕が口にしかけた言葉をスキーグがつないだ。



つづく

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