4、コンビニ店員、腹をすかして飯を頼む
目が覚めると、思ったより寒かった。
布団から出たくないとぐずぐずしているうちに二度寝してしまった。気付いたら、ずいぶん高くまで日が昇っており、ついでに自分が異世界にいることを思いだした。
タイミングよく、漫画のような音を立てて、腹が鳴る。
「うん……、腹減った」
二次元にいようと異世界にいようと、腹の減るもんは減るらしい。
いちおう、昨晩ちゃんと夕飯を用意して貰ったんだが、味が薄いのと量が少ないので一晩寝ている間に綺麗に消化してしまったようだ。その前も、肉まん1個食っただけだったしな。
すきっ腹を抱え、寝癖を手ぐしでどうにか整えようと奮闘しながら中央のリビングっぽい部屋に移動すると、ちょうど両手に何冊もの本を抱えたサルまげ君が入ってきたところだった。
「あっ」
「お……」
お互い、微妙な空気が流れる。
だが、俺も大人だ。ここは大人の余裕を見せ付けてやらねばならない。
「あざーっす、サルまげ」
「サルまげ?」
俺の、礼儀を知らない高校生アルバイト風の挨拶を華麗に無視し、一方で命名したあだ名に怪訝そうな顔をする。
「あ、じゃなかった。ええっと、サー・ルー・マァゲ……」
うん、度忘れしたみたいだ。
サルまげ君は呆れた表情を浮かべ、ため息をつく。
「サ・ルー=マーゲルです。もう、ルーで結構です。知人はみな、そう呼びます。ところでずいぶんのんびりな起床ですね」
「そうかな」
俺はあくび交じりに返事をする。
コンビニの深夜アルバイターだった俺からすれば、昼前に目が覚めればじゅうぶん早起きの部類だ。
不発の嫌味にため息をつくマーゲル(孫)に俺は尋ねる。
「なぁ、俺の飯ある? あと、シオンは?」
「昼食まではまだ時間があるので、後で軽食をお持ちするよう手配します。それから、勇者様は城内の図書室においでです。この国の歴史について調べたいそうです。私は勇者様に依頼された資料をこの部屋まで届けに参りました」
「ふうん、真面目なこったなぁ」
再びあくび交じりに答えた俺に、サルまげ君は顔をしかめる。
「私としては、貴方のような不真面目な方がどうして勇者様と一緒にいるのかが不思議ですよ」
「あー、それは俺も思う」
コンビニの客と店員という、袖刷りあうような『多少』の縁しかなかったのに、何でともに異世界巡りしなきゃいけないのか。誰かに聞けるもんなら聞いてみたいもんだ。
「そうだそうだ」
俺はふと、他にも聞いておきたかったことを思い出して、昨日のソファに腰掛ける。そして上目遣いにマーゲルに尋ねた。
「なぁ、なんであんたらは俺に対してそんなにムカついてんだ?」
俺の疑問に、サルまげ君は驚いたような顔をし、そして何故か気まずそうに視線をそらす。
「そんなことありません。考えすぎです」
「そうかぁ? いや、別に俺はムカつかれてても気にしないの。俺はこんな性格だから真面目気質な奴らから嫌われんのには慣れてるしさ。でもさ、あんたらは初対面からなんか気に食わなそうな顔してるから、なんかあんのかなって」
国王から始まり、宰相然り、サルまげ君然り、ついでに言うと夕飯を持ってきてくれたメイドさん(年配。残念)もずいぶんとげとげした対応をしてくれた。
まぁ、もしかするとこの国の人間は皆、初対面で相手の内面を察するのに長けているのかもしれないが。
「それは……申し訳ありませんでした」
少しだけ態度を軟化させて、サルまげ君は小さくため息をつく。
ソファを勧めると、大人しく腰を下ろす。
「確かに貴方の言うとおりです。我々は貴方に対して良い感情を持っていない。いえ、正確に言うと持てないのです」
「はぁ、そりゃまたなんで」
「理由は、貴方の髪の色です」
俺は自分の、黒というよりは若干茶色がかった髪を摘み上げる。
「別に珍しい色じゃないだろ」
ちなみに俺のこの髪の色は、カラーリングではなく地毛だ。
日に焼けやすいのか、根元が濃くて毛先に近付くほど茶色くなる髪質のせいで、小中高校と生活指導の教員に目を付けられていたのは良い思い出だ。
だが、地毛黒髪率が九十パーセント(俺統計)を占める日本と違って、金髪やら赤毛やら黒髪が昨日今日だけでちらほら見るこの国なら、茶髪がいたって不自然ではない。むしろいないほうが不自然に感じる。が……、
「そういや確かに茶髪は、見なかったよなぁ」
まぁ、たまたま茶髪の人間が見える範囲にいなかっただけなのかもしれないが。
しかしサルまげ君はうなずく。
「この国では、茶髪の人間が生まれるのはそう珍しいことではありません。しかし、茶髪の人はほぼ必ず、染め粉を使って色を変えたり、布を巻いて髪が見えないようにしています」
「そりゃまたなんで」
俺はサルまげ君に尋ねる。サルまげ君はわずかに言い難そうにした後、口を開いた。
「それは、過去にこの国で起こった出来事に関係します」
今から、ざっと数えて百年以上前。
魔王領と隣接するこの国は、やはり当時も魔王軍との戦争を行っていた。
長く続く終わりのない戦いに疲弊した国の人々は、古くから語り継がれる伝説に従い、異世界から一人の青年を召喚した。
勇者の称号を授けられた彼は国中の人から歓迎され、熱い声援と手厚い援助を受けて、颯爽と魔王を退治に向かった。しかしなんともおぞましいことに、
「勇者は魔王に寝返ったのです」
俺は思わず噴出しかけた。
勇者として召喚されながら、魔王の味方をするとか、ずいぶん思い切った勇者もいたもんだ。
その破天荒さは、正直俺は嫌いではないが、この国の人間にしてみれば溜まったもんではないだろう。
「そのせいで、当時の国王軍は壊滅状態に陥りました。もちろん国は敗北。辛うじて滅びることはありませんでしたが、肥沃な土地をごっそり奪われ、現在も大半の地がいまだ魔王領のままとなっています」
サルまげ君は、嘆かわしげにため息をついた。
「そのせいでかつて大陸最強と言われた我が国は、大幅に国力を低下させてしまいました。しかし、少しずつ努力を重ね、ようやくにして奪われた土地を取り返すため魔王軍に挑めるようになったのです」
ふんふんと、俺は歴史の講義を聴いていたが、ふと違和感を覚える。……、なんか、今どっか、おかしかったような?
「ですが、我々はいまだに裏切った勇者に対する憎しみは消えておりません。そのため、勇者と同じ茶髪の持ち主は、なるべくそれを隠すようにしているのです」
まぁ、理由は分かった。だけど、百年経ってもいまだに恨み続けるってのはなぁ。むしろそれは恨みではなくて、すでに単なる風習になっているような気がしないでもない。
「しかし、それなら今回良くまた勇者を召喚しようなんて考えたな。もしまた裏切られたら、なんて思わなかったのか?」
「ええ、もちろんそれを心配するものも官僚や貴族の中に少なからずおりました。しかし、今は瀬戸際。危急の時。姫まで奪われた今となっては、一種の賭けになろうとも勇者を召喚して膠着した状況に打開を図ろうという勢力が、危ぶむ勢力を上回ったのです」
勇者召喚が賭けだったのかよ。
俺は呆れる。
じゃあ、あれか。あの時、俺達を取り囲んだマッチョメンはいざという時には勇者を抹殺せんという意思の表れだったのか。
俺は深々とため息を付いた。
マジ、パ(信じられ)ねぇ〜。
「ですが、我々は賭けに勝利しました。勇者は黒髪で我々に積極的に協力してくださいます。これならば確実に百年前の雪辱を晴らすことが出来るでしょう」
サルまげ君は目を輝かす。
「ですが、」
青い目がちらっと俺を見て嘆息する。
「貴方の存在はいけません。貴方はあの裏切りの勇者と同じ髪の色を持ち、召喚されました。貴方が勇者ではないとしても、我々は貴方を警戒し、好意を持つことができないのですよ」
「あー、なるほど。了解了解」
俺はパタパタと手を振って礼を言う。
するとサルまげ君は怪訝そうな顔をした。
「不快に思わないのですか? その、我々がそんな理由で貴方を忌避していることを」
「ん? 別に気にしねぇよ。差別なんてどこいってもあるし」
俺はソファから立ち上がる。
「それに俺は勇者じゃないしね。衣食住に困らないように、せいぜいシオンに頑張ってもらうさ」
長い話に疲れた尻をほぐそうと、大きく伸びをしたところで再び腹が鳴った。
「あ〜、あのさ。悪いけど急ぎで飯持ってきてくれね? 腹減って倒れそう」
なにやら目を丸くしていたサルまげ君も、慌てたように立ち上がった。
「そ、そうですね。長々とお話してしまい、すみませんでした。すぐに準備をいたします」
「あ、ついでに、料理の量をちょっと増やして、味付けを濃くしてもらえるように頼める?」
さすがに夕飯の時みたいな食事だと、あっという間に腹が減るのは目に見えている。
「料理人に話してみますが、それは難しいかもしれません」
サルまげ君は申し訳なさそうな顔をする。
「この国では、今食糧が充分ではないんです。香辛料の類も値段が高騰していて、充分な量が確保できないのですよ」
「あー、それならいいわ。わがまま言って悪かったな」
「いえ」
まぁ、確かにいかにも中世風という感じの異世界に、現代日本と同様の食糧事情を求めるのは贅沢だったか。
扉を出ようとしているサルまげ君は、そうやって腹の虫を納得させようとしている俺を振り返って言った。
「そういえば、まだ名前を伺ってませんでしたね」
そういや、そうだ。この世界に来て、誰からもまだ名前を尋ねられてなかったから、すっかり名乗り忘れてた。
「俺は依田一誠。ヨダでもイッセーでも好きに呼んで」
「わかりました。では、ヨダ」
サルまげ君は、まっすぐな目で俺を見る。
「私は貴方を、その髪の色を理由に不愉快な感情を抱くことを止めるよう極力努力します。その髪色の貴方を召喚したのは我々の都合であって、貴方に非はない」
そう言って一礼をして出て行く。
俺はその様子をぽかんとして見送った。腹の虫だけがしつこく空腹を訴えていた。
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