5、コンビニ店員、尻は痛むし神隠しに遭うし


 勇者は、なにやら五日間ほど書庫にこもって調べ物をしていた。

 書庫にいない間も、どこぞの石碑を確認しに行ったり、なんとかという貴族の持っている古文書を見に行ったりと、とにかく忙しそうに調べ回っていた。

 しかも最後の一日などは、部屋にこもって一歩たりとも外に出てこなかった。それもその前日に、決して部屋を覗かないでくれと周りに触れ回る徹底振りだ。

 お前は勇者じゃなくて実は鶴か? 一体なんの恩返しをするつもりなんだ。

 そもそも俺が大学時代に卒業論文を書いた時だって、ここまで一生懸命調べたりはしなかったぞ。

 むしろ勇者というのは、ばっさばっさとひたすら敵を切って、魔王をやっつければいい思っていた俺にとっては、目から鱗が落ちる気持ちだ。

 どうやらそう思っていたのは俺だけではなかったらしく、ニャンまげ国王も、ワンまげ宰相も勇者の行動にはやきもきしていたようだった。

 まぁ、彼らにしてみれば召喚したのは勇者であって、勉強熱心な大学生ではないのだからその気持ちは分からないでもない。それでも、俺みたいなフリーターを召喚するよりはマシだろうけどな。


 ともかく、ようやく勇者が出立の日付を告げた時の彼らの喜びようといったら、そのまま百姓一揆でも起こしそうな感じだった。ナンチャッテナッ!

 しかし一個中隊を同行させようという太っ腹な提案を断り、盛大な見送りも断って、移動に必要な足と必要最低限の物資だけを持った勇者はひっそりと城を後にした。

 同行者は、犬・猿・雉ならぬ、サルまげ君とコンビニ店員の俺である。


「……なんかかなり不安なんだが、大丈夫なのか?」


「不安ならば、私の後ろにいればいい」


 振り返りもせず、そこ以上に安全な場所なんてないと言わんばかりのその台詞。

 あまりの格好よさに、そこらの女なら軒並み惚れてしまいかねない勢いだが、残念ながら俺はどんなに格好よくても男に惚れる趣味はない! 断固としてない!


「勇者様、やはりヨダには城で待ってもらっていたほうが」


 言いにくそうに、サルまげ君がシオンに提案する。

 くそう、そういう親切めかした態度のほうが、人を傷つけるということを知るがいい!


「俺はやだかんな。どっちか選べってんなら、お前らについてくからな」


 俺はブンブンと首を振る。

 シオンの言っていた、「安全な場所ではない」という言葉の意味は良く分からないままだったが、少なくとも城が居心地の良い場所ではないということはこの三日間で俺は骨身に染みて理解した。

 あそこは、針のむしろだ。


「さすがにあれは、精神的に参る……」 


 これまでどれだけ生活指導に目を付けられても、断固として髪を染めることだけはしなかったが俺が、一瞬でも日和そうになるなんて半端なことじゃない。

 男相手ならどんな態度を取られても全然気にならない。

 だが、せっかく遭遇することに成功した若くてぴちぴちのリアルメイドさんが、その度に変質者に遭遇したような悲鳴を上げて逃げたりしたら、さすがの俺も心が折れる。もうバッキバキだ。


「僕の心はー、ひび割れたビー玉さー」


 思わず懐メロを口ずさんでしまうぐらいには、俺のハートはブロークンだった。

 もちろん、元ネタを知らない二人からは完全スルーである。もしかするとシオンはギリギリ知っているか……いや、知ってたら逆に面白過ぎるな。


 しばらく街道を進んでいると、ふいにサルまげ君が声を張り上げた。


「勇者様、そちらではありません。こっちの道です」


 ちょうど街道は二つの方向に分かれており、シオンは左の道に、サルまげ君は右の道に向かおうとしていた。

 ちなみに俺も勇者と同じ左の道である。何故なら、俺はシオンと同じ馬にニケツしていたからだ。

 くそうっ、なにが悲しゅうて自分よりガタイの良い男の背中にぴったり張り付かなきゃいけないんだよっ!

 確かに俺は馬には乗れないが、そんなの現代社会に暮らす日本人なら大半が当てはまるじゃないか! いくらなんでもこれはさすがに酷すぎるんじゃないか!? むしろ馬車とか用意する案はなかったのですか!?

 シオンの陰で男泣きする俺の存在は軽やかに無視され、勇者は騎士に向かって首を振る。


「いや、こちらの道でいい。急ぎたいマーゲルにはすまないが、先に寄りたい場所がある」

「寄りたい、場所ですか?」


 サルまげ君がいぶかしげな顔をする。

 それは確かにそうだろう。ほんの数日前にこの世界にやってきたばかりの異世界の勇者に、魔王城以外に行く当てがあるとは思えない。

 だが、シオンははっきりとうなずいた。


「ああ、そうだ。こちらの道をまっすぐ行けば、隣国との境だったな。そこを越えて少し行った街に用がある」


 きょとんとする俺とサルまげくんに、勇者は重々しい調子で口を開いた。


「そこにある公文書館で確認したい資料があるのだ」

「まだ資料を漁るのかよっ!」


 俺は思わず背後から突っ込む。サルまげ君も同じ気持ちだったであろうことは、その表情からありありあとうかがい知れた。




 どんだけ下調べに余念がないんだと呆れつつも、勇者の要望は無視できない。

 俺達一行は、丸一日馬を駆け、ぎりぎり日が暮れる前に国境の手前まで着いた。この先はもうニコ・エドゥムラン王国の隣国、上スタンム・ラー国である。

 ちなみに、昔は下スタンム・ラー国もあったらしいが、他国に滅ぼされ今は存在していないらしい。

 色々突っ込みたいことはあるが、そこはあえてスルーさせてもらう。

 何故ならいま俺は、それどころではなかったからだ。


 さすがに夜通し、馬で駆けるつもりはないようで、今日は国境そばの町に泊まることになった。

 だが馬から降りて地面に足をつけた瞬間、俺はそのまま膝から崩れ落ちる。


「け、ケツと腰と背中が痛い……」


 ずっとシオンの後ろに乗っけて貰っていただけのにも関らず、なんかもうあちこちが痛い。泣き崩れそうに痛い。

 まず、ずっと鞍の上で馬の振動にさらされていた尻は擦り剥けたように痛むし、落ちないように緊張していたせいか背中はがちがちに強張っているし、姿勢が悪かったのか腰も痛い。何より全身に筋肉痛フラグが漂っている。


「ヨダ、大丈夫か……?」

「これが大丈夫に見えるか!!」


 さすがのサルまげ君も心配そうにこちらを見下ろしている。だが、その目に「この軟弱者が」という呆れた色が見えるのは、俺の被害妄想ではないはずだ。

 なにしろ確かに俺は軟弱だからな! 家とコンビニを往復するだけの生活を送っていた、都会のフリーターのひ弱さを舐めるんじゃない!


「今日はこの街に泊まるつもりだ。ヨダは先に宿で休んでいるといい。食事は後で持っていこう」

「おう、ありがとな……」


 シオンの申し出をありがたく受け取って、まずは宿に向かうことにする。

 正直、歩いているだけでもだいぶ辛いが、これ以上馬の背に跨っているのも耐え難い。これ以上尻を痛めつけられたら、俺の尻は粉砕されるに違いない。

 宿は先払いのようだ。サルまげ君が宿の店主に声をかける。支払と手続が終わるまでは、宿の前でシオンと待機だ。

 シオンは馬の手綱を手にして、いつもの真面目で堅苦しそうな表情を浮かべている。一度視線で座るように促されたが、ぶっちゃけ今の尻の状態では、座るよりも立っていたほうが楽である。


「なぁ、シオン。あんた、ここまで念入りに一体何を調べているんだ?」


 壁に寄りかかった俺は、シオンに尋ねる。


「魔王の弱点か何かか?」

「違う」


 重ねてたずねると、こちらを振り返ったシオンは首を振った。

 まぁ、確かにちょっと調べたくらいで弱点が見つかるようなら、とっくにニャンまげ国王なり誰かなりが、それを調べ上げて魔王を退治していることだろう。

 だがそうすると今度は、シオンが何をそんなに知りたがっているのかが不思議になってくる。だいたいシオンはニコ・エドゥムラン王国の学者や知識人に聞くのではなく、自分で資料を漁って調べているのだ。酔狂なことである。


「ヨダ。力を振るおうとする者が、常に心に留めておかなければならないことがなにか、知っているか?」

「へ? いや、知らないけど……」


 俺の疑問には答えず、シオンは急に妙なことを尋ねて来る。


「やり過ぎないようにとか、他人を巻き込まないようにとかじゃねえの」


 力を振るおうとするもの、というのはずばりシオンのことに違いない。

 見るからに堅物で、真面目で、気遣い屋のシオンならば、まず周りのことを第一に考えるというのは有り得そうなものだ。あるいは敵にも同情を示して、傷付け過ぎないようにするとか。

 だが俺の考えとは裏腹に、シオンは首を振る。


「疑問を持つことだ。それが正しいという確信に対して、な」


 と、そのとき通りの方から盛大な悲鳴がいくつも上がった。

 目に見える範囲の事ではないので何があったのかは分からないが、ただ事でないことが起きているのは間違いない。

 シオンは逡巡しているような素振りを見せたが、それは一瞬のことで俺に手綱を渡して言った。


「ヨダはここから動くな。何かあったらマーゲルに声をかけるんだ」


 そうしてシオンは騒ぎの中心に向かって駆け出していく。

 残された俺は馬の手綱を手にぼんやりと宿の前に立っていた。ぶっちゃけ万が一馬が暴れだしたら、俺は手を離し馬が暴れるに任せるしかないのだが、放置しておくのも無用心だろう。

 コンビニの駐輪場に鍵を付けっぱなしの自転車を置いておいたら、それは盗まれるほうが悪い。宿の前に鞍を乗せっぱなしの馬を置いておくのも、同じだろう。


 さほど時間を待たず、宿からサルまげ君が現れた。


「あれ、勇者様はどちらへ?」

「なんか通りのあっちで騒ぎがあったから、向かってる」


 シオンが去った方向を指してそう答えると、サルまげ君はかっと目を見開いた。

 

「分かりました。ありがとうございます」


 そして礼を言うと、ひらりと華麗な動作で馬に跨り、一目散に走っていく。

 再び残された俺は、「えっ、あ……おい……」と呟いてサルまげ君の背中を見送る。だが、


「ま、いっか」


 何かあればサルまげ君にと言われていたが、熱血少年に水を差すほど俺も無粋ではない。

 サルまげ君も憧れの勇者様の役に立ちたくて、一生懸命なのだろう。


「つーか、そろそろ俺は宿で休みたいんだが……」


 ふいに、のっそりと宿の中から出てきた黒髪の髭もじゃ男と視線が合う。ツンと鼻に来る臭いが漂ってきて、俺は思わずくしゃみをした。


「おっと、これはすんませんねぇ」

「いや、いいけど。それ何の臭い?」

「他国から仕入れてきた香辛料なんすよ」


 男は律儀に俺に会釈してどこぞに歩いていった。あの大量の荷物と旅装を見るに、アレがまさに行商人というやつなのだろう。否応なく薄味のこの国なら、確かに香辛料で商売をすればかなり儲けられるのに違いない。

 てか、行商人より先にサルまげ君が出てきてたということは、宿の手続は終わっているのだろう。馬をどうするかが問題だが、それも店主に聞けば済む。

 少しの間、馬を野放しにすることになるのが気になるが、のん気に桶の水を飲んでいる馬の様子を見れば、ちょっと目を離したからといってすぐさま逃げ出すということもなさそうだ。

 盗人についても、まぁ、万が一盗まれたとしたらそれはよっぽど運が悪かったということで。


 俺はひとつうなずいて、宿の扉に手をかける。だが、そのとき何者かが背後から俺の肩に手を置いた。


「ん、なん……」


 だが振り返るよりも早く、俺の視界は真っ暗になり、それと同時にぷっつりと意識が途切れたのだった。




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