8、界渡りの勇者、世界の真実と対峙する(シオン視点)
まさかこんなことが起こるとは予想だにしていなかった。
諦観と惰性により、もはやどこへ召喚されてもなんとも思わなくなってしまった自分だが、今回ばかりは肝を冷やした。
魔王を倒すために呼ばれ十六年間過ごした世界から突如森の中へ移動したときは、あそこでの役目を果たし終えた自分が、また他の世界に呼ばれたのだろうとしか思っていなかった。
だが悲鳴を聞きつけ駆けつけた先に、前の世界で召喚される直前まで目の前にいた人物を見つけたときには思わず目を疑った。これまで、召喚に別の世界の人間を伴うことなど一度たりともなかったからだ。
前の世界から共に召喚されたらしい青年。魔法が存在しない代わりに科学が発達し、そこそこ平和だったあの世界から放り出されるとは実に不憫である。
だがこうなっては仕方がない。彼には諦めて貰うしかないだろう。運が良ければ、生まれた世界に戻れる可能性もない訳ではない。
もっともそれよりも先に、自分のように諦めてしまう方が早いだろうが。
魔王の山に向かうヨダの姿を見送り、私は小さく息をついた。
重い銅の剣を手に、嫌そうに山道を歩む姿はかつての自分を思い起こさせ、ふいにわずかな笑みが口元をかすめる。
私が一番最初に召喚されたのもこの世界だった。そして訳の分からぬまま剣を持たされ、山道へ追いたてられたのも同じだ。もはや懐かしいを通り過ぎて別人の記憶のようにさえ思われる。
もっとも、まさかこの世界にもう一度足を踏み入れることになろうとは、これまた思ってもいなかったことである。
この世界の魔王は、長い尻尾とごつごつとした皮膚を持つトカゲに似た三メートルほどのドラゴンだ。
鈍重そうな見かけに反して動きは早いが、実はあの銅の剣を持つものを標的にして追いかけるため剣を手放せば追撃は止むので危険は少ない。
自分のときは、とっさに放り捨てた剣にドラゴンが注意を向けている隙に、崩れかけた遺跡の石柱を倒して押しつぶした。
ヨダにはこのことを伝え忘れたが、いくらなんでも重くて邪魔な銅剣をいつまでも持って逃げることはしないだろうからすぐに仕組みに気付くはずだ。
魔王を倒すことはできなくても、その気を引いてくれるだけでも充分助かる。万が一、邪魔が入っては困るのだ。
そう考えながら私は、集落の住民へ視線を向ける。
山へ向かわず一人残った自分に対して、怪訝そうな顔を向けている住民達。なぜ共に向かわないかと非難のこもった目に苦笑が浮かぶ。
初めてこの世界に来たとき、彼らの言葉は一切理解できなかった。剣を持たされ連れて行かれた山で巨大なドラゴンと遭遇したときも何が起こったのかさっぱりわからなかった。
その後いくつかの世界を巡って、自分に求められている役割の大半が世界を救ったり、魔王を倒したりということだと気付き、何も不審に思うことなく最初の世界からそうだったのだと思い込んでいた。
だが、どうやらそれは誤りだったらしい。
『何故、この男は山へ向かわないのか?』
『そもそもどうして二人もの人間が現れたのだ? 神がそれを望んでいるのか?』
集落の男たちが交わす言葉が、意味を伴って頭の中に入ってくる。
十七番目の世界で会得した翻訳魔法は、この世界でも通用するらしい。だから、最初に訪れた時には分からなかった事実をようやく知ることができた。
『巫女様、どういたしましょう?』
時間の流れ方が違うのか、自分が最初に訪れたときとほとんど変わらぬ見掛けの老婆は重々しくうなずいた。
『うむ、来年の儀式まで拘束しておいたほうが良かろう。儀式は年に一人、それは変わらぬ』
言葉が通じているとは思っていないのか、老婆は悪びれもせずおぞましい計画を口にする。
『だが、この男は先の男とは違い、力が強そうだ。少し弱らせたほうが良いやもしれん。豊穣を与えてくださる山神様への生贄ではあるが、いつぞやの時のように失敗しては適わぬからな』
やはり、な。言葉の端々から推測はできていたが、ここまではっきりと口にされれば思い違いということは有り得ない。
この世界の人間の役に立てたと充実感を覚えていた自分のおめでたさに嘲笑にも似た笑みが漏れる。
だが、それとは別に今の自分はこれを捨て置くわけにはいかない。
『感心しないな』
私が呟いた言葉に、彼らはぎょっとして注目する。
数十人分の目が集まるが、それに怯むような可愛らしさは今の自分には既にない。
『己の繁栄のために縁もゆかりもない異世界の人間を召喚し、生贄に捧げるとはあまりに自分勝手が過ぎるのではないか』
彼らは私の口にした内容よりも、私が彼らと同じ言葉を喋ったことに驚いていたようだった。
それもそうだろう。彼らにとって生贄に召喚するのは言葉の通じない異世界の人間に限られる。
それが、彼らが罪悪感を覚えずにこのようなことをする一因でもあったはずだ。
『しかたあるまい』
他の者達と同じように動揺はしたのだろう。だが、そこは年の功。少なくとも表面上は平静を取り繕って、一歩前に出た巫女の老婆はこちらを睨んでいる。
『この地は実り少なき貧弱な土地。山神様の力を借りて、辛うじて民を養っているに過ぎないのだ』
言い訳がましい言葉に、それがどうしたと失笑が漏れる。と、その時頭の中でヨダの声が響き渡った。
(『もうギブっ! ギブギブ! 勇者っ、てかシオン! 早く助けに来いぃぃっ!!』)
早いな、と思いつつ意識をあちらに向けるとヨダがドラゴンに追いかけられていた。
なにをやっているんだと若干呆れるが、残念ながらこちらもまだ手が離せない。
まだ余裕がありそうだし、もう少しだけ頑張ってくれと声援の気持ちだけを送って意識をこちらに戻した。
『別に生贄を捧げること自体に異議を唱えているわけではない。そんなもの、好きに行えばいい』
これまで渡ってきた世界の中には、生贄と言うシステムが正当性を持って運用されているところもあった。
残酷な制度であることは否定しないが、それがその世界のあり方であるのならよそ者である自分が口を出すことではない。
『だが、その生贄を他所の世界から調達しているのなら話は別だ』
私が彼らを睨みつけると、人々はびくりとおびえた表情を浮かべる。
愚かな村人たち。彼らに悪意はないのだろう。個々人だって、決して悪人と言うわけではない。
ただ、自分たちが生きるために、他者の痛みに目を瞑っているだけだ。
だが、そうした普通の人々が自らの集団を正当化した際の行為ほど、利己的で残虐性に富んだものはない。
それは時に、下手な魔王なんぞでは及びつかないほどのものとなる。
『自らを養うために生贄を捧げるのなら、それは身の内から出すべきものだ。自らは犠牲を出さず、他者を食い物にして利益を得ようとはいくらなんでも虫が良すぎるだろう』
人々が苦々しげな顔でゆっくりとこちらを取り囲んでくる。
彼らだって言われずとも分かっているのだろう。分かっているが、止められない。それが何の罪もない人間の犠牲の上に成り立っているものだと分かっていても、一度手に入れた豊かな生活を捨てることなどできはしないのだ。
『その上、あの魔王はこの世界の生き物ではないだろう。異世界から召喚した魔物の魔力で地力を高めているのだろうが、異質な魔力を吸い続ければ世界そのものが歪んでいくぞ』
二度目にこの世界に召喚したときに倒した六本足の熊。前回この世界に呼ばれたときには、あんな生き物は存在していなかったはずだ。
あれはほんの手始めに過ぎないだろう。
やがては世界そのものが歪み変質していく前兆だ。
『このシステムを継続していくことは、もはやこの世界のためにはならない。一度魔王を倒しただけでは止める事ができないのなら、もはや二度と魔王を召喚できないように根本から分からせるしかないだろうな』
私はもはや相棒とも呼べる存在となった愛剣を喚び出し鞘から抜き放つ。
物騒とも取れる私の言葉と行動に、村人たちはさらに色めき立ち、敵意を持って包囲を狭めていった。
『お主、何者じゃ。何の権限があって我らの邪魔立てをするのだ』
巫女が憎しみと、それから怪訝なものを見る眼差しでこちらを睨んでいる。
私の口元に自然に笑みが浮かんだ。
『私はシオン。世界によっては界渡りの勇者とも呼ばれる。だが、この顔にまだあなた達は見覚えがるだろう』
私はいつの頃から恒常的に掛かっている自らの呪いを解く。
顕わになった私の真実の姿に、彼らの口から驚愕のうめき声が漏れた。
『何の権限かと言われれば、かつてこの世界の魔王を退治し損ねた者の権限と答えよう』
この世界の真の魔王は、異世界から呼び出されるあの哀れな魔物ではない。
他者を犠牲にし続けることに何の抵抗も覚えなくなった、彼らこそが真の魔王なのだ。あの頃の私は、それに気付くことはできなかった。
巫女の老婆はわなわなと口を震わせる。そしてかっと目を見開くと、手に持った杖をこちらに突きつけ泡を吹きながら怒鳴った。
『こやつを殺せっ! こやつは生贄などではないっ。先代の山神様を殺めた極悪人じゃっ!』
その声に触発され、手に凶器を持った村人たちがじりじりと包囲を狭めていく。
と、その時再度頭の中に声が響く。
(『シオン、とっとと来いよっ! 早く助けてくれよぉぉぉっ!』)
「分かった分かった。今行くから待ってろ」
苦笑した私は、力を解き放つ。
体の内より溢れた力が上昇し雲から電荷を引き寄せる。そして、雷が村の上空でスパークした。
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