冷たい夜-3

 いいぞ。ナディアのそんな満足げな、独り言を頭の隅に感じた。

 竜は冷たい床に降りたって、こちらを見上げる。

「あの記憶が、私の中では始まりだ」

 暮葉に刺され死ぬイオレ、その復讐を図る父親、割れ落ちる〝皿〟。

「あれは、どういう経緯があったの。あの場にいなかった人は?」

「ピア・スノウは〝皿〟にいた。東天鈴は〝皿〟を落とすために死に、白伊颯は朱伊皐月と心中した」

 それは、どうして。言ってから答えもわかっていた。わからない。そうだ。今でさえ颯達の事情は知らない。暮葉が死んだら、ナディアも死んでしまうらしいのに、なにひとつ。きっとあの、ナディアの記憶の中でもそうだっただろう。

「待って。その前に、あなたと暮葉さんとはどういう関係なの。なんでそれを、ピアが知っているわけ?」

 そうだ、それを知らなければいけなかった。色々なことが一度に起こりすぎて、頭の中がまるきり整理されていなかったから。それに、もう一つ。時間を遡るということについても。

「朱伊暮葉と私とは、生命を共用している。このことに関して知っているのはこれだけだ」

「そんなことが可能なの? しかも暮葉さんは外の世界の人間だし、」

「私は、知らない。ピア・スノウはただ推測しただけだろう」

 当たっていたから腹が立つ。声にはしなくても、竜の悪態が頭に響いた。

「ならそれを、最初に知らなきゃいけない。あと、時間を遡るって、どういうこと」

 これを更に掘り下げてももうなにも分からないだろう。知らないと言っている以上、知っていても吐かせられない。それならまた別のものを話させるほうがいい。話しの流れを握っているうちに。

「そう急くな。これは言質を取り合うような話しではない。悪くもないが」

 にやり。竜が口角を上げる。思考が丸見えになっているみたいで不公平だ。それでもいちいち言葉にして説明する手間が省けるのは良いかもしれない。いや、やっぱりまだ喜ぶ気にはなれない。

「世界は、あらゆる可能性で分岐し、数多に存在する。さっきアレイシアが白伊颯を救った世界がここなら、救わなかった世界も存在する」

 個人的にはその存在空間がどこなのかが気になるところだ。本題ではないから黙っていることにする。

「竜は全ての世界を跨いでただ一匹だ。人間は世界ごとに一人、つまりは白伊颯を救わなかった世界にもアレイシアは一人存在する」

「他の可能性の世界ではあなたは存在しないってこと?」

「ここにいる限りでは、実在はできない。実物が一つだけということだ」

「だから、時間を遡れる?」

「正確には、他の可能性の世界へ自らの意思で行くことができる。まだ事態が動いていない世界へ行き、それから起こりうる事態の回避を試みてきた。人間から見れば時間を遡っているように見えるだろう」

 わかるようでわからない。竜が世界を跨いで同時に存在できないことが、世界をふらつくことのできる理由にはならないように思う。それをわかっていてはぐらかしているのか、わかっていないのか、どちらなのか。まあどちらにしろ、事態の解決には関係がなさそうだ。

「でも興味深い情報ね。魔術粒子の物理的性質は研究の余地がまだたくさんある」

「だからまだ死ぬわけにはいかないな」

 ナディアの笑みは共犯者じみて、アレイシアはなぜだかほっとした。

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