冷たい夜-1
***
あれはナディアが見せたのだろうか。割れ落ちる”皿”、あの、生々しく手に残る環の身体。あれは、このままだとこうなるぞ、というナディアの作り出したありもしない未来だろうか。でも、だとするなら、止めてみせる、あの意志は借り物だとしても胸になじんだ。ナディアが死んでしまう、耐えられない、あの叫び出しそうな焦燥も。ならなぜだろう。ナディアとの物理的な繋がりは――この左腕は、できてほんの数時間だ。たったそれだけで、あんなに私の内面まで忠実に作り出せるだろうか。いや、竜になにがどれだけできるなんてことは、人間はこれっぽっちも知らないのだ。そうだ。ただ一度、手を触れただけで取り憑かれてしまったのだから。
それは、私のせいじゃない。
頭の片隅でナディアがうそぶく。この感覚は形容し難い。声に出していないのに会話ができるような、そもそも言葉にする必要もない。
ナディアはアレイシアの意識の片隅に常駐しているみたいだった。だから、考えていることはナディアには丸見えで、常駐している微かなナディアを窓口にして、ナディアの頭の中を探ることもできなくはない。だけれど探りに行くわけだから、集中しなければできない。あの記憶みたいなものを見せられたときは、無理矢理窓口の向こうから手が伸びてきて、引きずり込まれたみたいだった。
その感触の力強さに、これ以上の興味をかき立てられる。竜のことを、人間はこれっぽっちも知らない。
ぐるる。竜が喉を鳴らす。撫でられた猫のように眼を細めて、すり寄ってくる。
頬に触れるあつくかたい感触。飛び起きて、壁に繋がれていた鎖に引っ張られつんのめる。
すっぽりくるまっていた毛布が肩からずり落ちた。真っ暗の空間に鉄格子がぼんやりと浮かび上がって見える。壁越しに、少し遠くに、人の気配がした。牢で寝るとはこういうことか。いつも見られているわけではないのに、いつ見られるかわからない。気の抜き方が分からず、気力が削られてきりきりした。
学校の地下室よりはずっと人気がなく、ひんやりと冷たい牢だ。あそこはむせ返るような情念が壁や床にこびりついていた。どちらにしろ牢は良い場所ではない。
ジョンは仮住まいだと言った――彼にも立場がある――が、このまま捕虜にでもされてしまうような可能性が高いような気がしていた。
流風は颯を連れ出せたのだろうか。これで彼女が死んでしまったら、本当に、自分はなにをしているのか。
寒い。鳥肌がたつ。
話をしよう。ナディアが脳内でささやく。さっき思わず飛び起きて身体を引いたのは、別にナディアのせいではない。ない、と思う。そんなに怯えなくても、と思う。暗闇で見えないが、左手を開いて閉じ、開いて閉じる。この手は、ナディアだ。そしてこの右腕はずっと、あの朝触れたときから、この竜のものだった。この両腕はもうナディアのものだ。手がなければなにもできない。もう、ナディアなしでは。
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