魔術師と竜と世界-2
隣国の魔導師ジョン・カーター。外の世界の技術を魔術と融合させる研究の第一人者で、隣国の魔術師のトップ。
彼は緊張感なく、早坂と昴に手を上げて挨拶し、昴の横に並んだ。
「ああ、ここは緩衝地帯だからね。未だ敵国同然の君たちがここにいることは一先ず黙ってある。なにせ世界を決める大事な場だ」
なんのことだ。誰も答えないことで彼は気がつく。
「なんだ、早坂はまだ話していなかったのか。我々はね、ここにいらっしゃる昴殿の協力を得て、この世界の守りを固めるつもりだ。貴君らにも協力してほしい」
ジョンはなんてこともないように言った。それでも声は真摯に聞こえる。
竜は地上と天界どちらにも属さない第三勢力だ。本当に世界を守るつもりなら味方にしたいだろう。
「この世界はあの〝皿〟によって守られている。我々が望む望まずに関わらず」
「ナディア殿、外の世界は我々の世界より広い。異邦人は少しずつ増えている。そして、遠からずこの世界は異邦人達に攻め込まれるだろう」
ナディアは鼻で笑う。それが建前に過ぎないことはアレイシアでもわかった。ジョンもまさか本音ではないだろうが、上手くそれらしく装っている。
イーゼ王国が表明している意志は「世界解放を支持する」だ。一枚岩でない王国のどの勢力の意志かは知らないが、議会と深い繋がりをもつ魔術師団がそれに反対する思想を持っているということは、王宮側の意志なのだろう。
ジョンの属する隣国は異人の持ち込む技術を取り入れる政策を推し進めている。そのため表明されている意志は「世界解放を推し進める」だ。そもそも言い出したのは隣国で、今のジョンの行動とは異なる。
どこも一枚岩ではないのは同じか。
「地上を勝手に線引きした人間が、世界までそうするのは勝手だ。だが、私をそれに使うなどとは考えないことだな」
竜はうっそりわらった。ざわざわ、発動を待つ魔術がさざめく。人が竜を怖れるのは、人が頭を絞って使う魔術を、息をするみたいに使うからだ。人が一度に指示することのできる魔術粒子には限りがある。竜にはない。魔術粒子の塊である身を構成できなくなるまで、無限に近い魔術粒子を操ることができる。巨大な身体と牙、爪を動かす必要もない。眼に見えず、存在だけは感じ取れる魔術に狙われる。
人間たちがその恐怖に固まっている中、ピアのそっけない声が投げ捨てられた。そうね。
「世界に振り回されるのも疲れるしね。彼らにまで振り回されるのは嫌でしょ」
懐柔する言葉は、随分そっけない調子だ。彼女は肩を竦める。
「でも振り回されてもらわなきゃ困るのよ。私もあなたも、命がかかってる。ついでに彼女もね」
くるり、ピアが身体を向けたのは、暮葉だった。大股で歩み寄る。彼女は虚空から剣を引き抜いた。
翼(たすく)の腕にしがみついている暮葉が悲鳴をあげる。
「ご馳走を前に死ぬのはどんな気分かしら?」
ぐるるるる。鼻息荒くナディアは唸る。それを見上げるピアの眼は笑っている。
翼(たすく)が暮葉の肩を掴んでじりじり後ずさるが、彼の後ろには青い上着の魔術師が数人。両方からは逃げられないだろう。
ピアが立ち止まる。剣が届く距離まであと一歩。翼(たすく)がタイミングを図って足をずらす、ざり、土の音が聞こえる。
ナディアは再び唸り、
「昴、魔術粒子の供給源は〝皿〟だ。違いないな?」
事態について行けず立ち尽くす天界人に怒りの声をぶつける。明らかに八つ当たりだ。
昴は頷く。
「閉ざされたこの世界が外の世界と繋がるとどうなる」
待て。昴は言って竜と竜を脅迫する魔導師を交互に見遣る。
「話が見えませんね。彼女の命と、君になんの関係が?」
私に。
ナディアとピアの声が重なる。どちらも同じ、怒りを押し殺して、押し殺しきれていない声だ。
「説明する義理はない。特にあの忌々しい〝皿〟の連中にはな」
続けたのはナディアだった。
「もう一度聞く。閉ざされたこの世界が外の世界と繋がるとどうなる」
竜の声には三度目がないように聞こえる。満足できる答えが無ければ、さざめく魔術の波がこの場をなぶるに違いない。ピアが暮葉を殺すのがその前か、後か。
昴に視線が集まる。しかし彼は答えるのを渋った。
「天界は供給限界にあります。世界が繋がれば魔術粒子が満遍なく行き渡ることはなくなるでしょう」
竜は答えない。満足していないのだ。
天界人は声を絞り出した。
「魔術の発動に必要な量を確保することは極めて困難になります」
つまり世界を守るのは〝皿〟を守るため――魔術という特権を持ち続けるためだ。天界人と魔術師団と隣国の魔導師が手を組む目的としては十分すぎる。
「どうだ、今の気分は?」
ナディアが眼を細める。脅迫するピアと同じ眼だ。昴は俯いて答えない。
「世界が解放されれば、ナディア、あなたも、あなたの同胞も死ぬ。それは困るでしょう」
どうかな。ナディアはピアをあざ笑った。ぐっ、竜が器用に首を巡らせ、足下にいるこちらへ、鼻先を突きつける。鼻息はむせるほどあつく、しなやかなしろい肌は鱗に覆われている。最初に会ったときと違うのはなぜだろう。大きく澄んだ瞳はくろい。その奥が計り知れなくて、背筋が寒くなった。自分は今、崖っぷちに立っているのか。
「彼女を喰えれば満足ってわけ」
ピアの声が飛んでくる。不満げな声。が、そんなものより、自分が何か言うべきだ。この竜に、ナディアに対して。
「満足した私は口を滑らせるかもしれないな」
ナディアは意地悪くほくそ笑んだ。ピアがこれ見よがしに舌打ちするのが聞こえる。
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