魔術師と竜と世界-1
「実に不快な呼び出しだ」
竜は低く唸った。牙の間から漏れ出る声も不機嫌にすごんでいる。
十数年前に出会ったときとは、いろが違う――朝日の中に消えていったくろい染み、先日事務所に現れたしろい鋭利な体。でもどれも、この、この竜。姿かたちを全て覚えているわけではない。覚えているのはあの手触りと、くろい染み、呼吸するだけで鼻がつんとする空気。においで分かる。なにか、なにか言わなければ。何に急いているのかわからない。でも、なにか。あの牙に裂かれる前になにか伝えておきたいのに。
「やあ、ナディア。会いたかった」
昴の声が聞こえて、竜を見上げたままだったことに気がつく。ナディア。まさしく。この名前にはこの存在にしか当てはまらない。ありきたりな人名なのに、どうして今までこの竜と結びつけなかったのか不思議でならないほどだ。やっとその名前に納得ができる。
昴が笑顔で腕を広げ、数歩前へ、こちらへ寄る。ナディアは鼻で笑った。
「はじめまして、昴。私は会いたくなかった」
「欲しいものは渡した。我々に大きな貸しをくれても構わないぞ」
身を乗り出したナディアの腕が、アレイシアのすぐ横を踏み抜く。
「彼女を渡すことができるのは彼女だけだ」
取り返されるのを待つか、自ら返すか。その時を決めるのが自分か相手か。
幼いあの朝、ナディアがこの身に残していった魔術に関するあらゆるものを返さなければならない。この身ごと返さなければならない。「その時を決められるのは本人だけなのよ」そう言っていた姉を思い出す。姉には決められなくて、代わりに決めたのは相手の竜だった。
「私の目の前で彼女を殺そうとしたな。その理由を聞こう」
「あなたにどうしても会いたかったから」
ピアの声だ。彼女は昴の一歩後ろに立っている。足下にいるだけですくみ上がってしまう威圧感をものともせず、
「竜が墜落する原因を知りたい。教えてくれるなら私の命をあげる」
「私には興味がないな」
「あなたにはね。でも復讐に燃える同胞は?」
なるほど。それでもナディアは興味なさそうに相づちをうつ。
「ピア・スノウ。この限られた世界で魔術粒子の地上分を管理するために存在するお前が、私に助けを求めるとは。まずは考えを聞こう」
随分重要なことをさらりと言う。初耳だ。魔術粒子について、地上の人間がもつ通説は便利なもので、おそらく〝皿〟や竜はもっと詳しいことを知っているに違いないということだ。
その通りだとするなら、竜が明言し、昴が否定をしないこれ――魔術粒子は地上と天界で別けて管理されている事、その地上分を管理しているのがピアだという事、ピアがそのために存在している事は、事実なのだ。
もしかしたらこの場は――ピアと竜と天界人と魔術師団が同席しているこの場は、とてつもなく重大な意味を持つのかもしれない。それをお膳立てしたのは、まぎれもなく昴だ。
「竜は一定数以上の魔術粒子の余剰分が集まったものでしょ。どうしてそうなるのかは、私も天界人もあなた達も知らない。だから、その仕組みに不調があるんじゃないかしら」
それはアレイシアも知っていた。天界人も竜も知らないというのは知らなかったが。
「知らないことより、わかりきっていることはどうだ。ピア・スノウ。おまえが、我々のうちの一つを殺し損ねたからだとは考えないのか」
「もちろん考えた。竜が墜落しているのは、地上分の魔術粒子が足りなくなって、竜が身体を維持できなくなったからじゃないかって。でも私は地上に魔術粒子が不足していることを感知していなかった。だからあなたから竜側の事情を聞いて、確認したい。一連の墜落の原因が、私のミスによるものか、私達の計り知れない世界のせいか」
ナディアが喉を鳴らす。ぐるるる。細まった眼は楽しげだ。竜はなるほどと前置きして、
「それだけにしては多いな。天界人と魔術師と、外の世界の住人。今一人増えたか」
一同を見渡す。早坂は何か言いたげに一歩踏み出したが、「一人増えた」と聞いて振り返った。青い上着を着た魔術師達がそれにつられる隙をついて、翼(たすく)は抑えつけられていた魔術師を振り払って暮葉を引き寄せる。
新しく加わったのは男だった。紅い上着を着ているが、形は違う。魔術師の色区分はこの世界で共通だ。しかし上着の形は国によって異なる。男の上着は隣国のものだ。
「遅れて申し訳ない。ジョンだ。宜しく頼むよ」
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