第二章「再会」
母校
馬車から降り立ったのは懐かしい場所だった。古ぼけた城の、塀に囲まれた庭園。アレイシアがここに初めて降り立ったのはもう二十年近くも前になる。
「母校へ帰ってきた気分はいかがですか」
「・・・・・・懐かしいですね」
「そうでしょう、そうでしょう」
もう一台の馬車に乗っていたらしい天界人が、くすくす笑う。答える気もなかったのに、懐かしいと口に出してしまっていたらしい。アレイシアはびっくりして見た天界人――昴と呼ばれていたか――から眼を逸らした。細い金髪、つくりものじみた顔の造形は東に驚くほど似ている。
城を見上げる。ひときわ大きく、高い尖塔がひとつ。その足下が母屋で、いくつかの建物が屋根付きの通路で繋がっている。塔がいくつか、母屋群を取り囲むように建っていた。ここで起きたこと――あの塔の実験室で爆発を起こしたとか、あそこの食堂でよくご飯を食べたとか、そんなつまらない記憶の影が見えるようだった。
「良いですね。ここは彼にとっても懐かしい場所ですから。私はかのオフィーリアの伝説が非常に好きなんですよ」
振り返って見た昴は眼を細める。
「ナディア。初めて召喚された竜。彼と、彼を召喚したオフィーリアは惹かれあい、陰謀と運命によって添い遂げることのできなかった彼らは喰らい喰らわれることを選んだそうですね。今、ナディアがあなたを待つ場所としてここを選んだ気持ちがわかりますよ」
反射的に組み立てた術式は魔術粒子を一直線の刃物にして昴の喉へ飛ばした。それを、彼はつまみ上げる。眼に見えるはずはない。
「なるほど、君はこうしてここを生き抜いたわけだ。しかし無礼が過ぎる」
彼は軽く手を振る。取り巻きの魔術師達に送った合図かと思いきや、動いたのは紅い上着だ。背に堅いものが当たる。
私だって命がかかってる。耳に触れた息と一緒に、ささやき声がくすぐってきた。そのこそばゆさに身体をひねると同時、後ろ手に縛られていた紐がほどけ、ピアに突き飛ばされ、よろける。彼女は掌を鞘にして虚空からゆっくり剣を抜く。柄も刀身も透けていて、向こうがぐにゃりと歪んで見える。水だ。水でできた剣。
見たことがあった。刀身は変幻自在だが、触れるだけでぱっくり裂ける。水の魔導師であるピアのとっておきだ。
相手のしようがない。ピアが肩から突っ込んでくる。慌てて飛び退くが、振り抜かれた切っ先が頬を掠めた。ちりりとあつい。どうして。思うものの頭の中はまとまらない。返し手で振り下ろしが来て、横、切り上げ。その度に一歩ずつ下がり、背が馬車に突き当たる。
誰一人殺させやしない。あれは、自分が手を下すっていう事だったの? でも、それなら。
まとまりそうな思考が、再びぱっと散る。剣を突き立てたピアの眼に魔術を見たからだ。
打ち消すことなんかできない。彼女が今何を考えて、何をしようとしているのかわからない。今まではすぐにわかったのに。それでもこのままでは後ろにも前にも行けない。
馬車を吹き飛ばし、その爆風の中へ、背を倒す。馬車に手を着いていたピアが前へ、倒れかかってくるのを避けて駆け出す。雑に組み立てたにしては派手に爆発したが、ピアの術を邪魔できたのは幸いだった。彼女にしては組み立てに時間がかかっていたが、何の術だったのか。だってどうせ殺せないのだ。竜に差し出すときは無傷でなければならない。
それなのに、これはどういうことだ? 昴もピアも承知しているはずだ。なのに、なぜ。
ぱちぱち、ぱち。馬車の破片を踏む音が大きくなる。迫ってくる。近付いてくる。音が大きくなる一方なのは、視界が動いていないから。アレイシア自身が、足を止めているからだ。逃げるのか、立ち向かうのか、決められないまま、もう間合いに入っているかもしれない。それでも足は動かない。
昴が演出をしてピアが演じさせられているこの茶番はなんだ? おそらく事務所の前から続いていたこれは?
振り返ればピアはすぐそこまで近づいている。剣の柄を腰で握りこむ構えは刺すためのものだ。わからない。それでは殺してしまうのに。
幕が降りるように、ピアとの間にしろい帳が降りてくる。触れてもいないのに硬質だとわかるそれは、翼(つばさ)だ。あのにおいがする。あの朝の、朝露のひんやりした、じっとりした、湿った土のにおい、熱のにおい。あつい獣の鼻息。仰げば、喉が見える。細長く尖ったシルエット、規則正しく並んだ鱗。その向こうに空に浮かぶ〝皿〟が見えた。
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