東と朱伊-1


***

 二日前の昼過ぎ、東は朱伊の診療所にいた。昴がピアを訪ねてきたとき、事務所のすぐ裏にいたのだ。

 前の晩、夜中に事務所裏を軍の部隊ーーそれも外界の者のみで構成される異邦人の部隊に占拠されたこと、彼らの目的が朱伊たちだったことを問いただしたかった。

 あんなに物騒な連中をこれからも引き寄せられてはたまらない。

 翼は「執念深い追っ手」以上の説明をしなかった。直接颯・ローレンツから聞き出したほうが手っ取り早いはずだ。

 しかし診療所に颯の姿はなかった。朱伊がひとり、カーテンを閉め切った暗がりの中で酒瓶と床に座っている。

 酒くさい。起きているのか、眠っているのかわからないふにゃふにゃとした状態だった。

 彼とは何度も呑んだことがあるが、あんなにひどい飲み方をしているのは見たことがない。

 だから、東は翌日も朱伊を訪ねた。今頃アレイシアはピアと会えているだろうか。その次の段取りに考えを巡らせながら。

「まだ呑んでるとか言うなよ」

 診療所は二階建てだ。闇医者には立派すぎる建物は一階に医療器具とベッドが並び、二階は住居だそうだ。

 一階は昨日と同じ様相だった。カーテンが閉め切られて暗い。ベッドを隠す衝立や背の高い医療器具が倒れ、椅子もひっくり返っている。今日はベッドとベッドの間に朱伊の姿は見当たらない。床に転がった酒瓶は昨日よりも増えている。

 朱伊は二階だろうか。階段から上を覗き込んだところで、当人が顔を出した。

「昨日見たことは他言無用で。お願い」

 にへらっ。朱伊は手を合わせて首を傾げる。まだ酔っているのか。

 彼は酒瓶を拾い始める。

「一昨日の夜の連中は?」

「追っ手だ。軍の異人部隊と鉢合わせしたらしい。どうして一昨日なのか、とかどうしてここに集まったのかは知らない」

 彼の言うことは翼と変わらない。どこまで話すか口裏を合わせてあるのだろう。

「その追っ手とかいうやつが来た翌日に、たまたま、偶然事務所に客が来たって?」

 朱伊の投げやりな声につられて、東は硬い声で返した。

 事務所に来た客がアレイシアの不在を狙っていたのは確実だった。先週届いた議会への召喚状。その日付は誰にでも手に入れられただろう。むしろ〝皿〟の連中は、そうやって都合の良い日取りを組んだのかもしれない。

 その計算の中に朱伊がいう追っ手とやら、それに釣られる異人部隊も入っているだろうか。なんのために? 日付しか合わないこの偶然を、結びつけてしまうのは考えすぎだろうか。

「偶然。あいつらもこっちじゃあ異人だ。〝皿〟とか魔術師団だとか、そんな連中との関わりはないはずだよ」

「どうして言い切れる?」

 本当は颯を問いただすつもりだった。が、朱伊でも良さそうだ。これを突き止めるために残ったのだから、なんとしてでも聞き出してみせる。アレイシアはこういったことの解決は苦手だ。彼女がピアを連れて戻ってくるまでに片を付ける。

「知っているから。この世界の誰よりも、この世界のことを」

「冗談は聞きたくない」

「なんだ、言って欲しいことを言ってやったのに。考えすぎだぞ、東。異人部隊を仕切っているのは議会で、議会の差し金でお前の大事な魔導師様は連れて行かれてしまった。二枚舌は誰だ?」

 朱伊の声音は常と変わらない。

 議会が〝皿〟――天界と組むことなどできない。この国の王宮ですら、国王ですらできはしない。手を組むことがあるとすれば、相手を選ぶのは天界のほうだ。

 そして今回、天界が選んだのは魔術師団だった。まったく意外なことに。

 魔術師団が天界の協力を得て事を起こすために議会を動かさせたのだろう。

やつらの目的が竜の墜落調査だというのも真意ではないはずだ。ピアと竜。嫌な組み合わせだが、だからこそ東がここを離れるわけにはいかない。誰かが帰る場所を守っていなければ。

「議会は天界と魔術師団の真意を知らない。やつらのことはよく知ってる」

「どうして言い切れる?」

「天界が魔術師団とピアを使うのに儀礼的に話を通しただけのはずだ。〝皿〟の連中は地上を馬鹿にしているから」

 なるほど。朱伊が相づちをうつ。彼は床に散乱したガラス片――倒れた医療器具だか、酒瓶だかグラスだかだったものを掃き集め始める。

「議会は連中に利用されている。つまり、議会に仕切られている異人部隊の作戦とニアミスしたのは偶然だな」

 どうだろう。天界の息がかかった魔術師団が、議会に部隊の一つ動かさせることくらいできたはずだ。だが、魔術師団を間に挟む理由はわからない。

「あの追っ手とかいうのが異人部隊の的になっていたのはなぜだ?」

「言っただろ、東。あいつらもこっちじゃあ異人だ。違法に武装していれば軍に追われるのも当然」

 お前達の追っ手が天界と魔術師団の企みに関係しているんじゃないか。頭にこびりついたこの考えを今、朱伊相手に口に出すには根拠が無い。

「ならどうしてお前は突然昔の男に女を取られて飲んだくれてた」

「お前にだけは女がどうこう言われたくない。娘のためだ。あの屑のためじゃない」

「どうして言い切れる?」

 疑惑はあるのに聞き出すことができない。東の八つ当たりに、朱伊の手が止まった。からり、箒を手放して、こちらを睨む。

「よほどの修羅場だったんだろうな。見逃して残念だ」

 室内がこれだけ荒れていながら、朱伊の顔にはあざ一つない。この優男は、彼曰く屑男から、あのやけに筋肉質な女に庇われる一方だったということだ。その上みすみす女が連れて行かれるのを指をくわえて見ていた。

 昨日颯がここにいなかったこと、朱伊がかつてなく飲んだくれていたことはそういうことだ。

「どうしてそれがあの夜だった。なぜ魔術師団どもが来る前日だった?」

「娘のためだ。偶然。あの夜が追手の来た後だったのも偶然。白伊が日にちを選んでいたのかもしれないしそうでもないのかもしれない、俺の知ったことじゃない」

「白伊。その連中は何者だ?」

 追い打ちをかけると、朱伊は早口に噛みついてまくしたてた。その中にぽろりと出てきた言葉を逃さない手はない。

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