馬車の中

***

 魔術師団の馬車は魔術で動いている。だから正確には馬車ではない。金属でできた荷台の、進行方向側にある仕切りの向こうで御者が進行方向を指示しているのだ。感じ取れる術式をぼうっと眺めていることに気がついて、アレイシアは頭を振った。眠っていないからだろうか。頭がぼんやりする。

 馬車が急停車した。

 荷台にはアレイシアのほかに暮葉と翼とピア、他に三人の魔術師が同乗していたが、慌てて魔術師たちが降りていく。

 暮葉がいそいそと翼にぴったり寄り添う。彼の顔は腫れ始めて、襟ぐりがよれていた。魔術師団も随分乱暴になったものだ。

「大丈夫よ。この内の誰一人殺させやしない」

 ねえ、声を出す前にピアが口を開いた。すかさず彼女を睨んだ翼に、人差し指をあげる。

「やつらの前で竜に証明してもらう必要があるの。こうなったのは私のミスよ。ごめんなさい。でも、信じて欲しい」

 彼女は珍しく早口でまくし立てた。その眼と声は真剣だ。口を挟む隙がない。

 やはり彼女は魔術師団と天界人と好きでつるんでいるのではなかった。そう信じたくなる。

「すぐそこであの竜が待っている。暮葉さんの件もここでけりをつける」

 あの竜。ピアと偉そうな天界人のやりとりがよぎる。「生け贄」「受け取ってもらえない」昔、染みになって消え、先日事務所で色を失って消えたあの竜。次会うときは嫁ぐことになるだろうと思っていた。もしかしたら、ピアが交渉するなら、もしかしたら。

外が騒がしい。足音と、近づいてくる声は早坂だろうか。お願い。ピアが三人を見回し囁き、立ち上がった。馬車の戸を開ける。

「弟子と母親だ。説明をお願いしたい」

 早坂は戸が開いたことに驚いたみたいだったが、ピアに降りるよう手を振ってこちらに背を向ける。ピアと入れ替わりに魔術師が乗り込んできて、戸が閉められた。

 颯は国境に行くことになったと言っていたが、東の国境だっただろうか。あの時は動揺していて、確信がもてない。でも彼女がどうしても外せない用件みたいに言っていたのは覚えている。娘が関わっていたのなら納得だ。それにしてもイオレはなぜこんな所にいるのだろう。

 外で誰かの言い合う声が聞こえる。馬車の戸を開けたのは早坂だ。開けた戸口で外の魔術師に指示を言いつけて乗り込み、さっき乗り込んできた魔術師を追い払った。

「王宮魔導師の一人が実験のためにこの町に来ていて、少し足止めされています」

 こちらは今まるで捕虜だ。そんな女に対する口調の変わらなさが嫌味に聞こえる。早坂は分かりやすい男だ。嫌味というわけではなくただ普段通りに話しているに過ぎないのだろう。ただ、それだけのことなのに神経が逆立つ。

 魔導師の実験といえば、新しい魔術の開発実験と決まっている。こんな辺境で、ただ通過するだけの馬車を止めるとは、ただ事ではない。確かに魔術実験の最中に魔術師団が現れれば悪意的に捉えられるのは当然ではあるものの、それなら足止めなどせずにさっさと素通りさせてしまえば良い。もしもピアの実験中に早坂どもが現れたら、アレイシアはそうする。

 つまり、イオレの取り巻きが馬鹿なのか、素通りさせるのも嫌なほど重要な実験かのどちらかだ。学生時代の研究内容からして後者だろうか。

「イオレ・ローレンツも、なかなか――名前など詐称するまでもなく極めて優秀な魔術師ですからね。無理に魔導師なんかになるからこうして面倒なことになる」

「大人しくあなた達のお仲間になっていればよかったって? あの子がこんな乱暴をするわけがないでしょう」

 早坂はアレイシアにしたように、環――イオレと名を変える前に、彼女を魔術師団に勧誘している。当然環はそれを受けなかった。

「手厳しい。あの学校の首席は皆そうでいけない。いくらあそこの苛烈極まる競争を勝ち抜いてきたからといって、ああ、そうだ。説明しましょう。そちらの異邦人であるお二人のために。アレイシア・ソルドヴィック女史は非常にすごいお方なのですよ」

 暮葉はきょとんとする。翼も眼をしばたたかせるばかりだった。こっちを見られても、アレイシアもどんな顔をすればいいのかわからない。

 早坂は説明した。イーゼ王国立魔術学校の設立の変遷なんかを。

 この世界にひとつしかない大陸は、大きく二分されている。だが小国の寄り集まった地域もあり、イーゼ王国はそこから次々小国を吸収していた。イーゼ王国のそんな動きに戦々恐々とした、大陸のもう半分を占める隣国がイーゼ王国の国境を侵す。イーゼ王国に争いは絶えなかった。

 人員は不足する。資源も枯渇する。国民は飢え、子を育てることもままならない。その中でイーゼ王国が打ち出した魔術戦力確保のための政策が、寄宿制の王国立魔術学校創立だった。

 魔術には適正がある。イーゼ国内の全ての者に入学試験の資格を有するものとし、適正のあるものに教育を与え魔術戦力として戦地に投入するというものだ。

 全て無料だった。むしろ、家族が魔術学校に入学した際には、卒業までの数年間に家族が当人によって受けるはずだった労働力の対価として、大金が家族に貸与された。このお金は、当人が卒業した際家族に返還義務が生じる。卒業することができた者は家族の元に帰り、受けた魔術教育により職を得て利益を得ることができるためだった。卒業の後、軍属など国の職に就けば返還は免除された。また、後に家族がその利益を得ないと立証できる場合にも免除されることとなった。

 貧しさと飢えに喘いでいた国民の多くが、子を国に売り渡した。

 運良く適正を持ち、入学することのできた子は皆国の職に就くため必死に学んだ。落伍者は前線送りになった。それを恐れ、国の職に就けずとも家族が貸与金を返し『買い戻してくれる』ことを夢見ていた。

 主席は魔導師の席が約束されているようなものだった。皆が成績上位を争い、数少ない指導役の魔術師と生徒だけ、周りになにもない城という立地から、校内は成績順位による階級社会と、あらゆる手法を問わない違法地帯と化した。

 成績優秀だけで上位で居続けることはできない場所だった。引きずり下ろそうとする罠と企みがどこにでも潜んでいて、暗殺されることなど日常茶飯事だった。特に主席は。暴力、賄賂、ときに性を売ることさえ、あそこでは普通だった。

「アレイシア女史は、そこで入学から卒業まで主席の座に君臨し続けたお方なのです」

 アレイシアもまた、国へ売られたひとりだ。竜と出会い、適正を与えられたあの朝から間もなく、魔術学校へやられた。買い戻す気もあったかもしれない。だが帰る気はなかった。

 竜はおそらく己のために、アレイシアへ魔術の適正と知識を与えた。だがそれを元手に魔術学校で学ぶたび、新しいことを知り、できるようになるたび、アレイシアは魔術にのめり込んだ。

 そして、立証したいことができたのだ。

 この才能は借り物で、いつか命と一緒に返さなければならないにも関わらず、その命題はアレイシアにとって命よりも大切だった。

「研究テーマもまた素晴らしい。魔術の基礎単位である魔術粒子の、物理的特性の解明。これができるのは彼女だけでしょう。そして、その成果は魔術を次の段階へ導き、永劫その基礎となる」

 暮葉と翼はぽかんとしている。アレイシアには読めてきた。早坂がこんなに人を褒め称えるのは、彼にとってこれが根拠であるからだ。

「だというのに、あなたは竜に嫁ぎ、あの獣に喰われて命を落とそうとしている。研究を放り出していくのは無念でしょう?」

 ふざけるな。思わず出た声が大きい。立ち上がろうとする肩を、早坂に抑えつけられる。鳥肌が立った。身体を捻って振り払う。

「横取りなんて許さない」

「研究まで一緒に死ぬ必要は無い。魔術粒子の物理的特性を研究しているのは、あなただけだ」

 言い聞かせられなくても知っている。誰もが当然に思っていることに疑問を投げかけ、解明し発展させ実用化する。魔術粒子の物理的特性の解明と応用――唯一無二の研究。研究者としてこれほど嬉しいことはない。この研究を進める使命は誰にも渡さない。たとえ死んでも。まさか、早坂が天界人と組んでいるのはこのためか。

「基礎研究は卒業論文にまとめた。そこから勝手に進めればいいじゃない。人の成果を横取りなんかせずに」

 早坂は分かりやすい。彼は反論しなかった。魔術師団の上層部に名前を連ねる一人として、魔術師として、研究者として、彼にもプライドがある。「できない」と言えないのだ。

「あなただけには引き継がない」

「しかし、あれは重要な研究だ。魔術に新しい可能性を見いだせる」

「そんなにこの研究が大切なら、私を死なせずに済む方法を考えれば」

 早坂は今度こそ口をつぐんだ。思った通り、早坂はあの天界人に意見を言える立場ではないらしい。それにしては、あの天界人と対等に見えたピアに対して態度が大きい。彼は必ず目上の人間にごまをするやつなのに。

ふと視界に入った暮葉の顔が青ざめて固まっていた。翼も同じ様な顔で、言葉を探しているふうだ。

「死ぬより怖いことだって」

 彼がやっとひねり出した声は震えている。だから死だとは知らなかった。そんな所だろうか。ピアは一体どんな説明をしたのだろう。

「竜に性別の概念はないの。ただ女性を好んで食べるから、生け贄を捧げることに婚姻という隠語を使っているだけの話」

 ここまで来てこんなに簡単に口に出せるとは思わなかった。未練がある。死にたくない。でもあの竜に引き寄せられていると感じるのだ。会う理由が何であろうが、結果として命を落とそうが、会わなければならないと。その時を決めるのが自分か相手か、問題はそれだけだ。

「ごめんなさい。私、なんてことを」

 暮葉は既に鼻声だ。彼女は、きっと分かっているのだろう。彼女のために遠からず竜に会う必要があった、その時に交渉材料としてこの命を使う予定だったと。

「その時を自分で選んだんだもの、まだましよ」

 姉達よりは。ひっそり、胸の中で付け足す。一番上の姉が『嫁いだ』のは、突然現れた竜の機嫌をとるためにちょうどいい年頃の女性がその時彼女しかいなかったからだ。それ以来、他の姉達もあれこれと理由をつけられて花嫁を押しつけられてきた。指名された姉は急にその日が来て、家を出る間もなく食べられてしまった。それに比べれば、腹を決められただけずっとましだ。

 そもそも暮葉だって命がかかっている。生きたまま喰われるのと、死んだように生きるのとでは比べようも無い。

 戸が開いた。ピアがずかずかと乗り込んでくる。

「イオレと話をつけてきた。道を空けさせるってさ」

 分かった。言って早坂が振り返りもせず馬車を降りていく。

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