友情と駆け引き
***
颯が一階へ降りたときには、すっかり陽が落ちていた。任命式が昼過ぎから、竜の墜落騒ぎと、王宮からここまで、ここで話していた時間から考えるとそんなものだろう。だが、もうか。一日が早い。
そんなに長いこと話していた――というか言い合っていたつもりはなかったが、気付けば時計は夜で、ピア達をどうにかしなければならなかった。予定外のことばかり起こって、王宮魔導師を護衛するという職務がすっかり頭から抜けていた。当初の予定通りの宿泊所へ連れて行くべきか、ここでまだ休むのか。ピアは東に背負われていたのだ。あれから少し横になったとして、動けるとは思いがたい。確認するのが手っ取り早かった。本人か、東かアレイシアか。これは自分の仕事だ。
真暗い診療所で、灯りが透けているカーテンがあった。ぼんやりきいろく、そこだけが浮かび上がって見える。
入るぞ。声を掛け、中を覗いた。横になっているのは金髪だ。ピアではない。アレイシア。傍らに腰掛けた東の視線が突き刺さってくる。この男はやっぱりまだ彼女に惚れている。未練たらしい。
「ピアはどうした」
「外に。追い出しに来た?」
「いや、今夜どうするのかお伺いをたてに来た」
「今は動かしたくないけど、……どうだろうな。聞いてくる」
「いい。私が行く。外だな?」
ごちゃごちゃとなにか言っている東を待つよりも自分で行って聞いてきたほうが早そうだった。ピアに話しもないことはない。彼女のほうは、言いたいことが山ほどあるだろう。
診療所は前後を細い路地に挟まれている。裏口は木箱の山で塞がっていて、実質出入り口はひとつだ。
路地は石畳、石造りの建物が並んでいる。目の前の建物の向こう側は大通りのはずだが、ここはうら寂しく、肌寒い。ピアの姿はない。左右を見、ぐるりと見上げて、見つけた。向かいの建物の上だ。屋根の縁でじっとうずくまっている。どうやってそこまで行ったのか、目をこらせば、屋根の中ほどが持ち上がって、棒が突き出ている。二本。はしごが中から掛かっているらしい。
「おい!」
声を張ったつもりはないのに、声が大きく聞こえた。ピアはちらりとこっちを見て、顔を逸らす。だが手は招く動きをした。
なんのつもりだろう。妙にしおらしい。向かいの、この建物は全く見知らぬものだが、中に踏み込んだ。かび臭い。手探りで壁伝いに進む。大通りからの隙間灯りがぽつぽつと中を走っていた。二階の突き当たりのはしごを昇って屋根の上に出る。夜風が顔に冷たい。
「私、言ったでしょう。レイをを利用したり傷つけたり、あの竜を近づけたら、あんたを、殺してやるって」
「言ったな」
先月のことだ。島を出発する前。彼女を迎えに行った竜が墜落した後。
「殺すのか」
「どうしようかな。迷ってる」
ピアはこちらを振り向かない。背を向けたまま、じっと背を丸めて座っている。この〝魔女〟にしてみれば、そのまま颯を仕留めることなど簡単だろう。ただ魔術を使えばいい。颯には魔術の気配も感じ取ることができない。昼間は運が良かった。いや、悪運か。
「暮葉って娘がそんなに大事? あのお医者さんの妹でももう別れたんでしょ」
話しの繋がりが見えない。なにを聞き出そうとしている?
「朱伊は関係ない。弟の彼女だからだ」
「弟? 翼君はあんたの弟なの」
結局あっちのペースに乗せられている。全て話すつもりは毛頭ない。ピアを
満足させてかつ開示する情報をいかに少なくできるか考えながら、
「厳密には娘の父親の弟。まあ実の弟も同然だが」
ふーん、ピアは興味なさげだ。
「じゃあ彼は環の叔父さんにあたるわけ。娘と旦那と弟、ね。家族を巻き込んでこの世界まで来たわけだ」
「まあ、そうだ」
暮葉と翼は今日合流予定で、この世界の説明もその時にする予定だったから、外から来たとばれるのは当然だろう。その二人と家族だというのはつまりそういうことだ。この数年間、こちらの人間を装っていた苦労が水の泡だ。
外の人間は天界人ほど差別はされない。しかし、社会生活には不利だ。王宮直属になったのを機に、娘の名前を変えたのも、こっちの出身でなければ魔導師になれないからだ。
「暮葉は私が最も大切に守るべき存在だ」
「それって娘よりも?」
答えに詰まる。そうだ。イオレより――あの子よりも暮葉を大切にすべきなのだ。そう言い聞かせて今日まできた。たが、とっさに言葉は出ない。
「環がうちにいた頃、家族のことは絶対に話そうとしなかったわ。でもね、一度だけ、話してくれたことがあったの。うちを出て行く前の日だった」
ピアの声は淡々と、ゆっくりとしている。ここまでたたみ掛けられて、なおこの先を聞かなければならない。颯には残酷だった。
「父親とここまで来たけど、母親にもう一度会いたいって。でも無理だろうっ
て。お母さんを見捨てたのは私のせいだからって」
「違う」
違う。思わず声が出た。違う。あの子は見捨ててなどいない。私が捨てた。娘のためなどと言って、父親に押しつけて別れて、世界の外まで追いやった。
ピアと眼が合った。大きなあおい眼。ガラスのように透明で薄っぺらい。
「あの子を大切にして。弟の彼女よりも。そうするなら、協力してもいい」
イオレはピアの唯一の弟子だという。ピアのほうがよほど、母親らしいではないか。それが悔しくて、颯はきつく拳を握った。悔しいと思う、今更母親面をするその身勝手さが嫌になる。
「助かる」
私よりも、お前の方が大切にしたらどうだ――喉まで出かかって、必死でとどめた。八つ当たりの上に僻みまで。かろうじて発した返事の素っ気なさにピアは不満げだ。
「環が軍の連中とつるんでるのは知ってる?」
「そうらしい」
つるんでいるのは知っているが、軍の中でもよく知らない連中とだ。魔術師部隊が内々に援助していたらしい。魔術に疎い颯には近づきにくく、取り入っている幹部も魔術を重要視しない連中ばかりだった。
「あんたの差し金じゃないのね」
「調べているところだ。あの連中がなかなか捕まらない」
王宮魔導師を軍が抱き込もうとするのはよくあることらしいが、任命式の様子ではやはりその逆のようだった。軍お抱えの魔術師が魔導師になったのだ。
議会と王宮が水面下で対立している状況からすれば妙な話で、議会が王宮魔導師に匹敵する魔術師をみすみす王宮に渡すはずがない。王宮を探るために送り込んだと考えるのが妥当だ。
そして、それを利用して軍人の母親が娘を出世させたと考えるのも妥当だったろう。
「私を信用させてみたらどうなの」
弟子に免じて特別にチャンスをくれるらしい。いや、これもあの子のためか。環を大切にすること、それを証明しろという。
「わかった、調べる」
娘の立場に対して調べが甘かったのは事実だ。手段と、つての選り好みをしていたわけではないが、どうしても頼りたくないつてを避けていた。それしか娘に辿り着くつてがないにも関わらず。そろそろ腹を決めるべきだろう。
「それじゃあ、殺さないのか、私を」
「まだね。私も竜に用ができたから」
「用ができた?」
「墜落。標的が私かレイなら原因と犯人を見つけなきゃ」
狙われているのはピアも同じかもしれないということか。先月と今日、両方
で竜の下敷きにされそうになったのはピアとアレイシアの二人だけだった。
「あの竜と早く話したいのは私も同じってこと。竜のことは竜に聞くのが一番手っ取り早くて確実だからね」
世界で最も竜に詳しいと名高い〝魔女〟にも聞かなければわからないことがあるのか。それとも、それだけ切羽詰まっているのか。
颯の知るピア・スノウという魔導師はそのどちらにもあてはまらない。何か企んでいる。だが、利害は一致している。ここはそういうことにしておくのが得策だろう。
「私は娘の背後関係を探って知らせる。お前は私たちをあの竜に会わせる。これでいいか?」
ピアは満足げに微笑んだ。
「じゃあ、そういうことで」
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