第二章「異邦」
異人議員
***
王宮に墜落した竜の体表はくろく、識別標も付けていなかったことから地上の人間が遠隔地への輸送に利用している竜ではない。これだけが判明しているただ一つの事実だった。
墜落の原因はなんなのか、そもそも誤って落ちたのではなく故意に落とされたのではないか、そうだとするなら一体何者の仕業でなぜ王宮を選んだのか。不審が不信を呼び会議は紛糾した。
墜落の翌朝開かれた会議でのことだ。
メイズは狭苦しい椅子から落ちないように、体重を掛けすぎて壊してしまわないように座ることに集中していた。唯一の異人議員と言えば聞こえは良いが、会議が始まってからというもの眼が合った議員などいない。ただの飾りにしておきたいならそれで構わなかった。
これは重要な会議のはずだったが、そもそも話し合うべき問題点さえ絞られていなかった。政治家初心者でも嫌になる。
竜が王宮に墜落したのは、昨日の夕方だった。王宮と言っても儀礼用の建物で、王族の居住とは異なる。王宮がどうこう言うのであれば、ここで議員が議論することではない。それこそ王宮の人間たちで好きに決めればいい。王族の独裁から逃れるために立ち上げられたという議会は、王族に考えることを放棄させた。怠惰になりゆく王族に政治を押しつけられている状態だ。なにからなにまで手が回らない。それだというのに、
「住民は動揺している。いつ自分の頭の上に竜が落ちてくるかわからないと怯えている者も多い」
「納得のできる説明をせねば反乱も起きかねません」
議員たちのやりとりは昨日からずっと、何十と繰り返されてきたものだ。そして誰も彼もが答えに詰まってしまう。『そうは言っても、我々にも説明のしようがない。』
メイズは大人しくしていようと決めた矢先だっただけに、一日黙っていることにした。間の悪いことに、竜の墜落してきた真下、その時王宮では王宮魔導師の任命式が行われていた。突拍子もない陰謀論で陥れられてはたまらない。まだこの地位を失うわけにはいかなかった。
「墜落の原因がわからないというのは、わからないように細工されているからではないのか」
「人為的なものだと認めて不安を煽るようなことになっては」
「原因の分からない事故よりはましだ」
「魔導師にもわからないんだ。我々にわかるはずもない」
「そんな得体のしれないことをどこの誰が実現可能だというのだ。犯人が分からないのに人為的なものだと認めてみろ、議会への信頼はどうなる」
「しかしこれ以上黙ってはいられない。それこそなにもわからないと言っているようなものだろう」
「ならどうするのだ」
何周目かわからないやりとりが、勢いよく開いた扉の音で止まった。
会議室に入ってきたのは青い上着を着た中年の男と、白い奇妙な形の上着――天界人の正装――を着た金髪碧眼の男だった。一目で天界人とわかる金髪の男は若く見えるものの、彼が入ってきた途端会議室の空気はずっしりと重たくなる。
「早坂、会議中だぞ」
青い上着を着た男――早坂にはメイズも面識があった。民間の魔術師組織である魔術師団の理事にまで成り上がった野心家で、目的のために手段を選ばない男だ。
「失礼。こちらの方をお待たせするわけにはいきませんでしたので」
早坂は悪びれもせずのたまう。議員の一人が青筋を立てるが、天界人が口を開いた。
「この件に関して協力するため天界から来た。親善大使とでも捉えてもらって構わない」
議員達がざわめく。天界が竜の墜落を認知しており、それを問題視している。その上、それを地上の人間と共に解決しようとするだと?
これまでなかったことだ。メイズも未だこちらの世界に染まりきっていないとはいえ、これが前代未聞の事態であることは理解できた。天界に関わる議題でのやり取りの不毛さといったらない。
「先月魔導師の元にしろい竜が墜落したことは既に周知だろうが、しろい竜は元々天界より遣わされたものだ」
知らないわけがない。あの〝魔女〟の居住を、王宮と押しつけ合う会議の数々も不毛極まりなかった。しかし、しろい竜の話は別だ。竜の色は種族の違いではなくただの個体差だというのが通説である。
「あれの墜落は天界でも把握しかねている。そして昨日、今度は地上の竜が墜落を起こした。我々はこの世界を構築しているものまで揺るがす事態であると考えている」
この世界を構築しているものを揺るがすだと。話が突飛すぎて、メイズはさじを投げた。異人にはついて行けそうも無い。
「先月の墜落に遭った魔導師は昨日の墜落にも遭っています。これは偶然でしょうか」
早坂はわざとらしく天界人に尋ねる。議員の誰もが、ある名前を呟いた。
「〝魔女〟か」
「ピア・スノウ。こちらではそう名乗っているようだが、これにこの件を調べさせたい」
元から疑惑の多い魔導師だ。王宮の面目を潰すこれ以上ない機会でもある。議員達は一人として反対などしなかった。
あの〝魔女〟に関してメイズの知っていることは少ない。不老不死だとか、竜に詳しいだとか、王宮に島流しにされたとか、様々な噂がある。明確な事実は、この世界で唯一水の魔術を自在に扱える魔導師だということだ。昨日任命されたばかりの魔導師――イオレの師匠であるらしい。偶然だが、この少女はメイズがかつて旅を共にした仲間のひとりだった。
まさか墜落に関係などしていないだろうな、と彼女の父親――流風に釘を刺しておく必要がある。彼も仲間のひとりだった。
彼には確認したいこともあった。この後時間が取れれば良いのだが。会議が大分押してしまった。
以後の時間調整を考えながら議場内の自室に入ると、先客が眼に入った。
昼過ぎの強い日差しが締め切ったカーテンを透かし、机に足を投げ出す女をぼんやり浮かび上がらせる。この薄暗い中で、すらりとした脚のしろさが眩しい。
「将軍で満足できなかったから寄ってみた」
声は久しく聞いていなかったものだ。この女には監視をつけていたというのに、出し抜かれている。白伊 颯。今はローレンツだったか。そう手配してやったのはメイズだった。
仕事を得るために異人管理の役人と関係を持つような女。メイズが用済みになってすぐ姿を消し、将軍に乗り換えたと知ったのは近年のことだ。
「私はもう用済みではなかったか」
面の皮の厚い女だ。この女と関係しただけで、仲間内は大分揉めた。自業自得でもあるだけに、もう関わりたくない。
憎んではいない。恨むのも、仇へ向ける以外は持ち合わせていない。
この女と一緒に暮らしているはずだったイオレは、未だ流風と暮らしている。娘にさえ信頼されない。それも当然の女だ。
「あなたでないとだめ」
だが、甘えた声のなんと甘美なことか。彼女は脚を下ろしゆっくり立ち上がって、歩み寄ってくる。
「私に何をさせたい」
ぴたり、颯の足が止まる。ちょうど机の真ん前に立ったところだ。彼女は机に浅く腰掛け、腕を組んだ。薄笑いを浮かべ、へえ、感心した声を出す。類は友を呼ぶというが、その様子は娘の流風のそぶりに似ている。
「もう馬鹿じゃないか。二、三聞きたい事がある」
「なんだ」
「娘の名前を変える手配をしたのは」
「私だ」
「軍が娘を援助するよう根回ししたのも?」
「私だ」
「その理由を聞いているか」
「親心だろう。母親にはないとみえる」
イオレは、元は別の名前だった。それは、母親である颯と一緒に暮らすためだ。颯の密入国の際、こちらの世界の住人であるように身分情報を偽造している。イオレは偽造書類の人間の養子となっているのだ。手配はメイズが行った。
軍の援助に関しては、流風に知り合いを紹介してやっただけのことだ。
どちらも流風が知っていることだ。なるほど、彼は本当に颯と会っていないらしい。
「それを頼んだ男に伝えてほしい。今夜九時アトランタ」
アトランタはエイローテで最も人気のレストランだ。料理が美味いのは勿論だが、人気の理由は完全個室にある。
「自分で伝えることだな。出て行け」
颯は声を出して笑った。こちらに近づいてきて、ネクタイを掴む。
「礼ならする」
上目遣いに囁き、指がネクタイの結び目を撫でた。
女の手首を掴み、握った。ぎりぎり力を込めながら、そうしている理由にはたと気がつく。寒気が、鳥肌がたつ、嫌悪があつく胸の中をなぶった。
乾いたノック。すぐ後ろだ。部屋に一歩二歩しか入っていなかったとは。
議員、確認したいことが。ドア越しにくぐもって秘書官の声が聞こえる。
タイミングとして申し分なかった。これでこの女を追い出せる。ドアを開けきらないうちに秘書官はまくしたてた。
「瑠(る)璃(り) 翼(たすく)という人物が居住申請に来ていますが、お知り合いですか。備考欄にお名前が」
覚えのある名前だった。昨日入国させた、流風の頼みの二人。その片方。以前彼が言っていた通り、弟なのだろう。実際会ってはいなかった。
手続きに不備はなかったと聞いている。上手く本人に伝わっていなかったのだろう。ああ、あと、流風にもうひとつ頼まれていたのだった。
「話をしたい。どこか適当に通しておいてくれ」
「それが、」
困り顔の秘書官を遮って、半開きのドアが閉まった。ドアを抑える颯の手が視界に入る。
「翼をどうするつもりだ」
「関係ないだろう」
颯は押し黙る。
秘書官がドアの向こうで呼んでいる。ドアノブを引くが、びくともしない。血管の浮き出た細くしろい女の腕をもう一度掴んだ。
「探しているんだろう、榊 麻耶を。私になら見つけられる」
議員、魔導師が。秘書官の困り声はもはやどうでも良い。何よりも優先して探している仇の手がかりが、こんな所に落ちていたのだから。
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