友情
***
アレイシアは中々東に呼ばれなかった。
環とふたり、顔をあおくして突っ立っているしかできない。天界人でないアレイシアにできないことがあることは分かっている。だが、膨大な術式の塊をいくつも引っさげてなお顔色の変わらない東を前にして足が竦んだ。あの術式のこれっぽっちも、自分には理解することが出来ない。式は分かる。見えるのだから。だが理解は出来ない。
ひどく無力である上、そんな事態の中のうのう保身に走っていた自分があまりに情けない。
アレイシアさん。あの。環がおずおずと口を開いた。
「さっきのこと、検討してみてくれませんか。わたしたちは怪しくて、うさんくさくて、なにか企んでるみたいに見えると思うんですけど、暮葉さんは別なんです」
さっきのこと。暮葉があの竜を制御することに、協力すること。魔術を知らない彼女に手ほどきをするところから始めることになるだろう。これ自体は悪くないと思っている。暮葉を通してあの竜を制御することができれば、研究を続けられる。ピアの元で働き続けることができる。
「それは分かるけど、彼女、周りに頼りすぎでしょう? つけ入れられる隙になる」
「それは、そうですけど」
環は言いよどんだ。この子がうさんくさいと言った、大人たちは意図して暮葉をそうさせているのではないのか。竜を扱える暮葉を、うまく操ることができるように。
「自分のためになるから、協力したいとは思うのよ。暮葉さんの身体のためにもね。でも、朱伊先生に利用されるのはご免だってところ」
見るところ、暮葉の恋人である翼と、環は朱伊に賛同しているわけではない。だが、あの男に立ち向かうには二人は力不足だ。この二人がいても、アレイシアがいくら手を貸して竜の制御を成功させても、暮葉を守るのは無理だ。
「本人が変わらないことにはね。守られるだけじゃあ駄目だって」
口に出して、胸に刺さった。二階で颯が声を荒げている。皆にとってこの事態は予定外だった。これは、危機だろうか、好機だろうか。
東がやっと呼びに来て、アレイシアはカーテンの内側に入った。環はためらって、階段を上がっていく。
「婚約者だったの? あの竜」
ピアの言う事にはいつも無駄がない。アレイシアは頷いた。
「下になっていた、しろい方。消えた方の」
説明をした。あの竜が、召喚される竜だったこと。召喚するのが暮葉だという女性だということ。彼女は、この世界の外から来たこと。彼女を中心とする人間関係。環のこと。
「私は、協力したいと思ってる」
ピアと東に、まず謝るべきか、礼を言うべきか悩んでいた。だがどちらも口から出てこない。
「それでも、私たちはあなたを守るからね。拒否権なんかないのよ」
ピアと東は、これまであの、婚約者たる竜からずっと守ってくれた。感謝している。しきれない。ここで暮葉への協力をすることは、自ら婚約者に近づくこと――遠ざけることで守ってくれていたピアたちの行いを無駄にすることだ。
罵倒を覚悟していた。こんな風に言ってもらえるなんてことは、考えてもいない。
「私があなたの助手になったのは竜に詳しいあなたに守って欲しいからじゃないのに?」
学生の頃、研修先にピアを選んだ理由は彼女が竜に詳しいからだった。でも、ピアに初めて会ったときそんなことは頭の片隅にもなかった。ただ、こんなすごい人がいるのかという驚きと、この人のところにいたいという思いがあった。この人の役に立ちたいだなんて高望みはしない。なんでもいい、この人の傍にいて、関わっていられるなら、なんだっていいと思ったのは後にも先にもない。だから助手になってほしいと言われたとき、本当に嬉しかった。私はこの人に認められたのだと、天にも昇る気持ちだった。
「傍にいたいからでしょ。私は、友達になりたいのに」
「助手で十分。私があなたを当てにしていたなんて、そんな風に思われたくない」
ピアは何かに自身を利用されることを嫌悪する。魔導師としての揺るぎない地位を持っていながら、政治的な駆け引きに疎い彼女がどんな目にあってきたか想像に難くない。そんな彼女にほんの一瞬でも、利用するつもりだなんて思われたくなかった。
「当てにするのは、友達なら当然じゃない。持ちつ持たれつ」
「友達になりましょうってこと?」
「違う違う。私たちは、友達。それを認めてってこと」
なに、それ。思わず口を出てついた言葉と一緒に吹き出した。
「私、あなたの友達だったの?」
「私はそう思ってたけど。だからあんなにいろいろ甘えてたのに、友達じゃなかったら私ってどれだけわがままな上司なの?」
「すごく勝手な上司だと思ってた」
「ひどい! レイ、あんた友達いないでしょ」
「それはあなただって一緒じゃない。部下に友達までさせるなんて」
「いるわよ一人くらい。えーと、颯とか」
「大尉ってまだ友達に含まれるの、あなたの友達の基準て一体なに?」
おかしい。笑いすぎて腹が痛い。痛いついでに視界が滲んで、涙が出る程笑うなんて初めてだ。
「え、ちょっと泣いてる? 泣かないでよ」
「泣いてない。笑いすぎただけ・・・・・・」
滲んだ視界の中でピアがおろおろしているのが見える。それがおかしくて笑うのに、喉から出たのは腹の奥から引っ張られるような、しゃくり上げる音だ。笑いすぎるせいでこんなに涙が出るのか。滲んだ視界は一向に晴れない。涙が顔を伝う感覚がこそばゆくて手で拭くのに、涙に追いつかない。顎と腕を伝って肘からぽたぽた、垂れる水音がする。まさか、本当に泣いているなんて。恥ずかしい。言い訳を必死で考えて口を開いても、出るのは声にならないしゃくり上げる音だけだ。
ちょっと、困惑するピアの声と、彼女になにやら吹き込んでいる東の声がする。
東に背を押された。ずい、ベッドが一歩ぶん近づく。東の大きなささやき声に渋々ピアがおずおずと手を伸ばしてくる。ぎこちない手が、こちらの背に触れた。背をさする手があまりにもぎこちなくて、声も出せず肩を震わせて笑うと、ピアの手がびっくりして止まった。それがまたおかしい。涙が止まらず息が詰まって苦しいのに、また腹が痛くなってきた。どうしよう。固まったままピアが呟くのが聞こえる。もう。東が痺れをきらしたらしい。ピアの背が強く押されて、肩がアレイシアの顔に押しつけられる。
ピアが今度こそ固まった。
「あ、はははは」
声が出た。しゃくり上げる音の合間に、かろうじてかすれた声が出せる。
「な、なに」
おろおろするピアがおかしくてたまらない。ここは東の演出にのっかってみよう。ピアの背に腕を回して、服を掴んだ。かちこちに固まったからだを抱き寄せる。上着を脱いだだけの、正装のままのピアの胸は暖かく、クローゼットの埃っぽいにおいがする。
「やっぱり、友達いない」
ふふふ。しゃくり上げながら笑って言うと、うるさい。ぶっきらぼうなピアの返事がある。背をさすり始めた手はやっぱりぎこちない。
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