「墜落」-2

「あの〝皿〟のせいね! 叩き割ってやる!」

 ピアの、鼻息も荒く八つ当たりする声が視界と頭をはっきりさせる。彼女がわめき散らすのはらしくない。〝皿〟が関わるといつもこうだ。まあ、これが〝皿〟のせいだというのは完全な濡れ衣には違いない。

 東が肩を竦めてそんなピアに相づちを打たされながら、瓦礫をひっくり返して回っていた。そういえばピアはずぶ濡れのようだが、守りに行ったはずの精製液を被ってしまったのだろう。ああ、昨日の作業が全部水の泡だ。

 途方に暮れ始めたところに、一羽の鳩が瓦礫の上へ降り立った。足首に小さな筒を持った鳩はこちらを見て首を傾げる。

 瓦礫の陰から起き上がった人影があった。朱黒い制帽、地厚さのわかる布は、制服だ。軍服。金の飾りがきらきらとひかる。咳き込む声、部下を呼び探す声は、知っているものだ。

「大尉?」

 颯(さつ)・ローレンツ大尉。ピアの数少ない友人のひとりだ。細面に鋭利な細い目。長いはずの黒髪はかっちりまとめ上げている。彼女の向こう側に、もうひとつ人影が立った。颯より頭ひとつ小さな人影だ。まだ若そうだった。それでもアレイシアの十は年下に見えた。丸いフォルムのショートカットは赤茶色く、頭のてっぺんに真新しい制帽が載っている。舞う埃ですっかり白くなっていたが。

「まったく、散々だな。迎えに来たぞ。任命式が待ってる」

 それどころではない。アレイシアより先に、ピアが大人げも無くくってかかった。

「あんたの娘のためだなんて願い下げだわ。さっさと消えなさい」

「違うな。お前の愛弟子のためだ。さっさと支度しろ。なんでずぶ濡れなんだ?」

 ピアと颯はにらみ合った。颯は長身で、腰に手を当て前のめりになるとピアをすっぽり覆って見下ろす形になる。

 大尉。そんな颯の袖を、彼女の部下が後ろから引いている。若くて可愛らしく、ふんわりとした雰囲気の彼女は軍人にも颯の部下にも似合わない。

「精製液を被ったからよ」

 ピアがそっぽを向いた。まったく、なんであの子の母親がこいつなのかしら。ぶつくさ言いながら、アレイシアの横を通り過ぎる。彼女は地下室に向かって、道すがらあれこれ東に指示を飛ばした。こちらにはなにも飛んでこない。することはわかりきっている。旅支度だ。こちらをじっと見つめていた鳩を掴んだ。

「船を手配しますから、しばらく待っていて下さい」

 肩までよじ登ってきていた竜に怯えたらしい、鳩が暴れるのを押さえ込んで颯へ笑顔を向ける。

「わかった。なにか手伝おうか?」

 彼女は半歩引いた。このおっかない女性に引かれるのは傷つく。颯は、部下をカレンだと紹介した。

 確かに手は足りない。いつも足りない。この惨状をどうにかするのにも確実に足りない。だが、今すべきは任命式に間に合わせることだ。ピアの唯一の弟子、イオレ・ローレンツの王宮魔導師任命の儀へ向かうこと。

 そして、そのイオレ・ローレンツは颯の娘でもある。

 一般に王宮魔導師は、王宮内に与えられた研究室で大勢の助手と弟子に囲まれている。〝魔女〟の風評を大いに利用して弟子の一人もとっていなかったピアが、一年ほどだけ弟子として面倒をみていたのが環だ。アレイシアの学校の後輩で、彼女は確か父親と一緒に暮らすために第三首都エイローテで就職すると言っていた。

「それでは、カレンさんをお借りしても?」

 鳩を飛ばす。行き先は本土の、一番近い港だ。ここは孤島で、ピアの事務所で働くアレイシアと東、ピアの三人しか人は住んでいない。船などあるわけがなかった。墜落した竜が、任命式に行くための足だったのだ。

 颯が頷いて、カレンを促す。小柄な女性はおずおずと近づいてきた。

「大尉は外に出ていて下さい。残った壁が落ちてくると危険ですから」

「ここも外だぞ」

 天井が抜け、壁も竜によって分断されたのだから、建物は両側に壁が残っているだけだ。雨も防げない。

「建物の外です!」

 颯がけたけた笑う声を後ろに、カレンを連れ地下室へ向かう階段に入る。紙が散乱していた。とっさに逃がした書類だが、今にしてみるとつまらないものを守った。もっと別の――研究をまとめたあれやこれやが先だった。

 あの。おずおずと、カレンは口を開いた。

「魔導師様の噂って本当なんでしょうか」

「〝不老不死の魔女〟?」

 おずおずと尋ねるカレンの声は真剣だ。アレイシアは思わず笑った。階段に声が響いて、カレンが身をすくませる。こんなに正直に聞かれるとは。彼女は目を丸くする。反応が素直で見ていて飽きない。

 〝不老不死の魔女〟だからこそピアは王宮魔導師でありながら王宮勤めを免除され、天界人の男と同居し、好き勝手できているのだ。不老不死はともかく中身がただの小娘と知れたらどんな扱いを受けるか知れたことではない。

「知らない。私が助手になってから年をとっていないように見えるのは確かね」

「助手、なんですよね?」

「カレンさんはローレンツ大尉の家庭事情を全部知ってる? この数年で王宮直属まで上り詰められた理由は?」

 カレンは口をもぞもぞさせたが、言葉にはならなかった。

 颯はイオレの母親だ。だがそれをピアもアレイシアも、先月まで知らなかった。また、イオレと名前を変えたのも先月のことだ。ピアに師事していた一、二年前は環(たまき)と名乗っていた。瑠璃 環。

 颯との付き合いは二、三年になる。彼女と出会った時、彼女は現場の下っ端だった。それが三年程で王宮直属にまで上り詰めるとはただ者ではない。環が弟子入りし、去って行くまで、去ってからも、幾度となく顔を合せる機会はあったのに、彼女は環が娘だとは言わなかった。今回、環が王宮魔導師に任命されることになったから、名を変えさせ娘だと認めたような、そんな思惑がちらちらする。

 ピアも、アレイシアも環をかわいがってきた。出て行ってから顔を合せる機会はなかったものの、彼女の魔導師任命は嬉しかった。だが、環がかわいいだけに、この任命に関わるきな臭さに嫌悪感が募る。

 王宮魔導師の名の通り、魔導師は王宮の所属になる。そして、王宮と軍は議会を間に挟んで対立中だ。

 軍所属の人間が王宮に派遣され、同じときにその娘が王宮魔導師任命が決まるというのはどういうことだ?

「・・・・・・知りません」

「そういうこと」

 階段を降りきった先に、紅い上着に身を包んだピアが立っている。王宮魔導師の正装だ。

「あら、見つかりました?」

 ピアが先に見つけているとは思わなかった。カレンを連れてまでして、手伝いに来たのに。

 ピアは答えず、きろりとこちらを睨む。さっきの話が聞こえていたらしい。

「荷物をまとめておきなさい。颯はどこに行った?」

 外に出るよう言ったことを伝えると、ピアは階段を上っていった。抑揚のない声が冷たい。口出ししようものなら巻き添えをくらう。

 はいはい。聞こえてはいないだろうが、肯定を返しておく。

「さて、じゃあカレンさん。旅支度を始めましょう」

 地下室には棚がぎっちり詰まっている。棚も、本、独特のバランスで隙間なく瓶が並んでいるもの、ガラス器具、素材である木の実や皮や、生き物の標本なんかがみっちり詰まっている。棚と棚の間の床には入りきらないものが積み上がっていた。

 そしてなにより暗い。

「転ばないで下さいね。あのあたりに外套の類いをまとめた気がするんですけど……」

 言った端から、カレンの悲鳴が上がった。どさどさ、埃と一緒に落ちてきたのが外套だといい。

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