二度目の墜落
「竜だ! 墜落する!」
鋭い叫び声はピアだ。はっとして天井を見ていた眼を室内に向ける。
他の魔導師達は王宮の奥へ駆けだし、議員達は固まり、軍人達は議員達を庇う。ピアはイオレを庇って出口へ駆けだした。颯を探すが、見つからない。
おかしい。ピアが警告するより前にこの部屋から出ていたことになる。娘を陰謀渦巻く大人達の中に放って。
天井が軋み始める。その中で、先生、叫ぶ声が聞こえる。声は泣いている。声はイオレのものだ。声の先に、倒れたピアとそれを揺するイオレの姿がある。迷っている暇はない。二人のもとへ駆けだす。
魔術を使う余裕はない。ただ必死に走って、ピアを抱えて、イオレを走らせる。事務所の時より崩落が遅い。
ぱっ、目の前が開けて王宮から出たとき、目についたのは広場を埋める人のうごめきだ。むせるような埃っぽさの中に懐かしいにおいがある。眩しい朝日と、ぼんやりした大きなくろい染み。幼い頃見た光景が一瞬目の前に蘇った。
振り返る。ミシミシ。軋む音は高い。王宮の屋根からくろい竜の頭が顎を上にしてはみ出している。その下、屋根と頭の間にしろい竜の尾がある。においが鼻をつく。痛いほど吸い込んで、視界が揺れた。後ずさりして階段を踏み外したらしい。しろい尾が色を失って、姿を、存在を消していく。完全に消えると、くろい竜の身体が屋根を突き破った。ず、とも、ど、ともつかない轟音が空気を震わせる。行き場を求めてうごめく人の波に巻き込まれて遠のくが、王宮から眼を離せない。尾だけしか見えなかったが間違いない。こんなところまで追ってくるなんて。
見回す。行き場を求めてうごめく人の塊。くろい頭があった。ひとつ、ふたつだけ、波の中で止まったままの頭。あのにおいがする。あのにおいが、強くなる。
「あなた、誰」
自分の声ではっとした。眼の前が色を付ける。布を隔てたように聞こえていた音が頭を叩く。
アレイシアは女性の手首を掴んでいた。細い。折れてしまいそうだ。
丸くした眼もくろく、小さな顔は土気色で、開いた口からは言葉が出てこない。うすくきいろい肌の色。この世界の人間ではない。〝皿〟から降りてきた天界人でもない。この世界の外から来た人間だ。
可愛らしい顔をしている。カレンよりは美人に寄ったかわいらしさだ。その顔の隣に、彼女より少し上の位置に男の顔がある。あおい髪をしている。この女性の連れ。恋人。
「そっちこそ」
彼は女性の肩を引いた。掴んだ手が抜けそうになる。だが離さない。
「さっきのしろい竜、私の婚約者なの」
「はっ?」
二人分の、間の抜けた声が重なった。
「ええと、だから、」
なにを言っているんだ。自分でもよく分からない。だが、確かにこの女性から感じる。におう。あの懐かしいにおいが。先日も嗅いだ、ついさっきも鼻についた、あの竜のにおい。この身を追ってくる竜のにおい。
それに、むせるほどの、魔術の残り香まである。竜に気を取られて気付かなかっただなんて。大魔術の後に似ている。これほど痕跡の残る大魔術は、
「あなたでしょ、あのしろい竜を喚んだの。違う?」
召喚。行き着いた可能性にめまいがする。彼女がしろい竜を召喚して、墜落するくろい竜を受け止めた。そうだ。
「なんで」
「私は魔術師よ。その手のことには詳しくて当然でしょう」
彼女たちは外の世界の人間だ。間違いない。男の方に魔術の素養は見えないが、この女性は妙だ。ちぐはぐしている。天界人と、地上の人間を半分ずつ繋げたような――輝かしい魔術の素養が、肉体の殻に対して大きすぎる。
「あなた――」
「翼(たすく)!」
環の声だ。この騒がしい中を貫いてきた声に、男が顔を向けた。
するり、抜けそうになる手を握り直す。振り向くと、環が人をかき分けたどり着いたところだった。紅い上着にあおい髪。この髪色は、男と同じだ。
「翼、大丈夫。この人は、わたしの先輩で、信用できる人だから」
呼吸を整えながら、切れ切れに環は説明した。アレイシアが、恩師の助手であること。兄弟弟子として世話になったこと。
「アレイシアさん、すみません。わたしの叔父です。母がこっちに呼び寄せたみたいで」
あはは。環は笑うが、この手を離してなどやるものか。
「私を誤魔化そうなんて生まれ変わっても無理ね。場所を変えましょう。聞きたいことがあるのよ」
で、導師様はどうしたの? 尋ねると、環は眼を泳がせた。
「ええっと……東さんに預けて……」
「どこに?」
「……宿泊所とか?」
この子は師匠を放り投げて来たらしい。気持ちはわからないでもない。ピアを介抱するのは東の仕事。それに口出しはさせてもらえない。アレイシアにさえ。
「しょうがない。じゃあそこに、」
「待って下さい。それなら、僕らの知り合いのところに」
翼! 環が声を上げるのを、男――翼は無視して、
「ここから近いって聞いています。知り合いの方が、僕と彼女よりも、あの竜に詳しい」
じっ、こちらを見据える眼は実直だ。裏表のない眼。
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