第四章
第五話
ストーカー事件の日、あれから新川が落ち着くのを待って俺と壮で送っていった。 送っていったと言っても、一緒にいたのは駅までで、それ以上は新川が頑なに拒否したため、少し心配だったが駅の改札で見送るだけにした。
ストーカーに脅迫という
今、冷静に考えれば、俺は「なにあったら俺に言え」などと偉そうなことを言ったくせに、いざとなったら被害者である新川ではなく加害者を
俺と蓮沼さんの関係はというと、破局した。
破局したといっても元々付き合ってもいないのだから、破局もクソもないが、あれ以来LINEは疎か、学校で会っても話すらしていない。俺が避けているというわけではないのだが、俺が話しかけづらい以上に蓮沼さんは俺に話しかけづらいのだろう。
しかし、以前抱いていた蓮沼さんへの気持ち、好きというのかは分からないが、少なくとも異性として気になるという気持ちは消え、今は恋愛感情もなにもないただのクラスメイト程度にしか思えない。
壮はというと普段から言葉数が少ない人間なので会話と言ってもほとんど俺から、そして一言二言程度で終わるが、こちらはいつもと対して変わらない。
こうして俺らの間に微妙な空気が流れたまま、それを打ち破る機会もなく三日が経とうとしていた。
『本日、第四回作戦会議を開催する』
いつもながら
元々こんな誰と関わるでもなく、何をするでもない日々を過ごしていたわけで、ここ一週間が色々なことが起こり過ぎて異常だったわけで、こんな日々こそが自分の日常なわけで。
放課後、視聴覚室へ行くと暗幕は閉まっておらず、スクリーンも下りていない。パソコンを前にポツンと座るいつもとは違う真弥がいた。
「やあ。待っていたよ」
「どうした?」
「定例会議だ」
「定例って不定期じゃねーか」
「まあ、いいから座れって」
促されるままイスへと座る。
「小室よ、お前脱DT作戦の進捗状況はどうだい?」
すっかり忘れていた。
ストーカーやらいじめやら色々起こりすぎてそんなことは頭から消え去っていたが、元を
前回の作戦会議では、蓮沼さんとデートしたばかりで多少浮かれていたような気がするが、今はそれも振り出しに戻り、何ら進捗もないのと変わらない。
「えっと、ゼロからって感じかな……」
「そうか……」
てっきり真弥のことだから
「お前今日何か変だぞ。どうしたんだ?」
「それは……だな。ええっと……その……。この間の女の子のこと何だけど……」
この間が、いつを指すのか分からないが、俺が知っている女子といえば、新川か蓮沼さんくらいだ。
「新川か?」
「違う。新川さんと一緒にいたかわいらしい子だよ」
そんな子いただろうか?
少し考えると、前回の会議の際に壮が女装をして現れたことを思い出す。
「壮のことか」
「壮? 壮ちゃんって言うのか!?」
「いや、壮は壮だよ。上妻壮」
「上妻壮ちゃんか……。上品な名前だな」
「…………壮は男だぞ?」
「は? あんなかわいい子が男なはずないだろ。女子の制服着てたじゃないか」
「まあ、たしかにかわいかったし、制服は着てたけど……」
「まさか、お前もあのかわいい子を狙っているのか、そうだろ? 壮ちゃんのこと狙ってるんだろ?」
「いや、だから……」
「頼む、頼むよ。散々ゲームで練習してきたけど、そろそろ本番に移りたいんだ。今までゲームでもリアルでも色んな女の子は観察してきたけど、あんなにかわいい子は初めて見た。頼むよ。一生のお願いだから、一回だけでいいから、デートをセットしてくれないか?」
「いや、だから……」
いくら男だと否定しても真弥は受け入れそうもない。真弥の中では、壮=女子の公式が固定されてしまっていて、それをいくら覆そうにも否定の言葉は雑音でしかないようだ。
「分かったよ。だけど聞いてみるだけだぞ。確約はできないからな」
こうなった以上、本人から男だと言ってもらうしか方法はない。
壮に相談して真弥をどうにかしてもらおう。
「本当か!? 恩に着るよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日前に来たばかりだというのに既に懐かしいささえ感じる。
和室独特の香りが鼻をくすぐるがそれがまた良い。壁には張り紙一つされておらず、初めて来た時と変わらない普通の状態に戻っている。
俺は、もう何回来たか分からない茶道部の部室へと再びやってきた。
視聴覚室で真弥から一生のお願いをされた後すぐに壮へとメッセージを送ったところ、ここへと呼び出されたのだ。
部室へ着いてみるとそこには壮だけではなく、なぜか新川も待ち受けていた。
気まずいと思ったが、逃げるのも悪いと思い、黙って部屋へと入ると、新川が開口一番、
「あんた、こんなメッセージを壮に送る暇はあるのに、私には何のフォローもなしなの?」
そう言って、新川は壮のスマートフォンの画面を俺の方へと突き出す。
『悪いんだけどさ、もう一回女装してくれない?』
俺の送った文書に間違いなかった。
「ち、違う。それは、そうじゃなくて……」
「何が違うのよ。あんたが送ったメッセージじゃない」
「それはそうだけど……」
「なに? もしかしてあの変態優等生の影響でそっち系に本当に目覚めちゃったとか?」
変態優等生というのは蓮沼さんのことだろうか。変態優等生と書いて蓮沼と読むのだろうか。
それはともかくとしても、新川は自分で自分の肩を抱きながら身体を小刻みに揺らして、「気持ち悪っ」という表情でこちらを見てくる。
「違うって。それは――」
俺が真弥の件について必死に説明した。
最初は
「壮、デートしてあげなさいよ。面白そうじゃない」
「…………でも……女装は……」
まあ拒否して当然か……。
壮がいくらかわいくて女子制服が女子よりもに似合うと言っても男だ。自ら積極的に着たがるはずがない。
「
真弥が幼気な男子高校生かどうかということについて大いに議論の余地があるのは別として、もし断られたら真弥はかなりショックを受けるだろう。
だが、いつまでも空想世界に生きるのではなく、現実を見させるためにも多少の荒治療は必要だ。
「別にデートはしなくてもいいんだ。ただ壮が真弥本人に「ボクは男です」って一言言ってくれればいいんだ」
壮が引き受けてくれるよう極力ハードルが低く見えるように説得してみるが、
「ダメよ。つまらないじゃない。バラすにしてもデートをし終わったあとじゃなきゃ」
即効で俺の提案は却下される。一考の余地すらないらしい。
「じゃあどうすんだよ。壮は女装嫌がってるぞ」
「それじゃあさ、私達も行くってのはどう?」
「私達って?」
「私とあんたに決まってるじゃない。壮と誰だっけ? まぁ誰でもいいんだけど、それのデートに一緒に着いて行くのよ。それなら壮は二人きりじゃないし、私は間近で面白いもの見られるし一石二鳥でしょ?」
「真弥な。柏木真弥。いい加減覚えてやれよ」
「かすわぎね。覚えたわ。それで壮はどう?」
「…………それなら……いいよ」
うんうん、やっぱ無理だよな……って、いいのかよっ。
思わず、自分の心の中で突っ込みを入れる。
「本当にいいのか? 女装して行くんだぞ?」
「…………いい」
本人がいいと言っている以上、いいのだろう。俺がどうこう言えることでもない。
それに真弥にとっても現実を知る前に夢を見る機会をもらえたと思えばそれほど悪いことではないのかもしれない。
俺は真弥に早速メッセージを送る。
『いいってさ』
俺がメッセージを送ると、返信は速攻で返ってきた。
『本当か!? いつ? どこで?』
「デートはいつどこでするんだ?」
「そこまで女の子に決めさせる気? 男子が決めなさいよ。って言ってもあんたらじゃ無理よね」
そう言うと新川は考えこむ。しばらくすると、
「そうだ。コンペをするわよ。デートコンペ。あんたと
「は? 俺もするの?」
「だって一人じゃコンペはできないでしょ?」
俺が参加するのを当たり前のように言う新川。こうなると我の強い新川の考えを変えるのは難しい。助けを求めて壮の方を見るが、壮は意外にも嬉しそうだった。
「はい、じゃあ今日は解散ね。明日は視聴覚室に集合。わかった?」
「…………うん」
「……………………おう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、放課後に視聴覚室へ行くと既に他の三人は集まっていた。
昨日、解散した後に真弥にコンペの件についてメッセージを送ると『まかせておけ』とやる気満々の答えが返っていた。
「遅いわよ」
「ごめん、掃除が長引いて」
「ほら、早く始めるわよ」
新川の指差す場所に座ると俺と真弥が並び、新川、壮と向き合う形になる。壮は当然ながら女子の制服を着用していた。新川と壮の前には『審査員』という札が置かれ、俺と真弥の前には『プレゼンター』という札が置かれていた。視聴覚室という設備を使っていることもあってか、どことなく本格的な雰囲気を感じさせる。
「どっちからやるの?」
新川から尋ねられた俺は、真弥の顔を見る。すると真弥は、無言でどうぞどうぞと手の平を上に向けた動作をする。俺も同じくどうぞどうぞと真弥にやり返すとお互いに譲り合いが始まる。
「どっちでもいいわよ。じゃあそこの
「ぼ、僕ですか? 分かりました」
枯木と呼ばれた柏木は大人しく従うと、作戦会議の時と同じように暗幕を引き、スクリーンを下ろす。プロジェクターを起動するとそこには、
『上妻壮様へのデートプランの提案』
という堅苦しいタイトルが表示される。
「えーでは、僕のデートプランの提案をします」
ごほんという咳払いとともにプレゼンを始める柏木。普段とは違って丁寧な言葉遣いだ。
「僕が提案するのは動物園デートです」
動物園デート。てっきり秋葉原とか池袋とか中野でアニメ系のショップでも回るのだろうと思っていたが、普通にまともで驚く。本当に柏木が考えたのかと思う発想だが、きっとネットを駆使して考えたのだろう。
「それでこちらが当日の――」
スラスラと進む柏木のプレゼン。言葉に詰まるどころか、噛むことすらしない。必死になって練習を何度も繰り返したのだろうか。
柏木のプレゼンするデートプランは、俺には完璧に見えた。
朝の集合から見学のコース、お昼を摂る時間や午後の見学コース、帰宅時間まで完璧に分単位で計算され尽くしていた。これだけのプランを一晩で考えるとは、俺は真弥のことを今まで見くびっていたのかもしれない。
真弥のプレゼンが終わり、暗幕が開けられると外の光が眩しい。
「分かったわ。じゃあ次、あんたやりなさい」
「俺?」
辺りを見回してから尋ねる。
「あんた以外に誰がいんのよ」
偉そうな審査員の指名により、俺のプレゼンが始まる。
半ば強引にこのコンペに参加させられた俺は、真弥ほど準備をしているわけもなく、スライドも使用しない。授業で使うルーズリーフを切り取った紙にメモした程度のものを読み上げていく。
「俺が提案するのは、お笑いライブ鑑賞。駅前に集まったら、みんなでライブ会場に向かって、ライブが終わったらスタバでお昼を食べて解散。以上」
自分なりにはちゃんと考えてきたつもりだったが、真弥のものと比べるとかなり見劣りする。考えるまでもなく真弥の方が勝ちだろう。
「じゃあ、少し考えるので待ってて」
そういうと新川と壮が、大げさにもあーでもないこーでもないとコソコソ話が始まる。
何を議論する必要があるのかと思ったが、しばらくすると新川と壮がこちらへ向き直る。
「じゃあ、結果発表します。採用するのは
まぁ当然の結果だろう。
「じゃあ講評に移ります」
「講評なんているのか? 真弥の案を採用、それでいいじゃないか」
それほど思い入れがあるとは言えないとは言え、一応自分なりに考えて作った案を批判されるのは嫌だ。
「まあ聞きなさいって」
「……おう」
「まず、敗者の小室、あんたの案だけど、論外ね。本当にデートするつもりで考えてきた? デートにお笑いって普通無いでしょ」
お笑い好きのお前が言うなと言いたかったがここはぐっと堪える。
「あと、ライブを見終わったらスタバで昼食って、スタバ行ったことないの?」
「……ないけど、何が問題なんだよ」
「お昼時にスタバなんて行ったら混んでて仕方ないじゃない。しかもあの辺のスタバなんていつ行ったって満席よ」
「……そうなのか」
「そうよ。ちゃんと下調べもしないからそうなるのよ」
「…………」
「だけど、デートの相手を考えて相手に楽しんでもらおうとする気持ちは少しは伝わってきたわ」
「お、おう……」
散々
「次に
「なんで問題外なんだ? ちゃんと考えられてたじゃないか」
考えた本人よりも俺が先に質問する。
「スケジュールを詰め込みすぎ。デートなんて何が起こるかわからないんだし、こんな分単位で行動を決めてたら、動物を見てる途中でも時間だからって他の動物に移らなきゃいけないじゃない。そしてなによりデート中の女子は大変なの。そこら辺が全然分かってない」
「大変って何が大変なんだよ」
「普通それを女の子に聞く? そこら辺からしてダメなのよ。けどまあ、あんたらは誰も一生教えてくれないだろうし、今教えといてあげるわ」
そこまで言われてまで聞きたくもないと思ったが、隣に座る真弥は非常に興味津々のようで聞いた情報をすぐにでもパソコンに打ち込むべく構えている。
「女の子は化粧とか身だしなみだって直さなきゃいけないし、女の子はオシャレをするの。服もそうだけど、高い靴を履いたりするから脚だって疲れるのよ」
「高い靴? 別に疲れるなら安くても履きやすい靴はけばいいだろ」
新川はアチャーという顔をして頭を抱える。
「せっかく褒めてあげたのにこれだから……。高いってのはね、値段じゃなくて高さのことよ。ハイヒールとか聞いたことあるでしょ? 女の子は少しでもスタイルをよく見せようと足元も頑張らなきゃいけないの」
「そ、そういうものなのか……?」
「そうなの。だからもし万が一、あり得ないかもしれないけどあんたらが将来女の子とデートをするような時があったら、しっかりと細部まで努力の痕跡を探して見つけて、ほめてあげなさい」
俺の隣では真弥がキーボードを高速でタイピングしている。真弥のように記録するほどではないと思うが、新川のアドバイスにしては珍しく、いや初めて役に立つような情報だった気がする。
「そういうことで、場所は動物園。集合時間は午前十時。動物園内での行動は再度考えなおしてくること。わかった?」
無言で何度もそして大きく頷く真弥。
「あんたもよ」
新川に注意され頷く。
真弥と壮のデートなのになぜ俺まで考えなおさなければいけないのか、そう反論したかったが、情けない俺は心の中だけで新川に文句を言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
デート当日、集合時間は十時だが、新川に文句を言われてはいけないと十分早めに目的地へと着いた。
すると既に真弥が動物園の目の前に直立不動の姿勢で立っていた。
「真弥、早いな」
「もう一時間ほど前からいる」
一時間もこの状態で待っていたということかと思うと、その健気さに涙さえ出てきそうだった。
「お、いるいる。女子より早く着くのは当然だけど、あんたらにしては上出来じゃない?」
その声に反応して振り返ると新川と美少女が立っていた。薄い水色のワンピースを着たその姿は、動物園中の誰に聞いても間違いなく女子だというだろうと思うほどかわいい。だがそれ以上に、女子服に慣れないからか、常にうつむきがちだが、時々前を確認する時に見せる上目遣いは、壮が男だということを忘れさせるほどの威力を持っていた。
「じゃあ、行こうか」
そう言った後に、新川の言葉を思い出す。壮ばかりに気を取られていて新川のことを確認するのをすっかりと忘れていた。急いで後を振り返り、新川を上から下までチェックする。オレンジよりのピンク色をしたブラウスにスカートのようなパンツを履き、肩から鞄をかけた姿は、いつも見る制服姿の新川と異なり新鮮だった。
「な、なにジロジロ見てんのよ」
「お前が細部までじっくり見ろって言うから」
「私は、そんなに舐め回すような変態チックな目で見ろとは言ってないでしょ」
「いや、だけど似合ってるんじゃないか?」
お世辞でもなく本当にそう思った。
いつも制服姿しか見ていないので分からなかったが、単に顔がいいだけの女じゃなくてファッションセンスもあるし、Tシャツとその上からジャケット、ジーパンを履いただけの俺が隣を歩いていて良い人間ではない気さえしてきた。
入口でチケットを買い、早速入場する。
動物園の入り口ゲートをくぐると、すぐ鳥たちが出迎えてくれた。鳥が好きな壮は、自分が女装していることも忘れ柵ギリギリの所まで一人で走っていく。
真弥はそれを眺めているだけだったが、新川の「ほらっ」という後押しを受けて、少し送れて壮を追いかけていく。
鳥たちの観察に満足した壮を連れ、少し歩くと不自然に人だかりができた場所が目の前に現れる。
「…………なんだろう?」
鳥を見てテンションの上がっている壮は興味津々に尋ねる。
パンフレットを見て確認するとどうやらパンダのようだ。
「…………パンダ……パンダ……パンダは、えっと……」
パンダの姿を探す壮。白熊に黒い模様をつけただけにしか見えないパンダなんてどこがいいのか分からないが、喜んで探している壮を見ているとパンダがかわいく見えてくるから不思議だ。
「パンダだってさ。パンダて何で人気なんだろうな?」
何気なく新川に尋ねる。
「え、パンダ!? どこにいるの?」
「そんなことも分からないからモテないのよ」とでも言われるかと思ったが、予想外な反応を見せる新川。
「いや、そこの人混みの奥」
それを聞くなり新川は律儀にも列の最後尾に並んで俺たちにも並ぶように手招きする。
ようやく順番が来て、遠目にしか見えないパンダと記念撮影すると、さらに動物園の奥へと進んでいく。すると目の前に象が見えてくるが、壮はそちらには目もくれず、隣の様々な種類の鳥がいるゾーンへと駆けて行く。
「壮って本当に鳥が好きだよな」
「ね、知らなかった」
壮を見ていると無邪気な子どもを見ているようで、どことなく心がほっこりとしてくる。
ふと横を見ると、新川が壮と真弥を見ながら微笑んでいた。その姿を見て、俺は不覚にもドキッとする。
その後もトラやサル、ゴリラと言った人気の動物を見て回ったが、壮が反応したのは、やはりワシやペリカンと言った鳥類だった。中でも壮が一番興奮したのがバードハウスで室内に世界中の鳥が集められた場所だった。
バードハウスを出ると目の前に『ハミングバード』という飲食店があり、そこでお昼を食べることにした。壮はホットドッグ、新川はエビカツサンド、俺と真弥はチキンサンドを食べた。注文してから気がついたのだが、バードハウスのすぐ前でチキンサンドを食べるというシチュエーションに一人必死に笑いを堪えながらチキンサンドを食べた。
昼食後はモノレールに乗り、園のさらに奥の西園へと移動した。西園には、カンガルーやキリン、カバやサイなど人気の動物がたくさんいるのだが、一番壮の興味を引いたのは、やはり鳥類のペンギンだった。空を飛べようが飛べまいが鳥類ならなんでもいいのだろうか。ピョコピョコと陸ではかわいらしく移動するくせに、一旦水中へ入るとミサイルのようなスピードで泳ぎ出す。そのギャップに見入っていると、柏木が、
「ペンギンって同性愛が多いんだって」
と突然、謎の知識を披露しだした。
「ある動物園でさ、ペンギンのカップルが何組もいるのになかなか卵を産まないって心配した係員が調べたら、なんとカップルの半分が同性のカップルだったんだって」
真面目に語る真弥。
きっと昨晩一生懸命調べてきたのだろう。しかし、壮が女装した男であると知っている俺達には非常にシュールな場面にしか見えなかった。必死に笑いをこらえる俺だったが、隣で新川が吹き出す。
「ぷ、ハハハハハ。
自分の豆知識が受けたと思ったのか、真弥は満足気な顔をする。
こうして一通り全ての動物を見終わると、俺達は一日歩きまわったせいでクタクタに疲れていた。
しかし、疲れてばかりもいられない。俺たちには最後にやらなければいけない仕事があるのだから。
動物園を出てしばらく歩くと、俺から真弥に声をかける。
「真弥、ちょっといいか」
壮との動物園を満喫し、前を歩く真弥を呼び止め、動物園前の広い通路の端へと呼び寄せる。
新川と壮からは会話が聞こえない程度に距離を置く。
「あのな、お前に言わなきゃいけないことがあるんだ……」
「どうしたんだ急に? もしかして帰りの電車代がなくなったとかか?」
「実は……、壮は男なんだ」
「それなら学校でも聞いたよ」
やはり俺が言っても信じないか。女子の姿をしたあれだけかわいい子を見せられれば元々信じていなかったのにますます信じられなくなるのも分からなくはない。
「ちょっと壮、来てくれないか?」
仕方なく壮を呼ぶ。一緒に立っていた新川は、今さら罪悪感を覚え始めたのか、壮と一緒についてくることはせず、その場に立ったままだった。
「壮、お前男だよな」
壮を真弥の前に立たせ、改めて質問する。
「…………うん」
壮は少し迷いながらも力強く頷く。
「ははっ、冗談だろ……」
口では笑っているが、その笑顔は明らかに引きつっていた。
「壮、お前、学校の生徒証を持ってきてるだろ?」
俺は入場の際、学割のために生徒証を提示したことを思い出す。
「…………うん」
壮はそう言うと鞄の中から生徒証を取り出す。
生徒証には、性別こそ記載されていないが、顔写真に映る制服で男子か女子かは一目瞭然だった。
「はは……そうか。本当なんだな……」
「わるい……」
今さらながら非常に強い罪悪感が襲ってくる。
「いや、いいんだ。今日一日、上妻さん――じゃなくて上妻くんを見ていて何となくそうじゃないかとは薄々思い始めていたから。伊達に俺は、女の子を落としまくってきたワケじゃないんだぜ? 男か女くらい見分けられるってもんよ」
「ごめん……」
「…………ごめん……なさい」
「本当にいいんだ。上妻くんが男だとしても、俺の目の前に上妻壮さんという今までに見たことがないくらいの美少女は実在したし、一日デートに付き合ってくれた俺はそれだけで満足だよ」
そういうと真弥は駅へと向かって歩き出す。一歩二歩三歩…………十歩くらい進むと踵を返して戻ってくる。
「上妻くんには悪いんだけど、もう少しだけ付き合ってくれないかな?」
そういうと俺の横にいた壮の手を引っ張る。そして俺に耳打ちするように
「俺の好きな相手は幻だったけど、お前の好きな相手は実在するんだろ? 幻想の手はいくら掴もうともがいたところで掴むことはできないけど、現実の実在する手は掴もうと思えば掴めるんだぜ」
柏木はそうと言うと俺の「おいっ」という反論も聞かずに、壮を連れて駅の方へと消えていった。
「どうしたの?」
その様子を少し離れたところで見ていた新川が慌てて駆け寄ってくる。
「なんかさ、もう少し夢を見ていたいんだってさ」
「夢? ちゃんと壮は男だって言ったんでしょ?」
「嗚呼」
「もしかして柏木くんってそっち系なの?」
「いや、違うよ」
「あんたがそう言うならそうなんだろうけど……。私たちも帰らない? 柏木くんたちも帰ったし、もうここにいても意味無いでしょ?」
そういうと新川は歩き出す。 俺は新川の腕を掴むと勇気を出して言った。
「ちょ、ちょっとだけ歩かないか?」
「え?」
ビックリした表情を見せる新川。周りから見れば、気にも留めないようなほんの一瞬の出来事。しかし、それは俺にとって何十分も息を止めているような長い一瞬だった。
「……ま、まあいいけど」
なんとかオーケーを貰い安堵する俺。
動物園に隣接する公園内を無言のまましばらく歩いていたが、足を襲うズキズキという筋肉痛が既に動物園で十二分に歩いていたことを思い出させる。
「ちょっと座らない?」
すぐそこにベンチを見つけ、一緒に座る。
再び沈黙が訪れるが、再度勇気を出して切り出す。
「あ、あのさ、聞きたいことがあるんだけど……」
「……な、なに?」
俺が新川のことを好きなのかどうかは正直分からない。ちょっと前まで蓮沼さんが気になっていて、蓮沼さんと付き合うための相談をしていた相手だ。たしかに顔はかわいいし、性格に多少難があるものの、根は優しいやつだというのは誰よりも知っているつもりだ。
しかしどうしても一つ気になるのは、新川の背後にチラつく女の子の影。
遠い昔の初恋の相手。
俺が新川に初めてあったはずのあの日、新川が大きく手を振り上げた時、一瞬リンクした現在と過去。
その時は可能性でしかなかったものが、秋村と新川の間に入って頬を叩かれたあの時、確信へと変わった。
「…………俺と新川って前にも会ったことないか?」
「……前って、何度もあってるやん」
新川が
「いや、もっと前。そう例えば、小学生の時とか……」
視線を逸らす新川。少しうつむき何かを考えた様子を見せた後、ゆっくりと口を開く。
「………………覚えてるの?」
「覚えているというか……、思い出したというか……、平手打ちされた時に新川の姿と昔クラスメイトだった女の子が重なった……、というか……」
自分でも歯切れの悪さを感じる物言い。だがこれ以上の言い方は思いつかなかった。
「そう……なんだ……」
「俺は、昔、お前と会ったことあるんだよ……な?」
「……うん」
やはりそうだった。そうだった。そうだったんだ。
「俺は……昔、お前に……告白、したんだよな?」
「…………うん」
「それで……フラれた……」
「…………うん、パチンと……ごめん」
うつむく新川。
「いや、もういいんだ」
初めて好きになった女の子。そして初めてフラれた女の子。
初恋の相手に再び会えたという喜びと、初失恋の相手に会ってしまったという気まずさが同居した微妙な気持ち。だけどそれらは、想像していたよりも軽いもので、思っていたよりも大したことはないみたいだ。「もういい」というは強がりでも言い訳でもなく、本当の過去の出来事としての気持ちしかない。
「よくないよ。私って最低だよね」
「最低なんかじゃないよ」
「ううん、最低だよ。勇気を出して告白してきてくれた人にいきなりビンタして……傷つけた……」
「それは……あの時、傷ついたのは確かだけど、今考えれば俺も相当気持ち悪かったし……」
「ううん、違うの。私の、パパとママはいつもケンカばかりで結局離婚した。もし私がいなければこんなことにならなかったんじゃないかって思うと寂しかった。周りの友達が羨ましかった。私はこんなに辛い目にあってるのに、なんで皆はいつも通り笑っていられるのって。そう思うと学校にいるのが、友だちと話すのが苦痛でしかなかった。だけど大阪に引っ越すことになってあと数日でこんなところにいなくて済むと思うと気が楽だった。そんな時にラブレターを貰って、怒った。なんでこんな時に『守ってあげる』なんて言うの? 私の何を知ってるの? 大阪に引っ越しちゃうのにどうやって守るっていうの? ってムカついて気がついたらビンタしてた」
それから新川は小学生の頃の話をしてくれた。覚えていること、忘れていたこと、知らないこと、たくさんあった。
俺は、あの日、夢で見た女の子にフラれたあの日、正確には前日か。ラブレターをこっそりと初恋の女の子の机に入れた。今思い出せば、気持ちの悪いラブレターだった。
『きみはぼくが守ってあげるからね』
男の子は女の子を守るものなんて思い込みで自分が守らなきゃなんて思い込んで。
守られる側のことなんて一ミリも考えていない自分勝手なラブレター。気持ちを伝えるのではなく、押し付けてしまう気持ちの悪い手紙でしかなかった。
受け取る側の新川――じゃなくて狩野さんが何を思っているのか、何を考えているのかなど気にもせず、自分の気持ちだけを伝えて逃げるような仕打ち。その仕打ちの答えは、翌日のクラスメイトたちの前で平手打ちだった。
ここからは俺の記憶はないが新川によれば、俺はショックで三日ほど学校を休んだらしい。そして週が明けて俺が学校へ登校した時には狩野みなみはいなくなっていた。
親が離婚をし狩野みなみは、新川みなみに変わり、母親と一緒に母方の実家がある大阪へと転校した。
クラスメイトは転校の事実を知ってはいたが、俺に教えてくれる人はいなかった。いや、その前の週に壮絶にフラれているのを見ている手前、誰も教えられなかったのだろう。
その後、俺は、徐々にクラスメイトの前でフラれたという事実を脳内から消し去っていった。狩野みなみという初恋の相手とともに。
「そんなことが……タイミング悪くてごめん」
「ううん、だけど私の八つ当たりでしかなかったの。本当は嬉しかった」
「嘘でも嬉しいよ」
「嘘じゃないよ。こんな私でも好きになってくれる人がいるんだって思ったら大阪で頑張れた。下手だけど関西弁使って、そしたら面白がってくれた。友達もできた。私変われたと思ってた」
「新川は変わったよ。俺が気が付かないほど見た目も変わったけど、それ以上に優しくなった。何にも関係ないのに俺の彼女を作るなんて馬鹿に付き合ってくれたし、アドバイスだってくれた」
「違うの。私は最初に見た時からあんたが告白してきた男子だってすぐ分かった。あんたは気づかなかった見たいだけど……」
「なんかごめん」
「あ、そういう意味じゃなくて、私が言いたいのは、私は気づいていたのに謝らなかった。謝れなかった。あの手紙のお陰で頑張れたのに、私は、あんたに謝らないどころか気づいてないのをいいことに蓮沼さんをくっつけようとした。そんなことしても
「そんなこと……」
「現に私まだ謝れてない。だって謝るのが怖いんだもん。謝ったらそれで終わりのような。あんたに嫌われちゃうような気がするから……」
そこまで話すと新川は静かに涙をこぼしながら泣き始めた。
この子を守りたい。守ってあげたい。
そんな考えが俺の頭に浮かんでくる。しかし一方で、俺は全てを忘れ、過去にして
心臓はバクバクし、胃はどこまでも落ちていくような感覚で、背中のあたりはモゾモゾとする。
好き。
なのかもしれない。けどもしかしたら単なる罪悪感からなのかもしれない。
新川に対する感情を自分自身どう表現していいのか全然わからない。
だがこれだけは確実に言える。この子のことを、新川のことをもっと知りたい。
俺はベンチから立ち上がり新川の目の前に立つ。
「えっ、どうしたの?」
驚いた新川は顔を上げる。頬には涙が伝い、目は涙で潤んでいる。
「嫌う? ふざけんな!」
突然大声を上げた男に周りの人たちが振り返る。
「ご、ごめん。ど、どうしたの……?」
新川も驚いたような表情を見せる。
「俺の友達の少なさ舐めんなよ! それぐらいで嫌いになってたらとっくに友達が一人もいなくなってるわ! 特に女の友達なんてほとんどいない――いや、お前ぐらいしかいないんだからそんな簡単に俺から嫌うわけないだろ」
「…………」
新川は静かに涙を拭う。だが少し笑っているようにも見えた。
「俺は、お前のことが好きだった。小学生の頃、それは一目惚れのようなもので、ただ単純にかわいいと思ったからだ。だけど、俺は、お前のことを何も知らなかった。俺は、お前のことを理解しようともしなかったし、理解されようともしなかった。側で見ていれば十分だったはずなのに、周りの男子がお前にちょっかいをかけるのを見て焦っていたのかもしれない。俺が独り占めしようとしてラブレターを書いたんだと思う。だから、俺はフラれて当然だと思うし、だからお前が気に病むようなことじゃない」
「…………うん」
「俺が“新川”に初めて会った日、俺はお前のことをやっぱりかわいいと思った。小学生の時から進歩していないと言われればそれまでだけど、正直かわいいと思った。それは変えられない事実だし、自分自身に嘘をつきたくない。だけど同時に性格が最悪だとも思った。かわいい外見を台無しにするほどだとも思った」
「…………」
「でも間違いだった。昔、告白した相手だとも知らずに呑気に蓮沼さんが気になるって言う馬鹿な俺をお前は全力で応援してくれた。最低でしかもヘタレな俺に、なんだかんだでアドバイスをくれる優しいやつだって分かった。俺は新川のことを嫌いにならないし、むしろもっと知りたいと思ってる。一緒に遊びたいとも思うし、もし新川が困ったときには助けたいし守りたいと思ってる。今度の守りたいは、自分勝手な守りたいじゃなくて……。もし新川が必要なら……、だから……だから、俺と友達から始めてください」
俺は、頭を下げ、手を差し出す。
「…………「友達から始めてください」って中学生みたい」
返す言葉もなかった。何も考えず、頭に、そして心に浮かんだ言葉を羅列していったらそうなった。
でも後悔はしていない。
「……ダメだよ。私はあんたを傷つけた。それは変わらない事実だよ。それを無かったことにはできないよ」
「…………」
心が痛い。
昔、頬を平手打ちされた時もこれほど心が痛かったのだろうか。
心臓の辺りをギュッと締め付けられるような、内臓の底から持ち上げられるような変な気持ち。ジッとしていたくてだけど動きまわらなきゃ気がすまないような変な気持ち。だけど、この気持ちを新川に押し付けることはできない。僕は僕の気持ちを伝えたし、それでダメなら仕方ない。気持ち悪い男にはもうなりたくない。
「私も言わなきゃいけないことがあるの」
「…………」
「私……、……、ずっと思ってた。けど言えなくて……。それなのにあんたは私を許すどころか友達になろうとまで言ってくれた。全てを話してくれた。それなのに私は何もしてない。それじゃ、私がケジメをつけられてない。このままじゃあんたと友達になれないよ。だから……ごめん。ごめんなさい。平手打ちしてごめんなさい。八つ当たりしてごめんなさい。何も言わずに転向してごめんなさい。高校に入って気がついていたのに知らないふりしてごめんなさい。今まで謝らなくてごめんなさい」
人目も憚らず頭を下げ続ける新川。通行人が好奇の目で見るが気にもしない。
「いや、いや、謝る必要なんてないよ。頭上げて、ほらみんな見てるよ」
「許して、くれる?」
「許すもなにも、俺も悪いんだし……」
「私みたいな最低の人間と友達になっていいの? 後悔するかもよ?」
「何度だって言うよ。俺と友達になってください! 俺と友達になってください! 俺と――」
「バッカじゃないの……。それがあんたらしくて……。チキンで優柔不断で……。だけど誰に対しても優しくて、いざっていうときは暴走しちゃう……。私みたいな人間のクズと友達になっても良い事なんてないよ?」
「自分の事をあんあり
「後悔するよ?」
「後悔なんかしない。いや後悔してもいい。ここでなにも言わずに後悔するよりも言って後悔したほうがいいって、どっかの誰かが言ってたよ」
「そう……。なら目をつむって」
一瞬、なぜだか分からず躊躇するが、仕方なく目をつむる。目をつむるろうとした時、新川が手を振り上げるのが見え、頬を平手打ちされるのではないかと身構えたが、全く異なる予想外の感覚が襲う。
小学生の頃、叩かれたのと同じ左頬に平手打ちのズキズキとした痛みとは正反対の優しく包まれるような感触。温かく、そして柔らかく、少し湿っていた。
「もういいよ」
促されて目を開けると、涙で目が赤く晴れているが、満面の笑顔を浮かべて新川が立っていた。
「……なに、今の?」
「ナイショ」
そういうと新川は振り返り駅の方へと歩き出した。
何が起きたのか分からず、立ち尽くしていると新川は「早く来ないとおいてくよ」と言って振り返った。
「あ、あぁ……」
俺は、驚きと戸惑いと少しの喜びの間を漂い、フワフワとした足取りで新川を追いかけた。
脱DTという目標から始まったことだけど、今は脱DTとかどうでもいい。
DTがダメなものならその辺の鳥にでもくれてやる。
好きというのがどういう気持ちなのかよく分からないけれど、今は、新川をもっと知りたいし、もっと話したいし、もっと仲良くなりたいという気持ちで十分だ。
これが好きという気持ちなのか分からないけれど、今はこの気持ちを大事にしたい。
周りの普通の人たちからすれば大したことないと思うかもしれないけれど、リア充なら軽々飛び越えていくような段差かもしれないけれど、俺にとっては大きすぎる大事件だ。
小学校から目を逸らし続けてきた小さなギャップは今では巨大な段差となって俺の前に立ちはだかる。七年間の時間は取り戻せないけれど、いつだってやり直すことはできる。もう一度、友達から始めよう。友達の先に何かがあるのかは、友達もまともにいない僕には、その先があるのかも分からない。もしなにかがあるならば、それは嬉しいけれど、ただ今、この場で言えるのは、友達になりたい、生まれて初めて心の底からそう思った。
だから俺は新川と友達になり直す。小学生の頃に止まった時計の針を今動かし始める。
(第一部完)
童貞だって恋がしたい 半名はんな @hannarito
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