第三章

第四話

 暗幕の引かれた教室。教室前方にはスクリーンが降りている。

 あまり真弥の茶番に付き合ってやる気分ではなかったが、今している行動のすべてはこの教室、そして真弥の言葉から始まっているのだ。だから付き合ってやるのが義理だろう。

 それが良かったのか悪かったのか今は分からないし、これから答えが出るのかすら分からない。未来は分からない方が良いという人がいるが、そいつらはこのムカムカ鬱々とした晴れない気持ちを体験したことがないに違いない。闇の中というよりも霧の中に迷い込んだ気分だ。

「なにやら浮かない顔をしているな」

「うーん……」

「さては脱DT作戦が上手くいっていないんだろ」

「上手くいっていないわけではないんだけど……」

「なんだその歯切れの悪さは!」

「いや、色々あってさ。一歩、どころか百歩ぐらい進んだと思ったら九十九歩戻らされたみたいな感じ……かな?」

「ふん、そんなことで悩んでいるのか」

「そんなことってなんだよ。俺は俺なりに考えてんの! そう言うお前はどうなんだよ」

「君がそんな他愛もない悩みで悩んでいる間、俺は反省文を書いていたわ」

 そういえば昨日、真弥が髪を染めて制服をだらしなく着崩して登校してきていたことを思い出す。髪染め、衣服の乱れに持ち込み違反。よくこれだけ校則を破って今日も登校できたものだ。

「よく停学にならなかったな」

「ふっ、あんなものなんでもない。反省文の一つや二つ適当なことを書き並べればちょろいものさ。先生共は感動し、涙していたわ!」

 先公共ではなく、先生共というところが悪ぶっても悪になりきれない真弥らしい。それよりも先生が感動して涙する反省文が気になる。

「それで、停学は免れたってか」

「ああ、厳重注意はされたがな。そんな人生の先輩からのアドバイスだ。悩んでいる暇があれば一歩でも多く進め」

「お前は進んでるのかよ」

「ふっ、俺なぞ既に練習台として五人ほど攻略済みだ。落ちる落ちる、簡単に落ちる。まるで俺の高校受験かと思ったぞ。あとは本番を残すのみだ」

 フフフフフと気味悪い笑い声を挙げる真弥。そういえば、本当は東大志望で高校ももっと上位の東大進学コースのある高校が第一志望だとか言っていたなとどうでもいい情報を思い出す。基本的には頭は良いのにどうしてこうも救いようがないのだろうか、本当に疑問だ。

「それでその本番とやらはいつ来るんだ?」

「うぐっ……それはだな……いつか来る。そういう君はどこまでいったのだね。そんな態度をとるということはさぞ進んでいることだろう」

「デート」

「ふへ?」

「デート」

「は?」

「だからデートしたって言ってんの!」

 あまりにショックが大きかったらしい。真弥は口をあんぐりと開けたまま固まる。

「で、で、ででで、デート!?」

「嗚呼」

「誰と? いつ? どこで? 何時何分何秒? 地球が何回回った日!?」

「昨日。相手は――言わない。お前口軽そうだから」

 相手を言うべきか少し考えて言わないことにする。

「たとえ俺の口が軽かろうと俺にはそれを話す相手なぞいない。安心して話し給え」

 そう言われてみれば確かにそうだ。認めるのは癪だが、真弥は俺と同類。口を滑らす相手などいないだろう。

「絶対言うなよ」

「嗚呼」

「…………蓮沼さん」

「ふぇ?…………………………蓮沼さん!?」

 真弥は随分と考えこんで初めて俺の言葉を認識できたらしい。

「蓮沼さんってあの蓮沼さんか?」

「どの蓮沼さんかしらないけど、たぶん」

「ありえん……ありえん……いや、ありえん」

「いや、まじ」

「我々の調査によれば蓮沼さんは彼女にしたい女子ランキング一位だ。それが彼氏にしたい男子ランキング百六十位のお前とデートだと」

 俺って百六十位だったのか……。確かに女子との接点がほとんどないけど、ここまで低いと地味に傷つく。

「あのさ、この前から気になってたんだけど『我々』って誰だよ」

「我々は我々だよ。俺とコイツ」

 そう言うと真弥は自分の目の前のパソコンを指差す。

「パソコン?」

「ただのパソコンじゃないぞ。龍聖君だ。龍聖君は膨大なデータベースと繋がっている。彼に聞けば出ない答えはないぞ!」

 フハハハハハと真弥。

 それにしてもパソコンに名前……。しかも男って……。

「ついでにこいつは智絵里ちゃんだ」

 そういうとポケットからスマホを取り出す。顔に似合わずピンク色をしていて智絵里もきっとチェリーからとったに違いない。

 真弥がパソコンをカタカタし始めたかと思うと前方のスクリーンに新たな画面が映しだされる。

「我々の調べによれば、お前と蓮沼さんがうまくいく可能性は――十九パーセントだ」

 実に現実的だった。実際にデートする前なら十分高いと喜んだかもしれない。果たして真弥の言うデータベースの中には蓮沼さんの情報がどの程度入っているのだろうか。蓮沼さんがアニメ好きだということ、そして時折見せた別の顔も入っているのだろうか。

「ちなみに俺と蓮沼さんが上手くいく可能性は、三パーセントだ」

 俺より低いじゃねーか。

「ちなみに俺とお前の一番相性いい相手は?」

 こんなもの意味のないものだというのは分かっていたが、聞きたくなるのが人の性というものである。

「お前は――上妻だ」

「壮は男だろうが!」

「ちなみに俺は…………さんだ」

 真弥は恥ずかしそうに答える。

「え、誰だって? 聞こえねーぞ」

「…………新川さんだっ」

 予想外の答えが返ってきた。

「お前、新川の事が好きだったのか!?」

「ば、ば、ばか。声がでけーよ!」

「悪い……」

「すす、好きじゃねーよ。我々のデータベースだと偶然たまたま一番相性がいいだけさ……」

「新川ねぇ……。止めておいたほうがいいと思うぞ」

 自分の経験を元に俺は真弥を説得しようとする。

「お前が新川さんの何を知ってるっていうんだよ。てか新川って呼び捨てにすんな。さんをつけろさんを!」

 俺が新川の何を知っているのか……。男みたいな性格にすぐに手を出す暴力的な振る舞い、似非関西弁、それに――初めて新川に出会った時のことを思い出して顔が赤くなる。

「と、とにかく俺はあいつと話したことあるけど、止めた方がお前のためだ」

 とその時、俺のスマートフォンにメッセージが届く。

『どこにいんの? 早く来なさいよ』

 ピキピキという怒りマーク入りのスタンプとともに新川から送られてくる。

『今、視聴覚室にいる。もう少ししたら行く』

『は?』

「LINEか?」

「嗚呼」

「誰としてるんだ?」

「その新川だよ」

「な、な、な、なななんだと!?」

 下手くそな劇団員のような大げさに驚いて見せる真弥。

「本当?」

 今度は真顔で聞いてくる。

「嗚呼」

「何で知ってるんだ?」

「いや、知り合いだから?」

「付き合ってんの?」

「何でLINEを知ってると付き合ってることになるんだよ!」

「付き合ってないのか。それなら別にいい。話したことはあるのか?」

「まあ知り合いだからな」

 というか蓮沼さんの件で色々と相談に乗ってくれているなんて言えない雰囲気だ。

「じゃ、じゃあ新川さんって彼氏いるのかな? 好きなタイプは? 趣味は?」

 身を乗り出し、畳み掛けるように質問してくる。俺は新川じゃねーぞ。

「知らねーよ」

「じゃあ聞いておいてくれよ。なあ頼むよ」

 必死だ。気持ち悪いほど必死だ。気になる人の情報を知るのにここまで必死になるものか? 俺が周囲の人やタイミングに恵まれていただけなのだろうか。俺が蓮沼さんのことを全く知らなかったと仮定して考えてみる。

 無理だ。

 俺はここまで必死になれない。そう思うと、この必死さが凄いことのように思えてくる。少なくとも俺は、たとえ気になる人のことであってもここまで必死にはなれる気がしない。

「わ、わかったよ。今度機会があったら聞いておくよ」

 ちょうど今日呼び出されているから、その時についでに聞いておこう。

「本当か!? ありがとう、ありがとう」

 真弥は俺の手を握ると上下に大きく振る。

「じゃあよろしく頼むよ」

 真弥はそう言うとそそくさと片付けを始める。

「え? 作戦会議は終わり?」

「これ以上なにすることがあるんだよ?」

 その時、勢い良く部屋のドアが開く。

「…………こ、こ、室……くん……」

 俯き、こちらと目を合わせようとしないショートヘアの女の子。少し短めのスカートの裾を抑えながら恥ずかしそうにしている。

「うおっう」

 真弥が興奮した様子で唸る。

「あの……どなたでしょう……」

 記憶を辿ってみたものの、こんなにかわいい女の子の知り合いはいない。

「…………ボク……だよ」

 そう言って顔を少し上げる女の子。

「ボクっこ……だと」

 俺よりも早く真弥が反応する。

「あっ――」

 俺が謎の美少女の招待に気がついた瞬間、もう一人現れる。

「いつまで待たせるのよ!」

 入り口の扉にもたれかかり、足をクロスさせる不敵な態度をとる新川。

「い、今行こうと思ってたところだよ」

 反論する俺の背後で真弥が制服をツンツンと軽く引っ張る。女子にやられれば嬉しい行為でも男子がやればただのうざい行為でしかない。

「あれは、新川さんか?」

「嗚呼」

「なんか想像していたのと違うな」

「だろうな……」

「どちらかというとショートカットの女の子の方がタイプだな」

 それもそうだろう。小柄で美人というよりもかわいく、おとなしそうな子だ。真弥が嫌いなワケがない。

「ねえ、そこの誰だっけ? まあいいや、まだおわんないの?」

「い、い、い、いいいえ、もう終わりました。お好きにどうぞ」

 そういって真弥は、生贄を差し出すように俺の背中を押す。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 畳の匂い香る部屋。落ち着くいい匂いだと最初は思ったが、今週だけで三回目ともなると段々と飽きてくる。

 視聴覚室から半ば強引に連れ出された俺は、茶道部の部室で正座している。

「じゃあ早速だけど報告してもらおうかしら」

 相変わらず偉そうな新川だが、昨日アドバイスをもらった手前、大人しく説明する。

 デート中に見せた蓮沼さんの別の顔については敢えて伝えないでおいた。自分だけの秘密にしておきたいというよりも言ってはいけないような気がしたからだ。

「……いいな……楽しそう」

 壮がポツリと寂しそうにつぶやく。

「あんたにしては良くできた方なんじゃないの?」

「はいはい、どうせ俺が悪――新川が俺を褒めた!?」

「な、なによ! 私は、正しいことは正しいって認めるわよっ」

「…………デレ」

「デレとらんわ! そもそも私はツンデレでもなにデレでもないわ!」

 壮のいじりと新川のツッコミ。見ていて楽しいが、少し虚しくもある。明らかに仲が良くなっている壮と新川にどこか疎外感を感じる。

「それよりも、次のデートの作戦を考えましょう」

 ハイハイと新川が手を叩きながら仕切りなおす。

「次の作戦?」

「当たり前でしょう? 一回デートしたらそれで終わりだ思ってんの?」

 言われてみればその通りだ。人生初のデート。それも学年トップクラスとのデートで一杯一杯だったが、俺の最終目標は脱DT。つまりヤることだ。そのためにはヤれる相手=彼女を作らなければならない。これからこそが重要なのだ。

「でもどうやって誘えばいい?」

「は? 誘ってないの!?」

「え?」

「次のデートの約束をしろってメッセージ送っ――」

 新川が自分のスマートフォンをチェックしながらハッとする。

「え? なんで送れてないの!?」

「……もしかして……あの時……」

「あっ! あの店員! くそっ」

「え? なに? 俺意味が分からないんだけど」

 新川と壮はなぜか分かり合っているが、俺はさっぱりわけがわからない。

「な、なんでもない。こっちの話しよ……ちっ。でもさ、プレゼントは渡したんでしょう?」

「渡したよ」

「その時、なんで次の約束しなかったのよ」

「いや、そんなこと言われてもそんなルール知らないし」

「ルールじゃないわよ。普通するでしょ?」

 そう言うと新川は俺と蓮沼さんの真似をしながら、

「「これ、良かったらもらってくれないかな?」

「えっ、悪いよ」

「君のために買ったんだから貰ってくれないと」

「じゃ、じゃあ。ありがとう」

「代わりって言ったらなんだけどさ、また今度一緒にデートしてくれないかい?」

「え、いいわよ」

「じゃあ来週の日曜日とかどうかな? 今度はもっと君と一緒にいたいから」

「ぽっ」

 ってなるでしょうが!」

「ならねーよ」

 また新川の悪癖が始まったところで話題を変えてみる。短い付き合いだが、こいつとの接し方が徐々にわかってきた気がする。

「ところでさ、なんで壮は女子の制服着てるんだ?」

 あまりに似合いすぎていてもはや元々こうだったんじゃないかと思うほど自然なため、忘れていた質問をする。

「あ、それ。もういいのよ」

「いや、なにがもういいのか全然わかんないんだけど……」

「もういいの」

 新川に教える気はないようだ。

「なんでそんな格好してるんだ?」

「…………新川さん……が……無理……矢理」

 顔を隠し、恥ずかしがりながら話す姿はなんかこうグッととくるものがある。

「新川お前――」

「な、なによ」

「まさか、こういう趣味あるのか?」

「あるわけないでしょ。あんたが蓮沼さんをデートに誘えていたら、女の子をリードする練習をさせてあげようと思ったのよ」

「なに!? やろう」

「はあ? 意味無いでしょ。蓮沼さんをまたデートに誘えるかもわからないのに練習する必要なんかないでしょ」

「それは……」

「…………」

「…………」

「ところでさ、お前の趣味は? 休みの日ってなにしてんの?」

「な、なによ、いきなり」

「いや、なんとなく?」

「……まさか、蓮沼さんから私に乗り換えようって気? 言っておくけど私は蓮沼さんよりも高嶺の――」

「そんなわけねーだろ。新川とかれこれ結構話してるけど、お前のことなにも知らないなって思ってさ。この間お前も相手を知れって言ってたじゃん?」

「は、え、あ、そ、そういうことなら教えてあげなくもないけど……。お笑いよ。休みの日はお笑いのライブ見に行ったり……」

 お笑い。何となくそんな気がしていたが、これでネタ満載の台本や時々、似非関西弁になる理由が分かった気がする。

「お前って彼氏いるの?」

「ふぉへっ!? な、ななな、なによいきなり」

「いや、休みの日に一人でお笑いライブってどうなのかなって」

 本当は真弥に頼まれたなんて言えるわけがない。

「わ、私ぐらいになると彼氏候補なんて掃いて捨てるほどいるからね。私が一言呼びかければ大勢集まってきて選別が大変なのよ」

 一人で見に行くのは否定しないらしい。

「選別ねぇ……。お前のアドバイスってさ、たまに役に立たない、いや、たまにしか役に立たないじゃん? もしかしてデートとかしたことないんじゃないかなって思ってさ」

「はぁ? あんた一回女子と一緒に出かけたくらいで調子のってんじゃないでしょうね?」

「一回は一回だろ?」

「あんなの私に言わせればデートでもなんでもないわよ」

「あれがデートじゃなきゃなんだって言うんだよ?」

「デートってのはね、恋人だったり恋人になりそうな人たちがするものなの! あんたのはき、キスもしないし、手も繋がないし、友達と遊びに行ったのと変わらないじゃない!」

ぎぬぬ。友達と遊んだことなどかなり遡らないと記憶にないが、言われてみれば正しいようにも聞こえる。だが、言い方が気に食わない。

「じゃあどうすればいいっていうんだよ?」

「もっと積極的になりなさいよ!」

 積極的になれ。前にも新川から注意された気がする。俺はそんなに積極的になれていないだろうか。小学生の頃に初恋の相手に大勢の前で平手打ちされて以来、女子に自ら話しかけるなどほとんどしなかった俺が、蓮沼さんを遊びに誘ったし、実際にデート――新川に言わせれば単なる遊びだが――だってした。俺は、リア充になるべくしてなっている人間とは違って器用ではないからどう積極的になっていいか分からない。

「積極的ってどうやったらなれるんだろな……」

「なによ、急にシュンとしちゃって。気味が悪い」

「いや、もうどうしたらいいんだろうなって思ってきてさ」

「……元気……出して」

「ありがとう」

 壮はいつでも優しい。新川にも見習って欲しいくらいだ。

「あんたは蓮沼さんが好きなんでしょ? なら最後まで突っ走りなさいよ!」

「俺って蓮沼さんのこと本当に好きなのかな?」

「はあ? 何を今さら言い出すのよ。蓮沼さんは美人と思うでしょう?」

「誰がどう見ても美人だろ」

「蓮沼さんの方をチラチラ確認するでしょう?」

「……まあするかな」

「キモっ。蓮沼さんが他の男子と話していたら気になるでしょう?」

「キモって言うな。キモって。だがそれは……なるな。むしろ男子にムカつく」

「それはもう好きってことなのよ。分かった?」

「そんなのかな……」

「そうなの。私が言うんだから間違いないでしょ」

「お前が言うから間違いな気がしてくるんだが……」

「うだうだ言ってないで早くデートプランを考える!」

 半ば強引に新川に促されるように次回のデートについて考えてみる。だが、なにも思い浮かばない。しかしそれも仕方がないことだろう。友達も少ししか――いや、あまり――じゃなくて、ほとんどいない俺は、友達とすら遊びに行った経験がない。過去に友達と遊びに行った思い出といえば、小学校の低学年の時に友達の家へ遊びに行ったくらいだ。それ以来、学校と家を往復する毎日を送り、休日は家でゲームをしたり、漫画を読んだり、最近ではネットをして暇をつぶしている。そんな俺が急に友達以上の関係になりたい人と遊びに行く方法を思いつくはずもなく、それは例えるなら自動車知識のない俺がいきなりマニュアル車を渡されて運転しろと言われるようなもので、知識ある他人の助けを借りなければ走り出すことすら叶わない。

「なあ、壮ならどこに行きたい?」

 俺はこの部屋で一番かわいい子に尋ねる。

「……僕は……鳥カフェ行きたい」

「鳥カフェ? 焼き鳥とコーヒーは合わないと思うけど……」

 すると新川はあちゃーという顔をし、壮は頬を膨らませる。

「……食べないもんっ!」

「あのね、鳥カフェっていうのは、鳥を見ながらお茶したり、鳥を触ったりできるカフェなの。犬カフェとか猫カフェとかあるでしょ? それの鳥版よ」

「……小鳥……かわいい」

「うん、でも鳥カフェってのはありね。インコアイスって一時期流行ったし、かわいい動物は、女子は大体好きだから。ただアレルギーだけが心配ね」

「その鳥カフェってどこにあるの?」

「……学校から……ちょっと行った……とこ……二十分くらい……公園の方」

「意外と近いな」

 商店街の方は通学の際に使うのでよく通るのだが、公園の方となると自宅とは反対方向でほとんどいったことがない。お洒落なインテリアショップやレストラン・カフェ、さらには高級ブランドショップまで集まる通りだというのは聞いていたが、行く勇気はなかった。

「ほら決まったならさっさと聞く」

「じゃあ聞いてみるよ」

 新川にせっつかれスマートフォンを取り出しアプリを起動する。

「どうせあんたのことだからデート後にフォローのメッセージとか送ってないんでしょ?」

「えっ? お、送ったに決まってるだろ」

「どうせ、蓮沼さんがお礼してきたのに返信しただけでしょ」

 実は、デートの後、蓮沼さんから「今日はありがとう。楽しかった」というメッセージが笑顔のスタンプとともに送られてきたため、それに返信していた。

「そういうのはね、別れた後に「今日は蓮沼さんと一緒にカフェ行けて楽しかったよ。ありがとう。蓮沼さんは楽しんでくれたかな? また今度、遊びに行こうね」ぐらい送っておくものなのよ」

 そういうのは先に言って欲しい。てか義務教育の段階で教えるべきだろう。そんなの習いもしないのにできるはずがない。

『蓮沼さんって鳥好き?』

『急にどうしたの?』

 蓮沼さんからの返信は思いの外早く来た。

『鳥カフェっていうのが学校の近くにあるって壮から聞いたんだけど、蓮沼さん知ってるかなと思って』

『へぇ。上妻くんって鳥好きなんだ?』

『そうなんだって。らしいよね』

『上妻くんと小鳥って絵になりそうだもんね。小室くんは上妻くんと行ったの?』

 話が逸れ始めている気がする。新川に助けを求めるともっとダイレクトに誘えとの指示が入る。

『まだ行ってないよ。というか鳥カフェの存在自体初めて聞いて、もし良かったら一緒にどうかなって?』

 それまですぐに来ていた返信が止まる。

「どうしよ……」

「…………大丈夫……きっと……」

「………………」

 弱々しいが応援してくれる壮に対して新川は黙りこくっていた。

 三人の間に気まずい沈黙の時間が流れる。体感にして三十分、三十秒で消える設定にしているスマートフォンの画面が消えた瞬間、メッセージの到着を知らせるランプが点灯し、ピコーンという音がなる。

 急いで画面を付けると、

『ごめん』

 とスタンプ入りのメッセージ。

『わかった』

 そう返信してスマートフォンの画面を消す。

「…………どうだった?」

 消えた画面を見たまま固まっている俺を心配して壮が声をかけてくる。

「……無理だった」

 壮は黙って俺の肩を叩き、慰めてくれる。

「ま、まあ、最初からダメ元だったんだし、気にすることないわよ」

 新川なりに俺を慰めてくれているつもりなのだろうが、新川の声も少し震えていた。

 もちろん蓮沼さんの様な美人と簡単に付き合えると思っていたわけではないし、一回一緒に遊びに行ったくらいで彼氏面をするつもりもない。だが多少関係は前進したと思っていた。だからこそ暗闇の中、可能性を見出し始めていたのにそれを断ち切られた気分だ。

 無理だと分かっている第一志望にダメ元で応募したところ奇跡的に一次面接を通過し、二次面接も上手くいった自信があったのに理由も分からず落とされた時のような気分だ。

「なあ、新川」

「なによ」

「もし俺がお前に俺とデートしてくれって言ったらどうする――うぐっ」

 俺が言い終わる前に新川の右ストレートが俺の腹部に入る。唐突なパンチに防御体制に入る間もなくモロに直撃である。

「な、に……すん……だ……よ」

 鳩尾にこそ入らなかったものの、新川の体重が乗ったパンチの威力は凄まじく、激しい腹痛で上手く喋ることができない。

 畳に尻を突き出して情けなく倒れこむ俺を心配そうに駆け寄ってくれた壮だけが救いだ。

「あんたは女子なら誰でもいいの!? 失望したわ」

 立ち上がれない俺を文字通り見下しながら、失望というよりも怒りの篭った声で怒鳴る。

「ち……がう」

「なにが違うのかしら?」

 一応疑問形ではあるが、右手で握りこぶしを作り、少しでも新川の意に沿わない発言などしようものならもう一発お見舞いしてやるというオーラをバンバン発している。

「蓮沼さんが一回目は、あっさりとオーケーしてくれたのに今回は断られたから女子は一回目は簡単に受けてくれるのかと思って……」

 新川の右手が動くのを察知し、俺はとっさに頭を両手で抱え、体を丸めて防御態勢に入る。

「ほら、そんな訳ないでしょ」

 なかなか襲ってこない暴力に恐る恐る防御を解いてみると新川が手を差し出していた。それを無下に断るのも悪いと思い、手を借り立ち上がる。

「お前って意外と優しいところもあるんだな」

「あんた本当なんも分かってないくせにそういうところは……」

「ん?」

「なんでもないわ。こっちの話しよ。あのね男子は女子だったら誰でもいいのかもしれないけど、女子は違うの。私をデートに誘っていいのは背が高くてセンスがよくてお金持ちで優しくて気が利いて適度に筋肉のあるイケメンだけなように、蓮沼さんだって相手を選ぶ権利があるわ」

 結局はイケメンなのか。

「でもまあ、あんたが蓮沼さんにフラれたわけじゃないし、まだチャンスはあるでしょ」

「俺は、まだフラれてないのか?」

「当たり前でしょ? たとえ相手が彼氏だったとしても都合がつかないことだってあるでしょ? みんながみんなあんたみたいに毎日暇なわけじゃないのよ」

 なぜ新川は俺が毎日暇していることを知っている。さてはストーカーか?

 しかし、俺はまだフラれていないという新事実を知らされ、少し安堵した。

「俺はどうしたらいいんだろうか?」

「そうね……。普通が一番よ。普通が」

「普通……」

「そう、今まで通り接すること。下手な行動して嫌いを通り越して気持ち悪いやつになったらお終いよ」

「気持ち悪い?」

「焦ってんのかなんなのか知らないけど、人のあと付け回したり、影でこそこそしたりするようになったらそんなのストーカーよ」

「お前の場合、変な奴に好かれそうだもんな」

 新川は、見た目はかわいい。蓮沼さんとは別系統だが、見た目だけならトップクラスだろう。だが、その見た目以上に中身が終わってる。外見を考慮しても手にあまるほど暴力的で女子らしくない性格だ。こんな女を好きになるような奴は、初対面か中身が見えないほど盲目的な人間だけだ。

「そうなのよね――」

「えっ?」

 思わぬ返答に言い出した俺がびっくりする。「そんなわけないやろ」とか「なにいうとんねん」的な似非関西弁でのツッコミが入ると思ったのに肩透かしを食らった。

「え!? いやいや、嘘嘘」

 両手を振り全力で否定するが、先ほどの声のトーンは本当っぽかった。

「なんか困ってることあるのか? 俺でよかったら相談乗るぞ」

「なん……そう中……端に優……よ……」

「え?」

「なんでもないわよ!」

「役に立たないアドバイスも多いけど、お前のお陰で蓮沼さんとデートできたのも事実だから俺にできることがあったら直接でもLINEでもいいから言ってくれ」

「人のこと心配してる暇があったら蓮沼さんを誘う方法でも考えなさい!」

「……はい」

 せっかく人が気を使ってやっているのに、かわいくない女だ。だが正論ではあるため、反論もできない。

 これ以上ここにいても特にすることがない。俺は気まずい雰囲気を回避すべく帰路へと着いた。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 月曜日。

 波風を極力立てないように過ごしてきた俺の人生の中の嵐のような一週間が終わり、新しい週になった。毎日人と会話し、時に苦しみ、時に喜び、そして最後に苦しんだまるで青春のような一週間が夢だったのではないかと思うほど平常運転に戻ろうとしていた。何事もなく、いつも通りに授業を受け、いつの間にか放課後になり、手早く荷物をまとめて帰宅する。そんな俺の高校生活を再び始めようとしたその時、声が掛かる。

「この前はごめんね」

 蓮沼さんだった。教室を出た俺の後を急いで追いかけてきたらしかった。ごめんねというのは鳥カフェの件だろうか。

「気にしないでいいよ」

 どう返答してよいか分からず当たり障りない内容を返す。

「あのね、もし良かったらなんだけど」

 中途半端に発せられた言葉に鞄を持つ俺の手が汗をかいていくのがわかる。

「今週の日曜日って忙しいかな?」

 俺に予定のある日などあるはずもない。しかし、新川の普通にしろという言葉を思い出し、わざとらしく予定が一切書き込まれていない白紙のカレンダーをめくってみる。

『来週の日曜日なら空いてるよ』

 他の日は用事があるけどその日ならたまたま空いていましたという風に言うと、蓮沼さんは、

「良かった。あのね、実は来週この近くでイベントがあるんだけど、一緒にどうかなって思って」

 これは俗にいうデートの誘いというやつだろうか? 「まだフラれたわけじゃない」という新川の言葉を疑っていたわけではないが、まさか蓮沼さんの方から声がかかるとは思わなかった。

「もちろん。喜んで」

「本当? 良かった。じゃあ詳細はあとでLINEで送るね」

 そう言うと蓮沼さんは、教室へ走って戻っていった。

『やったよ。来週蓮沼さんとイベント行くことになったよ』

 興奮を抑えられない俺は、壮にメッセージを送る。

『よかったね』『どんなイベントに行くの?』

 蓮沼さんに誘われたことで有頂天になり、イベントの内容まで聞かなかった。俺は一体なんのイベントに行くのだろうか。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 木曜日。

 週が明けて月曜日には事態が急変したにも関わらず、火曜日、水曜日は実に平穏な日々だった。冷静になって考えてみると、蓮沼さんから誘われたところで、それはただ一緒にイベントに行く約束に過ぎず、俺と蓮沼さんの関係が急激に進展したわけではない。以前の話すこともなかった時から比べれば、格段の進歩だが、それ以上でも以下でもない。

 そんなわけで蓮沼さんの件で余裕が出てき始めた俺は、新川のことが気になり出し始めていた。

 気になると言っても、好きとかという感情ではなく、友人として気になるのである。土曜日の新川は、普段と違っておかしかった気がする。何かを隠しているようなそんな感じである。もちろん人間誰しも隠し事との一つや二つある。俺だって書棚のマンガの裏にあるあれとかクローゼットの服の中のあれとか……。

 新川が言いたくないと言えばそれまでだし、「なにか俺にできることがあったら言ってくれ」とか格好つけた手前、今さら大丈夫かなんて聞けない。

 しかしどうしても人の気も知らずズバズバと言う新川らしくなさがどうしても気になる俺は壮に尋ねてみた。

 だが、壮は知らないらしく。横に首をプルプルとかわいらしく振るだけだった。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 金曜日。

 普段通り学校へ登校すると、壮が泣きそうな顔をして待っていた。壮をいじめるような奴は俺がボコボコにしてやる。怒り心頭で壮に泣きそうな訳を聞くと、誰にも言わないという約束の下打ち明けてくれた。

「…………あの……昨日……茶道部……に張られてた」

 そう言って壮はスマートフォンで撮影した写真を見せてきた。

 部員ではないが、俺もよく行く和室が写っていた。しかし、普段の隔世的な部屋とは異なり、壁一面に紙のようなものが張られていて非常に不気味に見える。

「…………ここ……見て」

 壮は画面を右から左へ指でなぞり、画像を次のものへと移動させると、衝撃的なものが写っていた。

『キエロキエロキエロジャマスルナシネクソビッチネトルナアバズレクソバイタレイプサレテシマエエンコウクソビッチセイビョウモチカプヲコワスナシメツケラレルコノキモチヲアジアワセテヤルオマエソウウケナマモノニシテヤルユルサナイユルサナイユルサナイ』

 口に出すのもおぞましい言葉が並ぶ。全文がカタカナで書かれ、非常に読みにくいが、それが一層不気味さを増幅させている。

壮によれば、昨日部活の準備のため、早めに壮と新川と部長の三人で部室へ行ったところこんなことが書かれた紙が和室の壁一面に張られていたそうだ。それを見た新川は誰よりも早くそれを剥がしにかかったそうだ。

「先生には言ったのか?」

 壮は首をふる。

「なんで?」

「…………新川さん……と……部長……が……イタズラ……だから……言わない……って」

「これがイタズラ?」

 どう見てもイタズラの度を超えているだろう。これが誰に宛てられたものなのかは分からないが、茶道部の誰かである可能性は高い。

「…………備品……なくなって……ないし……被害……ない……。もし……先生……言ったら、……部活……中止……かもって……。だから……三人だけ……の秘密……だって」

 たしかに先生に言えば、部員に害が及ぶ可能性がある以上、部活動は中止とされる可能性は十分ある。むしろ警察沙汰になってもおかしくないレベルだと俺は思う。

「でも一体誰が?」

「…………分から……ない。けど……新川……さん……泣いて……た」

 部室に来てこんな張り紙を壁一面に張られていたら、泣きたくなる気持ちも分からなくはない。普通の女子ならば怖くて部室にすら入れなくなってもおかしくない。しかし新川は普通の女子とは違うし、むしろ犯人を見つけてぶん殴ってやると憤るタイプだと思っていた。

「なんで、あいつが泣くんだ?」

「…………分からない……けど……新川さん……いじめ……られてる……かも……って」

 新川がいじめられる? いじめる側の間違えだろと普段なら鼻で笑って無視する話だが、場合が場合だし、新川がないていたというのも気になる。そしてなによりも壮が俺に嘘をつく理由がないし、俺に嘘をつくはずがない。

「かもってどういうことだ?」

「…………長谷川さん……新川……さんと……同じ……クラス……の子……言って……た」

 クラスでもいじめられているということか? いや、クラス内でのいじめだとしたら部室まで嫌がらせに来る必要があるのだろうか? こんないじめをすれば新川だけの問題では済まなくなるのは犯人だって分かるはずだ。たとえ新川が先生に言わなくても他の誰かが先生に言いつけるかもしれない。では、犯人は報告されてもいいほど犯行に自信がある? いや、それほど新川を恨んでいるのか?

『そんなのストーカーよ』

 新川の言葉が脳裏をよぎる。新川は、見た目はかわいいから一目惚れした人間が新川に言い寄ってコテンパンにフラれ逆上なんてこともあり得なくはない。

 居ても立ってもいられなくなった俺はアプリを起動する。

『本当に大丈夫か? 困っているなら力になるからいつでも言ってくれ』

 そう打ち込んだが、やはり考え直し全て消す。

 新川が困っているのであれば、俺は喜んで手助けしよう。しかしストーカーとなると別だ。俺がどうこうできるレベルの問題じゃない。それこそ警察に相談すべき問題だし、所詮部外者の俺が口出しすべきものでもない。ただ、もし俺に協力できることがあるならば全力でしたい。

 俺は再びアプリを起動するとメッセージを送る。

『新川のお陰で蓮沼さんとまた出かけられることになったよ』『日曜日に学校の近くでイベントがあるらしくてそれに一緒にいくことになった』『新川には手助けしてもらいっぱなしだから、俺にできることがあったらなんでも言ってくれ』


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 それから二日、蓮沼さんとのデートの日がやってきた。前回の別れた駅で待ち合わせをしている。前回は、平日ということもあり、そこまで人の多さを感じなかったが、今日は日曜ということもあり、午前中にもかかわらず人で溢れている。いや人が溢れている。こんな人混みで合流できるのか疑問だったが、しばらくしてすぐに蓮沼さんがやってきた。

「待った?」

「ううん。来たばっかだよ」

 俺の口からマンガで見たリア充のようなセリフが自然と飛び出てくる。まさかこんなセリフを言う日が来るとは思わなかった。

「すっごい人だね」

「だよね。蓮沼さんのこと見つけられないんじゃないかと思ったよ」

「私、駅の方にはあんまり来ないからビックリしたよ」

「僕も日曜日には来ないからビックリだよ」

 他愛もない会話と通じて、意外と緊張をしていない俺がいるのを感じた。

「そろそろ行こうか?」

 蓮沼さんに続いて人混みの中を進む。きっとラブコメならばここではぐれないようにと手を繋いだりするのだろうが、さすがにいきなり手を繋ぐ勇気は持ち合わせていなかった。そもそも目的地がどこかも分からない。

「イベントってどこでやるんだっけ?」

「ベルガガーデンっていう所だよ。そこの坂を登ったところにあるよ」

 自転車を漕ぐのはキツそうな坂を登り、しばらく行くと他より頭ひとつ高い高層ビルが見えてくる。午前十時前だというのにビル一階の入口付近には大勢の人が列をなしていた。

 蓮沼さんに続いて列の最後尾に並ぶとどんどんと後ろに人が並んでいく。

「すごい人だね」

「そうだね。いつもこんな感じだよ」

「蓮沼さんこういうイベントよく来るの?」

「毎回参加してるよ。けど周りに同じ趣味の人がいないから知り合いと参加するのは初めてなんだよね」

 すると係員らしき人の誘導で入場が始まる。

「あ、入場始まったみたいだよ」

「小室くんはこういうの初めて?」

「え? ああ、うん」

「じゃあ、カタログは自由購入制なんだけどいる?」

「カタログなんてあるの?」

「あるよ。ここでは別に必須じゃないから買わなくてもいいよ」

「じゃあいいかな」

 列は徐々に徐々に前へと進んでいく。ようやく入口まで辿り着くと、

「はぐれないようにね」

 蓮沼さんがつぶやいた瞬間、前の人が走り出すのに続いて蓮沼さんが走り出す。俺が呆気に取られ一瞬で遅れると背後の人も走り出す、追い抜かされる。

 蓮沼さんは、エスカレータを降りて地下へと急いでいる。俺は我に返り急いで追いかける。

「走らないでください」

 という係員らしき人の声が聞こえるが、蓮沼さんと離れるわけにはいかないので全力で走る。

地下に降りるとだだっ広いスペースにところ狭しとテーブルが置かれている。

「は……すぬ……まさん」

 久々の運動で息の上がった俺とは対照的に蓮沼さんは息一つ上がっていない。

「ごめんね。どうしてもここのは手に入れたかったから」

 そういう蓮沼さんの顔はほころび手には一冊の薄い冊子のようなものが握られていた。

「はあ……はあ……」

「もう走らないから大丈夫だよ。目当てのは買ったからあとはゆっくり見て回ろっ」

 学校にいる時よりも、前回の時よりも明らかに高揚した様子の蓮沼さん。

 蓮沼さんの先導で並べられたテーブルの間にできた通路を進んでいく。続々と上から人が降りてくるため、前後左右どこをみても人人人である。並んでいる時も気になっていたのだが、不思議なことに周りは女子ばかりで男は数えるほどしかいない。

「周り女子ばっかりだね」

「まあ普通こういうの好きなのは女子だからね――」

 比較的空いたテーブルの前で蓮沼さんが立ち止まり、テーブルの向こうにいる女性に「すいません、いいですか?」と聞いてから俺の方を向いて話しかけてきた。

「ほら、小室くんも手にとって見てみなよ」

 女性は一瞬ビックリしたような顔をしたがすぐに「どうぞどうぞ」と笑顔で勧めてくれた。

 好意を無下に断るわけにもいかず、『醍×國』というタイトルの薄い冊子を手にとってペラペラとめくってみる。

 イケメンがネット状のフェンスにもたれかかり、もう一人のイケメンがそのイケメンを覆う様にフェンスを両手で掴んでいる。よく見てみると覆いかぶさる形の男は、妖怪友人白書の主人公である醍醐で追い詰められている方が確か國安とかいうキャラクターだった。

『もう逃さねーからな』

『捕まえられるのがお前なら……』

 次のページでは、男同士が恍惚とした表情で接吻をしていた。

 衝撃の光景に俺は思わず冊子を閉じ、元の場所へと返す。

「どうだった?」

 蓮沼さんは嬉々とした表情で尋ねてくる。

「え……あの……み、見てはいけないモノを見てしまったような……」

「だよね。禁断の愛って感じでくぅってなるよね。特にここのは絵がキレイでね……」

 俺は蓮沼さんがなにを言っているのか理解できなかった。

 もしかして男と男がキスをしていたように見えたのは錯覚で、実はイケメンな女子だったとかそういうパターンだろうか。

 俺は呆然としたまま蓮沼さんに連れられ次のテーブルへと移動する。

「ここはどう?」

 蓮沼さんが指し示した冊子を手に取り、めくってみると今度はワイシャツを着てネクタイを緩めた男子生徒二人が弁当を食べさせあっているシーンだった。

「ねえどう? どう?」

「なんというかよろしいんじゃないでしょうか……」

 俺はなんとなくだが察しがついてきた。どうやら俺は同性愛もののマンガが集まるイベントに呼ばれたらしい。なぜこうなったのかは分からないが、手に取る冊子は全てそっち系のものばかりだ。

「こっちも――」

 呆然とした俺は、蓮沼さんが指し示した冊子の隣の『醍醐総受け破廉恥な放課後』という冊子を手に取りパラパラめくる。

「それはダメ――」

 蓮沼さんが静止するよりも早く、俺の目に衝撃的な映像が飛び込んできた。

 一言で言うと全裸の男達がヤっているシーンだった。醍醐が両手を木についたままケツを突き出し、何人もの男たちに囲まれ、その中の一人が排泄物が出てくる穴とは別の少なくとも俺には存在しない穴に自身の棒を突き刺しているシーンだ。

 同性同士のキスよりも数倍、いや数十倍衝撃的な画を見せられ、俺は思わずそのページを開いたままその場で硬直する。

 蓮沼さんは俺の手からその冊子を取り上げると、

「もしかしてこういう方が好きだった? だけど条例があるから私達はこっち系は買えないのよ」

 泣くとか怒るとか笑うとかではない、感情と呼んでいいのか分からないものが自分の中に込み上げてくる。実はあなたの親は本当の親ではありませんでしたと言われた時のような、それまでの常識以外のものが突然と然登場し、心にぽかんと穴が開けた喪失感に近いものだ。

 ワケの分からないまま、ワケの分からない冊子を見せられ続け、気がつくとイベント会場の外に出ていた。

「おつかれさま」

「お、おつかれ……」

 周りには女子ばかりという客観的に見れば羨ましい時間だったはずなのに、あそこにいたのが全員男同士のそういうのが好きだと思うと全然心が踊らない。

「すごい疲れた顔してるね」

 目当てのものを手に入れ、自分の好きなものを満喫した蓮沼さんはニコニコ顔だ。

「なんか……もう、疲れたよ……」

 疲れたという言葉を発するべきではないのだろうが、一生分以上の男のキスや男の裸姿を魅せつけられ、精神的に疲れ果てた。同時に憧れの蓮沼さん、優等生の蓮沼さんが、男同士の恋愛が好きだという事実がその疲れをいっそう強いものにする。

「もうお昼の時間過ぎてるけど、どうしよっか?」

 時計を見ると十二時はとうに周り、一時になろうとしていた。

「そうだ! 小室くんが言ってた鳥カフェってとこ行こうよ。カフェだから食べるものあるよね?」

「え、あ、あると思うよ」

 蓮沼さんのことが好きなのかどうか分からなくなっている俺は曖昧な応えしかできない。しかし、ご機嫌な蓮沼さんは、そんなことお構いなしに話を進めていく。

「場所は知ってる?」

「ネットで調べれば地図が出てくるからそれ見れば分かるけど」

「じゃあ決定ね」

 俺は流されるがままに場所を調べる。ここから歩いて三十分もかかる距離が、方向としては蓮沼さんの家の方向だし、問題はないだろう。

 イベント会場のベルガガーデンから駅の方向へと向かい出すと、周りにも同じ会場にいたであろう女子が歩いていることに気がつく。両手に持った紙袋からは本が溢れんばかりになっている。このままだといずれ紙袋が破けるだろう。

 さすがに日本でも有数の栄えている街だけあって、駅から離れたこの場所でも飲食店がずらりと軒を連ねている。ここでもいいのになと思いつつも言い出せずにいると行きに通った坂へと差し掛かる。坂を下りながらふと横道を見るとラブホテルらしい建物の並んだ通りが見える。少し前ならば、その通りを見ただけでいつか入るであろうその時を妄想していたかもしれないが、あんな画を見た後ではそんな気分にすらならなかった。

 遠目に駅前のスクランブル交差点が見え始めた時、念のため地図を確認する。このまま直進して国道に入り、大学の脇を進めば目的地のようだ。また道半分も来ていないという事実に衝撃を受けていると地図が自動的に消え、音とともにLINEの画面が表示される。

『たすけて』

 無機質な携帯画面上の四文字だが、これ以上に緊迫感のある四文字もない。

「どうしたの?」

 突然立ち止まった俺を見て蓮沼さんが聞いてくるが、返答もせず返信する。

『どうした?』

 しかし、返信がない。十秒経っても三十秒経っても返信は疎か既読すらつかない。

「どうしたの?」

「新川が『たすけて』ってメッセージを急に送ってきて……」

 蓮沼さんに新川の送ってきたメッセージを見せる。

「どうしたんだろう? いたずら?」

「いたずらではないと思う。そんなことするやつじゃないし、ストーカーがどうとかって話もしてたから……」

「それは心配だね……電話してみたら?」

「でも番号知らないし……」

「番号知らなくてもね、ほら、ここで『通話』を押せばかかるよ」

 蓮沼さんが俺のスマートフォンの画面をタッチし現れた『通話』というボタンを押すと画面が切り替わり発信音が鳴る。

 ピロピロピロピロ、ピロピロピロピロ、ピロピロピロピロ。

 新川はいつまでも応答せず、自動的に通話が終了する。

「出ない……」

「私も新川さんとはあまり仲良くないしな……」

「そうだ!」

 俺は急いで壮にメッセージを送る。

『新川から変なメッセージが来たんだけど何か知ってる?』

『知らないよ。どうしたの?』

『今、駅前にいるんだけど新川と連絡が取れないんだ。何か分かったら連絡をくれ』

 しかし壮なら知っているかもしれないと思ったのだが、当てが外れる。

 普段の新川なら絶対に送らない「助けて」というメッセージが新川の身に危険が迫っていることに現実味をもたせており、不安ばかりが頭を支配して考えが全くまとまらない。

「新川さんが行きそうな場所とか知らない?」

 新川が行きそうな場所…………。新川と会話することは最近多くあったが、ほとんどが俺についてであって新川のことについては、ほとんど話さなかった。

 いや、待てよ。先週、最後に新川と会って会話した日を思い出す。

 思えば、一回目のデートから蓮沼さんの不穏な雰囲気を感じていたのかもしれない。蓮沼さんとの二回目のデートに不安を感じ、ふと新川のことについて尋ねたのを思い出す。

「お笑い」

「え、お笑い?」

「お笑いだよ。新川はお笑いが好きだって言ってた。休日にはお笑いライブを見に行くって」

「お笑いライブ……。この辺だと爆笑∞ホールかな?」

「そこどこにあるの!?」

「えっと、確かこの間一緒に行ったコラボカフェのある建物だったと思う」

 それを聞くなり俺は一目散に駆け出す。コラボカフェの場所なら一回目のデートの前に嫌というほど確認した。

 坂を一気に駆け下り、信号が点滅している横断歩道を駆け抜け一直線にコラボカフェのある建物へと向かう。日曜日午後ということもあって商店街は人がたくさん歩いているが、それを掻き分け、押し退け進んでいく。

 前回来た際にコラボカフェのある店へ入った入口に到着するが、爆笑∞ホールというのが見つからない。すると、追いかけてきた蓮沼さんが奥を指さしながら叫ぶ。

「向こう、向こう」

 蓮沼さんの指差す方へと再び走りだすと、同じビルの角に「爆笑∞ホール」と巨大な看板がかかった場所を見つける。俺は走ったまま入口から中へ入ろうとするとその脇に立っていた二人組に腕を掴まれ止められる。

「ちょ、離せよ。急いでんだ」

「お客さん困りますよ」

「中に知り合いが――」

「そう言ってね、先輩のサインを貰いに来る人が何人いると思ってんですか?」

「サインなんかいらねーよ」

「ほう、なかなか粘りますね」「そうですね」

 俺の腕を掴んでいる二人組は顔を見合わせ、

「お兄さんお兄さん。私達のコンビに入りませんか」「いらっしゃませー」

「それはコンビニ」

 お笑い芸人と思しき二人組のパイナップルみたいな髪型をした方が俺の腕を離してツッコミを入れ、俺はようやく開放される。

「俺が言っているのはコンビに入らないかってこと」「僕らと三人でカルテット組まないか?」

「カルテットは四人だろ。いいかげんにしろ」

「ありがとうございました」「ありがとうございました」

 二人組はお辞儀をする。

「なあ今のどうだった?」

 パイナップルが聞いてくる。

「どうって……つまらない」

 それを聞いた普通の髪型のボケていた方がわざとらしく転ぶ。

「あちゃー、まだまだか……」「ツッコミのテンポが悪いんじゃね?」

「あのー」

「お前のボケがイマイチなんだろ」「いやお前のタイミングが悪い」

「あのお!」

 勝手に漫才を始める二人に痺れを切らした俺が叫ぶと、二人もようやく漫才を止める。

「中に友達がいる、いるはずなんですけど中に入っちゃダメですか?」

「中に友達って、今日の午後の回は六時からだから今はお客さんは入れないよ」

「まじ?」

「まぢ」

 唯一の望みが断ち切られる。

 新川は休日にすることとしてお笑いライブを見る以外には、家でゴロゴロすると言っていたはずだ。家にいるならばわざわざ俺に助けを求める意味が分からないし、もし間違えで助けを求めたとしても電話にも出ず、返信どころか既読にもならないのはおかしい。

「新川……さん、いた?」

 ようやく追いついた蓮沼さんがはあはあと息を切らしながら尋ねる。

「いない――」

 蓮沼さんの方を見ると、蓮沼さんはイベント会場ではあれほど俊敏に移動し、息一つ切らしていなかったのに、今はゼイゼイと言いながら近くの電灯に手をついて休んでいる。蓮沼さんの体力はイベント限定ということか。

 すると俺の脳内でイベント会場で見た画と蓮沼さんが重なる。気に手をついてケツを突き出す醍醐、それを取り囲む男たち、あるはずのない2番目の穴に出し入れされる棒。

 ハッとここで希望の光が俺に差し込む。

「この近くに他のお笑いの劇場みたいのありませんか?」

 滑り倒した芸人二人組に尋ねる。

「うーん、俺はずっとここだから知らないな……」

 ツッコミの男は少し考えてからそう答えたが、ボケの男は、

「言っていいのかな……。別の事務所だからアレなんだけど……。この間も教えたしまあいいか」

そういうとボケの男は丁寧に道順を教えてくれた。俺は軽く頭を下げてお礼をするとすぐに走り出すと背後から大声で、

「ドラム缶が目印だから!」

 わざわざ丁寧に生き方まで教えてくれた上、「言っていいのかな」などと言っていたくせに目印まで大声で教えてくれるボケ。お笑いのセンスはともかく、人間としては見習うべきかもしれない。

 教わったとおりに道を進んでいくと急激に道幅がせまくなる通りへ差し掛かる。道路は舗装されているが、人が数人通るのがやっとで、左右を店と店の壁に囲われて昼間だというのに暗い。あれほどいた人はほとんどいなくなり、実に不気味な道である。

 しかし、そんなことに構っていられるほど余裕が無い俺は迷うことなく直進する。すると暗くてよく見えないが、なにやら前方から歩いてくる人物の影が見える。

「新……川?」

 なぜ自分でそう思ったのかも分からないが、新川の名前を呼ぶとその影が走りだした。その影は段々とハッキリしてきて、新川の顔が確認できた瞬間、俺の胸元へと飛び込んできた。

 え? と思うよりも早く、反射的にその震える方を抱き寄せた。

「……怖かったよ」

「もう大丈夫」

 何が怖くて、何が大丈夫なのかわからないが、考えるよりも咄嗟に言葉が口に出た。

「おい、ナンパ野郎」

 新川が駆けてきた方から声が聞こえ、そちらを見ると今度は別の人影が見える。その人影はどんどんと大きくなっていく。

 黒い短髪に黒縁の眼鏡、パーカーにジーンズという高校生らしい服装をした男だった。俺とは縁もゆかりもない全く知らない男。だが、その手には拳を作りこちらへ襲いかかろうとしている。

「ちょ、ちょちょ、待った」

 俺は痛いのは嫌いである。それゆえ、殴り合いとかケンカの類のものは売りもしないし買いもしない。どちらかと言えば、話しあえば分かる派である。

 その意思が通じたのか、今にも殴りかかろうとしていた男は何ともあっさり戦闘モードを解除し、俺の顔面を直撃するはずだったパンチは数十センチの距離で回避された。

「は、話しあおうじゃないか」

 俺は相手のことを十二分に警戒しながら話しかける。決してビビっているわけではない。

「……れろ」

「え?」

「新川さんから離れろ!」

 俺はようやく未だに新川の肩を抱いていることを思い出し、慌てて新川を引き離し、謎の男から話すように俺の背後へ隠す。

「お、お前は誰だ?」

「お前こそ誰だ。新川さんの何なんだ?」

 相手にも言うことにも一理ある。相手になにか尋ねる時は自分から名乗るべきだろう。

「お、お、俺は小室公平だ。新川とは同じ学校の――」

 新川は一体俺の何なんだろう。新川は、俺と出会ってからずっと蓮沼さんとの件について相談に乗ってくれていたが、俺は新川についてほとんど何もしらない。知っているのはLINEとお笑い好きということと見た目はかわいいのに中身がめちゃくちゃなくせに実は優しいところもあるということくらいだ。

「――知り合いだ」

「知り合い、それだけか?」

「ああ」

「ただの知り合いが抱き合うのか?」

「べ、別に抱き合っていたワケじゃない。新川がバランスを崩したから支えただけだ。お前は誰なんだ」

「僕か? 俺は秋村匠だ。新川さんのクラスメイトであり、守護者(ガーディアン)だ」

「ガーディアン? 何だそれは?」

「新川さんに変な虫がつかないように監視している。もし虫が出た場合には排除するのが僕の役割だ」

 どこかで聞いたことがあるようなセリフだった。遠い昔、小学生の頃の俺が似たようなことを言ったような気がする。好きな子を守りたい、ただそう純粋に思ったが故の言葉だった。

「なによガーディアンって。馬鹿じゃないの? あんたなんかただのストーカーよ!」

 そう言いながら新川は目から堪え切れずにあふれた涙を拭いながら秋村にじり寄っていく。

「僕が君を守るよ。君のことは僕が生命に変えても守ってみせる」

 言う人が言えば、キザな決め台詞も場所と人物が異なればここまで不気味になってしまう。その一言が新川の怒りに触れたのか、新川は右手を大きく振り上げる。

「ちょっと待――」

 言い切るよりも早く俺の体は自然と反応し、新川と秋村の間に割って入る。と次の瞬間、

 パシーンという音ともに俺の頬に衝撃と痛みが電気のように走る。頬が新川の手の形に合わせるようにヒリヒリズキズキと痛み熱を持っているように感じる。俺からは見えないが、確実に手の平型後ができている。

 しかし、嫌な痛みではなかった。俺は決してマゾではないが、この平手打ちはどこか懐かしく胸が締め付けられるような平手打ちだった。

 間違いない。新川は、俺の初恋の相手だ。初恋の相手であり、俺をクラス中の前でフッてみせた女だ。

「な、なんで小室が……」

 秋村を叩くはずが、俺を叩いてしまい動揺する新川。秋村は秋村でなにが起きたか分からない様子だ。

「ちょっとだけ待ってくれないか」

「え…………?」

「こいつにも悪気があったわけじゃないと思うんだ」

「小室は私よりもこんなストーカー野郎を庇うの!?」

「庇うわけじゃない。こいつのやったことは悪いことさ。だけど、こいつはお前を困らせたくてやったわけじゃないと思うんだ」

「お前に、お、俺の何が分かるって言うんだ!」

 秋村から見れば自分から新川を奪った憎き相手に見えるだろう俺から庇われたのだ。逆上したくもなるだろう。

「俺も昔、秋村みたいな行動をしたことがある。小学生の頃、周りの男子が俺の初恋の女の子にちょっかい出していたんだ。女の子は守るものだと思っていた俺は、みんなが気になるからちょっかい出していただけなのに、それをいじめだと勘違いして……、ちょっかいを出す男子の妨害をして勝手にその子を守っている気分になっていたんだ。自分では正義のヒーローきどりさ。もちろんストーカーみたく学校外で後をつけたりはしなかったけど、それは小学生だったからで、もしその子を好きになってなかったら、その子に振られてなかったら、今、秋村と同じことをしてたかもしれない」

「……ってるわよ」

 新川が俺の言葉に反応してポツリとつぶやくが小さすぎてよく聞こえなかった。

 これ以上喋れば、新川にキモイと思われるかもしれないとは思ったが、秋村を見ていると過去の自分と重ねてしまい、どうしても溢れ出てくる気持ちを言葉にすることを止めることができない。

「だからさ、こいつの気持ちが分からなくもない気がするんだ。こいつはチキンで、気持ち悪いただのストーカー野郎かもしれないけど、だけど、こいつはお前を守りたかっただけなんだよ。なあ?」

「ぼ、僕はす、ストーカーなんかじゃ……」

「秋村、お前の気持ちは分からなくもない。だけど嫌がっている相手に無理矢理自分の正義を押し付けるのは、悪と同じじゃないか?」

「それは……」

「お前がやってることは、嫌がる女の子を追いかけ回すのと変わらないんだよ」

「なんで……ただの知り合いがそんなに偉そうなんだよ……」

「ただの知り合いじゃないさ。新川は俺のことなんて歯牙にもかけないかもしれないけど、俺にとっては大事な知り合いだ。今はまだよく知らないけどもっと知りたいと思っている」

 恋敵と思っていた相手に言い負かされたのがショックだったのか、一歩二歩と後へ下がり、壁にもたれかかる秋村。天を仰ぐとそのまま地面へとへたり込む。

 俺は新川の方を向き直ると懇願するように話しかける。

「こいつは、好きな人への接し方を知らないだけなんだよ。新川だって言ってただろ? 「もっと積極的になれ」って。コイツは積極的になる方法を間違えただけの不器用な奴なんだよ」

 別に秋村の何を知っているわけではないが、どうしても放っておけない気がした。このままだと俺が、新川にフラレて以来、人と接するのが苦手になったように、秋村も同じようになってしまうかもしれない。いや、高校生にもなってこんなフラれかたをすれば本当のストーカーになりかねない。それは新川にとっても良い結果ではない。できることなら新川の誤解を解き、秋村には常識を説いてせめて現状のマイナス状態をゼロに戻してやりたい。

「小室はそうかもしれないけど、コイツは違う! 小室は私を絶対に傷つけるようなことはしなかった。むしろ私の方が…………。だけどコイツは、部室をめちゃくちゃにしたり、ノートに落書きしたり、女々しく嫌がらせするただの変態よ!」

 向かい合った俺の胸ぐらを掴み、グワングワン揺らしながら怒りを爆発させる新川。もし第三者がこの場を見れば、明らかに俺が変態だと言われていると思うに違いない。

「部室? 何だそれ? 俺は知らないぞ。俺はただ新川さんがノートに落書きされているのを見ていじめられてると思ったから守ろうと思っただけで……」

 今まで黙って聞いていた秋村が新川の言葉に反応して反論する。

「嘘つき! お前みたいなストーカーのこと誰が信じると思ってんの?」

「嘘じゃない! 僕はやってない……。やってないんだ!」

 激しく食い違う二人の主張。普通に考えれば、ストーカー男の秋村よりも被害者である新川の言っていることが正しいということになるだろう。だが、俺はこの秋村が嘘をついているようには思えない。俺もそうだったからこそ分かるのだが、秋村がストーカーまでしたのは新川を守りたいその一心だっただろう。その先には新川と付き合いたいとかそういった願望はあったかもしれないが、決して新川を傷つけるようなことはしないはずだ。

 新川は教室でもノートに落書きされるという被害にあっていた。これは両者と認めている事実だ。だが、秋村は部室の件については何も知らないと言う。とすれば、誰が部室を荒らしたのか。鍵は部室にあるはずだ。

 俺は頭の中で部室の事件を振り返ってみる。部屋一面に張られた紙。その紙にはカタカナで下劣な言葉が書き連ねられていた。

『シネ』

『ビッチ』

『キエロ』

『カプ』

『ソウウケ』

 何かがおかしい。

 前半部分は人を侮蔑する言葉としてはよくある言葉だ。しかし後半部分は一般的に人を貶すような言葉ではないにも関わらずなぜ書かれているのか。とその時一本の光の筋が頭を突き抜ける。

「…………やっと……いた」

 はあはあと息を切らした壮が背後から突然現れる。よほど急いで来たのだろう。膝に手を置き肩で呼吸をしている。

「どうして壮がここに?」

「…………公平くん……あんな……メッセージ……送る……から」

「でもなんでここが?」

「…………人……にこれ……見せて……聞いた」

 壮の手に握られたスマートフォンには、いつの間に撮ったのか茶道部の部室で何か言い合っている俺と新川の写真が写っていた。

「…………これ……見せた……ら……こっち行ったって……パイナップルみたい……な人が」

 あいつか。爆笑∞ホールの前で変な髪型のくせにツッコミしてた滑り倒し芸人に違いない。

「…………どうし――ゴホッゴホッ」

「大丈夫か?」

「…………大丈夫」

 俺と新川の心配をして全力で走ってきたのだろう。咳き込む壮の背中を擦ってやっているともう一人現れる。

「小室く、ううんん!? ムギョオオオ!」

 現れた蓮沼さんは、今までに聞いたこともないような叫び声を上げる。

「小室くんと上妻くん……ハァハァ……小上カプとか……私得……」

 グヘヘヘへと蓮沼さんとは思えないような気持ち悪い笑みを浮かべながら鞄を弄る。

「これは二度とないシャッターチャンス!」

「蓮沼さん?」

 俺の背後に隠れていた新川が蓮沼さんの存在に気が付き、カメラを構えようとしていた蓮沼さんに声をかける。

「えっ! あ、これは……、あら新川さん無事だったの」

 正気を取り戻した蓮沼さんは、何事もなかったかのように振る舞おうとするが、もう遅い。

「ああ、新川は大丈夫だよ」

「そこにいるのは……秋村くんだっけ?」

 他のクラスの男子生徒の名前まで覚えているとはさすが蓮沼さんというしかない。

「こいつがストーカーの犯人だったみたいだ」

「秋村くんが!?」

 まさか同じ学校の同じ学年の男子がストーカーをしていたと知って驚く蓮沼さん。

「…………」

 秋村は、項垂れたまま一言も発しない。

「じゃあ、まさかノートの落書きとか部室を荒らしたのも秋村くんなの?」

「それは――」

 秋村は、反論しようとするが、すぐに再び地面を見つめる。

「それは、違うと思うよ」

 俺が秋村の代わりに否定すると蓮沼さんは不思議そうな顔で尋ねてくる。

「なんで? 秋村くんがストーカーなんでしょう? じゃあ、犯人は秋村くんってことになるでしょ?」

「確かに秋村は、新川の後をつけていたさ。後ろからこそこそ付いて行って、それはストーカーと呼ばれも文句を言えない行為だと思う。だけど、秋村がそんなことをしたのは新川に対する好意からであって、新川を傷つけるようなノートの落書きとか、部室荒らしをするとは思えない」

「じゃあ、誰がやったっていうの? 秋村くん以外考えられないんじゃない?」

 どうしても秋村を犯人にしたい様子の蓮沼さん。俺には一つの推論が浮かんでいた。

「ところで蓮沼さんはなんで新川がいじめられていることを知っているの?」

「えっ? そ、それは……聞いたのよ。新川さんと同じクラスの人に……」

「じゃあ、茶道部の部室が荒らされたこともその人から聞いたんだ?」

「茶道部の人から聞いたんだったかなぁ? 部室に行ったらめちゃくちゃになってたって」

 さすがに成績も優秀な蓮沼さんだけあって部室の壁が一面紙だらけだったなどと余計な口は滑らせない。だが、俺にはそれで十分だった。

「茶道部の誰から聞いたって?」

「え、えっと藤井さん? 西田さん? 誰だったかな……。いろんな人から聞いたから忘れちゃったわ」

「それはありえないんだ」

「なによ、ありえないって?」

「部室に張られた紙を見たのはここにいる新川と壮、そして部長だけなんだよ」

「……ぶ、部長よ。そうだわ思い出した。部長から聞いたのよ」

「それはないと思うよ。部室の件を黙っておこうと言ったのは、誰を隠そう部長なんだから。新川の人に頼りたがらない性格を知った上で部活を守るためににも最適だと思ったんだろう。もちろん壮も違う。こいつは自分からペラペラと噂をバラ撒くようなやつじゃないし、そもそも人とあまり話したがらない」

 ちらっと壮の方を見た蓮沼さんの視線を見逃さず、先回りして否定する。

「…………」

 逃げ道を封じられ、無言になる蓮沼さん。俺はここが追い込み時と、一気に畳み掛ける。

「それに蓮沼さん、なんでこんなことをしたのかは知らないけれど、相当新川に対して怒っていたんだろう。頭のいい蓮沼さんにしてはありえないミスだけど、あの文面で自分が犯人だとほとんど自白しているんだよ」

「え?」

「壮、ちょっとあの写真見せてくれないか?」

 壮から、スマートフォンを借り、茶道部の部室に張られた紙の画像を蓮沼に見せる。

「最初は『消えろ』とかという単語を使っているのに、書いていて怒りが増してきたのか、段々と文章になってきている。その文章中に『カプ』とか『総受け』という単語が使われてる。最初は意味が分からなかったけど、今日のイベントで分かったよ。あれは蓮沼さんが好きなジャンルで使われる言葉なんだろ?」

「…………」

 蓮沼さんは、無言のまま俯く。怒りか動揺からか鼻と目の間にシワが寄って整った顔が歪み、両手で握りこぶしを作って肩をワナワナと震わせている。

「なんで…………本当に蓮沼さんがやったの?」

 新川が嘘だと言わんばかりに蓮沼さんに尋ねる。

「…………」

「ねえ、嘘だよね?」

「…………そうよ。私がやったのよ」

「なんで? 私なにかした?」

「…………何も分かってないのね。あれだけ警告したのに、今日だって邪魔をするんだから」

「……邪魔?」

「あなたも悪いのよ小室くん?」

 え、俺?

「新川さんは、小室くんと上妻くんの邪魔ばかりするし、小室くんは小室くんで上妻くんというものがありながら、新川さんなんかにうつつを抜かすから!」

「俺と壮の仲? どういうこと?」

「は? 何をとぼけているの? 小室くんと上妻くんはそういう関係でしょ?」

 そういう関係――俺の脳裏にイベントでの画がフラッシュバックする。蓮沼さんはずっと俺と壮がああいった関係だと勘違いしていたのか……? そう言えば、コラボカフェに行った時も壮との関係を聞かれた。鳥カフェに誘った時も壮と行ったのかと聞かれた。

「そ、そんなわけないだろ。壮はたしかにかわいい。だがしかし、壮は男だぞ」

「男が男とデキてなにが悪いのよ!」

「あんたって――」

 新川が手を振り上げる。ビンタの構えだ。だが、新川がその手を振り下ろすよりも早く、俺が手を振りぬいた。

 パシーンという音とともに蓮沼さんの顔が横を向く。

「痛い……」

 蓮沼さんは叩かれた頬を押さえながら、何が起こったか分からないというような顔をする。

「男と男がデキてなにが悪い? 気持ち悪いだろ」

「気持ち……悪い……」

「ああ、気持ち悪いね。何度でも言ってやるさ。気持ち悪い、気持ち悪いね!」

 今までの気持ちが溢れるように飛び出してくる。

「そんな……」

「俺は絶対に嫌だ。俺は男でDT喪失なんて絶対にゴメンだね。俺は誰がなんと言おうと女が好きだ」

「…………」

「もちろん蓮沼さんがどういう趣味をしていようが、それは蓮沼さんの勝手さ。蓮沼さんが男同士の恋愛が好きだとして、それが気持ち悪いと思っても、蓮沼さんが気持ち悪いとは思わない。だけど趣味を人に押し付けるなよ」

「…………」

 相変わらず無言のままの蓮沼さん。だが、固く握られていた拳は解け、肩をがっくりと落としている。

「自分の趣味を人に害を加えるほど好きなくせに、学校ではそんな趣味はありませんってな顔して、だけど自分の思い通りにいかなければ影で攻撃する。最低じゃないか! そんなに好きなら自身を持てよ。自分を偽るなよ。それでそれを含めた自分を受けれてくれる人を探せばいいじゃないか」

「…………そんな人いるのかな?」

「どこかにはいるんじゃないか? 今日のイベントにだってあれだけたくさんの人が来たんだ。男同士の恋愛が好きな女子がいれば、ストーカーだっている。だったら男同士が好きな男だっているんじゃないか?」

「…………そうかな?」

「そうさ。俺も蓮沼さんに勘違いさせてみたいで悪いと思ってる。俺が浮かれてないでもっと気を配っていれば、早く誤解に気がつけたかもしれない。そうすればこんなことしなくて済んだし、新川だってこんな目に合わなくて済んだかもしれない。だから一緒に謝ろう。許してはもらえることではないかもしれないけど、今までの過ちを受け入れて蓮沼さんの趣味を理解できる人を探せばいいじゃないか。その時は俺だって協力する」

 すると蓮沼さんが顔を上げ、目がキラキラとしたものがポツポツと落ちてゆく。

「壮とそういう関係になれっていうのは無理だけど、他にできることなら手伝うよ」

「…………うん」

 目からは涙が溢れ、鼻からは鼻水が垂れ、せっかくの美人が台無しになっているが、俺は今までの蓮沼さんよりも今の蓮沼さんの方が美しいとさえ思った。好きとかという感情ではないけれど、今までは美人という仮面の下に本当の感情を押し殺していたのに、その仮面が壊れて本当の素顔が見えたような気がしたからかもしれない。

「新川さん……本当に私、酷いことして……謝っても許してもらえることじゃないけど……だけど……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」

「新川、俺も知らなかったとは言え、蓮沼さんに勘違いさせて、結果的に蓮沼さんが新川に攻撃する理由を作ったわけで……ごめん」

 新川は無言で右手を宙高く持ち上げる。

 俺は平手打ちが来ると本能的に察し、歯を食いしばって目を閉じる。

 ふっと新川の手が俺の頬に触れる――――が、その手は俺の頬を伝うように上から下へと流れる。

「バカ」

「え?」

 平手打ちを期待していたわけではないが、思わぬ肩透かしをくった形になり、目を開けると涙を流した新川がそこにいた。

「なんであんたはそんなに誰に対しても優しいのよ」

「え? え、え……?」

 新川が急に俺の胸元に頭をもたれかけ戸惑う俺。

「明日から許すから…………許すから、もう少しだけ……」

 さっきは勢いもあって肩を抱くなんてリア充の如き行動に出たが、勢いの無くなった今そんなことができるはずもなく、俺の手はひたすらに宙を掴んでいた。

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