第二章
第三話
人間というのは驚いた時にはとっさに声が出ないというが、それは本当らしい。昨日、新川が、「私が脚本書くから」などと言っていたのを心の中で、なにが脚本だよと馬鹿にしていたのだが、馬鹿だったのは俺の方だったようだ。
いつも通り始業チャイムギリギリにやって準備しているとドンッと俺の机に紙の束が置かれる。「……新川さんから」
壮はそう言うと自分の席へと走っていった。相変わらずかわいいが、あの恥ずかしがりな性格はどうにかならないだろうか。
目の前に置かれた紙の束の表紙には『脚本1』と書かれていた。まさかと思い捲っていくと『脚本2』、『脚本3』、『脚本4』……と続いていた。試しに一番上にある『脚本1』を読んでみると、想像以上に酷い出来に愕然とした。
俺のセリフや一挙一動が書いてあるがために分厚くなっていることはまだ許せるとしてもその行動が意味不明だ。
脚本1では、俺が蓮沼さんに話しかけるために蓮沼さんの机まで歩いて行くが、机の隣でバナナの皮を床に落とし、それをわざと踏んで滑ることと書かれていた。しかも赤ペンで【つかみが重要】と強調されている。
そしてそのつかみのお陰で蓮沼さんとの会話が進んでいくと最後に「今度一緒に遊びに行かない?」というセリフがあり、その答えは金タライか桶で頭を叩いてもらうことと指定されている。タライならばダメで、桶ならばオッケーということらしい。
俺は思わず文を見つめたまま固まってしまった。これでは恋愛の脚本というよりもお笑いの脚本である。新川は昨日、「明日はヘボ探偵じゃなくて大根役者になりなさい」などと偉そうなことを言っていたが、これではお笑い芸人である。しかも圧倒的に面白くない。
一本目の出来の悪さに嫌な予感がして他のものを見てみると、
脚本2では、俺が蓮沼さんに話しかけようと蓮沼さんの席まで行くが、用事を思い出したフリをして上履きを片方だけ脱ぎ捨て急いで席に戻る。蓮沼さんがその上履きを拾った所を見計らって、自ら近づいていき、「王女様ありがとうございます。それは私めの上履きにございます。お礼として是非、一緒に遊びに行きませんか」と言い、カボチャを手渡す。もしオーケーならカボチャを手渡され、ダメならカボチャを叩きつける(できれば頭に)。と書かれている。
脚本3では、俺が蓮沼さんに「もしこのギャグで笑ったら一緒にお笑い見に行きませんか?」と言い、注釈として「あとは流れでお願いします」と書かれていた。
あまりの酷さに破いてやろうとしたが、分厚すぎて破けない。内容がないくせに厚さだけは一流である。
ごみ箱に捨ててやろうかとも思ったが、脚本はすべて本名で書かれているので捨てることはできなかった。きっと新川は本名全開なのにネットで批判とかつぶやいちゃうタイプの人間に違いない。
「ほら授業だぞ。さっさと座れ」
そんなことをしているうちに授業が授業開始のベルが鳴り教師がやってくる。普段真面目に授業を聞くタイプだが、今日は今までのことや今後のことを考えながら適当に流して聞いていた。
まず状況を整理しよう。
俺は蓮沼さんを彼女にしたいらしい。だけどいきなり告白してはいけないらしい。 とにかく相手のことを知る必要があるらしい。
ここまでは昨日決めたことだ。ほとんど新川に決められた気もするが、最終的に俺が決めたのだから、俺の決断と言っていいだろう。
問題はここからだ。どうやって相手のことを知ればいいのか?
本来ならば、新川は脚本を書いてきて俺はそれに従うだけで良かったはずだが、あれは論外だ。はっきりと分かる。たとえクソみたいな脚本から一定のレベルのものを生み出せるプロだとしてもあれは無理だ。
しかし無理を無理で終わらせはいけない。俺の好きな探偵マンガの主人公が言っていた「探偵が諦めたら事件は迷宮入りだ」と。
俺は探偵ではないが、探偵に必要な素質の一つは身に付けていると自負している。探偵に必要な素質、それは観察力だ。そして伊達にクラスの客観的観察者を長年続けてきたわけではない俺にとって観察は日常だ。趣味の欄に「人間観察」と書ける自信がある程度には日常だ。
そんな俺は日々の観察を通じてリア充どもの行動を把握している。そして不覚にも新川の脚本の共通点から俺とリア充の間には大きな違いがあることを知ってしまった。それは――会話だ。
俺の一日の学校の会話量を一とするならリア充は百とも千とも言えるような会話を熟している。会話こそリア充への入口。彼女作りへの第一歩だと推理する。参考にするのは癪だが、新川の脚本はどれも会話するところから始まっていた。やはり会話が重要なのだろう。
どう話しかけるのがいいだろうか、
「こんにちは、蓮沼さん」
だと普通すぎるか。ここはイケメンっぽく、
「やあ、蓮沼さん。調子はどうだい?」
……ないな。思い切ってリア充っぽく、
「なあ蓮沼さん? 俺と話しないか?」
やばいカッコ良すぎる。さらにちょっと低音だとなお良。
「唯有ちゃん」
とか言っちゃったりしてと考え思わず恥ずかしくなり顔を覆う。とその時、
「小室、何やってんだ。この問題解いてみろ」
僅かな理想の時間は唐突に終わりを告げ、現実へと無理やり引き戻される。
授業中に他のことを考えていた俺が悪いと言われればそれまでだが、もっと他に当てるべき人がいるだろと言いたい。隣の女子とイチャイチャしているやつとか、教科書立てて寝ているやつとか、机の下でスマホいじっているけど身体傾いていてバレバレのやつか、そんなやつらがいるのに他に何の害ももたらさない夢見がちな妄想をしているだけの非リア充を当てるとか教師まで非リアに冷たいとグレちゃうぞ。
「わかりません……」
授業を聞いていない俺が分かるはずもなく、また「◯◯だよ」と横から小声で答えを教えてくれる幼馴染がいるはずもなく、俺は弱々しく答えた。
「しっかりしてくれよ。小室、ヨダレ垂らしてニヤけてないでちゃんと授業に集中しろよ」
教室がどわっとなる。クラス中の視線が俺を向き、俺は恥ずかしさで顔が真っ赤になっていくのを感じた。
おい、マジでやめてくれよ。普段存在していることすら忘れられがちなのにいきなり注目を浴びるとか。しかも笑いものにされるとかマジで耐えられねえよ。そもそもヨダレなんか垂らしてねーし。ニヤけてたのは否定しないけど。
教師はクラスを一通り見渡すと満足気な顔をする。
「はいはい静かに。それじゃあ
「はい」
スラスラと答えていく蓮沼さん。あーもう終わった。きっとこんな問題も分からないの?とか思われているのだろうなと考えると話しかけるなんてとうてい無理だ。
時間とは不思議なもので早く過ぎろと思うほど長く感じるものだ。相対性理論だか何だか知らないが、リア充ともども吹き飛べばいい。
ようやく授業の終わりを告げる音が鳴ると、急ぎ道具を片付け教室を出ようとドアへ向かう。今回ばかりはリア充どもにイスを占拠されようと構わない。この場に留まっている方が地獄だ。
急いでとは言ったが、目立ちたくはないのでもちろん駆け出したりはしない。素早くかつそっと机と机の間を移動していると、
「ちゃんとヨダレ拭いたかあ?」
普段俺がリア充と呼ぶグループにいる一人の女子が下品に話しかけてくる。こうならないように素早く片付けをしたつもりだったが、新川の脚本が邪魔をして上手く片付けられないうちにリア充どもが野に放たれていたらしい。ちなみに俺はこいつと今まで話したことがあるはずもなく、もちろん初会話だ。
とびだしてきた野生のリア充に襲われて戸惑っていると、それを察したのかその女子の隣にいる女子が間に入ってきた。
「そんなこと言ったらかわいそうよ」
蓮沼さんだった。
「誰だってボーっとする時ぐらいあるでしょ?」
「そう? あたしはゲームしてっから忙しいけど」
「授業中にゲームなんかしているからノート取れないんでしょう。もう見せてあげないよ」
「ちょ、それは勘弁してよー」
女子トークというやつだろうか。俺は初めて見る女子達の会話にどうしていいか分からず、立ち尽くしていた。できれば早く解放して欲しい。
「そうだ。小室くんノート見る? もし取れてなかったらだけど」
女神は居た。俺の身近に。
先日は「笑顔が気持ち悪い」とか言って申し訳ありませんでした。あとで一人土下座しておきます。
「え、あ、その、じゃ、じゃあ……」
「えー、私に貸してよ」
「
「
彩乃と呼ばれた女子が俺に振ってくる。「ねえ」じゃねえよ。確かにその通りだと思うけれども、本人を前にして「うん」なんて答えられるはずがないだろう。
「ちょっと止めてよ。彩乃」
「え? あ、え、お、う、え、えっと……」
「小室照れてねえ? まじ受けるんだけど」
手を叩いて大爆笑する彩乃。
「小室くんって面白いよね」
彩乃とは対照的に蓮沼さんはふふふと上品に笑う。
「はい、どうぞ」
蓮沼さんの差し出したノートを手にする。今俺の手中に蓮沼さんが直前まで手にしていたものがあると思うとそれだけでドキドキしてきた。今までに経験したことないほど心臓が鼓動する。一体どこに血液を送り出しているのか知らないが、頭が全く回らないので脳ではないらしい。次に何を言えばいいのかさっぱり浮かんでこない。
「なにか用事あったみたいなのに引き止めてごめんね」
俺みたいなのにまで気を使ってくれる蓮沼さんは本当に天使じゃなかろうか。だが、その気遣いが今は恨めしい。もう少し長くこの場にいたかった。もう少し蓮沼さんと会話をしたかった。もう少しその笑顔を見ていたかった。
俺はペコリとお辞儀をすると後ろ髪を引かれる思いで行く場もないが、その場を立ち去る。去り際に「あたしが次使うんだから早く返してよお」という彩乃の言葉が聞こえたが、振り返らなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
教室というのは不思議なものだ。授業中や休み時間には人で溢れ、前後左右どこを見てもリア充で溢れかえっているのに放課後になるとリア充どもは夢の跡、机やイスが揃っているのにどこかうら寂しい。
「なに青春してます的な顔してんのよ」
人が物思いに耽るのを不機嫌な顔をした新川が妨げる。右肘を机について顔を支えながら、左手の人差し指で机をコツコツとメトロノームのように一定間隔で叩いている。
「え? なんでもないって」
「げっ、今度はいきなりニヤニヤしていつも以上に気持ち悪い」
さり気なくディスられた気がするが、今は何を言われても許せる気分だ。
「で、どうだったの?」
「どうだったの? ってなにが?」
「なにがって蓮沼さんと話をしたんでしょ? 私の脚本完璧だったでしょ」
新川は目をキラキラさせながら聞いてくる。嫌がらせのつもりかとも思ったが、本人は本気で書いてきたようだ。
「えっ? ま、まあ、少しは役に立った……って役に立つかあんなもん!」
「は? 私がせっかく書いてあげた超大作を使わなかったの?」
やはり撤回。あの脚本だけには文句を言わせて欲しい。
「なにが超大作だよ。『あとは流れでお願いします』とか最後の方手抜きだっただろ」
「ま、まあいいわ。で、どうだったのよ? なに話したの?」
はぁ、と一息つくと俺は先ほどあったことを新川とさっきから一言も喋らずじっと座ったまま聞いている壮に話した。
「なるほど。それで壮が駆け込んできたのね」
「駆け込んだ?」
「休み時間になるなり、壮が私のクラスに来て「公平くんが壊れちゃった」って泣きついてきたのよ。でもこれで分かったわ。どうせあんたはノートなんか借りちゃったもんだから、「蓮沼さんの匂いがするよぉ」とか言ってノートを一枚一枚めくりながら匂いでも嗅いでたんでしょ?」
「そ、そんなこと、まだしてねーよ!」
俺にだってデリカシーはある。教室という公共の場で人の物の匂いを嗅ぐまねなんかしない。てかそもそも一枚一枚めくって匂いを嗅いだりはしない。
「まだ? ってことは帰ってからするのね」
「しねーよ」
まぁ確かにどんな匂いがするのかは非常に興味があるが、そこにはやってはいけない壁があり越えるとこちら側へ戻ってこられない気がする。
新川はふーんと言ってはいるが、明らかに信じていないようだった。
「それで?」
「それでって?」
「まさかノート借りてそれで終わり?」
俺は短く頷く。
「それじゃあ何も進んでないのと同じじゃない」
「いや、結構進んだだろ? ノート借りたんだぞ。ノート」
ノート。それは高校生にとって自分の領地である。
教室で同じ教科書を使い、同じ教師による一斉授業を受ける。同じ時間、同じ空間、同じ話を共有するわけだが、その場において一つ違うのが、ノートだ。同じ板書を写すのでも書き方や書き写す範囲、強調線、口頭説明による補強部分などノートの中身は十人十色だ。
ノートというのは基本的に後から見返して自分が理解できれば良いのだから、それは自分用にカスタマイズされた情報である。それを他人に見せるということは、自らの秘部を見せるのに等しいということなのだ。
「ノートぐらい友達と貸し借りするでしょ」
「え?」
固まる俺。
「え?」
固まる新川。
思わず俺と新川は見つめ合う。が、すぐに恥ずかしくなり俺は目を逸らす。
「なんかごめん……友達いないって知らなくて……」
新川がシュンとして謝ってくる。どうせ罵るなら徹底的やって欲しい。そう素直に謝られながらだと本当に可哀想な人みたいで逆に辛くなるから。
「大丈夫……ボクが……いるから」
「壮……!」
落ち込む俺を見て、壮が両手でガッツポーズをして励ましてくる。やっぱり良い子だ。
「はいはい茶番はいいから、次考えるよ次」
新川は手をパチパチと叩きながら話を進めるように促す。
「次って?」
「あんたは、ノート借りてそれで終わりでいいと思ってんの?」
「それは……思ってないけど……」
「どうせあんたのことだから明日黙ってノートを机に入れておくつもりでしょ?」
「な、なんでそれを!?」
こいつエスパーか?
「やっぱり……」
頭を抱える新川。
「か、借りたものは返さないと――」
「黙って?」
「あ、ありがとうって書いたお礼の紙を挟めば……」
「で?」
「ま、また貸そうかなって思ってくれる……かな……と」
「自分だったら思う?」
「…………」
「思わないよね?」
「…………はい」
「蓮沼さんなら人が良さそうだから許してくれるかもしれないけど、物を借りたら「ありがとう」って言って返すのが人としての礼儀だよね?」
言い訳のしようがございません…………。
「ったく、これだから私の脚本を使えばよかったのに」
「それはない」
俺は即座に否定した。これだけは断言できる。あの脚本をなぞっていればノートを借りることすら叶っていない。
「あっそ、じゃあいいわよ。自分一人でやれば? せっかくいい方法考えてきてあげたのに」
「まじで?」
「まじで」
だがここで私に任せといてと言って出てきたのがお笑い脚本だったこと思い出す。 今回も考えてきたとか言って入るが、同じようなものに違いない。
「どうせまたよしもと新喜劇みたいな脚本なんだろ?」
「ち、違うわよ」
言葉上では否定しているが、どこか嬉しげな表情をしている。褒めてねえよ。
「じゃあどんなんか見せてくれよ?」
「見せるも何も今回は脚本はないわ」
少しホッとした。あんな酷いシナリオを書いてきたやつとは言え、女子の意見は非常に助かる。俺にとってはノートを借りたこと自体が異世界の話のようなものだから、どうしていいかわからない。
「どうするんだ?」
「?」
新川は不思議な顔をして人差し指を俺に向けるとクイッと下に下げる。
どうやら頭を下げろという意味らしい。
「どうすればいいのでしょうか? 新川様お願いします」
俺はプライドをどこに落としてきたんだろうか。
「しょうがないわね――」
新川はふふっと軽く笑うと話し始めた。
「まずあんたが言ってた黙って机に返すってのは論外ね。だけどお礼を添えるってのはアリよ」
「えっ?」
新川が予想外にも俺のアイデアを褒めたので思わず声を漏らす。
「もちろん「ありがとう」なんて紙切れじゃなくて、何か簡単なプレゼントを添えて返すのよ」
「プレゼント…………ネックレスとか?」
「馬鹿なの? あんた」
「なんで?」
「たかがノート貸しただけでネックレスが貰えるとかどこのバブルよ。あんたは石油王か!」
新川は手の甲で俺の肩を叩く。え? なんで俺まじめに答えているのに叩かれてるの?
「じゃあ何を渡せばいいのさ?」
「ちょっとしたものでいいのよ。チロルチョコとかキャンディーとか安いのでいいのよ。あんただってバレンタインデーに義理でちっちゃなチョコ貰っても嬉しいでしょ?」
「…………」
「あっ、もしかして貰ったことなかった?」
「…………」
こいつはピンポイントに俺のウィークポイントを突いてくる。こいつはエスパーでスナイパーなのか?
「ごーめんごめん。悪気はあったんだけどさ」
「あったのかよ!」
「なかなか良いツッコミじゃん? で、あんたがいきなりよく知らない女子から腕時計とか貰っても困るだろ? それと一緒だよ」
なるほど。それなら俺にもなんとなくわかった。チロルチョコなら簡単に買えるし、相手も気楽に受け取れる。
「ありがとう。じゃあコンビニ行って買ってくるよ」
そういい俺がイスから立ち上がると、
「いやいやいや。行くのはまだ早いわよ」
「チロルチョコ買ってお礼に渡せばいいんじゃないの?」
「こっからが重要なの」
「でもさ、新川がそんなことしてるなんて意外だよな」
「そんなことって?」
「お礼にチョコ渡したりしてるんだろ?」
「はあ? そんな面倒なことするわけないじゃない。友達がやってるって聞いたからやらせてみようと思っただけよ」
あー、さいですか。新川がそんなに気が利くはずないって思っていたよ。
「とにかく、お礼を渡すまでは当然なの。お礼を渡してハイ終わりじゃどうしようもないでしょ?」
「それもそうだな一理ある」
「一理どころか百理ぐらいあるわよ」
百里ってなんだよ。数が多けりゃいいってわけじゃないぞ。
「それでどうしたらいいん――よろしいのでしょうか?」
鋭い視線を感じ、言葉遣いを改める。
すると新川は自分の立場をわきまえなさいとかぶつくさ言いながらも教えてくれた。
「ノートを借りたとは言え、まだろくに会話もしていない状態なの。あんたはかなり関係が進んだと勘違いしているかもしれないけれど全然進んでないわ。やっと入口に立つ権利を手にしたくらいよ」
予想以下の進捗具合の現実を突き付けられ少し気落ちする。
「だけど、入口には立っているわ。あんたにしては上出来なんじゃない?」
「お、おう」
「次は扉を開けられるか、つまりどれだけ距離を詰められるかどうかね。急ぎすぎてもダメだし、遅すぎてもダメ。あんたには難しいかもしれないけど、私には秘策があるわ」
「秘策?」
「ノートを借りるのよ」
「ノートならもう借りてるだろ」
「馬鹿なの? 違うわよ。もう一冊借りるの」
「もう一冊?」
「そうよ。今回借りたノートを返す時に、凄い分かりやすかったとか丁寧で見やすかったとか言って、何の教科でもいいからノートを借りなさい。相手はお礼も貰っている手前断りにくいわ。人の良さそうな蓮沼さんなら尚更ね」
「な、なるほど。それでまたお礼を付けて返すんだな?」
「馬鹿なの?……ってもういいわ。同じ事繰り返してどうすんのよ。意外性があるからいいのであって安いお礼を何回も貰っても嬉しくないでしょ」
「じゃあお礼の値段を上げてくとか?」
「あんたは変態オヤジか! 相手だってお礼目当てだと思われたくなって受け取らないし、そのうち貸してくれなくなるわよ」
「じゃあ……」
自分で考えてみるが、思い浮かばない。
「ステップアップよ。ステップアップ」
「ステップアップ?」
「お笑い芸人だってずっと劇場でネタ見せしてるわけじゃないでしょ? イベント出たり、テレビに出たり、次に段階に進むのよ」
「次の段階?」
「一言二言の会話からちゃんとした会話へ、接触時間も一瞬からもっと長い時間できるようするってことよ。今が一発芸だとしたらちゃんとしたコントをできるように進歩しなさいってこと」
なんでいちいち例えをお笑いでするのか分からないが、何となくわかるのでまあいいとしよう。
「具体的には?」
「勉強を教えてもらうのよ」
「勉強を? なんで?」
「あんたそんなに頭良くないでしょ? 蓮沼さんは頭良さそうだし、ノートを借りた所について分からない所があったからとか言ったら教えてもらいやすいでしょう?」
俺は決して頭は悪くないと思っている。実際成績もそこそこだから、頭が悪いと言われれば全力で否定できるが、頭が良くないと言われてしまうと否定出来ない。
「もしダメだったら?」
「その時はその時よ。もう一回最初からやり直すか、諦めるか。どっちにしろゼロから再スタートね」
「ゼロからか……」
「ゼロからって言うけど、あんたの成功率なんかどうせゼロに近いんだから、どかんと行って木っ端微塵になりなさいよ。いいツッコミ役がいたってボケ役がたとえつまらなくてもボケなきゃツッコミも入れられないのよ。ボケないボケよりもスベったボケよ」
ボケがゲシュタルト崩壊してきた。
「勉強ってどこで――」
俺が新川に尋ねようとしたその時、電話の着信音が教室に響いた。
「――はいもしもし」
新川のだった。考えてみれば俺の携帯が鳴るはずもない。だって買ってから一度もなっていないのだから。
俺はポケットに突っ込みかけた手をバレないように元に戻す。
置き物の様に座っている壮の顔をチラッと伺うと相変わらずニコニコしているだけで、俺の行動に気づいてはいなさそうだ。
しばらくすると俺に対するのとは違い、「はい」「分かりました」「すぐ行きます」と丁寧な言葉遣いをしていた新川の通話が終わる。
「もういかなきゃ行けないからまた今度ね」
そういうと新川は「おいっ」という俺の言葉も聞かず、壮の手を引き教室を出て行った。
俺も後を追うように廊下に出ると新川は、
「明日は茶道部の用事で出かけるから明後日ね」
と言い、消えていった。
残された俺には、当然これ以上学校に用事があるわけもなく、一人寂しく身支度をし、下校した。
帰宅途中、明日蓮沼さんに渡すお礼用のチロルチョコを買うためにコンビニに寄る。
店に入ると一直線にお菓子コーナーに行くと一番目立つ位置に置いてあった。
俺はきなこ味が好きなのだが、きなこはどことなく地味なイメージがあるので定番のミルクを手に取る。一個だけ買うのも気が引けるので隣にあったコーヒーヌガーとストロベリー味を手にレジへと向かう。あまり混雑しない時間帯のせいかレジは一つしか空いておらず前の客の会計が終わるのを待つ。が、いつまで経ってもレジは空かない。前の客はゴソゴソと箱から何かを取り出し、店員はその度にレジと目の前の商品棚行き来している。さすがに温厚な俺も苛立ち始めた頃、ようやく前の客が終わったようで紙袋にいっぱいに入った商品を受け取る。
苛つきはしたが、文句をいうほどではないが、待たされたことを分からせてやろうと荷物を受け取り、店を出ようと振り返った男を俺は睨みつけたが、それはすぐに解かれた。
振り返った男の顔には眉、目、鼻、口があるだけの何の変哲もない顔。これといった特徴のない顔だが、確かに真弥だった。
「真弥? 何してんだ?」
俺が尋ねると真弥はビックリしたようにこちらを向く。
「おお、公平じゃないか。こんなトコで会うとは奇遇ですな」
学校から家までの帰り道の中程にあるコンビニ。真弥も確かこちらの方に家があったから、会ってもおかしくはない場所である。それよりも俺が気になっているのは真弥が持っている袋の中身だった。
「何買ったんだ?」
俺はレジにチョコを出しながら質問する。
「一番くじだよ」
と言って真弥は袋の中身を一つ取り出した。
手にしていたのはネコっぽいぬいぐるみで、好みは分かれそうだが、どちらかと言うとかわいい系の物で真弥よりも女子が持っている方が似合いそうな物だった。
「女子に人気のあるアニメなんだぜ? このネコっぽいのは主人公の相棒な」
俺が怪訝な顔をしているのに気がついたのか、説明もとい言い訳を始める。
「これマジで人気でさ。コンビニ四件回っても無くてさ。ようやくここでまだ残ってるのを見つけたわけよ!」
真弥が熱弁を振るうのを横目に見ながら財布を取り出し、十円玉を三枚店員に渡して会計を済ませる。
「ありがとうございます」
店員が言うよりも早くお礼を述べると真弥とともに店を出る。
「なんで真弥がお礼するんだ?」
「んー、なんとなくかな? 前に店員さんにお礼する人を見てなんかいいなって思ってさ。それ以来続けてんだよね」
「そんなもんか」真弥は自分から聞いたくせに全く興味なさそうに相槌を打つ。
「そんなことよりさ、これ見ろよ。めっちゃ気持よくね?」
真弥は袋の底から先ほどのネコっぽいキャラクターの顔だけのぬいぐるみのようなものを手渡してくる。
触ってみると確かにスベスベとした肌触りが心地よく気持ちがよい。だがネコっぽいキャラクターのくせに死んだ魚のような目をしており、俺には到底かわいいとは思えない。
「で、その女子に人気のキャラクターをお前が買ってんだよ?」
「それな、聞きたい?」
「聞きたいから聞いてるんだろうが」
「それはな、かわいいは正義だからだぜ。本当はフェアにも参加する予定だったんだが、くじを引きすぎて金がないから今日は諦めることにしたってわけよ」
「フェア?」
「作品とコラボしたフェアだよ。CDとかマンガとか関連商品を買うと特典が貰えるんだぜ。あとコラボカフェも始まってはずだぜ?」
「カフェまであるのか」
「そうさ、作中に出てくる飲み物とか食べ物が再現されてる上に来場者特典の限定品があるから週末は予約がないと入れないってわけよ」
「でもさお前がかわいいもの好きだとは知らなかったよ」
「勘違いしてもらっては困るぜ。俺はかわいいものが好きなんじゃなくて女子が好きそうなかわいいものだから好きなんだぜ?」
「お、おう……」
こ、こいつ見かけによらず意外と策士か?
「女子はかわいいモノが好き=かわいいモノ持っていればモテるという公式を発見したってわけよ。このアニメの主人公・醍醐もこのネコのお陰でリアルの女子から人気が高いんだぜ?」
そう言いながら取り出した主人公と思わしき男とその肩に乗るネコのキャラクターの絵が描かれたクリアファイルを見て俺は真弥の考えが根本的に間違っていることに気がついた。
主人公が男の俺から見てもイケメンなのだ。金色が左右にツンツンとした髪、シュッとした顎の小顔で鼻筋が通っている。目はまつげが長くぱっちりとしていて、全体的にバランスが取れている。制服の前ボタンは全部開いていてその下のワイシャツは第三ボタンまで開き、首からダルっとネクタイが垂れている。その上、イケメン特有の余裕のある笑みを浮かべていて紛れも無いイケメンなのだ。
爽やかイケメンの主人公が笑顔でネコと触れ合っていれば、それ主人公の人気が出るのも当然と言える。イケメンがネコと戯れるから良いのであってブサイクが触れ合ったところでそれはただの変質者である。
「まさかお前、そのぬいぐるみを肩に乗っけて学校行くとか言わないよな?」
「さすがにそこまではしないぜ。だが、俺には考えがある。これで俺の脱DT作戦も一歩、いや十歩ほど進展だ」
「そうか、それならいいんだけど」
「ところでお前の方はどうなんだ?」
「どうって……」
どうかと聞かれても今の状況をどう説明していいか分からない。
「ははん。どうせ俺と違って上手く言ってないんだろう?」
「上手くいってなくはねーよ。あ、明日、で、デートに誘うつもりさ」
思わず見栄を張ってしまう。いずれデートには誘わなければならないし、誘うつもりなのだ。明日、たまたま偶然上手く話が進めばデートに誘う可能性もゼロではない。したがって嘘ではない。うん、嘘ではない。
「で、で、で、デートだと!? まさか、そんな、いや、しかし、だが、――誰と?」
「だ、だ、誰ってそんなん言えるわけないだろ」
「どこで?」
「ど、どこってお前、そりゃ……秘密だよ」
「ふ、それは嘘だな」
「ふぇ!?」
真也の鋭い言葉に思わず変な声が出る。今ついたばかりの嘘がバレたのかと身構えると、
「デート先を決めきれていないだろ?」
「へ? あ、ああ。どこにしようか迷っているところだよ。よくわかったな」
内心ホッとすると同時にどうしようかという不安が襲ってくる。実際にデートに誘うことになったら、どこへ誘えばいいのだろうか。全く何も考えていなかった。
「俺は徹底的に先行調査しているからな。デート先が決まらないのはDTの特徴ということはリサーチ済みってわけよ」
「お、おう」
「どんな場所を考えてんだよ?」
真弥は興味津々に聞いてくる。
デートと言えば、映画館や遊園地、ディズニーランドなら女子は大抵好きだし良いかもな。そういえば俺の好きなマンガでは高級レストランに行ってたっけ?
「え――」
映画とか観てその後レストランで食事なんかどうかなと言おうとすると真弥が遮るように話し始めた。
「映画とか言わないよな? 映画なんて趣味が合えばいいけど合わなきゃ最悪。しかも初デートで映画とか時間の無駄。ディズニーランドもダメだぞ。いつも混雑して何をするにも並ばなきゃいけないからまず会話が持たない。お互い無言になって気まずくなって終了だ」
どんどん俺のデート候補地が潰さられていく……。
「――えっと、レストランとかは?」
「そうだな――」
真弥はスマホ画面をスクロールさせる。俺と同類のくせにやたらデートについて詳しいと思ったら、どうやら真弥のスマホにはネットで調べたであろうデート攻略情報が入っているらしい。
「レストランはまあアリだな。高級なのは論外だが、ファミレスぐらいならありじゃないか?」
「な、なんで?」
「なんでって何が? 高級レストランか?」
「ああ」
「そりゃ、肩凝るからじゃね? 金持ちの大人ならいいかもしれないけど、俺達まだ高校生だぜ? そんな所行っても……ってわけよ。それならお洒落なカフェとかの方がいいんだぜ」
「カフェか……スタバとか?」
「たしかにスタバはお洒落だが、お前は注文するのに必要な呪文を唱えられるのか?」
「呪文?」
「ベンティヘーゼルナッツノンファットアドリストレットショットチョコレートソースアドチョコレートチップアドホイップチョコレートプレッツェルフラペチーノぐらい言わないと注文できないんだぜ」
真弥は若干息を切らしながらも噛まずに言い切った。きっと真弥はネットで拾った情報を真に受け、いつか来るはずの初デートの日に備えて必死になって覚えたのだろう。
だが俺は知っている。「キャラメルフラペチーノ」と一言つぶやけば商品が出てくることを。
親に連れられ恐る恐る行ったスタバの店員はリア充っぽいが実に親切だった。並んでいる時にメニューをくれて考える余裕をくれる所などマックよりも親切だ。むしろマックこそリア充ばっかで怖い。
「という訳でやはりデートならコラボカフェってわけよ。ちなみにカフェは商店街を入っていったゲーセンの前、サブウェイの入ってるビルの三階だぜ」
という訳がどういう訳かよく分からないが、候補に入れておくことにした。女子に人気のカフェなら候補ぐらいには入れておいても損はないだろう。
「そうか参考にさせてもらうよ。じゃあな」
ちょうど分かれ道に差し掛かり有無をいわさず会話を終わらせる。酷いと思う人がいるかもしれないが、これでいいのだ。真弥は一旦見知ればこれでもかと自分の思っていることを話し続ける。半ば強引にでも会話を終了させること、それがこいつとの付き合い方だ。
真弥と分かれ自宅へと戻る道すがら、急に現実に引き戻される。真弥とデートの場所のことで盛り上がっていたが、デートに誘うなんて俺にできるのだろうか。俺と蓮沼さんの関係はノートを借りただけであって、それ以上でもそれ以下でもない。ノートの貸し借りなんて友人とはよくやることらしいし、俺が勝手に盛り上がっているだけなんじゃないかとも思えてくる。
「はあ……どうしよう……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、学校へと向かう俺の脚は、石化したのかと思うほど重たかった。普段何気なく歩いている道を一歩一歩踏みしめるように、身体全体を使って前へと進んでいく。
学校に行きたいわけではない。むしろ学校には早く着きたいとすら思っている。今日は、借りていたノートを蓮沼さんに返すためにも必然的に蓮沼さんと会話することになる。蓮沼さんと会話することを思うとそれだけで自然とワクワクして胃と背骨の中間辺りから心臓の辺りへとゾクゾクしたものが上がってくるような感覚が現れる。しかしその一方で、蓮沼さんと会話しなければならないというプレッシャーが俺の心臓を押しつぶそうにもなる。昨晩も何百回と頭の中でシミュレーションを重ねたのにも関わらず、何から切り出せばいいか、どう会話を続ければいいか、無視されたらどうしようという不安に襲われる。
悪魔と天使ではないが、俺の頭の中で不安と喜び、二人の俺がせめぎ合っているようなそんな感じである。その結果、脚は不安に支配され、心は喜びに支配されたようで早く学校に行きたいと思っているにも関わらず、足が重く自分でもイライラするほど歩が遅い。
脚の重さは錯覚だったわけではなく、学校に着いてみるといつもより十分ほど遅かった。朝の十分というのは大きいようで、普段ならば廊下で他の生徒とすれ違うことはほとんどないのに今日はやたらとすれ違う。みんな学校に来たばかりでどこに行くというのだろうか。
しかしもっと不思議なのは教室だった。教室に着いてみると廊下には人が多くいたのに教室の中にはほとんど人がいない。いつもならば授業が始まるまでリア充どもが騒いでいるのに今日はそのリア充どもがおらず、俺と同類と思しき生徒が数名自分の席に座っているだけで教室はしんとしている。
またそれも一興と決戦前の貴重な静かな時間を満喫しようとしていると教室の扉が勢い良くガラッと開く。突然の大きな音にビクッとしたのを隠しつつ音の方を見るとそこにいたのは意外にも壮だった。
「た、たいへんだ」
壮がめずらしく、いや初めて大声で叫ぶ。大声と言っても壮にとっての大声であり、一般生徒にとっては小声に入るかもしれない。しかし、これは一大事と俺は駆け寄る。
「どうした?」
「……柏木君が……」
一瞬柏木って誰だと考えるが、数少ない知り合いリストを探すとすぐに見つかった。
「真弥がどうかしたのか?」
「……柏木君が……おかしい……よ」
「あいつがおかしいのはいつものことだろ」
「……そうじゃ……なくて……」
壮はなにかを必死に伝えようとしているが、思い通りに言葉が出てこないらしく目線を落としたまま体をクネクネさせる。本人はもどかしくてそうしているのだろうが、狙ってやっているのではないかと疑いたくなるかわいさだ。
とその時、俺と壮の目と目が合う。次の瞬間、俺は壮に手を引かれて走りだしていた。予想外の行動にかわいいとも好きだとも思う暇もなく目的地がどこか分からないまま廊下を走らされる。ようやく立ち止まったのは真弥のクラスの教室の前だった。
教室の前には人で溢れ、教室内が見えないほどだった。まるで芸能人が登校してきた時の様な人の多さである。
人というのは不思議なもので普段は気にならないものであったとしても他の人が気にし始めると自然と気になり始めてしまうものである。いつもは興味もないお笑い芸人でもテレビ中継されながらマラソンを走れば少し見てみたくなるように野次馬がいればいるほどその先にはなにがあるのか探ってみたくなるのである。つまり俺は普段真弥に、大した興味はなく、なにをしようとやつの勝手だとは思っているが、学年中の生徒が集まっているのではないかと思うほど人を集める真弥の現状を確かめてみたくなったのである。
人を押し分け掻き分け進んでいくと、そこには衝撃的な画があった。金髪のツンツン、着崩した制服、昨日真弥が見せてきたキャラクターに似ていた。
似ていたが、それ以上ではない。ツンツンとした金髪もはだけた制服も同じではあるのだが、全体を見るとどうも違うのだ。
「俺に考えがある」と言っていたがこの事だったのか。俺が呆れ果てていると、隣にいた人物がブツブツと何やら呟いている。
前に来ることに一生懸命で気が付かなかったが、俺の隣にいる人物をよく見てみると、黒い長髪に整った目鼻立ちに黒縁の眼鏡。間違いなく蓮沼さんだ。人集りの中にいるせいもあって顔と顔が非常に近い。人の感覚は不思議なもので隣にいるのが蓮沼さんと分かると急にいい匂いがしてくる気がする。
「髪型が――もっと――制服――じゃなくて詰め襟――ありっちゃありだけど――でも――」
蓮沼さんに声をかけようかとも思ったが、蓮沼さんは普段とは違う様子で、鋭い目つきをしていたため声をかけることを躊躇する。とその時、
「うける。うけるわー。ホンマあいつセンスあるで」
ギャハハハと品のない笑い声を上げながら両手をバシバシと叩いている。言うまでもないが、新川である。
その声で現実に引き戻され、冷静になる。真弥の恰好は面白いが、一目見れば十分だ。これ以上いて、蓮沼さんに気が付かれてもまだ心の準備ができてないし、真弥に見つかって声をかけられたらもっと面倒だ。教室へ戻ろう。
人混みを再び押し分けて人集りを抜けると、壮が不安そうな顔で待っていた。
「大丈夫だ。あいつはいつもあんな感じで変だから」
普段以上に変ではあるが、壮を不安がらせるのもあれなので適当に説明する。
「……そうなの?」
「ああ、ちょっと何かをこじらせてはいるけど、通常営業だよ」
「……わかった」
壮はそれを聞いて安心したのか大人しく教室へと向かう。壮と真弥がどの程度の知り合いなのかよく分からないが、壮に心配される真弥が少し羨ましかった。
俺と壮が教室に戻ってしばらくすると、真弥を見物に行っていた他の生徒達も続々と教室に戻ってきた。いつも以上に騒然としている教室の話題の中心は真弥だった。自分で言うのも癪だが、俺と同類の真弥がリア充どもの注目の的になる日が来るとは思ってもみなかった。まさかあの蓮沼さんまで興味を持つとは恨めしくさえある。
その蓮沼さんが教室へ戻ってくるのを見て自然と胸がバクバクしてくる。いよいよノートを返さなければならないのだ。ノートを返すだけならなんとかなる可能性もあるが、他のノートを借りなきゃいけないとかハードルが高すぎる。
うちの学校の校則では、金髪は論外だし、制服の着崩しも認められていないから真弥の停学は免れないだろうなどと別のことを考えて心を整えようとするが、空振りに終わる。
すると今度は脳内で、今返さなくても後で返せる派と次にも借りる人がいるのだから早く返さなくては派が戦闘を開始する。一進一退のせめぎあいが続き、互角にも見えたが、真弥という共通という名の援軍により今すぐ返す派の勝利に終わる。
俺はノートと買っておいたチョコを持って席を立つと蓮沼さんの席へと向かう。
蓮沼さんは何事もなかったかのように席に座って一時限目の予習をしている。
「あ、ああああのおお、は、は、はああすぬま、さん」
「へっ!?」
緊張のあまり背後から変な声で話しかけたため、蓮沼さんは驚いて振り返る。
「あっ、小室くんかぁ。もうビックリしたぁ」
「ご、ごめん」
「気にしないで、てか小室くんっていつも謝ってるよね」
蓮沼さんは軽く笑いながら俺の不手際を水に流してくれる。これがコミュ力というやつか。俺には絶対無理な芸当だ。
「そ、そんなことないってよ」
「「そんなことないってよ」って他人事みたい」
蓮沼さんはどこかの下品な女とは違い、口を手で押さえながら笑っている。どうやらつかみには成功したらしい。これが、災い転じて笑いとなるというやつだろう。
「こ、こ、ここここれ」
俺は借りていたノートの上にちょこんとチョコを載せて手渡した。
「これは? 貰っていいの?」
蓮沼さんがチョコを摘みながら尋ねる。
「はい、おおお礼です」
「ありがとー」
そう言うと蓮沼さんはノートを仕舞い始める。
やばい、早く言わないとタイミングを逃す。
心の中では分かっていても、いざとなると言葉が出てこない。
「ん? どうしたの?」
その場に立ち尽くす俺を見かねた蓮沼さんが声をかけてくれる。
「え? あー、その――」
俺は頭の中で必死に次の言葉を探す。
「――真弥って知ってる?」
それしか出てこなかった。
「しんや……誰だろう?」
それもそうだ。蓮沼さんといえど同じ学年すべての人の名前まで知っているわけはない。他のクラスの男子ともなれば尚更だろう。
「えっと、さっき蓮沼さんも見てた奴なんだけど」
「え? 醍醐……じゃなくて名前なんだっけ?」
俺はその一瞬、俺が真弥のことを説明した瞬間、蓮沼さんの眉が少し動いたのを見逃さなかった。
それに醍醐というのは、真弥が真似していた主人公の名前だったはずだ。
「柏木って言うんだけど、変な恰好してきてさ――」
すると今度は僅かだが眉間にシワが寄る。
「――アニメの主人公の真似らしいんだけど似てないよね?」
希望的観測を含めて聞いてみる。もし知らなければこの話題はそこまで。もう俺に会話を継続するだけの力はない。すると、
「似てなくはないんだけど着こなしがイマイチというか、まだ恥ずかしさが残ってる感じで思い切りの良さが感じられないのよね」
「え?」
「あ……」
予想以上のヒットに唖然とする俺と思わず口を滑らせ顔を紅潮させる蓮沼さん。
「あのアニメ好きなんだ?」
気まずい沈黙を破る様に俺が先に口を開く。
「え、ああ、女の子ならみんな好きなんじゃないかな?」
「じゃあ蓮沼さんも好きなの?」
「うーん、好き……かな?」
「じゃあ、コラボカフェがあるの知ってる?」
「コラボカフェ?」
「そう、作品に出てくるキャラクターをイメージした食べ物が出てきたり、限定品も貰えたりするらしいよ!」
真弥から聞いたことをあたかも自分が知っていたかのように話す。
「へぇ、知らなかった。小室くんもあのアニメ好きなんだ?」
「え、ああ、まあ好きかな」
好きか嫌いかで言われればよく分からないけど蓮沼さんが好きなら好きというのが正解だ。アニメを見たことはないし、興味もなかったが、あとで真弥に詳しく聞いておけばいいだろう。
「あのさ、小室くんってさ、もしかして、…………そっちも大丈夫とか?」
蓮沼さんは、一呼吸おいて、少しボリュームを落とした声で真剣な顔をして訪ねてくる。
そっちってなんだ?
「そっち? そっち……。そっちも大丈夫かな?」
人生初と言ってもいい女子との長時間の会話。『そっち』の意味は分からないが、あっちでもこっちでもないし、そっちでいいやと蓮沼さんと会話を続けたいあまり話を合わせてみる。
「やっぱり!? そうじゃないかと思ってたんだよね」
よく分からないが喜んでくれている様子。今がチャンスとばかりに畳み掛ける。
「良かったら一緒にコラボカフェ行かない?」
よく分からないが盛り上がっているのを感じた絶口調俺は、ここぞとばかりに勝負に出る。
「えっ? どうしよう……」
黙りこくってしまう蓮沼さん。
調子に乗りすぎたと思ったが時既に遅し。
「い、いや無理なら別に無理しなくても、蓮沼さん忙しいだろうし――」
「いつ?」
「え?」
「いつ行くの?」
「いつって、いつでもいいんだけど週末は予約がいるらしいからできれば平日で……今日か明日か、来週? でもいつまでやってんだろ?」
ちなみに俺のスケジュールには祝日と自動入力された自分の誕生日以外、予定は入っていない。
「今日は難しいけど、明日なら大丈夫かな?」
「そっか、そうだよね…………って明日!?」
「うん。さすがに今日の今日はちょっと用事があるけど明日なら大丈夫だよ」
「本当にいいの?」
「いいの?って小室くんが誘ってきたんでしょ?」
「でも俺みたいなのと一緒に行っても楽しくないかもしれないし……」
「小室くんは面白そうな話いっぱい知ってそうだし、小室くんが嫌ならしょうがないけど?」
「いやいやいや、蓮沼さんと一緒に行けるなんて恐悦至極であります」
「なにそれ、やっぱ小室くんって面白いよね」
フフフと笑う蓮沼さん。一つ一つの仕草が洗練されていて何をしても上品に見える。
そんな蓮沼さんと会話するという夢の様な時間を始業チャイムという名の悪魔の叫び声が無常にも強制終了させる。
「あ、もう時間だね。あとはLINEでいいかな?」
「LINE――」
LINEは、テキストチャットやインターネットを通じた電話などが利用できるインスタントメッセンジャーであり、非リア充には縁のないリア充必須のコミュニケーションアプリである。
「もしかしてLINEやってなかった?」
「あ、いや、やってる。やってるよ」
このアプリをダウンロードしてから今日この日まで出番がなかったが、ようやくやってきた。いつか体験するであろうLINE交換のために自分のQRコードを表示する方法は既にマスター済みである。
俺は使いもしないのにホーム画面に配置されていたアプリをタップして起動すると素早くQRコードを表示させる。
蓮沼さんは慣れた手つきで自分のスマホでそれを読み取ると画面をタップする。すると俺の画面がパッと変わり、友だちの欄に『蓮沼唯有』という名前が追加される。 電話番号から自動登録されていた母親と真弥、そして日本を代表するコンビニやファストフード店、洋服ブランドなどの企業名と並んで表示される蓮沼さんの名前を見て思わず涙が出そうになる。
「よし、これでオッケーっと。きた?」
蓮沼さんの問いかけとほぼ同時に俺のスマホがピコーンと鳴る。
『蓮沼です。よろしく♪』
俺のスマホ画面に蓮沼さんからのメッセージが表示される。シンプルだが、的確かつ適切な距離感を保った実に考えぬかれた文章だ。
リア充ならここで『(。・ ω<)ゞよろしく(ハート)』などと返信するのだろうが、俺はそんなに軽い男ではない。
「届いたよ。ありがとう」
人類が長い年月をかけて進歩させてきた言葉による会話という高等技術を使って返答する。
「じゃあまた後でね」
「じゃあ」
俺は蓮沼さんに別れを告げるとLINE交換なんてなんでもありませんよ的なオーラを必死に出しながら自分の席へと戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
い草の香り漂う部屋で椅子ではなく畳に直に座るというのも乙なものである。西洋化された生活の中、時偶味わう和室の雰囲気は、俺が日本人であることを再確認させてくれる。体育館の床と違い、硬さの中に柔らかさを感じさせ、冷たさの中に暖かさを感じさせる何とも言えない優しさこそ和の心なのかもしれない。
「なに感慨に浸ってんのよ」
エモーショナルな気分をぶち壊すように新川が割って入る。
「いやあ、和室っていいなって思ってさ」
「……部活……入る?」
こんな上目遣いで勧誘された入部せざるを得ない。
「こんなやつ誘ってどうすんのよ。どうせ女子目当ての変態よ」
「そういうお前はどうなんだよ。どうせお菓子狙いの花より団子だろ」
「うぐっ……」
どうやら図星のようだ。
「それより部室使っていいのか? そろそろ皆来るんじゃないか?」
教室群からは離れ、和室という特殊性から他の生徒が近づくことのあまりないこの部屋は、人にあまり聞かれたくない話をするには最適だが、あくまでも茶道部の部室。茶道部の部活動を妨げるわけにもいかない。
「……今日は、……休み」
「毎日あるわけじゃないのか」
「隔日…………月曜……日、水曜……日、金曜……日」
「野球部とかサッカー部じゃないんだから毎日あるわけないでしょ? 毎日活動があるような部活なら私面倒くさくて入らないし」
開き直っている新川は置いておいて、月水金に数時間拘束されるとしてもお菓子と壮付きならばお買い得なのではないか。これは前向きに検討する必要がありそうだ。
「それで、なんで俺は呼び出されたんだ?」
「はあ? 昨日は私たちが部活で集まれなかったけど、今日あんたは私の立てた作戦の下、蓮沼さんから前に借りたノートを返した上で話をする口実として新たにノートを借りるはずでしょ。まさか、借りれませんでした、とか言うんじゃないでしょうね?」
「ふふん」
「なによ、その不敵な笑みは」
「じゃーん」
俺はそう言いながらスマホの画面を見せる。
「あんたって――」
そうだ、もっと俺を褒めてくれてもいいんだぞ。
「――友達少ないのね……」
「そこじゃねーよ」
「可哀想だから私の教えてあげてもいいけど……」
そんな憐れむような眼で見つめないで。
「……ボクのも……教える」
新川だけでなく壮まで可哀想な人を見るような眼をする。
「いや……そこまで言うなら登録するけど……」
連絡先が増えることは悪いことじゃない。むしろコレクションが増えるような気がしていいものだろう。
QRコードの表示方法こそマスターしているものの、コンタクトの追加方法が分からない俺は新川と壮に読み取ってもらいコンタクト追加を待つ。
『壮だよ(^^♪』
『ぼっち(笑)』
ピコーンという音とともに表示されるメッセージ。どちらが送ってきたか一目瞭然。
『ぼっちじぇねーよ』
俺が打ち終わるや否や新川の携帯が鳴る。しかし新川は携帯に目を向けることすらせず、俺が必死に打った反論の八文字には既読すら付かない。こんなにも早く人生初の既読スルーを体験するとは思いもよらなかった。
「ところでさ、蓮沼さんの件はどうなったの?」
俺のメッセージなどなかったように新川が尋ねてくる。
「それなら、ほら」
そう言って俺は再びスマホの連絡先の画面を見せる。
「だからそれがどうしたの? そんなに私の連絡先知ったのが嬉しいの?」
「いやいや、そうじゃなくて、ほら蓮沼さん」
俺は蓮沼さんの連絡先を指差す。
新川は渋々俺のスマホへと顔を近づける。それにつられたように壮も同時に顔を近づけてくる。すると、
「蓮沼さん!?」
「えっ……」
新川が驚くのとほぼ同時に壮も後ろに仰け反る。
俺は悪代官を懲らしめるご老公のお供が見せつける印籠の如くスマホをこれでもかと前に突き出す。
「な、なんで?」
訳が分からないよと言わんばかりの新川。
俺は、一通り説明する。
「はあ? なんで? え、なんで? なんで? どうして?」
「…………公平くん……すごい……」
「え、いや、でも……ない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえないよね?」
新川は、畳に座る俺と壮の周りをグルグル回りながらぶつぶつと呟いている。そして三周ほど回ると俺の方へと向き直って懇願するように質問してくる。
「なんで?」
なんで、と言われても困る。
「……それで…………連絡……した?」
先日とは打って変わって積極的な壮。
「まだしてないけど……」
「はあ? なんでまだしてないのよ。そういうのはすぐにするもんでしょ!」
水を得た魚のように俺の隙を見つけて活き活きとし出す新川。
「いや、か、帰ってからやろうと……」
「そもそも今日の明日って、女の子には準備することがいっぱいあるのよ?」
「で、でも、蓮沼さんが明日って……」
「普通そういうのは男が決めるもんでしょ? 女の子に決めさせといてそれを言い訳にするの?」
「だ、だけど……いや、すいません……」
「分かったら早く送る!」
「ど、どこで待ち合わせしたらいいでしょう?」
「はあ、そんなの自分で決めなさいよって無理な話しよね……」
「すいません……」
「どこに行くんだっけ?」
「コラボカフェに……」
「コラボカフェ? なにそれ?」
俺は真弥から聞いたコラボカフェの概要について説明する。
「あんたってそういう趣味があったんだ……。もしかしてオタクってやつ?」
「ち、ちげーよ」
言っておくが俺は断じてオタクではない。オタクが下劣な人種だとかそんな捻くれた考えを持っているわけではなく、むしろ俺なんかがオタクを自称するのはおこがましいと思っている。最近は、ちょっとアニメやマンガを読んでいるだけでオタクを気取るファッションオタクが増えてきたような気がする。うちのクラスでも「やべー昨日深夜アニメ見てたからねみー、まじ俺オタクじゃね?」とか抜かしてるリア充がいるが、真のオタクは自らオタクだと名乗り出たりはしない。オタクは深く潜っているからこそオタクなのであって表面に出てくるようなのはオタクじゃないと俺は思っている。
「まあ、あんたがオタクだろうがなかろうが、人の趣味は個人の自由だから関係ないんだけど」
「なら初めから聞くなよ」
「それで、いつどこで待ち合わせるかとかは決めたの?」
「うーん、待ち合わせなら……ハチ公とかモアイとか?」
「なんでそんなとこで待ち合せんのよ!」
「なんでって、有名な待ち合わせ場所だろ?」
「な・ん・で、放課後に出かけるのに目的地近くで待ち合わせんのよ! 学校から直接行けばいいでしょ!」
「でも制服のままじゃ……」
「ああ、もうっ! 制服やからええんとちゃうんか! 制服デートなんて今しかできへんねんで!」
「そういうもんなの?」
困った俺が壮に尋ねると、壮は分からないというように首をちょこっと傾ける。
「はい決まったら早く送る!」
「学校終わったら校門のとこで待ち合わせって打てばええやろ! そんぐらい自分で考ええや」
「はい……」
なぜ怒られたのか腑に落ちないが、すぐにメッセージを打ち込む。
『明日、放課後に校門のところに待ち合わせでお願いします』
入力ミスがないことを確認して「送信」ボタンを押す。しばらくするとメッセージに既読が付き、すぐに『オッケー』というスタンプが送られてくる。
「ほら待ってたじゃん」
少し落ち着いた様子の新川。蓮沼さんは俺からのメッセージを待っていてくれたのだろうか。待ってくれていたのかもしれないと思うと嬉しい半面、申し訳ない気持ちになる。
ふと壮の方を見ると両腕をグッと曲げてガッツポーズをしている。やったねという意味だろうか。
「で、デートの約束したことは褒めてあげる――」
唐突に新川が俺を褒めるが、全く褒められている気がしない。
「――だけど、本番はこれからよ。明日どうするか決めてんの?」
「明日は、コラボカフェ行くって言ったじゃん」
「カフェ行く前にどっか寄るとか、カフェ行って何話すとか、カフェの後どこ行くとか、考えておかなくて大丈夫なの!?」
「それは……」
「苟も蓮沼さんとデートしようとしてるのよ? 分かってんの!?」
「ふっ、俺にだって考えがある」
特に考えはないが、そこまで言われたらはったりの一つぐらいかましたくなる。
「あら、そう。ならいいわ」
新川らしくもなくあっさりと引き下がる。
自分の想定した通りに物事が進まないことに苛立っているのか新川の言葉は少し投げやりにも感じる。
「あんたがヘマしないようにこの私がアドバイスを送ってあげるからせいぜい頑張りなさい」
新川は自分の荷物を手に取るとわざとらしい笑い声を上げながら部屋を出て行った。
呆気にとられた俺と壮は顔を見合わせるが、すぐに壮が立ち上がると俺の体を押して退室を促す。俺はなされるがまま部屋を出ると壮は部屋に鍵を掛け新川の後を追ってどこかへ行ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あれから新川からメッセージが来ることもなく、俺は明日への緊張で眠れない夜を過ごした。決して新川の言葉で明日どうすればいいか考えすぎて寝られなかったわけではないし、新川から手助けのメッセージを期待していたわけでもない。決して。
それ以上に寂しいのは壮に避けられているような気がする点だ。休憩時間の度、珍しく俺から話しかけようとしたのだが、俺が席を立つよりも早く壮はどこかへ消えているのだ。どこへ行っているのかは知らないが、授業が終わるとすぐに消えて、授業開始直前に戻ってくるため俺に声をかける隙すら与えない徹底ぶりだ。
蓮沼さんは蓮沼さんで、放課後一緒に出かけるというのに何事もないように普段通り振る舞っている。彼氏気取りをするつもりなど毛頭ないが、少しぐらい関係が進展したと思っていたが、俺の勘違いのようだ。
今もこうして校門前に突っ立っているが、蓮沼さんはなかなか現れない。三十分は経過したのではないかと思い、学校の壁面にある時計を確認すると五分も経っていなかった。
もしかして、蓮沼さんに騙されたのかもしれない。新川の様子も変だったし、壮の様子もおかしかった。考えてみれば、真弥に呼び出されて以来、物事がありえないほどトントン拍子に進んでいた。真弥が全て仕組んだとは思わないが、誰かに手伝わされたと思えば筋が通る。きっと今この瞬間も校門で待ちぼうけくらう俺を見て嘲笑っているに違いない。
俺が疑心暗鬼になっていると急に背後から肩を叩かれる。きっとドッキリとかのネタばらしに違いない。ここは空気を読んで驚いたフリをするべきだろうか、それともいっそ逆ギレしてやろうか、などと考えて振り向くと、
「やっ」
屈託のない笑顔の蓮沼さんが立っていた。
「あれ? もしかして待った?」
蓮沼さんは不思議そうな顔をして尋ねる。俺はどんな顔をしていたのだろうか。
「ま、ま、待ってないよ」
「良かった」
「本当にいいの?」
「なにが?」
「俺なんかと一緒にコラボカフェ行っても」
「これでも楽しみにしてきたんだけどな。楽しそうに見えない?」
「いやいやいや」
「それは楽しそうじゃないってこと?」
「楽しそうです」
「よろしい。じゃあ行こっか?」
蓮沼さんに先導される形で歩き出す。学校から目的のコラボカフェまでは徒歩で十分ほど距離しかないのだが、これほど長く遠く感じたのは初めてだった。
「こ、コラボカフェって行ったことある?」
気まずい沈黙を破ろうと俺が最初に口を開く。
「ないよ」
当然だ。行ったことがあれば、わざわざ俺と一緒に行く必要などない。会話は見事に一往復で終わってしまい、再び気まずい沈黙の時間が訪れる。しかし幸いにも、学校付近の閑静なエリアは次第に終わりに近づき、商店街のある繁華街エリアへとやってくる。
学校周辺とは打って変わって、平日にもかかわらず多くの人が行き来し、賑わっている。最初は人で溢れるこの街が苦手だったが、もう慣れてきた。人自体あまり好きではない俺にとって人混みは地獄だと思っていたが、慣れるとそうでもないらしい。人が多く行き交うとは言っても、俺が他人を気にしないように他人も俺に眼をくれることなく、それぞれに無関心なのだ。街の客引きも特定の俺に対して声をかけてくるわけではなく、人混みの中の一人、数千、数万の中の一として声をかけているだけに過ぎず、無視すればそれ以上引き下がることはない。教室という否が応でも俺という個人が注目されうる空間にいるよりも、個性が注目されず背景の一人として過ごせるこの街は俺に向いているのかもしれない。
デートそっちのけでそんなことを考えていると蓮沼さんが質問してきた。
「小室くんってこっちの方よく来るの?」
「ま、まあね」
「へぇすごいね。私、この人混み感が苦手だからあまり来たことないんだよね」
「僕も最初苦手だったけど、慣れればそんなでもないよ」
「えー本当? なんか都会人って感じだね」
「都会人って蓮沼さんも十分都会人だと思うけど」
実の無いしかし笑みのある会話を続けていると目的地であるコラボカフェの入ったお店がある建物へと到着する。サブウェイの横を抜け、エスカレータで三階まで上がる。昨日ネットで検索したデートのマナーらしい昇る時は後ろに立つというのを実行し、さりげない気遣いの俺をアピールする。二階の楽器屋を通り過ぎもう一階昇ると目的のお店が現れる。以前、真弥に連れられて来て以来の来店である。
お店に入ると目の前には、新刊のマンガやライトノベルが山のように平積みされ、お客さんが手にとって吟味している。
「ねえ、少しお店見てもいい?」
俺がコラボカフェというのはどこにあるのかと見渡していると蓮沼さんが尋ねる。
「いいよ」
蓮沼さんは嬉々としてお店の探索を始める。いつもの優等生的振る舞いとは一転、初めてデパートのおもちゃ売り場にやってきた子どものように島から島へと飛び回る。
いつもの蓮沼さんがステキだとしたらこの蓮沼さんはかわいいという言葉が非常に似合う。普段みんなに見せない姿を俺にだけ見せてくれていると思うと待ち合わせ時のネガティブ思考はどっかへ消え去り、心が高鳴る。
「あっ、『トウキュー』全巻ある! 『黒衣のバスケ』だ。『オラララ!』もある」
蓮沼さんは天井までギッシリと本がつまった書棚を見上げながら喜んでいる。しかし一体、上の方にある本はどうやって取るのだろうか。
「こっちにはガチャガチャがある! あっ、妖怪友人白書だ。これやってもいい?」
「いいよ」
いちいち俺に聞く必要はないと思うのだが、友達と買い物をする時は毎回お伺いを立てなければならないものなのだろうか。独りで買い物する主義の俺には理解できない。
「國安くんかぁ、醍醐くんが良かったけどまあいいや」
蓮沼さんは一応お目当てのキャラが出たらしい蓮沼さんはどんどんと店の奥へと進んでいく。
「あっ、見て見て! 醍醐くんと國安くんのパネル!」
「本当だ。ちゃんとニャコ田教授も肩に乗ってる」
「これって写真撮っていいのかな?」
「いいんじゃないかな? ちょっと聞いてくるよ」
俺は近くに店員がいないかを探す。俺一人の時ならば絶対に店員に物を聞いたりはしないが、ここは少しでもいいところを見せようと頑張ってみる。するとすぐ側のパソコンに何やら打ち込んでいる店員を発見する。
「す、す、すいません」
「はい、なんでしょう?」
「あそこの……あの……あそこの、こうやってる人の……写真っていいですか?」
「はい?」
「えっと、妖怪なんとかの人の……」
いいところを見せようとやってきたのはいいものの、元々人と話すのが苦手な俺が、突然抜群のコミュニケーション能力を発揮できるはずもなく、言葉がうまく出てこない。
「はい、パネルのことですね。当店では『撮影禁止』と書かれた物以外基本的に撮影OKですので大丈夫ですよ。ただできるだけ他のお客様が写り込まないようにご協力お願いします」
さすがの慣れた対応である。以前来た時も感じたが、俺と同系統っぽい雰囲気の客がちらほら見える。きっと俺と似たような客が多く来るお店なのだろう。
「……もう少し……こっちが…………めの方が……」
「撮影OKだって」
パネルのあった場所へ戻り、蓮沼さんに報告する。蓮沼さんはパネルに近寄り間近で観察しながらなにやら呟いていた。俺が声をかけるとビックリとしたように俺の方を向く。
「ほんとに!? やった」
蓮沼さんはカバンからスマートフォンを取り出しカメラを構える。
「一緒にとってあげようか?」
「いや、いいよ。これは二人だからこそ意味があるんであって、私が写っても意味ないから」
蓮沼さんなりのこだわりがあるのだろう、頑なに固辞される。
「見て見て! よく撮れてると思わない!?」
写真を撮った蓮沼さんがすごく嬉しそうな顔でスマートフォンの画面を見せてくる。右手に持ったスマートフォンを左側に立つ俺に見せようとするため、自然と肩と肩が触れ合う。
「よ、よく撮れてるね」
蓮沼さんは写真の出来をアピールしてくるが、俺はそれどころではない。蓮沼さんのきれいな髪からは、一日学校にいたのにもかかわらずいい匂いがしてくる。きっとかわいい女子の髪にはいい匂いを貯めこむ機能があるのだろう。それに加え、蓮沼さんの豊満な胸が俺の腕に当たりそうで当たらないという生殺しの緊急事態に襲われている。女子とゼロ距離まで接近すること自体、ほぼ生まれて初めての体験だが、相手が憧れの人、しかも憧れの人の胸が僅か数センチまで接近しているという現実にそれだけで果てそうだった。
俺は理性を保つべく、必死に素数を数える。
1,3、5,7、8,8? 8は素数じゃないよな。8,8,8……。次第に8が蓮沼さんの胸とオーバーラップしてくる。
これはマジでやばい。他のことを考えないと……。自分が萎えそうなことを必死に探す。本、グッズ、妖怪友人白書、醍醐、國安。ここまで考えた時、なぜか醍醐と國安がキスする場面を想像する。普段ならばおうぇっと吐きそうな場面だが、今は幸いにも俺の高まりを抑えてくれた。
「は、蓮沼さん。そろそろコラボカフェの方行かない?」
落ち着きを取り戻したものの、これ以上密着しているとどうかなりそうだ。
「そうだね」
俺は蓮沼さんと絶妙な間隔をとりながら店奥のコラボカフェへと移動する。
店舗の奥にカフェと書かれた間仕切りがあり、その内側にはイスと机が並んでいる。入口にはショーケースと木製の注文カウンターがあり、壁にはコラボしてるであろう作品のポスターが飾られ、アニメの音楽も流れている。都会のお洒落なカフェとまではいかないが、独特の雰囲気があり、他のカフェでは味わえない独特の世界観を生み出している。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
カフェゾーンに入るとすぐに店員さんが、話しかけてくる。
「二人です」
指でニを作りながら答えると「こちらへどうぞ」と席に案内される。事前に検索したとおり、蓮沼さんを奥に入らせて席につく。
「すごーい」
蓮沼さんはメニューを見て感嘆の声をあげる。
「ドリンク頼むとキャラのコースターもらえるんだって」
「本当?」
「ほら」
「本当だ。フードだとクリアしおりだって。どうしよう……。あっ」
蓮沼さんは、手にしていたメニューを俺に向け、指差す。
「見て見て!
「國醍? 醍國?」
「そう! 醍醐は受けっぽいけど本当は肉食系で攻めなのよ! 小室くんもそう思うよね?」
「う、うん」
肉食? 草食? 受け? 攻め? よく分からない用語が飛び出してくる。
蓮沼さんの熱量に圧倒されて――いや、蓮沼さんに嫌われたくないという思いから肯定してしまう。
「やっぱりそうだよね。醍醐総受けとか言う人いるけど、醍醐のこと全然分かってないよね。醍醐は弱々しく見えて芯のしっかりした肉食だから攻めじゃなきゃダメなのよ! やっぱり小室くん分かってるよ」
相変わらず笑顔はステキな蓮沼さんのままだが、徐々に崩れていく自分の中の蓮沼さん像とのギャップにどうしていいか分からない。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
ちょうどいいタイミングで店員さんが注文を取りに来る。
「蓮沼さん決まった?」
「うーんと私は……醍醐のドリンクとこのスイーツプレート頼みたいんだけど小室くんも一緒に食べてくれる?」
「も、もちろん」
同じ料理を二人でシェアするなんてそれこそカップルのようで、俺が夢に見たことであって、数分前の俺なら飛んで喜んだのだろうが、今は微妙な心境だ。嬉しいのは嬉しいが、単純には喜べない。
「小室くんは?」
メニューを一通り確認したが、妖怪友人白書というアニメを見たことのない俺にとってこれというめぼしい物はなかった。
「僕は、なんニャン田教授の特製ドリンクで」
先日の真弥との会話で知ったニャン田教授というキャラクターのドリンクを注文する。特製と書いてあるが、まあオレンジ色だし、変なものではないだろう。
店員さんは注文を再度確認すると去っていく。すると待っていましたとばかりに蓮沼さんがお喋りを再開する。
「ところで小室くんって二次好き? 三次好き?」
ニジ? サンジ? 何のことだろう? 二時と三時ならおやつの時間である三時の方が好きだ。おやつ抜きにしても二時より三時の方がキリが良さそうで好きだ。
「三時かな?」
「三次!? 本当に!? じゃあさ、じゃあさ、上妻くんとどういう関係? 上妻くんってあまり喋らないけど小室くんとはよく喋ってるよね?」
「壮? 壮なら友達……だよ」
壮を友達と言っていいのか疑問だが、壮が友達でないなら俺には真弥しか友達がいないことになる。壮と知り合って僅か数日だが、連絡先まで交換しているんだ。友達と呼んでもいいだろう。ただそうすると新川まで友達ということになってしまうのが問題だが。
「壮って呼んでるんだ!」
「まあ」
「へぇ~。やっぱりそうなんだ。じゃあ小上か、いや公壮かな……」
不敵な笑みを浮かべる蓮沼さん。
「やっぱりって?」
「いやいやこっちのこと。醍醐モドキ――じゃなくて柏木くんだっけ? とは?」
「真弥はまあ一応友達」
「一応……意味深だね。三人は仲いいの?」
「うーん、壮は真弥のこと知ってるらしいんだけど、一緒に会ったことはないかな」
「ほうほう。これは小室くん総受けもありか……」
「え?」
「いやいやいや、なんでもない。こっちの話」
蓮沼さんが自分の世界へと入り込みつつあるその時、ようやく注文していたものが運ばれてくる。
「お待たせいたしました」
ドリンクに続いてスイーツプレートがテーブルへと置かれる。蓮沼さんが注文した醍醐のドリンクは、主人公の髪色を意識してか黄色に近いフレッシュな色でレモン味かそれに近いものだろうとイメージできるのだが、俺の注文したニャン田教授の特製ドリンクは、何を混ぜたらこうなるのかという焦茶色に近い、味も想像できない色合いだった。鮮やかなオレンジ色だったはずとメニューを再確認すると、右下に小さく写真はイメージですと書かれている。
「こちらコースターになります」
店員はアニメキャラクターの書かれたコースターとは別に柄のないコースターを飲み物の下に敷く。コースターというのはドリンクグラスの周りについた水滴がテーブルに落ちないようにするためのもののはずだが、アニメの柄がついていると別らしい。
「わー、妖怪のコースターだ。見て見て、この犬っぽいのいるでしょ。これね私の好きなエピソードに出てくる妖怪なんだ。普通の犬に見えるけど実は、ストーカー妖怪でね、知らず知らずのうちに醍醐がこれにストーキングされるんだけど國安が気づいて助けてくれるって話」
「へぇ」
妖怪友人白書について真弥から聞いた程度にしか知らない俺がそのエピソードを知っているはずもなく、どう返答していいかも分からず適当に相槌を打つ。
「あれ、知らない? まあ仕方ないよね。妖怪友人白書って今四期目だし、ストーカー犬が出てきたのって一期だから」
「そうなんだ。今度見てみるよ」
「絶対見たほうがいいよ!」
どうやらピンチを乗り越えられたらしい。
「それにしても小室くんのドリンクすごい色だね……」
蓮沼さんも色味が気になったようで興味津々に眺めてくる。
「どんな味がするんだろ? でもニャン田教授っぽいって言えばそれっぽい色だよね」
俺は恐る恐るストローに口をつけ吸ってみる。徐々に上がってくる謎の液体。ストローを飛び出し、舌に触れると口の中に炭酸と果物の香りが広がる。
「ね、どんな味?」
「なんというか……マウンテンデューにコーラを混ぜたような味。あとオレンジっぽい香りもするかな」
「おいしい? まずい?」
「おいしいっちゃおいしい。見た目は以外は、複雑だけど爽やかで結構いいかも」
「あれかな、カラオケとかドリンクバーでよくやる色々混ぜたドリンク的な感じかな?」
カラオケに行ったことのない俺はそのドリンクがどんなものなのか知らないが、話を聞く限りは近い気がする。
「そんな感じかな」
今度は蓮沼さんが自分のドリンクを口にする。親指と人差し指でストローを抑えつつ、絶妙に口を隠す姿は写真をあまり撮らない俺でも写真に収めたいと思うほど絵になる。
「どう?」
「レモン味の炭酸。でもさ、想像力豊かだよね」
「え?」
「だって、キャラクターからこういう飲み物とか料理とか考えるんでしょ? すごい想像力だと思わない? 尊敬するなぁ」
そういいながら蓮沼さんはスイーツプレートに乗ったケーキに手を伸ばす。フォークで先端を一掬いすると口へと運ぶ。
「おいしい。これ普通においしいよ。小室くんも食べてみなよ」
蓮沼さんが食べたばかりのケーキ。蓮沼さんと同じ食べ物を食べられるというだけでも昨日までならあり得ないことだったが、目の前には蓮沼さんの食べかけのケーキがある。しかもそれを食べる本人の許可付きで。
人が口つけたものを食べることが間接キスならば、これはなんと呼ぶのだろう。間々接キスだろうか。そもそも間接というのは直接ではなく間に物をはさむという意味だからこれも間接キスと呼んでいいのではなかろうか。そんなことを考えているうちに蓮沼さんは他の種類のケーキも食べ始める。
「あ、これもおいしい。こっちもおいしい」
蓮沼さんって意外とよく食べるんだなと少し感心しながらケーキに手を伸ばす。
「ん! 本当においしい」
ケーキ屋でもなければ本格的なカフェでもないこのコラボカフェでおいしいケーキが出てくるわけがないという先入観があったが、予想外の味に思わず唸る。見た目は甘ったるそうなのだが、食べてみると甘さにしつこさがなくなんとも食べやすい。蓮沼さんが次々食べるのも納得がいく。
あっという間に食べ終わり、時計を見てみると六時近くになっていた。既にこの場に一時間近くいたことになる。
「もうすぐ六時だし、そろそろ帰ろうか」
「えっ、もうそんな時間? 最後に限定ショップ寄っていい?」
「うん」
伝票を持ちレジへと向かう。初デートの支払いは男性がすべきということを昨日検索して知っていたので、自分が全て払おうとすると蓮沼さんが食い下がる。どうしても引き下がらない蓮沼さんに仕方なく割り勘ということで手を打つ。
「限定グッズってどこにありますか?」
「妖怪友人白書の限定グッズでしたらこちらを出て左側の限定ショップにありますよ」
自分のためならば店員に尋ねるなんてできないが、他人のためとなると意外と簡単にできてしまうから不思議だ。
店を出て左に行くとすぐ限定ショップがあった。どうやら先ほどのパネルが限定ショップの目印だったようだ。
「妖怪友人白書のグッズがたくさんある!」
コラボカフェに隣接する一角がすべて妖怪友人白書のグッズでうめつくされた限定ショップに興奮を隠せない蓮沼さん。キーホルダーやストラップ、クリアファイルをはじめデフォルメされたミニフィギュアやぬいぐるみまで様々置いてあり、あまり詳しくない俺でも目移りしそうだ。
蓮沼さんは、俺の存在を忘れたようにあれもいいな、これもいいなと商品を手に取り迷っている。俺は蓮沼さんに気が付かれないように商品を二つ手に取るとレジへと向かう。
会計を済ませて戻ってくると蓮沼さんはまだ商品を手に悩んでいた。
「決まった?」
「うーん、どれも欲しいんだけど……ところでどこ行ってたの?」
「えっ? と、トイレ?」
「へぇ。トイレかぁ。ふーん」
「そ、そ、そうそう」
俺はなんとか誤魔化すと蓮沼さんは迷いに迷った末、クリアファイルを購入した。
「今日はありがとうね」
お店を出て駅に着いたところで改めてお礼をする。
「私の方こそありがとう。楽しかったよ」
「あの……もし良かったらこれ――」
先ほど買っておいた商品の入った袋を手渡す。
「なに?」
少し驚いたような顔をしながらも蓮沼さんは袋を受け取る。
「開けていい?」
「いいよ」
蓮沼さんは丁寧に袋の口についているシールを剥がすと中身を取り出す。
「あっ、醍醐と國安だ。なんで私がこれ買わないって分かったの?」
「うーん、何となくかな?」
「本当に? いいの? もらっても」
「いいよ。今日のお礼だから」
「ありがとう」
蓮沼さんの純粋に喜ぶ顔を見てこちらまで嬉しくなる。この笑顔が数百円で見れるのならいくつでもプレゼントしたい気分になる笑顔だ。しかし眠りにつけばいつか目が覚めるように夢に見た蓮沼さんとのデートにも終わりの時はやってくる。蓮沼さんは学校の向こう側、俺は電車に乗って逆方向。正反対の方向にある自宅を恨めしく思いつつも別れを告げなければならない。
「また明日」
「うん。また明日ね」
人混みの中へ消えていく蓮沼さんの後ろ姿を見えなくなるまで見送るとスマートフォンを取り出す。
『ありがとう。蓮沼さん喜んでくれたよ』
新川にメッセージを送る。するとすぐに返信がくる。
『私に任せれば完璧なのよ。あんたじゃプレゼントなんて気の利いたことできないでしょう』
いつにも増して態度がでかいが今日ばかりは否定出来ない。コラボカフェで会計を済ます際、新川からのメッセージに気がついた。まるで見張っていたのではないかというタイミングの良さにビックリしたが、蓮沼さんが欲しがりそうな商品を選び購入してお礼としてプレゼントするという自分では考え付かないアドバイスをそのまま受け入れることにした。
購入した後になって蓮沼さんが同じものを買ったらどうしようと不安になる時もあったが、幸いにも別の商品を選んでくれたおかげで被ることは防ぐことができた。もし被っていたら、あまり興味のないアニメの商品を無駄に買ったことになってしまうところだった。
『今回“は”お前のアドバイスが役に立ったありがとう』
新川へ返信していると今度は壮からメッセージがくる。
『今日のデートどうだった?』
ワクワクというスタンプとともに送られてきたそれは、普段の壮とは別人のようだった。先日のメッセージもそうだが、現実にあまり喋らない人間ほど、言葉を発しなくていい世界ではよく喋るという法則でもあるのだろうか。
『成功って言えるんじゃないかな?』
壮にそう返すと今度は二人ほぼ同時に返信がきた。
『調子に乗んな!』
『よかったね。(๑˃̵ᴗ˂̵)و ヨシ!』
もちろんかわいい顔文字入りが壮である。文面だけ見れば前者が男で後者が女のように見えるが、現実とは非常でその逆である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
風呂というのはどうして歌を歌いたくなるのだろうか。コンサートホールのように音が絶妙に反響するため、上手く聞こえるからだと聞いたことがある。もっとも今日は、それだけではない。夢にも見なかったことが突如として現実のものとなった日だ。クラスで人気ランキングを作るとすれば一位、二位に確実に入るだろう蓮沼さんとデートをしたのである。数日前までは考えられもしなかったことだ。遊びに行くどころか話したことすらなかったのにも関わらずだ。しかし口から出てくる歌は、少し儚げで悲観的な歌ばかりである。蓮沼さんとのデートは今までの人生で一番の喜びと言ってもいいかもしれない。だが同時に心の奥で、デートってこんなもんかという落胆が見え隠れする。
教室で見る蓮沼さんは、可憐で清楚でいつも明るいのにどこか儚げな感じの不思議な子だった。そこにいるのにそこにいないような、明るいのに暗いような、二面性というのだろうか、仮面をかぶっていそうな雰囲気があった。
周りは自分を出しているように見せかけているのに、蓮沼さんだけは上手く隠しきれていないその不器用さに好感を抱いていたのかもしれない。もしかしたら遠目に見ている自分だけが蓮沼さんの仮面の下を垣間見て特別な思いを抱いただけかもしれない。いずれにせよ今日の蓮沼さんは俺が興味をもった蓮沼さんではなかったような気がする。
蓮沼さんは、蓮沼さんであって蓮沼さんでしかない。蓮沼さんは、いつも通り美しく、いつもよりもきれいな笑顔だった。それを見て違うと思うのは間違っているのかもしれない。
そんなポエムめいたことを考えながら風呂を上がり、自分の部屋へと戻るとスマートフォンの画面が点滅し、メッセージがきていることを示していた。
『明日、第二回作戦会議を開催したく』
『明日の放課後部室に来ること!』
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