第二話

 人はいつでも変わることができる。

 変わるのに遅すぎることはないと言うが、たかが一晩で人生が百八十度変わるはずもなく、朝起きても俺は俺のままだった。

 昨日、DT卒業を決意したものの一人でDTを卒業できるはずもなく、ネットで色々とググってみたもののこれだというものは見つからなかった。また明日頑張ればいいやということで現在に至っている。

 高校の図書室。

 他の高校の図書室を見たことはないが、どこにでもありそうな図書室である。

 図書室に来れば解決策が見つかるのではないかと根拠の無い自信を抱いていたが、いざ図書室にきてみると、ふと不安が過る。俺は、『脱DTマニュアル』とか『完全攻略マニュアル――100%女を落とせる方法――』というような類の本がないか探しに来たのだが、教育に全くもってよろしくなさそうな本を学校が購入するだろうか、購入しようとしても正義の番人・教育委員会が止めそうなものだ。

 しかし現実とは不思議なもので探してみると参考になりそうな本はいくつも見つかった。

 一番初めに見つけたのは『高校生のための保健体育』というそれっぽい名前の教科書だ。読んでみると、教科書らしく、男女の身体の違いや性交渉についての教科書的な記述はあるが、どれも必要最低限、教育的に書かれているだけだった。もちろん性交渉を行うための相手の作り方や探し方が書いてあるはずもなく俺の役に立つものではなかった。

 その後、本を探して棚から棚へ移動していく。

街の本屋なら機械で簡単に検索できるのかもしれないが、うちの学校の図書室にそんなハイテクなものがあるはずもなく、図書室のパソコンで検索をかければすぐなのかもしれないが、探している本が本だけに検索しづらい。また図書係の生徒に聞けるはずもなく、自分でひたすら探すしかない。

 気が付くと推理モノの棚まで移動してきていた。何度も読んだことのある名探偵ホームズシリーズを見つけ手に取る。

 もしこれが恋愛小説ならここで同じ本を取ろうとした女性が現れて、手と手が触れ恋に落ちる的な展開になるのだろうが、俺の人生にはそういったイベントはないらしい。

 いるはずもない女性の姿を期待しつつふと周りに目をやると、

『這いよれ! ラブ子さん』

『初恋は異世界のなかで』

『俺のDTと幼なじみが絶倫すぎる』

『DT俺の無職生活ニートライフ

『魔法使いの不要器官ユースレスソード

 といういかにもDTに関係しそうなタイトルの本がいくつもあることに気がつく。

 推理小説しか読んだことがない俺に読めるか不安だったが、意外にもスラスラと読み進めていくことができた。宇宙人が突然やってきて主人公のDTが狙われる話、DTのまま死んだ主人公が異世界転生して彼女を作る話、DTなのになぜか絶倫という話、等々。途中流し読みすることもあったが、どれも非常に読み応えがあり面白かった。

 だが、最初からモテモテだったり、彼女がいたり、ハーレムを築いていたりとゼロからはじめなければならない俺に役立ちそうなものは見つからなかった。

「収穫はなしか」

 読んでいた本を閉じ、積み上がった確認済みの本の山の上に載せる。長時間の読書で緊張した首や肩の筋肉をほぐそうと伸びをするとミシミシという音とともにちょっとした快感を覚える。

 先ほどまでいたはずの周りの生徒はいつの間にかいなくなり、図書室の窓の外は既に暗くなり始めているのが見えた。

「もうこんな時間か」

 図書館の壁にかかった時計を確認すると時計の針は六時を示そうとしていた。

 急いで本を元の位置に戻し、自分の荷物をまとめると人の少なくなった図書館を後にする。

 校舎の端に位置する図書館を後にし、下駄箱へ向かうと廊下の角を曲がろうとした時、急に現れた人影が現れた。

「うおっと」

 俺が驚きの声を上げるのと同時にその人影は俺の腹部にぶつかり床に倒れこむ。

「いたたぁ……」

「すいません。大丈夫ですか?」

 床に倒れた人物をよく見ると制服ではなくなぜか浴衣を着ている。

 長い黒髪が倒れたせいか少し乱れていて、よく見ると浴衣も少しはだけ気味になっている。俺は差し出しかけた手をそのままに思わず目を背けてしまった。

「…………あのう……」

 消え入りそうな囁く声に振り返るとその子は、上目使いで俺の方を見て手を伸ばしている。

「あ、ごめん」

俺は慌てて手を伸ばしてその子の手を掴み、引き起こす。か細い指は力を入れると折れそうで、しかし暖かくて心地の良い手だった。

「あり……がとう……公平くん」

「え、あっどういたしまして……ってなんでオレのことを知ってるの!?」

 俺にこんなかわいい女子の知り合いはいないはずだ。頭の中の友達リストはもちろん知り合いリストや顔見知りリストも確認したが、こんなかわいい知り合いはいない。

「……えっ……、ボク…………、壮……」

 壮? 「壮」という名前で再び頭の中のリストを検索してみる。高校だけじゃなく中学校、小学校と遡ってみるが、そんな女子は知り合いにいない。

「…………」

 俺が戸惑っていることに気づいたのか、その子はそう言うと突然髪の毛を取り外した。いや正確には取り外したのはカツラだろう。

 美少女の下から現れたのは美少女だった。髪こそロングからショートカットになったが、顔が急に変わるはずもなく清純派の美少女がボーイッシュな美少女へと変わっただけだった。

 だがそのボーイッシュ美少女にはたしかに見覚えがあった。俺と同じクラスだったはずだ。

 何度か話したこともある。と言ってもその子は声にコンプレックスがあるらしく授業中に当てられても聞こえないほどの声でしか喋らないため、俺が一方的に話しかけただけではあったが。

 しかし、俺の記憶が確かなら男子だったはずだ。一体いつの間に女子へとクラスチェンジしたのだろうか。

上妻壮こうづまそうさん……くんだっけ?」

 俺が名前を呼ぶと上妻は無言のまま、うんうんと首を縦に振り眩しいくらいの笑顔をこちらに向けてくる。どうやら男子であっているようだが、この笑顔は男心をくすぐられる。

「なんでそんな格好をしてるの?」

「…………えっと…………活」

「え?」

「……部活」

 浴衣を着る部活がうちの学校にあったとは不覚……。じゃなくて、

「いや、なぜ男物の浴衣じゃなくて女物を着てるのさ。しかもカツラまで? もしかして演劇部とか?」

 人と話すというよりも言葉を発するのが苦手な上妻が演劇部とはかなり意外だ。

 上妻は勢い良く首を左右に振り、

「…………茶道……」

 と一言つぶやく。

「茶道部?」

 上妻はうんうんと頷き、再び笑顔になる。

 確かに茶道部ならそれっぽく浴衣を着ることがあるかもしれない。しかし気になることはまだあった。

「でもさ、なんで女物の浴衣着てカツラまで付けてんの?」

 上妻は大きく首を振りつぶやく。

「……ちがう」

「え? なにが違う?」

「……ッグ……ウィッグ……」

 今までにない表情で、俺の気のせいかもしれないが、少し睨みつけるような視線を送ってくる。

「ウィッグか。ごめん、ごめん。で、なんで?」

 壮には俺の分からないこだわりがあるらしい。壮は、ほとんど喋らないし囁くような小声なのでてっきり気の弱い自己主張しない人間だと思っていたが、そうでもないらしい。

「……先輩…………着せ……れた……」

「先輩に無理矢理着せられたのか!?」

 俺の心を怒りのようなものが支配していくのを感じた。

例え男子だったとしてもこんなにかわいい子に無理矢理着せるなんて!

「部室は?」

「……ぇ?」

「茶道部の部室は!?」

 語気を強め聞くと壮は恐る恐る部室の場所を指し示す。俺は壮の手を引きその方向へと廊下を進んでいく。

 小説を読んで気が大きくなっていたせいだろうか、俺は普段ならば絶対にしないようなかわいい子のために立ち上がるというまるで物語の主人公のような愚行に出てしまった。

【和室(茶道部部室)】と書かれた札のかかった部屋の前までやってくると俺は深呼吸する。壮が俺の制服の裾をちょんちょんと引っ張ってくるが、そんなのは気にせずドアをノックする。

「失礼します!」

 礼儀正しく、しかし少し威嚇を込めてドアを勢い良く開ける。

 目の前に広がっていたのはかわいい後輩男子をイジメる不細工な先輩が支配する醜い世界ではなく、逆に浴衣を着た美少女たちが集う小説やマンガの中のような楽園でもなかった。

 下着姿の女の子たちが普通に着替えをしていた。

 なぜ部室で女子生徒が着替えをしているのか分からない俺だったが、見てはいけない物をみてしまったと一瞬で悟り、「きゃっ」という悲鳴がするよりもわずかに早くドアを閉めた。

 俺はしばし呆然としてその場に立ち尽くした後、もしかして女子更衣室と部屋を間違えたのではないかと思い部屋札を確認するが、確かに【和室(茶道部部室)】と書かれていた。

 どうしたものかと思案していると目の前のドアが開く。

「ちょっと入ってくれる?」

 上級生と思しき女子がワイシャツ姿で現れる。

 夏服に切り替わっていない今、貴重な女子のワイシャツ姿に豊満な胸が透けている。透けていると言っても当然下着をつけている。それでも普通なら喜ぶべき場面なのだろうが、直前にワイシャツの下の秘めた肢体を見てしまった衝撃と彼女の平静さを保った声が逆に恐ろしくそれどころではない。

 俺は促されるように部室に入ると部室内の視線が一斉に俺へと注がれる。あからさまな軽蔑の視線だ。

「そこに座って」

「え?」

「そこ。座って」

 先ほどの先輩女子に命令されるがままに部室の真ん中に胡座をかいて座る。

「そこは正座やろ」

 と先輩女子の背後から現れた女子2。

 先輩女子とは真逆の胸を持っている。いや持っていないと言った方が正確だろう。 先輩女子よりもワイシャツのボタンが多く開いているが、谷間が見える気配はない。

「犬だってもう少しちゃんと反省するで」

立て板のような胸を持つ女子2は俺を見下しながら責め立てる。

 どうやら俺は反省をさせられているらしい。

「あ、あれはアクシデントで……」

「あん? アクシデント言うたら人の裸見てもええんか!? ふつーそこは『すいません』やろ」

 反論の余地もない。

「……すいません」

「すいませんで済むと思うてんの? 土下座や土下座。土下座のやり方くらい知っとるやろ」

 女子2は胡散臭うさんくさい関西弁を話しながら近づいてくる。女子2は座り込んだと思うと俺の顎を掴み持ち上げる。

 ヤンキードラマの見過ぎだろと思いつつもこちらに負い目がある以上、あえて抵抗しなかった。決して怖くて身体が動かなかったわけではない。

新川しんかわさん、なにもそこまでしなくても……」

 先輩女子が女子2のことをなだめようとするが、女子2は俺を睨みつけたまま動かない。

「こいつ私の裸を見たんですよ!?」

「それは下着つけたままで良いって言われてるのに「浴衣を着る時は下着つけない」とか言って脱いじゃったあなたも悪いんじゃない?」

「でもこいつが覗かなきゃ……」

 俺の名誉の為にも言わせてもらうが、俺はこの新川とかいう女の胸は断じて見ていない。ドアを開けたのは一瞬だったし、どちらかと言うと先輩女子の胸に気を取られて他の女子はほとんど目に入っていなかった。

「先生に言いつけてやろうかしら」

 先生に言いつける=変態扱い=高校生活終了=一生DTという謎公式が頭をよぎった。

「み、み、見てないと言うか、見えないと言うか……無い袖は振れない? みたいな……」

「!?」

 慌てて口にした言葉は怒り心頭の新川をさらに怒らせる。

 俺は新川と目線が合わさないように視線を落しやり過ごそうとする。と見てはいけない物が目に入ってきた。

 新川の大きく胸元の開いたワイシャツの隙間から新川の胸部が見える。先輩女子ならば下着と胸がピッタリとくっつくのだろうが、サイズが合っていないのか立板胸の新川の胸と下着の間には大きく隙間が開き、見えてはいけない突起が目に入る。太った男子よりも胸囲は小さいくせにその突起はこれでもかと自己主張をしている。

 初めて見るそれに俺の顔が自然と赤くなっていくのが自分でも分かった。新川も気がついたのか、俺の顎を持っていた手を離し自分の胸を慌てて押さえる。

「見た?」

「…………」

 俺の無言を肯定と受け取った新川は右手を大きく振り上げる。

 平手打ちされる。咄嗟にそう思った俺は、目を瞑り、舌を噛まないように歯を食いしばる。

 が、いつまで経っても頬に衝撃が走らない。

 代わりに胸を押され後に倒れる。とっさに手を出して身体を支えたので頭を打つことはなかったが、虚を突かれ唖然とする。

 新川は無言で部室の奥へと下がっていく。

「ああ見えて女の子なのよ」

 先輩女子がきょとんとしている俺に小声で説明をしてくれる。

「男みたいな胸ですいませんね!」

 新川は後を向いたまま反論する。

「それでなにをしに来たの?」

 俺が起き上がり再び正座を使用としていると先輩女子が質問してくる。

「え? あー、はい。えっと」

「上妻くんのこと?」

「えっ? はい」

「上妻くんなら男よ」

「知っています」

「だからあなたと付き合うのは無理なの」

「確かにかわいいですけど――」

「まさか男でもいいというの!?」

 部室がざわざわし始める。

「そうじゃなくて――」

 他の部員が「そっち系?」「のぞき魔だから両刀かも?」など勝手な噂話を始めるのを無視して続ける。

「なんで壮――じゃなくて上妻が女物の浴衣を着せられているんですか!」

 再び「今「壮」って言ったわよ」「そういう関係」という声が聞こえるが、無視を決め込む。

「かわいいでしょ?」

 先輩女子はまるで自分が褒められたように嬉しそうだ。

「かわいいのは否定しませんが、上妻は男子ですよ。無理矢理女物を着せないでください」

「無理矢理?――」

 先輩女子が笑うのをきっかけに部員全員が笑い出す。

「――っ、無理矢理なんて着せてないわよ。ねぇ上妻くん?」

 先輩女子は目に涙を浮かべながら壮に尋ねる。

「…………」

 壮はうんともすんとも言わない。

「ほら、嫌がってるじゃないですか」

「これは嫌がってるんじゃないわよ。上妻くん浴衣嫌だった?」

「…………」

 壮は無言だが、首を横に振る。

「ほら嫌がっていないでしょ?」

「だけど……」

「この女子だらけの茶道部で一人だけ男物の浴衣っていうのも浮くと思わない?」

 改めて部室を見渡して見ると女子しかいない。男勝りのやつは一人いるが……。

「だけどカツ――ウィッグまで被せるのはやり過ぎじゃ……」

「あー、あれのこと。あれは茶道の一貫なのよ。難しいかもしれないけど一応説明してあげるわね」

 先輩女子は、オホンとわざとらしく咳払いすると急に口調を変えて説明を始めた。

「茶道の心得には「四規」というものがあります。「四規」とは「和敬清寂」といってそれぞれに深い意味があるのです。

「和」は、和合、調和、和楽を意味します。つまりお互い仲良くするという事ですね。

「敬」は、他を敬愛する心を意味します。

「清」は、清潔、清廉を意味します。見た目だけでなく心の清らかさの事です。

「寂」は、寂静、閑寂を意味します。どんな時にも動じない心を指します。

 つまり、私たちはね、上妻くんに女物の浴衣を着ることで女だらけの私たち茶道部の一員となってお互いに仲良く尊敬する心を育み、ウィッグをすることで女性としての清廉さを身に付けると同時に何事にも動じない心を身に付けてほしいと思ってるのよ」

「お、おぅ……」

 なにも言えなかった。門外漢の俺はそれっぽいことを言われれば反論のしようがない。

 俺は助けを求めるように壮の方を見るが、壮は困ったような表情を浮かべているだけだった。

「上妻はそれでいいのか?」

「…………いい。……ボクを唯一…………仲間……に……入れてくれたところ……だから」

「そうか……」

 壮にも壮の事情があるのは十分に分かった。

 他人から見れば変わっていると映ることであっても自分にとっては大事なことというのはある。人と違っていることが避けられる世の中で人と違っていられるというのは凄いことだと思う。特に俺は、小学校以来、他人と違うことを避けてきた。周囲から浮かないように協調性を重視するあまり、いつの間にか周りに同調してばかりになって、そして空気になっていった。だからこそ周りから浮く勇気を持っている人は尊敬するし、陰ながら応援したいと思っている。

「ごめん、俺が悪かったよ。勝手に勘違いして、勝手に突っ走って、部活の邪魔までしちゃって本当に申し訳ありませんでした」

 入室以来正座をしたままの俺は、そのまま前方に身体を倒し謝る。所謂土下座だ。

 土下座をするのに抵抗はあるが、謝るべき時には謝る。特に今回は故意はなく、過失といえるかも微妙だが、半裸姿を見たのは事実だ。きっと傷つけたに違いない。土下座くらいしないと人として負けな気がした。

 そんな俺の心の葛藤を知ってか知らずか、俺が顔を上げると先ほどの新川という女子が前へ出る。

「情けな、ほんま情けな。プライドっちゅうもんはないんか。もう見てられんわ。私帰るから」

 余裕を取り戻したせいか、再び妙なアクセントの関西弁で話し出す。部室のドアへ向かう途中、わざわざ一旦振り向き俺の足を踏みつけてから部屋を後にした。

「うっ!」

 電気が走ったような声にならない衝撃が俺の両脚を襲う。一気に血が足先へと広がっていくのを感じながら俺は畳に倒れこんだ。

 あまりにも長時間正座しすぎたせいで足が痺れたのだろう。

「大丈夫?」

 先輩女子が優しく話しかけてくる。今そんな風に優しくされたら恋してまうぞ。新川の似非えせ関西弁が移ったのか心の中でツッコミを入れながら答える。

「だ、大丈夫です。足が痺れただけなんでもう少しすれば……」

「そっか、私たちでもたまになるからね。だけどもう私たちも下校時刻だし――」

 そこで先輩女子はなにかを閃いたように掌を拳で打つ。

「じゃあ今日の罰ってことで戸締まりよろしくね」

 そういうと先輩女子は倒れている俺の目の前に鍵を放り投げ、部員を連れて出て行ってしまった。壮は最後まで俺を心配そうに見つめていたが、他の女子の「壮も行くよっ」という声に何度も後を振り返りながら部室を後にした。

 それから何分経っただろうか。大勢人の居た部屋から急に人がいなくなり、耳鳴りのする部屋で俺はじっとこらえた。


 小学校の夢を見て以来ろくな事がないな。おはらいでもしてもらったほうがいいのだろうか。

 というか、真弥が脱DTなんて言い出すから悪いんだ。あいつがあんなこと言わなければ俺が図書館で調べ物をすることなんてなかったし、壮とぶつかることもここに来ることもなかった。

 だけど、それがなければ女子の下着姿を一瞬とは言え目にする機会なんて一生なかったかもしれない。


 狭い部屋に一人きりになり、何事も起こらない凪のような人生が急に荒れ始めたことを再確認しているとようやく足の痺れが取れてくる。

 壁に手をつきながら立ち上がり、なんとか部室を後にした。

 もちろんしっかりと鍵を閉め、律儀にも職員室へ行き、鍵のいっぱい掛かった場所に返してから帰路へとついた。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 翌日、いつも通り学校に来て、いつも通り授業を受けていると休み時間に珍しく他人に話しかけられた。普段人とあまり目を合わせないように下げている目線を上げるとそこには壮が立っていた。

 当然ながら昨日とは違って制服を着ている。もちろん男物だ。

しかし昨日の姿を見ているからだろうか、どこかかわいらしく感じられる。

「ど、ど、どした?」

 不意の訪問に声を詰まらせる。

「……昨日…………ごめん……」

 周りに人がいるせいか、いつもよりも小声だった。

「別に気にしなくていいよ。俺が勘違いしたのが悪いんだし」

 壮が申し訳なさそうにしているとこちらまで申し訳なくなってくる。

「だけど……がとう…………うれし……かった……。……だから、なにか……したい……」

「なにかしたい」聞く人が聞けば勘違いを起こしそうな言葉だ。まして相手が壮となればその危険性は一段と高くなる。

「なにかって言われてもなぁ……」

 突然、願いを一つ叶えてくれるという話が舞い込んだとして、すぐさま答えることのできる人間はどの程度この世の中にいるのだろうか。

「なんでも」と言われても、応える側が人間である以上、その「なんでも」には必然的に制約が出てくる。その制約を考慮した上での回答をしなければならない。しかも相手との関係が続くとすれば、それも考慮した回答でなければならないという新たな制約も出てくる。

 もっとも「別にいいよ」なんて言おうものなら、昨日確認した通り自己主張が強い壮のことだ、「なにか言え」と食い下がってくるに違いない。食い下がられるならまだいいが、失望されるのは避けたい。

 壮は俺にどこか好意を持ってくれているような気がする。とすれば壮は俺にとってこの高校において貴重な存在であることは間違いない。不本意ではあるが、この学校で俺と仲良くする程度に好感を持ってくれているのは真弥だけだった。それが倍になるのだから歓迎せねばならないだろう。

「う~ん、「なにか」か……。なにか、なにか、なにか……」

「……なやみ……とか……」

 俺が困っているのを見て壮が質問を変える。

「悩みなら――」

 ここまで言って俺は「しまった」と思ったが、もう遅かった。

 壮は目を輝かせ、無言で早く悩みを話せと要求している。

『脱DT』

 こんな話を壮のような男とは言え、かわいい人間に話していいものだろうか?

 こんな話をして引かれないだろうか?

 実は、壮はこう見えて女キラーで数多くの女を落としてきた実績の持ち主――な訳はないか。

 などと考えている間にも壮はうるっとした瞳でこちらを見つめてくる。

「実は――」

 俺は話すことにした。もちろん『脱DT』と直接表現するのではなく『彼女』を作りたいと表現を変えて。

 壮はかわいい顔をしているので昨日は思わなかったが、よく考えてみると女子だらけの部活に男子一人という実に羨ましいシチュエーションにいる。昨日図書館で読んだ小説の主人公と似たような立ち位置だ。女子との会話のコツとか、女子にモテる方法とかを実は知っているかもしれないと俺は考えたからだ。

 俺が夏休み終わりまでに彼女を作りたいというと壮は少しビックリした後、困っているような、それでいて悩んでいるような複雑な表情をし、次になにかを閃いた表情へと変わった。

「……分かった」

 壮は一言そう言い残すと教室を後にした。

それ以来、壮は授業間の休み時間に話しかけてくることはなかった。そして放課後になり、壮とのやりとりなどすっかり忘れ、久しぶりに自宅へ直帰しようと準備をしていると背後から誰かに話しかけられた。

 びっくりして振り返るとそこには壮が立っていた。

「…………」

 無言のまま差し出された物を受け取ると壮はどこかへ走り去ってしまった。

 手には一つの封筒。水玉模様でキャラクター等は書かれていないがシンプルでかわいらしい女の子が使いそうな柄だった。

 宛名は書いていない。開けていいものだろうかとも思ったが、封はされていないので中を確認してみる。

 封筒の中からはこれまた女の子らしい便箋が出てきた。封筒と同じ水玉模様で縁取られたもので、誰かが書いたノートを破っただけの手紙とは大違いだった。

 便箋には一言「部室まで来てください」ときれいな丸文字で書かれていた。

 ここで俺はハッとして辺りを見渡す。今のシーンを冷静になって考えてみるとまるで俺が壮からラブレターを貰ったようにも見える。というか、手紙を渡した後に走り去ったところとかそうとしか思えない。周囲の生徒はそれぞれに思い思いの生徒と楽しく談笑していたり、俺と同じくそそくさと帰り支度をしたりしていた。すでに教室を出たやつらもいる。空気のような存在の俺に注目する人間などおらず、幸いにも誰にも見られていないようだった。

 俺は手紙を封筒に戻し、そっとカバンに入れると部室へと向かった。

 昨日も通ったはずなのにとてつもない道程に感じた。

 あの手紙は一体どういう意味なのだろうか。

 まさか――告白!?

 いやいや、壮は男だぞ。

 とすると、どういうことだ?


 俺はすでにオーバーヒートしそうな脳みそをフル回転させる。

 もしかして茶道部の誰かが俺のことを好きになったとか……?

 ありえないか……。

 まさか、これが噂に聞くドッキリというやつだろうか? 友達に偽物のラブレターを出し、友人がワクワクしながらやって来たところで嘘だったと明かすという……。

ないか。

 壮はそんなこと思いつくようなやつじゃないし壮にそんなことをさせそうな友人もいない。

 じゃあ一体……。

 俺の頭がショートしたところで部室に到着する。

 昨日とは違った緊張感が支配する中、恐る恐るドアを開ける。

 そこに居たのは壮ともう一人予想外の人物だった。

「やっと来たの? 遅っそ」

 開口一番、で新川が文句を垂れる。

 それとは対照的に壮はニコニコとしている。

「で、なんの用?」

 人生初のラブレターを受け取ったのでは? という僅かな可能性を踏みにじられた俺が不機嫌そうに尋ねると、新川が同じく不機嫌そうに応える。

「は? あんたのために来てやったのになんなのその態度?」

 いまいち状況の掴めない俺は「どういうことだ?」と壮の方を向くと一触即発気味の俺たちを見てアタフタとしていた。実にかわいい。

「これはどういうこと?」

 俺が壮に尋ねると、壮はいつもよりしっかりとした口調で話しだした。

「公平……くんが、困ってる……から……みなみちゃんに頼んだ」

 壮は新川になにを頼んだのだろうか。ショートしている俺の頭を考えが巡る。すると碌でもない答えが導き出された。

「まさか、俺がこいつを彼女にしろと?」

 確かに俺は夏休み終わりまでに彼女を作らなければならないと壮に言ったが、だからと言ってどんな女子が相手でもいいわけじゃない。俺だって彼女にする女子を少しくらいは選びたい。

「あ、あ、あ、ありえへんやろ! そんなわけあるかボケ」

 東京人の俺が聞いてもわかる似非関西弁がイラつき度を増幅させる。

「じゃあなんでお前がいるんだよ」

「お前、お前って私には新川みなみっていう名前があるの! みなみ様って呼びなさいよ」

 確かに言われてみれば「お前」というのはあまりにも馴れ馴れしかったのかもしれない。しかし「様」を付けるなんて論外。「さん」すら付けたくない。「みなみ」も馴れ馴れしいし、「新川みなみ」も呼びにくい。

「で、新川はなんでここにいるんだ?」

 結局「新川」と呼び捨てすることに落ち着く。

「私は頼まれたのよ」

「誰に? なにを?」

「壮くんに、上妻くんがモテなさすぎて歪んだ性格がねじ切れそうだから助けてあげてって」

 壮のやつ裏切ったな。そう思い壮を睨みつけようとしたが、壮は屈託のない笑顔でこちらを見ていた。これは責められない。

「壮くんに八つ当たりしないでくれる? 壮くんは、自分ができる最善のことをしたまでよ」

「新川に相談することのどこが最善なんだよ」

 新川はない胸を目一杯張って自慢気に応える。

「私は見ての通りモテモテでね。ラブレターだってもらったことあるのよ」

 俺は一瞬嘘だとも思ったがすぐに思い直す。嘘ならもっとマシな嘘をつくはずだ。こんなバレバレな嘘っぽい嘘をつくはずがない。

だがしかし、新川にラブレターを書いたやつはきっと一目惚れだったに違いない。そうでもなければ実際に会って話してみればすぐに化けの皮が剥がれる女にラブレターなんぞ書くはずがない。

「で、何回だ?」

「へ? か、か、回数は関係ないやん! ラブレターをもらったという事実がじゅ、じゅ重要なんや。知ってるか、ラブレターっちゅうもんはな読むのは数秒、散るのは一瞬やけど書くのはごっつい大変なんやで」

 突然謎の関西弁が再発する。

 ただ言っていることは間違っていないと思った。俺がラブレターを書いたのはこれまで一回だけだが、考えて書いては消してまた考えてを何度繰り返しただろうか。たった数行の文章を書くのがあんなに大変だったことは前にも後にもその時だけだ。

「へぇー、そうなんだ。じゃあ新川も書いたことあるんだ。ラブレター」

「!?」

 新川は一瞬しまったという表情を浮かべたが、すぐさまなにもなかったように振る舞う。

「は? 私がラブレターなんか書くわけないやん。私は受け取る専門や、受け専や!」

「受け専って違う意味に聞こえるぞ」

「は? じゃあどういう意味よ」

「知らないほうがいいと思う……」

「あっそ。そんなことより、私の経験に裏打ちされた貴重なアドバイスを聞きたいの? 聞きたくないの?」

 もう少し突っ込めばもっとボロが出そうだったが、今日は止めておくことにした。 新川に裏打ちするほどの経験があるとは思えなかったが、女子目線の意見は聞いておくべきだろう。例えこんなやつの意見であっても女子の知り合いがいない俺には非常に貴重だ。

 ふと俺は、新川とのやりとりの間にいつの間にか冷静さを取り戻している自分に気がつく。学校でこんなにバンバン会話をしたのはいつ以来だろう。これが友達同士の会話というやつかも知れないと思うと新川の傲慢な態度も少し許せるような気がしてきた。

「それでは新川大先生ぜひご教授よろしくお願いします」

 心の全くこもっていない棒読みでお願いをする。

「最初から素直にそう言えばいいのよ」

「はいはい、すいませんでした」

 新川はわざとらしくコホンと軽く咳払いすると真面目な顔をして話し始める。

「好きな人は?」

「へ? なんでお前に言わなきゃいけないんだよ」

「は? 相手が分からなきゃどうしようもないじゃない」

 一理ある。というか新川のほうが百パー正しい。

「いない」

 ヤりたいし、彼女はできるなら欲しいが、好きな女子がいるかと聞かれるといない。そもそも女子との接点もないし、男女問わずなるべく接点を持たないようにしてきたためクラスの女子の顔すらほとんど覚えていない。

「気になる子は?」

「いない」

「よくそんなんで彼女作りたいなんて言えるわね」

「なんかこうさ、誰でも簡単に彼女ができるひみつ道具とかないの?」

 俺が冗談でこういうと予想外の反応が返ってきた。

「そうそう、こうシュッシュッと振りかけるだけで異性にモテモテになる香水みたいなものが――ってそんなもんあってたまるか!」

 おう……、ノリツッコミ……。

 似非関西弁の次は、よく分からないノリツッコミ。この子大丈夫だろうかと心配になる俺だったが、存在を忘れかけていた壮は、声を殺したまま腹を抱えて笑っていた。

「じゃあさ、学校でも学校外でもいいからかわいいなと思う子とかいないの?」

何事もなかったかのように新川は話を戻す。

「う~ん」

 考えてはみるのだが、俺の中にある人物メモリの女子は希少性が高くほとんど数がない。しかも新川の存在を知ったことで元々女子との記憶はほとんどなかったが、多くが吹き飛んでしまった。メモリテロリストと呼んでやろうか。

「じゃああんたの好きな子のタイプ、とかは?」

「タイプか――かわいくて優しくて一途で普段はしっかりしているんだけどまたにドジっぽいところがあって、あ、あと料理が得意な子かな」

 俺が常日頃思い浮かべている理想の彼女像を挙げる。

「…………」

「どうした?」

 急に無言になった新川を見る。

「そんな女が存在するわけないやろ!」

「そ、そんなの言われなくても分かってるよ。新川お前が好みのタイプを言えって言うから言っただけじゃないか」

「はあ、じゃあ譲れないところを一箇所だけ挙げて」

 譲れないポイント。

 理想が所詮理想でしかないことは十分理解している。理想のうち何かは絶対に欠けるものだとは思っていたが、一つだけしか選べないとなるとなにを選べばいいのだろう。

 いや、そもそも俺はDTを脱したくて行動してきたのではないか? ならばかわいい女の子なら問題ないのではないだろうか?

 いや、いくらかわいくても新川みたいな女が相手だと後々後悔しそうだ。それに  DTの俺が上手くできるのだろうか。リードしてくれる女の子の方がいいのではないだろうか。

「優しい人がいいです」

「優しい、ね。優しいってのは良いことばかりじゃないんだけど……まあいいか」

 だが、どういう意味か聞く間もなく新川が次へ進める。

「じゃあ優しい人を探しましょう」

「どうやって?」

「さあ?」

 てっきり新川にはなにかアイデアがあるものだと思っていた。

「「さあ?」っておい!」

「だって『優しさ』なんて主観でしかないじゃない? あんたにとっての『優しさ』を私がどうやって知るのよ?」

「なんかさ、こうあるだろ? 困ってる人をほっとけないとか、優しそうなオーラが出てるとか」

 すると新川は話にならないと言わんばかりに首を振り、匙を投げるように壮へと振った。

「ねえ、壮くんは『優しそうな人』知らない?」

 壮は突然話題を振られて驚いたような顔をしたが、すぐに考えこむ。

「なんで壮に振るんだよ?」

「壮は心の優しい人間が分かるんだってさ」

「は?」

「……ボク分かる」

「え、本当に? なんで分かるの?」

「…………ボクの声を聞いても馬鹿にしなかった」

 確かに壮の声は非常に特徴的で男子にしては高すぎる声ではある。それをコンプレックスに持っているのか、壮は人とあまり喋らないし、授業中に当てられても囁くようにしか話さない。

「……公平くんも新川さんも馬鹿にしなかった」

 言われてみると初めて話した時には壮の声が男子にしては高いなとは思ったが、それ以上に変だとは感じなかった。というのも、壮と話す前に真弥と偶然会っていて、異常なテンションでの会話に付き合わされていたため、壮の高い声ぐらいでは驚かなかっただけだ。

「まあ、あんたが『優しい人』ってのは疑わしいけど、私を心優しい人間だと見抜ける時点で壮は人を見る目があるわね」

 新川が自信満々に言った。

 俺がそれに対して言い返してやろうと思ったその時、

「蓮沼……さん」

 と突然壮が名前を言った。

「蓮沼って誰だ?」

「はあ!? あんた自分のクラスメイトの名前も覚えてないの?」

「わ、悪かったな」

「蓮沼さんって言ったら、美人でお嬢様っぽいくせにいつもニコニコして気取ってないから男子だけでなく女子からも好かれてておまけに勉強もスポーツも得意な完璧超人のことでしょ」

 そう言われてようやく俺も理解できた。

 クラスでいつも人が集まっている中心にいる人物。俺とは真逆の世界に済む人物。だけどどこか浮いているような感じのする人物だ。もちろん俺の主観でしかないが。

「あの人か……」

「嫌なの?」

「嫌っていうか……あの人の笑顔って違和感あるんだよな……」

「うわ、きもっ。そんなこと思うほどいつも観察してんの?」

「そ、そんなことあるわけないだろ。周りに人がいるから気になって一瞬見ただけだよ」

 慌てて否定するが、否定するほど怪しさを増していくことに気が付きそれ以上は言わなかった。

「てか、あんたに拒否権があると思ってんの?」

「蓮沼さんはさすがに無理だろ。あんなに美人で優しいなら好きな男子は多いだろうし」

「蓮沼さんを彼女にしたいの? したくないの?」

「……できるならしたいです。でも――」

 強い口調の新川にタジタジになりながら答える。

「無理じゃない女子がいると思ってんの?」

「え?」

「どうせ誰にいったって無理なんだろうから、当たって砕け――いや消し飛びなさい」

「消し飛んじゃダメだろ」

「消し飛んでいいのよ。消し飛べばまたゼロからチャレンジできるじゃない」

 ちょっと良い話風に言っているが、騙されてはダメだ。こいつは俺が散る様を見て笑いたいだけに違いない。

「で、どうすんの?」

「へ?」

「どうやって蓮沼さんを彼女にするの?」

「……告白?」

 俺は恥ずかしさを堪えながら答えた。すると、

「はぁ~」

 新川は呆れたような顔をする。

「あんたは彼女を作りたいって言うけどさ、まず『彼女』ってなんだか知ってる?」

「そりゃ知ってるさ。彼女は彼女だろ? えっと、その付き合う相手っていうか……」

 いざ『彼女』とは何かを説明しろと言われると上手く言葉が出てこない。

「じゃあ付き合うってなに? なんのために付き合うの?」

「何のためって……」

 何のためだろう?

「付き合ってなにがしたいの? デート? キス? ……それともしたいだけ?」

「し、し、したいってお前、ななななにを考――」

「そ、そ、そ、そんななん付き合ってるならいつかはするのが当たり前やん? 男子なんてすることしか考えてないんやろ?」

 どんどんと新川の顔が赤くなっていく。

「そりゃ――」

 ヤりたい。ヤりたい以外のなにものでもない。ヤりたいからこそ頑張ろうとしている。だけど……。

「と、ととにかく私が分かりやすく教えてあげるわ」

「な、ななにを?」

「だ、黙って聞かんかい!」

 真っ赤な顔の新川に一喝されて俺は黙った。新川に大ダメージを与えたが、その反動は俺にも致命傷を追わせていた。生まれてきてこんなに恥ずかしかったことはない。

「館林って知ってる?」

 新川は学年一のリア充、館林洋徳たてばやしひろのりの名前を挙げる。クラスが違うので直接の面識はないが、噂によればと言ってもクラスのやつらが会話しているのを盗み聞きしただけなのだが、毎月彼女が変わるほどのリア充らしい。

「ああ」

 あからさまに不機嫌に応える俺だったが、新川はそれを無視して続ける。

「館林がモテるのは知ってるよね? じゃあ館林はどうやって彼女を作っていると思う?」

 考えるまでもない。イケメンで勉強ができてスポーツ万能で家が金持ち。俺が女なら一声掛けられるだけで落ちる自信がある。

「そんなのあいつが告白すれば一発だろ」

 すると新川は期待通りと言わんばかりのしたり顔で「チッチッチッ」と言いながら人差し指を左右に動かす。

「これだから恋愛経験未経験者は……」

 とうとう経験不足から未経験へと格下げされた。

だが俺が強く主張したい。俺は片思いまでなら過去にしたことがある。たとえ片思いでも広義の意味では恋愛じゃないだろうか。と心の中で言い訳をした。

「どこがおかしいんだよ」

 事実とはいえ経験不足を直接的に指摘されるとムカっとする。

「あいつは告白なんてしないの」

「じゃあどうやって付き合うってんだよ」

「自然と付き合ってるのよ」

「?」

「館林はチャラいじゃない? だからもちろん女の子に対して「好き」とか「愛してる」とか挨拶の如く言う男よ。だけど館林は女子を体育館裏に呼び出して「付き合ってください」なんて絶対に言わないわ」

「じゃあどうやって付き合い始めるんだよ」

「あーもう、これだから……」

 あからさまにイラついた態度を見せ始める新川。

 理解できないのは新川の言う通り、俺に恋愛経験がないからなのだろうか?

「じゃあ逆に聞くけど、もし仮に万が一、100%ありえないけど例えば、あんたが見知らぬ女子、しかも可もなく不可もなくって感じの子にいきなり告白されたとしてオーケーする?」

「それは……」

 非常に悩ましい質問だ。そりゃ顔が好みで性格も良ければオーケーするかもしれないけどれど、どこの誰とも分からない人に告白されたら躊躇してしまうだろう。

「そうでしょ? よく分からない相手に告白されてすぐに「はい」なんて言えないでしょ? それなのに恋愛未経験者に限ってすぐに告白したがるのよ」

「じゃあどうしろって言うんだよ?」

 告白以外の方法でどうやって相手に気持ちを伝えればいいのか俺にはさっぱり分からない。

「相手を知りなさいよ。そして自分を知ってもらいなさい」

「相手を知る?」

「彼女にしたいのに知りたくないの? どんなテレビを見て、音楽を聞いて、本を読むのかとか休日には何をしていて、どんな食べ物が好きなのかとか、知りたくないの?」

「そりゃ……知りたいけど――」

 言われてみれば俺は蓮沼さんのことを何も知らない。見た目が美人で優しいらしいということしか知らない。というか、ほとんどのクラスメイトのことを知らない。

「――どうやって聞けばいいか分からないし……」

「雑談でいいのよ。雑談で」

「でもさ、急に話しかけたりしたら蓮沼さんに失礼じゃ……」

「どうして告白するほど好きなのに一回振られただけで諦めるの? なんでまだよく知らない相手に告白するほどの勇気があるのに相手をもっと知ろうとする勇気がないの?」

 新川の口調には鬼気迫るものがあった。まるで実体験を語っているような。

 その言葉は俺の胸にグサグサと突き刺さり、嫌な過去の記憶を抉り出していくような感じがした。

「ああ、もういいわ。私が明日までに脚本を考えてあげるからその通りやりなさい」

 新川が締めに入ろうとしているのを感じふと時計を見ると結構な時間が経っていた。

 早くしないと他の部員が来て部活動が始まるのだろう。

「今日はありがとな」

 俺は自分の荷物を持つとそそくさと部屋を後にしようとする。

「なに? そんなに早く帰りたいの?」

「だって部活があるだろ? 部外者の俺がいたら邪魔だと思ってさ」

 慣れない他人との会話でひどく疲れたから帰りたかったというのもあるが、邪魔をしたくないというのも事実だ。

「部活? 今日は休みよ。どっかの誰かが部室の鍵を部室専用の鍵置き場じゃなくて教室用の鍵置き場に掛けておいてくれたおかげでね」

 もしかして俺のせいか?

 昨日俺は職員室に入ってすぐ右手、教頭の席の斜め後ろに大量の鍵が掛かっているのを発見し、そこだろうと思って空いているスペースに鍵を掛けておいた。言われてみれば『教室』と書かれていたような気もするが、よく覚えていない。

「ごめん……」

 記憶は曖昧だが、俺のせいで部活が中止になったのは事実。とりあえず謝罪する。

「別に謝ることじゃないし。むしろ部活が潰れてラッキーみたいな?」

 どうやら気にしていないらしい。考えてみれば新川が茶道に真剣に取り組むような人間だったならばこんな性格はしていないはずだ。何とかの心を使って腐った内面を表に出していないだろう。そう思うと少し謝って損をしたような気になってきた。

 壮は壮で、相変わらず無口だが、特に俺を責めるつもりもないらしい。

 ホッとして俺が何気なくいつものようにポケットへ手を突っ込むとガサっと何かに触れる。取り出してみると先ほど壮が渡し逃げした手紙だった。

「そういえばさ、壮はわざわざ手紙なんて書いたんだ? 普通に呼んだほうが早いじゃん」

「……新川さんが書けって」

「新川が?」

 新川の方を見ると新川は一瞬ビクッとした。

「な、な、なんやねん!?」

「なんやねんって、なんで手紙なんだよ」

「べ、べべつつにどうでもええがなやろ」

「まさか――」

 俺の言葉に新川が息を呑む。

 俺のシャーロック・ホームズばりの灰色の脳細胞が一つの答えを導き出す。

 あれ?

 灰色の脳細胞はエラリー・クイーンだっけ?

 まあいいや。

「――俺をドッキリにはめようとしたな」

 ズバリと決まった。新川は諦めたようにため息をつく。

「……そんなわけないでしょ」

 出た! 犯人の言い訳。ここで俺が証拠を突きつけて一件落着。

「その証拠に壮が「新川さんにやれって言われました」と自白していたぞ」

「そこまで言ってないでしょ……。けどもういいや、はいはい私が悪いですよ」

 犯人が自白してケースクローズド。どこか腑に落ちないがまあいいとしよう。

「探偵気取りもいいけど、明日はしっかりやりなさいよ」

「明日?」

「私が脚本書いてくるって言ったでしょ! 一挙一動まで書いてあげるから明日はヘボ探偵じゃなくて大根役者にでもなりなさい」

 自分の言葉に大笑いする新川。

 新川は「あーうける」、「まじうける」と一通り笑い終えると「私忙しいから」という言葉を残して去っていった。

 俺は同じく残された壮に「じゃあ帰るか」と言い、一緒に下校する。

 他人と並んで帰るというのは新鮮だった。しかも隣にいるのはかわいい子。これで性別が女だったら最高なのだが、そこまでの我儘は言うまい。

 だが、この至福の時間はわずか三分程度で終わってしまった。カップラーメンならばこの後、食すという幸せな時間が待っているのだろうが、俺には孤独な時間が待っている。壮は右に、俺は左へと曲がるとそれぞれの道を歩み出した。

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